第40話 「フェイクと本命」
「……のっ」
発声して直後、ジェラルドの頭上にさんざめく矢が放たれる。
一つ一つが巨大なダイナマイトも同じ。一秒後にはインタビュー室が微塵も無くなる筈だった。
だが、そもそも“フレアアロー”は爆発しない。
ジェラルド渾身の炎魔術が、同時に重なった途端に消失したのだ。
「鎮火……? 違う」
僅かだけ、手遅れだった。
“曇天帰し”――光の描写が、一つのアパートを鮮明に描いていた。
数部屋のワンルームしか格納できないであろうアパート。それでもインタビュー室の天井を書き換え、突き破るくらいには体積を誇るアパート。
別名、“全焼アパート”。
火事に見舞われる前の健全な状態で現れた築40年の建造物は、まるで焔を飲み込むかのように全ての矢を防ぎきっていた。
アパートは徐々に業火に見舞われた。
ジェラルドの魔術を糧にして、歴史を繰り返す。
「それが曇天帰し……貴様の能力か。俺達の世界じゃ見なかった魔術だな」
歯軋りするジェラルドの目前で、世界が瞬く間に書き換えられていく。
インタビュー室の半分が、光に包まれたかと思うとアスファルトを土台にした小路へと変貌していく。室内にいる筈なのに、紅の夕日が見える。斜陽に不気味に照らされた、橙色の世界。
橙色の世界は、炎上を始めたアパートによって灰色の煙幕に染まる。
アパートから出てきた童子もメアも、その煙幕によってジェラルドの視界から消える。
「ちっ、隠れやがって! どこにいった!? 出てこい!」
再現されるのは早送りの歴史。
アパートが炎上し、中の住民が真っ黒な異端へと変わり果てるまでの叙事詩。
だが、悲劇を鑑賞する暇も、息を着く暇もジェラルドには与えない――詩桜里を取り戻すまでは。
「!?」
アパートの煙幕に影が映る。
バイクの影だ。“真田栗毛”だ。
「目くらましのつもりか、見えてんだよ安倍晴明!!」
0.5秒。
フレアアローを生成するジェラルドの速度。一部屋が跡形もなく爆散する程度の魔術であれば、詠唱破棄で即座に呼び出せる。
(待て)
しかし放つ直前に、違和感に勘付く。
違和感通り、煙から出てきたのは真田栗毛だった。ただし、“真田栗毛”だけだ。
座席に、誰も座っていない。
(こいつはフェイク――安倍童子は機動力は無い――となれば青原詩桜里を救い出す事を目的とすれば本命は――)
0.01秒。
メアと同じく百戦錬磨で磨き上げたジェラルドの思考速度。すぐさま真田栗毛に牽制のフレアアローを放ちながら、辺りの状況を把握し始める。どうやらインタビュー室という狭さすらも書き換えてしまったようで、索敵範囲が広がっている。先程放ったフレアアローも、インタビュー室の壁があった座標を超えて遠くで爆発していた。
面倒だと思いながらも、それでも戦闘勘はメアに引けを取らない。
ジェラルドがぐわんと頭を向けた先に、驚愕したメアの表情が合った。
「気づかれた!?」
「そりゃそうだろぉ、安倍晴明の脅威にかまけててめぇを見過ごす事はしねえよ本命!」
疾駆するメアは、しかし構わずに回復したての脚を回す。
軌道からして真田栗毛とは別ルートで詩桜里に接近している。
それを見逃す程、ジェラルドは優しくない。
しかも、まだメアの左脚は万全じゃない。最高速度で真田栗毛というフェイクも混ぜられていたら分からなかったが、しかし僅かなスピードダウンが命取り。
ジェラルドはフレアアローをメアに向けて放つ。
可愛い子兎を狩る、獲物のような気分で。
「くたばれメア!」
「……」
フレアアローの矢尻が、メアの横顔を射抜く――その光景は確認できた。
しかし、メアの体は爆炎に帰すことは無かった。そもそも爆炎が上がらない。
着弾していないから。
当たっていないから。
