第38話 「思い通りにいかなかった2つの事」

 “あの男が後生大事そうにしているこの娘を殺せば――ちょっとは正体表すんじゃねえか?”

 

 ジェラルドの目論見は、確かに正しかった。

 童子の心をこれ以上ないくらいに的確に、効果覿面に抉っていた。

 第六総合競技場の芝生で、呆然とメアの通信を耳にしていた。

 

「おい……メアさん」


 何かに突き動かされるように、メアの両肩を掴む。


「詩桜里が……詩桜里がどうしたってんだよ!」

「落ち着いてください!」

「落ち着いてなんかいられるか! 詩桜里は……俺の!」


 メアとしても冷静ではいられない。

 童子の手を剥がすと、低く憤った声で出口の方へ向かう。心臓を鷲掴みにされたような童子の憤慨も分かるつもりだ。


 この二人の関係は、普通ではない。

 過去のデータもそれを示していたし、童子と詩桜里の様子からもそれをメアは伺っていた。

 ……もしそれが認識操作によるものだったとするなら、これ以上ない芸術作品だろう。

 心という、芸術を安倍晴明は造れる。そう思うしかない。

 

「とにかく、私が先行します! 第八インタビュー室は遠いですが……全速力で行けば、一分で余裕です」

「頼む」

「頼まれずとも……ジェラルドは元とはいえ同じ異世界ギルドの人間です。何より詩桜里ちゃんに手を出すようなら、私が決着を――」


 だがそこまで息巻いておいて、力が抜けた様に膝から崩れ落ちる。

 立ち上がるのすらやっとと言った様子を見せた直後、メアが歯軋りをしながら左膝を見る。

 

『メア、駄目だ。君の左脚に限界が来ている!』

「こんな時に! 早く治さないと!」

『完全に治るまで10分が必要だ! そもそも2日前の“烈火寿命オーバーバッテリー”との戦闘で君の魔力を使い過ぎた……』


 たった2日前、“戦闘打者バットボーイ鈴城晋すずき すすむのホームランを真面に受けて、何もない方がおかしい。

 あれで全身粉砕骨折、内臓も多数破裂、筋肉の損傷は数えきれない。正直、生きているのがおかしいくらいなのだ。普通の人間なら全治1年以上だ。

 加えてその状態にも関わらず、真田栗毛との戦闘で脚を酷使しすぎた。

 聖剣使いであれど、人間に分類される以上当然の帰結である。


 さりとて10分。

 長すぎる。そんなに待っていたらジェラルドが何をしでかすか分からない。

 脚を引きずりながらも、メアは成程と思う――ジェラルドが何かを仕掛けるには、丁度いいタイミングだったわけだ。抑止力の筆頭であるメアが満身創痍の今しか、ねらい目が無かった訳だ。


「……悪い、メアさん。なら俺一人で行く」


 はっ、とメアが顔を上げた時には勝手口に向かって走っていく童子の後姿があった。

 

「待ってください……君一人で行かせるわけには、そもそも……君の速度じゃ間に合わない!」

「……人間はそう合理的な生き物じゃねえって事だ」


 焦点がどこか合わない眼をして、童子がメアを向く。

 

「詩桜里が無事なら、俺は死んだっていい」


 当たり前の様に口にした童子の言葉に、メアは何も言えなかった。


 もうすぐ、あの料理も食べれなくなる。

 もうすぐ、あの好きな顔も見れなくなる。

 もうすぐ、おかえりって言ってくれなくなる。

 

 そうなれば、誰と桜を見に行けばいいか分からない。

 そうなれば、何をして夏休みを過ごせばいいのか分からない。

 そうなれば、文化祭の楽しさを語れる人はもういない。

 そうなれば、悴む指を心ごと暖めてくれる料理はもう出てこない。

 

 帰る家は、どこにもない。

 

 それでもいいから。

 自分の事なんて忘れて、別の誰かを好きになってもいいから。

 何でもいいから幸せに生きてほしいというのが、詩桜里への願い。

 

 だから。

 もう叫びたくて、叫びたくて、仕方なかった。


『――ヒヒイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!』


 代わりに、エンジン音と共鳴する馬の咆哮があった。

 駆けようとした童子の前に、ドリフトして停止する一台の大型バイクがあった。


Martis異端番号#16152……また暴走を!」

「違う」


 童子は確信する。

 “真田栗毛”は、壁を壊しに距離を取ったのではない。

 童子の邪魔をしようと、勝手口を使ったのではない。

 

 聡明な頭を持って、童子が求めんとするものを理解した

 ――背を預けるに相応しい新の相棒達を、見つけたのだ。


『ブォ』





「――二人とも頭に血が上り過ぎだ。メアに至っては車の存在を忘れている」


 童子とメア、更に栗毛と呼ばれるようになった大型バイクがいなくなった伽藍洞の運動場を眺めながら、天成は一人呟く。


「だが、安倍童子君の分析が出来るいい機会かな。それに、いずれにせよ医者が必要な場面だ」

 

 そして、腕時計型ウェアラブル端末のディスプレイに目を向ける。

 事態を把握して手配しておいた、“移動手段”が到達する予想時間が表示されていた。

 “移動手段”――無人のライドシェア用超電導磁気自動車リニアカーが来るまで、そう時間はかからない。



            ■       ■



 ジェラルドの準備は周到にして、緻密だった。

 タイミングを見計らう準備、そして実行に移す際の準備。

 表向きは回復したように見えているが、メアは野球部たちとの戦闘において傷が癒えていない。長い事同じギルドにいた間柄だ。反目しあっていても、腐ってもジェラルドはリーダー。それを見抜く素質も異端だった。

