第39話 「本当の怒りを知ってるか?」

 ウィリーされたタイヤが、自分の頭を蹴るまで、ジェラルドは一種の思考空白状態にあった。

 完璧だった計画に綻びが生じたことに、あらゆる感情が湧き出していた。

 

 何故まだ第六総合競技場にいる筈の安倍童子とメアが、このインタビュー室に辿り着いてしまったのか。

 暴れ馬にしてじゃじゃ馬で手の付けられない筈の糞バイクが、どうしてあの二人に背を許したのか。

 何もかもが思い通りにいかなさ過ぎた。

 詩桜里のまさかの反抗も含めて、思い通りにいかなさ過ぎた。

 

 混沌とした憤怒。

 七つの大罪の一つ、怒り。憎悪。殺意。敵意。

 炎が、渦巻いてネガの感情を焼く。

 ネガの万華鏡フィルムを焼く。


(……てめえは、また俺の幸せを)


 そうだ。この男が出てきてからすべてが狂った。

 順風満帆な酒池肉林がジェラルドの目前に、確かにあったのだ。

 メア以外の女は声をかければ抱きたい放題。王位以外の権力は望むがまま。世界すらも掌握出来そうだった。

 

 だけど、狂った。

 メアのお情けでギルドに着いてきた、あのアイクという無能を追放した後の事だった。

 邪魔者はいなくなり、後は最高のノンフィクションのSランクギルドマスター物語が待ちわびている筈だった。

 

(お前は、この世界でも、俺の野望を)


 だけど、狂った。

 突如世界に降り立った、“安倍晴明”に――世界そのものを消されてしまったのだ。


 忘れる訳もない。

 メアの聖剣も、自分の魔術も一切受け付けないあの絶望を。

 自分の庭が、空前絶後の術によって“石”へと変えられていく世界の終焉を。

 

 安倍晴明は何かを言っていた。

 一瞬で何をされたかも分からずに倒され、怒りと絶望で我を忘れていたジェラルドには、ただ一言しか聞こえなかった。

 星に似た、絶対零度の瞳でこちらを睨みながらの一つの言葉しか。

 


『やむを得ぬ。滅びよ、この世界も』



 メアはもう一つ安倍晴明の言葉を聞き取れたらしいが、そんな事はどうでもいい。

 “滅びよ”。

 暗黒の宣言を、あの絶対零度の瞳をジェラルドは一日足りとて忘れなかった。

 

 ジェラルドの理想の世界。

 ひれ伏す魔物共。何人抱いたか分からない可愛く甘美な雌豚達。手に余るほどの黄金財宝。

 ジェラルドがその世界を頂くはずだったのに、あろうことか安倍晴明は横取りしたのだ。

 

(許せない……何故だ、何故お前は)


 このバイクを乗りこなす存在こそ、間違いなく安倍童子だというのに。

 どの氷結魔術よりも凍えさせる面影は、確かに重なっているのに。

 極めつけとして、“安倍童子は安倍晴明の幼名”だというのに。


(何故だ、何故だ、何故だ、何故だ!! 一番分からないのはお前だ、メア!!)


 タイヤに激突する直前、ジェラルドは少し視界がぶれた。

 その先に、明らかに自分を敵視するメアが童子の真後ろに見えた。

 

(――お前だって、安倍童子の顔に安倍晴明を見る筈なのに――何故、お前は、いつも、俺の隣に、いない)


 タイヤが脳天を揺らした。

 蹄が、ジェラルドの顔を吹き飛ばしたのだ。

 

「がっ!」


 だがジェラルドも、ただではやられない。

 同時に動けずにいた詩桜里を引っ張り、自分の後方へ滑らせた。

 

「詩桜里!」

「っと……」


 すぐさまジェラルドが起き上がり、バイクのボディの前によろけながらも立ち塞がる。

 うつ伏せになったまま動けない詩桜里への道を通せんぼする形だ。


「無視なんて虫のいい事してんじゃねーよ安倍晴明! つれねえな!」


 戦馬の霊が乗り移った異端のバイクにはねられたにしては、額から流れている血が少ない。

 しかもいつの間にかジェラルド最強の魔術杖“ニルヴァーナ”を取り出し、辺りの空間に灼熱の矢“フレアアロー”を幾重にも張り巡らせていた。次に突進すれば、インタビュー室なんて軽く吹き飛ぶ爆撃にさらされて終わりだ。