穿たれる直前で、メアの体が夢のように消えてしまったから。
「……!?」
「――読み違えましたね」
――そのメアすらもフェイク。
しかし今度は真田栗毛との連携によるものではない。
ジェラルドが見た詩桜里を救いに駆けるメア。だが実体のメアはその方向に一歩踏み出す素振りを見せただけ。
だが動きも気迫も完全に詩桜里の奪還にしか見えなかった。
鮮やかで流麗な舞い。ある筈のない幻影の出現を、一切の魔術や異端抜きでメアは実現せしめた。
ちなみに本当のメアは、迷いなくジェラルドの喉元目掛けて駈け抜けている。
「ジェラルドが邪魔で詩桜里ちゃんを救出できないなら、先に無力化するまで!!」
「ま、いいや」
だがジェラルドは反射で狼狽すらしない。
今更魔術の精製は間に合わない。0.5秒もあれば、メアという疾風は間合いに入り込むだろう。魔術の精製は間に合わない。
だがそれは外側にフレアアローを作った時の話で、
「
『メア、“ニルヴァーナ”だ!』
レーヴァテインの発言と同時。
後一歩で間合いに入れたはずのメアの体が、爆炎に巻き込まれた。
直撃こそは左半身で構えた鞘で防いだものの、逆に後方へ押し返される形となった。
「ニルヴァーナの能力……面倒くさいですね!」
魔術の発動は間に合わない、筈だった。
しかしメアに両腕に火傷を背負わせたのは、紛れもなく焔の矢。フレアアローだ。
しかし全弾使い切った筈の矢数を、どこで補充したのか? 詠唱破棄と言えど、メアが聖剣を抜くが早かったはずだ。
答えは、ジェラルドが右手に携える魔術杖――“ニルヴァーナ”。
勿論、ただの飾りではない。
ジェラルドの魔力に対し、異様なステータスアップを施す強化機能。
さらに加えて、“詠唱破棄よりも更に短い0秒”で魔術を完成し、杖から放つ事が出来る。
イコール先端の宝玉が紅色に光った瞬間、先手の権利をメアから奪い返し、灼熱の魔術によってメアを迎撃したという事になる。
レーヴァテインと同じ、神授の武器。
聖剣にはワンランク足りないにしても、魔術師としてはトップクラスの宝具である事には違いない。
「……二段フェイクでも足りませんか」
「剣士は弓兵には勝てず。ましてや魔術師に距離を詰めようなどと考えた時点で終わっている。諦めるんだな」
そう言いながらも、ジェラルドは一度張り巡らせた警戒を紐解かない。頭の怪我がいい薬だ。
メアが視線をひきつける一方で、メアの後ろに安倍童子がいる事は分かっている。
メアは確かに強敵だが、その強敵具合をジェラルドは分かっている。だからこそ駆け引きで一歩先を行く事が出来る。
一方で、童子についてはブラックボックスもいい所だ。出方が読めない。
(基本に立ち返ろう)
だがジェラルドとしては、そもそもこんな戦いにムキになる必要は無い。
先手を打ったのは自分な事も棚に上げて、背後の詩桜里を気にしだした。
(この女をフレアアローで顔面以外真っ黒こげにしちまえば、愛しい娘の死に顔を見て、安倍晴明の化けの皮も剝がれようもの!!)
そもそも、最初の目的は詩桜里を殺して童子を暴走させる為。
計画外の速度でメア達が到着してしまった為にややこしい事になっているが、しかし順番が前後しただけの事だ。
フレアアロー一発ぶち込むだけで、意識を朦朧としている儚い命は一瞬で詰む事が出来る。
(俺は“
そうと決まれば振り返り、フレアアローを一思いに放とう。
ジェラルドはそう思い、童子とメアに最大限牽制を入れつつ詩桜里に目をやった。
(寧ろ感謝してほしいもんだ。これで安倍童子が本当に危険な存在だと証明できる――この世界が全部モアイ像になっちまう前に! 石だけの錆びた棺になる前に!! 俺が全てを白日の下にさらす――元の世界なら王位さえ貰ってもいい筈の大勲章物だ!!)
