第41話 「腕を失ったSランクギルドリーダーの血が巻き散らす災害は」

 第八インタビュー室は、インタビュー者に関連異端の異常性を見せつける場としても有効である。

 備え付けの窓から見下ろせる広大な立方体空間ホール。この空間で異端性を発動してもらう事で、インタビュー相手に現実を知らしめる。そんな役割も存在する。


 強固な壁を突き破った先は、巨人すら格納できそうな空洞。

 広大さで言えば、野球でもサッカーでもアメフトでも出来そうな平坦な面が一望できた。

 だがそれを童子が感じる事が出来たのはそれまで。

 

「うお」

 

 童子はそこでようやく、自分が物理という教科の例題になっていた事に気付いた。

 ――高さ数十メートルの床から壁を突き破って、水平方向に時速数百キロで投げ出された。

 重力加速度は9.8m/sとする。

 その時、地面に叩きつけられるまでの時間と、地面に達した時に物体にかかる力を求めよ。

 

 時間は高さからして10秒にも満たない事は直感的には分かった。

 そしてメアみたいな超人でもない限り、地面に叩きつけられた時に全身粉砕骨折で即死する未来も見えた。

 

 ただし考慮されていない異端の力が、童子の落下速度をゼロにしていた。

 

『ブォ』


 壁一つ破壊したというのに殆ど無傷のバイク、真田栗毛が誇る様にマフラー音を鳴らしていたからだ。

 縦横無尽に空間を駆け巡り、徐々に床に近づく軌道を描きながら。

 

「よくやったぞ、栗毛」


 優しく叩きながらも、童子は宇宙に漂う様な浮遊感を身に染みて堪能していた。

 

「しっかし……俺、大型バイクの免許は持ってるけど、空飛ぶバイクの免許は持ってねえんだ。なのに俺の思い通りに動いてくれるんだな」


 徐々に遠ざかるインタビュー室への穴。

 女性エージェントに連れられた詩桜里の後姿を思い浮かべながら、心配そうに見上げる。

 

「栗毛。お前がいなきゃ、詩桜里は救えなかった。ありがとうな」

『ブォ』

「後で詩桜里の事、紹介する。きっと栗毛ともいい友達になれると思うぞ」


 栗毛だけじゃない。

 メアが一緒に来てくれなければ、奪い返す事は叶わなかった。

 メアだけではない。あの誇り高い女性エージェントがいなければ、きっと酷い結末に終わっていただろう。

 

「後であの人にもしきれない感謝をしよう」

「安倍童子!」


 空から落ちてきたのは、小さな剣士だった。

 器用にバイクの後部に衝撃を殺して着地する。猫か何かと間違えるくらいの軽さだった。

 それでも僅かにバイクが揺り動く。『ブォ!』と不服そうな鳴き声をメアも感じ取れたのか、眉間を皺を寄せて腰に手を当て反論する。それにしても靴が触れている面積が僅かにもかかわらず、とんでもないボディバランスである。

 

「痛い筈がないでしょう。最大限君に配慮した着地をしたのですよ」

『ブォォ……』

「お前とはいずれ決着をつけたい、だって」

「安倍童子、君はこの真田栗毛とやらのいう事が分かるのですか」

「こいつの心がそう言ってる」


 その言葉で納得したのか、ふんと胸の前で腕を組むメア。


「いいでしょう。君とはいずれ決着をつけましょう。それよりも」

『ああ。それよりもジェラルドだ』


 レーヴァテインに皆まで言われなくとも分かる。ジェラルドがあの程度の一撃で倒れる訳がない。また、重力加速度に殺されるような男でもない。

 メア程の身体能力を持ち合わせていなくとも、メアと同じギルド出身で、しかもギルドを率いていただけの男だ。魔術師と言えど、体の強度も常識で計ってはいけない。

 油断して、“瞬間移動エアウォーク”で逃げ出されたら何をされたか分かったものではない。童子やメアがいつでも命を狙われることを意味する。そして詩桜里がまた奪還されることを意味する。

 故に、見極めなければならない。

 ジェラルドが死していなくとも、戦闘不能であることを。

 

「いました!」


 落下していく瓦礫達の最中に、硬く尖った赤髪を見た。

 意識こそはついえていないものの、明らかにダメージを隠せていない。

 しかし、まだ戦闘続行は僅かにでも可能。悔しくも付き合いの長いメアにはそれが見て取れた。

 

 畳みかける。

 止めを刺す。

 メアが思考した時には、ふわりとバイクから脚を離す。

 