 

「……加減しましたね」

「ああ」


 ジェラルドの為ではないだろう。

 童子が見た時、ジェラルドは詩桜里の髪を鷲掴みにしていたのだ。故に“真田栗毛”の全力で蹴り飛ばしたら詩桜里も巻き込まれる。今まさに巻き込まれる形で詩桜里も一緒に吹き飛ばされていた。

 もし全力で特攻していたら、ただでさえ一般人でかつ過呼吸症候群発症状態の詩桜里の事だ。大事に至っていてもおかしくはない。この辺りの意図を汲む辺りは真田栗毛が名馬たる証左であったが、この先制攻撃は結果論で言えば最善手ではなかった。


『仕方ない……が、下手に手負いにさせたのはまずかったぞ』


 レーヴァテインの指摘通りだった。

 逆に手負いにさせてしまった事で、ジェラルドの集中が研ぎ澄まされてしまった。手負いの獅子程怖い物は無い。

 こうなると脚が回復してきたメアでも抜くのは難しい。ジェラルドは空間から空間へ飛び移り、空間を操れる術を持っている。単純な勝負ならともかく場を制圧する事が目的だと、メアでは分が悪すぎる。

 

 童子はのっぴきならない顔で、喘ぐ詩桜里を見ていた。

 見ている事しか出来なく、唇をかんでいた。血を流していた。

 

「詩桜里……」

「くはは、いいぞ……この女の命が惜しくば、動くんじゃねえ。俺もじれったいのは嫌いだ! 一思いに焦がしてやんよ」


 過程は完璧とは言えないが、結果的に有利に働き始めたことで溜飲が下がり始めたジェラルド。

 膠着状態。だがジェラルドは次々に“フレアアロー”を増やしていく。

 炎帝を名乗るに相応しい太陽の線が天井を覆いつくす。もう遅い。あれが穿たれ着弾した瞬間、インタビュー室どころかここら一帯が吹き飛ぶ。脅しには十分すぎる威力だ。

 メアが隙を伺いながら、侮蔑する存在としてジェラルドを睨む。

 

「正直に言って、君を安倍童子の担当にしたのが林一番の失策ですよ」

「あんな股緩々の癖に無下にする魔法少女とやらも、俺の実力だけは認めざるを得ないってとこだ」

「林の人事には後で文句言ってやりますが、まずは君とはここで決着をつけなければならないようですね。よりにもよって詩桜里ちゃんを……一般人を人質に取るだなんて! 一時期君の下に居たことが私の人生最大の汚点ですよ!」

「おいおい。減らず口をしていていいのか? お前は逆らえない。あの“アイク”をダンジョンに追放した時も、結局見殺しにするしか無かったんだからなぁ!?」


 Sランクギルド“紅玉の蹄”。

 ジェラルドはそのリーダーで、メアはその切り込み隊長だった。

 アイクというメアの幼馴染も、そのギルドのメンバーだった。

 ――正直、童子がその道に通じていたならば巷のニーズに合わせたWeb小説一本作れそうな勢いの深淵に満ちた物語である。

 

「……世界が滅ぼされるなんて状況に至って、感情に任せてあなたを弑すのはアイクに草葉の陰から笑われるだけと耐えてきましたが……もう、もう我慢の限界という奴です」

『メア』


 レーヴァテインの制する声が聞こえる前に。

 太く脈動させた血管に満ちた眼球を、ジェラルドに向ける。

 

「あくまで私はエージェント。あなたのように理性を失った獣にはなりません。あくまで人間として戦ってやろうじゃありませんか。故に無力化許可が出てないあなたを殺したりはしません、けれど半殺し程度でもアイクのあの時の痛みを、そして詩桜里ちゃんの痛みの一部でも知る事でしょう」