振り返る。
青原詩桜里がいない。
「……え」
この異常事態にメアへの警戒を怠らなかった辺りはジェラルドも流石というべきだろうが、しかしやはり青原詩桜里がいない。
いない。今の今まで、そこに倒れていたはずなのに。
「な、んで」
安倍童子が何かしたのを見過ごしたのか。
否、そんなことは無い。ジェラルドが最大級に索敵していたのだ。ありえない。
真田栗毛の位置も把握している。エンジン音、時折聞こえる馬の慟哭。隠密活動に適さないこのバイクにも、ジェラルドに悟られず詩桜里を担ぎ出すのは不可能だ。
だとしたら。
誰が――。
(あ――)
待て。
この部屋には。
“インタビュー室”には。
もう一人いた。
だって、ここはインタビュー室なんだから。
さっきまで詩桜里がインタビューを受けていたという事は、インタビューをしていた人間がいた。
インタビューは、一人ではできない。
最低、二人いないと。
二人、元々いた。
青原詩桜里と、もう一人いたはずだ。
最初にジェラルドが無力化――したと思っていた、名も知らぬエージェントがいたはずだ。
「ぐふ、くっ……」
結論。
ジェラルドが見逃していたのは、青原詩桜里のインタビュー担当エージェントだった。
既にメアを横切り、童子の曇天返しから書き換えを逃れていた扉に向かって走り抜けていた。
腹を抉った火傷。酷く重傷だ。
さりとて、幸か不幸か女性エージェントは生粋のオムニバス出身であり――身命を捧げる覚悟は幼少期に整っていた。
致命傷かもしれない大火傷負ってでも使命を続行しようとする淡々とした意志が、ここではいい方向に倒れた。
「メア、貴様……」
「残念ですが、本命はあのエージェントです」
この聖剣しか能が無かったはずの女剣士が、脳を使った。
曇天帰しにより煙幕に巻かれる直前、メアは意識を取り戻した女性エージェントが隙を伺っている事に気付いた。
そして女性エージェントとアイコンタクトで連携を取ると、更にはジェラルドの特性から詩桜里奪還への
全ては、メアの計画通りだった。
「残念でしたね。私もこの異世界に来て、剣を活かす以外の道を知ったのです。独占欲から抜け出せなかった君と違ってね!」
「それが、どうした」
ジェラルドが消失した。
“
出現先は、女性エージェントの――詩桜里の真上。
顕れたジェラルドを見上げるエージェントと、ぐったりと苦しみ悶える詩桜里を見下ろす。
ニルヴァーナを込めた右手に、地獄の業火のような殺意を込めながら。
「モブのくせに……ぱっとしねえ女のくせに……せめてグリルはいい匂いで興じさせろ雌豚ァ!!」
「じゃさぞかしお前は酷い匂いだろうな」
熱い。
それは、女性エージェントの悲鳴ではない。
ジェラルドの左腕が脳裏に激痛感覚となって訴える。
『アツイアツイアツイアツイ、アアアア、ツイ、ドアノブ、熱イ、出ラレナイ、煙、煙、アアアアアア』
だが、見た時には手遅れ。
真っ黒なゾンビが。
安倍童子に由来する、消滅したはずの異端達が。
曇天帰しによって歴史が再現された全焼アパートの悲劇が。
その住民が、太陽の様に灼熱の掌で、ジェラルドの左腕を掴んでいた。
一瞬で、ジェラルドの左腕が燃え盛り、炭になっていく。
自分の体が、残酷に鈍黒に燻された臭いがした。
「う、うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
悲鳴を耳にした程度で手加減するほど、童子は優しくできていない。
平成生まれの戦争を知らぬ時代ではなく、童子は血と肉の魑魅魍魎が当たり前の世界出身故に。
本能からして、縄張りを侵す敵に容赦なく暴力を叩きこむことも辞さない。
「人は焦げたら吐きそうな臭いしかしない。人が焼け死ぬってのはそういう事だ。人の焦げたのがいい匂いだと? “おやっさん”達の前でもう一回同じ事言ってみろ!」
ジェラルドの体が再び消失する。
ほんの僅か動いただけ。しかし真っ黒に爛れた全焼アパートの荼毘達の視界から外れた。
「……くそが……
「――成程。メアさんは本当に頭がいい」
直管から真っ直ぐにたなびくマフラー音。
二重の揺れが、先行してジェラルドの心臓を鷲掴みにしていた。
「……馬鹿な」
迷い込んだ先が、室内にして最早交差点。
丁度、真田栗毛に乗った安倍童子が入り込んでいた。
今度は加減も無い。
全速力。馬力充分。メアを凌ぐ突進が、今まさに目の前まで来ていた。
(待て、まだ、
これも、ジェラルドに指さすメアが童子にアドバイスした内容である。
ここまで予想済み。
三段階目のフェイクで、エージェントに詩桜里を奪還させて。
四段階目のフェイクで、全焼アパートの住民達にジェラルドを待ち伏せさせて。
そして今度こそ、本命。
アクセルを全開に捻る童子の体が、ジェラルドの視界を覆い塞ぐ。
「はい。今回の本命は――その二人です。お付き合いいただきありがとうございましたという奴なのですよ」
交通事故が発生した。
本命の一撃が、容赦なくジェラルドに叩き込まれた。
バイクの最高速度を軽々しく超越し、トラックの威力も凌ぐバイクの突進。
ジェラルドの体が句の字に折れ曲がり。
そのまま壁に大衝突して、その先の部屋まで突き抜ける。
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