「真田栗毛! 私を蹴りなさい!」

『ブォ!』


 先程のような軽口の一方で、やはり互いに認め合っていた。

 メアの呼び声に呼応した真田栗毛の後輪が大きく弧を描く。

 結果、規格外の二つの脚力が混ざり合ってバネとなる。

 

 メアの体は、飛矢となった。

 

 空を疾駆する。。

 迅雷の突進が生み出す刺突。

 前に差し出した聖剣の向こう側に、真っ逆さまで落下し続けるジェラルドの姿が合った。

 

「ジェラルド――覚悟!!」


 宣言通り、半殺しだ。完全に殺しはしない。

 それでも四肢のどれかを斬り落とせば十分だ。戦闘不能。再起不能。人命は奪わないまでも戦士生命はここで抹殺する。

 躊躇いも迷いも無い全身刃になっての刺突に、極限にまで狭まった視界の中でジェラルドは――歯軋りをしていた。

 

「かくなる上は……って奴か」


 ジェラルドの背景に橙色の気配が飛び交う。

 炎属性の魔力。

 だが関係ない。

 “ニルヴァーナ”からのゼロタイム魔術でも、音速の次元を軽く突破したメアには届かない。

 “瞬間移動エアウォーク”も最早間に合わない。

 

 かの女性エージェントが無理をして詩桜里を救ったように。

 メアも腕一本しかばねになったとしても、ジェラルドをここで無力化する意気込みで特攻をしている。


「……!」

「折角だ。地獄じゃ女として俺の隣にいろ」


 だが、その魔術は“フレアアロー”ではない。

 その上位互換の“フレアメテオ”。

 しかも放とうとしていない。

 

 “フレアアロー”の数倍の威力を持つ火力で、“暴発”しようとしている。

 火矢で飛矢を落とそうと企んでいたのではない。

 爆発で諸共、道連れにしようというのだ。

 

「試してみなさい」


 しかしメアは後退しない。止まらない。今更戻れない。

 初志貫徹。

 死を超越したメアにとっては、逆に踏み込みを深くさせる好材料。

 

 そして。

 ジェラルドとメアが交差し。


「レーヴァテイン!! 爆発の抑制を!」

『無茶を……言ってくれるな!!』


 地獄の爆炎は、広が――らなかった。

 刹那、メアとジェラルドを半球体ドーム状のオーロラが包み込む。

 オムニバスに来る時に、ガスマスクから童子と詩桜里を守った聖剣の結界。

 

「メアさん!!」

 

 あらゆる光線銃から童子たちを守ったように、今度は豪快な花火を広げまいと押し留める。

 びくともしない。ひびすら割れない。一点に爆発を閉じ込める事には成功していた。

 だが童子の叫び声なんて簡単に掻き消されてしまうくらいに、太陽の竜巻が結界の中で発光する。

 

 とても人体なんて。

 五体満足どころか、消し炭すら残らない様な、大爆発。

 

「――勝手に殺さないで下さい。知らなかったんですか。私は死なない」


 だが、それもほんの一瞬だった。

 結界が消えたかと思うと、充満を始めた黒煙が不自然に伸びていく。

 その先端から、メアが落ちてきた。

 スーツは全身ボロボロで、あちこちで重い火傷や裂傷が散見されたが――無事に足で着地した。


「いや……あんなん普通死ぬだろ」

「結果死んでません。それでいいんです」


 爆炎から下へ伸ばされていくもう一つの黒煙の軌道を見つめながら、メアが続ける。

 

「ジェラルドもどうやら本気で死ぬ気はなかったようです。故に、完全な“フレアメテオ”とはいかなかった」

『だがメア、君は』

「レーヴァテイン。大丈夫、リジェネで回復します」

『……』


 そのやりとりで分かった。

 幾ら何でも、閉じ込められた空間でほぼカンマの次元で、音速の灼熱に殴られ続けたようなものだ。

 しかも異世界でも屈指の魔術師による炎魔術。無事な筈がない。

 

 脚が震えている事からも分かる様に。

 メアは限界だった。

 メアは超人であっても、メア自身は異端ではない。

 生まれだけで見れば、普通の少女なのだ。

 同じ元素構成になっている石炭が、幾ら磨いてもダイヤモンドになれないのと同じように――。

 

 だから、メアがふらつき、倒れそうになった時。

 バイクで隣に駆け寄った童子が、それを抱き支える事が出来た。

 