 じゃじゃ馬のバイクは、メアを打倒出来はしないだろうが、足止めをしてくれているだろう。

 

 更には一番の不安要素であるりん。戦闘主体のエージェントではないからといって、侮る事は出来ない。こんな意味不明な秘密結社である程度の地位に上り詰めた少女だ。魔法少女という肩書もいまだ不明な所が多い。しかし隙だらけだ。空間隔離は完璧だった。

 

「安倍童子は間違いなく、安倍晴明なんだよ……俺は確かに異世界で見た。あの顔、少し若返っていても、面影は消えはしない……そう、“安倍晴明であって貰わなければ困るんだよ”」

 

 そして、童子は――逆に異端性を発揮してもらわなければ困る。

 しかし出来る事であれば、自分のいない所で異端を暴走してもらえばそれでよい。


 例えばこの少女の、哀れな遺体の第一発見者に童子がなったとしたら?

 今度こそオムニバスは安倍童子に“無力化ころしの許可”を行う筈だ。

 安倍晴明に相応しい暴走を、自分とは関係の無い所で繰り広げる事によって。

 

「だが、ワンサイドゲームというのもつまらない。チャンスをやろう」


 嘘だ。ワンサイドゲームがジェラルドの好みだ。

 メアの様な生き死にの境地に興じるつもりはない。自分の強さは、自分の安定のためにある。

 だから提案するのは、イーブンにすると見せかけて結局ワンサイドゲームのまま殺す為の物だ。

 

 ただの、童子が暴走するためのスパイスだ。

 童子が第一発見者となりやすくする為の、スパイスだ。

 

「安倍童子に連絡しろ。家族の連絡先くらい入っている者なんだろう? このスマートフォンは」


 喘ぐ息をするので精いっぱいの詩桜里のポケットを弄り、スマートフォンを取り出して詩桜里に突き付ける。


「助けを求めろ。助けてお兄ちゃん、私殺されそうなの、って」

「……」

「アドバイスしてやろうか? 私犯されそうなの、の方が男って燃えるんだぜ? 全世界共通」


 かはは、と愉悦に満ちた微笑を見せるジェラルド。


「おら、なんだ? ただただ死にたいのか? 早くしろよ」

「……はぁ、……あぁ……あ……」

「過呼吸だかなんだか知らねえけど、スマートフォンくらい弄れるだろ。ゴブリン殺すよりも楽だろうに」


 震える手で詩桜里は、髪の毛を引っ張られる痛みにも耐えながらスマートフォンを掴み取る。

 まったくこの世界の女子は脆弱だ。とあまりの楽加減にジェラルドは吹きそうになる。

 ただ髪を引っ張られ、少し魔術で脅しただけで素直に従順になる。この時間の余裕加減から見れば、もう少し脅してどれくらいで制服を脱ぐか享楽に委ねても良かったかもしれない。

 

 詩桜里は虚ろな目で、スマートフォンの画面を操作していた。

 指が画面を行ったり来たりして、そして――。

 

 スマートフォンを落とした。

 

「ん?」


 過呼吸とやらで意識が失せたのかと思った。

 だが天井に向いていたディスプレイに記された内容は、電話という中身を知らないジェラルドにも窺い知れてしまう内容だった。

 

 

『安倍童子の連絡先を削除いたしました』



「……貴様」


 詩桜里はジェラルドと違い、勝ち誇った笑みはしない。

 ただ光熱に魘されている様な顔色で、しかしどこか安堵の表情を浮かべていた。


「……これで……童子君とは……連絡は取れない……」


 息切れ。

 その間に、詩桜里の意志がある。

 

「……あなたの……思い通りには……させない……あなたに、……童子君は……傷つけさせない……」


 勿論この程度の抵抗では、ジェラルドの企みは止められない。

 ただ童子が来る時間が遅くなっただけだ。

 根本的なジェラルドの計画を、止めた訳ではなかった。

 

 それでも、“思い通りにいかない無能が大嫌いな”ジェラルドに対して、怒りを買うには十分すぎた。

 髪が引きちぎれんばかりに握りしめ、苦痛に耐える詩桜里を睨みつける。

 

「貴……様ァ!!」



 この時、ジェラルドにとって思い通りにいかなかった事はもう一つあった。

 ――ブゥン、ブゥン、と。

 果たしてそれは低重にバイクのマフラー音が、益荒男たる馬の荒れくれ声か。

 インタビュー室の入口から轟いた事だった。

 

「……な」


 ヘッドライトの閃光に、眼が眩む。

 霞む視界で、光の正体が自分の管理していた幽霊バイクである事には辿り着いていた。つまり。

 

「なんで……お前達が、もう、ここに」


 ハンドルを握っていたのは、憎むべき怨敵と見定めた、安倍童子だった。

 その後ろでは、聖剣に選ばれた少女が見慣れたしかめっ面をしていた。


 ここにいない筈なのに。

 ここにいない筈なのに。

 計画わがままが、崩れていく音がした。

 

「離せ」


 返事も聞かず、アクセルを回した童子の表情は――水面の様に静かで、マグマの様に煮えたぎっていた事は間違いない。


「詩桜里を、離せ」


 二度、アクセルを回す。唸る直管。

 スロットル全開。

 かつて戦場に捧げタイヤを、かの馬は再び躍動させた。 

 

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