 鞘を持つ左手に意識を全集中させる。

 勝負は一瞬。少しでも猶予を与えれば、最強の爆発力たるフレアアローの絨毯爆撃が始まる。

 中級魔術の筈なのに、あれで最強の爆発力と銘打てるだけの魔力を持つから、おぞましく恐ろしい。

 あれ以上の“フレアメテオ”という上位互換が存在するのだから絶望的だ。

 追い打ちのように“瞬間移動エアウォーク”という空間制圧の特殊属性を持ち合わせている。

 

 そして。

 そして

 ――ジェラルドがもつ最強は、“三種の神器”とも一部では呼ばれている。

 

 

 だが、かつては同じ釜の飯を食べた間柄。メアはジェラルドの手の内を知り尽くしている。

 さりとてメアは聖剣使い。

 接近戦に持ち込めば、ジェラルドとて敵ではない――。

 

 しかしだからこそ、ジェラルドがこの期に及んで罵倒卑下嘲笑が出来る性格という事も知っている。


「剣しか能のない能無しが……そもそもお前が一番恥ずべきなのは、愛すべき世界を滅ぼしたその悪鬼の隣にいる事だ!」


 ジェラルドが童子を指を差しながら続ける。

 

「そいつは俺達の世界をあっという間に平らげ、この甘ったるい世界でもある国をどっかのモアイ像に変えたっていうじゃねえか。剣しか脳が無さすぎて、遂に記憶も思考も失ったかガキ女ァ!!」

「……」


 フレアアロー以上の焔を生み出すくらいの油がメアに注ぎ込まれたことは言うまでもない。

 だがもう知らない。ジェラルドも止まらない。


「認識を手練手管で操るらしいな。じゃなきゃ人の記憶から歴史そのものを無かった事出来るなんて叶わねえもんな!! お前のレポートを見たぜ!! 要は――“歴史を操ってんだろ!?”。いなくなった異端の歴史を読んで、お前の手駒にしてんだろ!? 支配者……気持ちわかるぜ? すべてが思い通りになるのって楽しいもんな!! 認めちまえよ!! そうだろ? 安倍晴明!!」

「俺は」


 安倍童子は。

 

「俺は」


 安倍童子は――何も聞いていなかった。

 聞こえなかった。聞こえる訳が無かった。

 ジェラルドの『ある無能を追放したSランクギルドの武勇伝』も。

 自らを怨敵と見定めているのか、同族嫌悪の対象にしているのか分からない言いたい放題の言霊の数々も。

 

 何も。

 聞こえていない。

 

 これ以上。

 俺に。

 詩桜里が苦しむ。

 顔を見せるな。

 

 詩桜里を、これ以上。

 詩桜里を、これ以上。

 詩桜里を、これ以上。


「――俺が安倍晴明だとか、もうそんな事はどうでもいい」


 詩桜里を、これ以上。

 泣かせるな。

 それで、いっぱいだから。


「詩桜里の視界から消えろ」


 ジェラルドは、一瞬我を忘れた。

 幻想の異空間に迷い込んだかのように、部屋の全てを一つの気配が凝縮していた。

 

 地獄から伸びる掌に、心臓を鷲掴みにされたように。

 天国からぶら下がる紐に、首を何重にも巻かれたように。

 

 人類史上どの著名な哲学者たちも宗教家たちも辿り着けていない筈の、というものが今、目前で人の形を成しているかのように。


「俺のたった一人の家族なんだよ。もう詩桜里しかいないんだよ」

「……」


 圧倒された、ジェラルドは。

 一つのトラウマを、脳裏に浮かべた。

 

(この、感じだ)


 今童子は。

 “絶対零度の瞳をしていた”。

 ジェラルドが対峙した時の、安倍晴明のように。

 

「お前だ」


 ジェラルドは、呟いた。

 

「お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前だ、お前、おま、お、お前」


 ジェラルドが、最後に息を吸い込んで。

 無意識で、呟く。

 

 

 

「お前だ」




 戦いの火蓋は、不自然なくらいにきって落とされた。

 文字通り、爆炎を圧倒的に圧縮した炎の矢を、全弾同時に向かって振り下ろす事によって。

 

 

 だが。

 ――遺伝子状の光も、同時に童子とメアと真田栗毛を包む様に、一つの業を描く。

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