「安倍童子……ご心配なく。三十分もあれば回復するでしょう」

「ありがとう。メアさんのお陰で、詩桜里を助けられた。ここからは自分が生き延びる事を優先してくれ」

「君に心配されるようでは、私も精進が足りませんね」


 だがメアが休めるかについては、ジェラルドの状況に左右される。

 メアとレーヴァテインという刃が、ジェラルドの喉に届いたかどうか。

 

「メアさん。ジェラルドは」


 ぼとり、と肉体が激突する音が聞こえた。

 同時、床に夥しく血と分かる液体が迸っていた。

 床一面に、紅の模様が広がる。

 

「――見ての通り。もう再起不能です」

「ぐ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 童子の脚下に、ニルヴァーナの宝玉が転がっていたと悟ったのはその時だった。

 のたうち回るジェラルドは、ニルヴァーナを手放していた。

 それもその筈。先程までニルヴァーナを持っていた右腕を、根から斬り落とされていたのだから。


「ここまでです。ジェラルド。君の負けです」

「ふー……ふー……、そんな、俺が……俺の腕、うで!! 熱い痛い熱い熱い、こんな……ああ手がないない……!!」

「さっきまで自爆しようとしていた人間が何を言いますか。いや、あれは最初から死ぬ気は無かったんですよね」

「当たり前だ。名誉の戦死なんて、少なくとも俺達の世界じゃ流行らねえ……そうだろ!!」


 ぽたぽた、と。床一面に滾々として四方八方に流れ出る。

 藻掻けば藻掻く程、広い模様になっていく。

 

「……そうですね。君が得意なのはいつも誰かを蹴落とし、中心にい続ける事――今私達を蹴落とそうとしていたように、そしてこのオムニバスを蹴落とそうとしていたように」

「なんの、事だ」


 最も軽蔑するような目で、地を這い血を吐き続けるジェラルドへ真実を突きつける。


「“ニヒルに安倍童子の情報を流していたのは、君ですね”」

「……うっ」

「へ? こいつが情報を流していたの?」


 メアは頷き、「状況証拠しかありませんが、恐らく」と付け加えた上で推理を話す。

 

「安倍童子をオムニバスに連れてくる作戦情報を委細にまで知っていたのは、一部の担当のみでした。あの時点でガスマスクの配置ぶりは半端じゃなかった。そして“妖狐”――安倍童子の母の遺骨を持ち帰った時、ガスマスクならともかく“烈火寿命オーバーバッテリー”にまで出くわすなんて出来過ぎているにも程がありますよ。ガスマスクは替えの効く人形ですが、鈴城晋と鈴城累はオンリーワンですからね。構えるなら構えるなりの、情報があった」

「言いがかりを……」

「ええ。状況証拠しかないので。しかし君の“瞬間移動エアウォーク”は、そういった隠密にお誂え向きの代物ですよね」


 鮮血が枯れ始めた頃。

 大体、とメアが両肩を竦めて鼻を鳴らす。

 

「そもそも推理何て要らないんですよ。この世界」

「なんだそりゃ?」

「“Martis異端番号#800“騙る罰カタルシス”……どうやら中世ヨーロッパで開発された異端の様ですが、場合に限り発動する、この世界に生きとし生けるあらゆる非人道よりも外道にして残酷極まりない拷問器具です。拷問に耐える耐えないの問題ではありません。人である限り、生命である限り、心がある限りは十二分に耐える事が出来ない。忠実なる騎士も、世界を統べる王も、神ですらも、嘘つきは必ず真実を話す。そういう実験結果があります」

「……だが現代、その異端を使う事は禁止されている筈だ、ぐ、あ」


 悶えるジェラルド。その様からして、童子は見たことは無いが凄まじい代物なのだろう。

 メアもそれには賛同のようで、浅く首を振った。

 

「確かに。あまりに壮絶故に、オムニバス本部からも使う事を絶対禁止されています。ただし、ならば例外もご存じでしょう、ジェラルド」

「ああ……それはっ……」

「ええ。敵対組織と内通している疑いがある場合には、またオムニバスに甚大な被害をもたらし、社会秩序を混沌に陥れたエージェントである場合は、支部長並びに本部の許可を得て使用可能だと……まあ、この分だと承認は降りるでしょうね」

「いいじゃないか。ジェラルド」


 童子も事を把握し、メアを支えながら冷酷な視線を見せる。

 初めて見る異常な鮮血、人体欠損にも靡かない、恨みのこもった表情だった。

 

「要は嘘をついていないなら、その拷問器具は発動しないんだろ?」

「御明察です」

「なら、やましいことが無いなら、神の裁きって奴にゆだねてみたらどうだ?」

「……ああ……」


 だが、童子もメアも顔を訝しむ。

 冷や汗交じりのジェラルドの顔が、ようやく苦痛から這いあがる。苦悶に満ちているのは間違いない。右腕の喪失に耐えきれていないのは間違いない。切断面から死んだ方がマシな苦痛を帯びているのは間違いない。

 

 なのに。

 何故か、勝ち誇った表情が消えない。

 

 

「俺を、拷問場所まで引っ張れるのなら、な」



 地が揺れる。

 童子もメアも、一瞬視界が振動の狭間に消えた。

 部屋が揺れているというより、地震というより――この空間そのものが揺さぶられている!?

 

「な、何!?」


 その隙にジェラルドが何かを唱えると、途端にその場から消えてしまう。

 まだ発動出来たのだ。“瞬間移動エアウォーク”を発動できるだけの余裕があったのだ。

 

「一体どこに――いや、待ってください!」


 周りを見渡す余裕なんて、ある訳が無かった。

 揺れが収まっても、童子もメアも視線をひとところに集めるしかなかった。

 

「待ってください……これは、いけない……よく……ない……!」

 

 近づこうとする童子を制するメアの右腕にやけに力が入っていない。

 哀しいくらいに声が霞んでいる。

 

 童子でもまだ耐えれる程度の揺れに、メアの体がふらついて。

 遂に――うつ伏せに倒れる。


「メア、さん……!!」


 限界が、遂に訪れた。

 リジェネの回復を待たなければどうしようもない限界が、訪れた。

 さりとて、まだ口は動く。恐怖は動く。


「まずい……まずすぎます……ジェラルド……“まさかこの世界でも、使えたなんて”……!!」

「何が使えるってんだよ!? 炎の魔術と空間魔術だけじゃねえのかよ!? 一体、何が起きてんだよ!? それより、しっかり……」


 苦虫を嚙み潰したような表情で、必死に立ち上がろうと藻掻くメアの前で。

 メアを助けようにも、ただ茫然と栗毛のハンドルを掴む事しか出来ない童子の前で。

 けたたましく振動を繰り返す空間の中心で。

 

「“召喚魔術”――」

「えっ!?」

「ジェラルドの強さの本当の理由――“召喚魔術”です!!」

 

 深紅の発光が、童子達の眼をくらます。

 起源は、ジェラルドが巻き散らした凄まじい寮の血痕。

 致死量とはいかずとも、尋常ならざる鮮血の描画。

 

 童子はようやく気付いた。

 胡乱な発光は床を彩る鮮血に沿っていて――更にその鮮血は、一つの図形を描いていた。

 円。そして六芒星。更に見たことの無い図形。

 それらが重なって、何か生き物のように蠢く。

 

 召喚魔術。

 ゲームをやらない童子も聞いたことは、無くも無い。

 現代に呼び起こすには、あまりに荒唐無稽な概念を。

 

「そんな……でも、世界が滅んだ時に……神も死んだ……幻獣も、神獣も安倍晴明に殺された、筈じゃ……!!」

「――そいつだけ、“俺の血を媒介に潜り込ませていたのさ”」


 声の方向を見上げると、腕の止血を完了していたジェラルドがインタビュー室から、見上げていた。

 満身創痍。立っているのもやっとと言った様子だ。眼の下に隈も見受けられる。

 

「変に小細工を弄しようとしたのが間違いだった。穏便に平和に行こうとしたのが間違いだった……最初からこうやって暴力で手中に治めればよかった!! 俺が、俺こそが世界の中心だ!!」


 妖光が一層輝きを増す。

 もう一度見れば、模様になっていた血痕たちは、一定の大きさを保った血の海へと変貌していた。

 

 まるで。

 “何かに通じる穴”のようにも見えた。

 

「血を媒介に……ってことは」


 魔術や異世界事情を知らない童子でも、推察できてしまう。

 “召喚獣”を混ぜ込んでいた血を、こうして大量に巻き散らした。

 

 つまり。

 “召喚獣”は、解き放たれた。

 異世界の原野から、今まさに、この目の前へと。

 

「……安倍童子、に、逃げてください」

「メアさん」

「あれは今の私達では……どうしようも、ない。あれは――」


 メアの体を抱き起し、その発現を見守る。

 生誕を見守る。

 命の祝福とは程遠い、全身を逆立たせる怖気とと共に。

 

「最悪の、炎の魔神――」

「さあ。この世界の人類はみな脆弱だ。お前なら全員食い物に出来るだろう、それがお前への供物だ――“イフリート”」

 



 その瞬間だった。

 先程まで紅い海だった穴から、朱炎の魔神イフリートが這い出て――。

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