第37話 「鬼の子が望む、誰よりも人間なたった一つの願い」
「……青原詩桜里さん。それでは次の質問に移ります」
「はい」
「葛葉と名乗る女性が、“人間ではない異端”だと確信した上で共に生活したと聞いています」
「その通りです」
「それを聞いた時に何故あなたは信じたのでしょうか?」
「はい。養子になる時に、お母さんが狐の姿を見せてくれたので」
「にも関わらず共に過ごす事への抵抗、また過ごしてからの恐怖等は無かったのでしょうか」
「……」
「決してご母堂を悪く言った訳ではありませんが、お気を悪くされたなら謝ります」
「……お母さんの事を悪く言うのは、無しにして下さい」
「分かりました」
「……お母さんは太陽みたいな人でした。他人の娘にも関わらず、本当の母親として愛してくれていました。本当に、お母さんでしたから」
「成程。安倍童子がタイムスリップをしてきた事や、霊に干渉出来る事もご存知でしたでしょうか?」
「はい。これは話にしか聞いていませんが、お母さんの本当の姿を見た後でしたから」
「……分かりました」
「……それに、本当はお母さんや童子君が私を恐れて然るべきだったんです。そういう反応をされても、なにも言えない。だって、仕方のない事なんだから」
「どういう事ですか?」
――女性エージェントが尋ねた時、青原詩桜里は顔を伏せていた。
唇を噛み締め、スカートのすそを握り、覚悟を決めた様に目を瞑る。
そして、少しだけ光の失せた瞳で出来る限り短く言い放つ。
胸に向けて、握りしめたナイフを押し出すように。
こめかみに向けて、銃のトリガーを引く様に。
首に縄を巻き付けて、足場を蹴り飛ばす様に。
「……………………私は
安倍童子というビックネームに隠された静寂は、遂に切裂かれた。
――童子とメアがバイクと和解する、ほんの少し前の事。
オムニバス日本支部、第八インタビュー室。
詩桜里は、ある女性エージェントからインタビューを受けていた。
目的は二つ。
詩桜里との関係性を通しての、童子の異端性の確認。
詩桜里自身に元々内包していた異端、もしくは10年弱も童子や“妖狐”葛葉の影響を受けた異端が存在しないかという確認事。
童子、葛葉に挟まれて10年弱という時を経た少女をオムニバスは、手放しで普通と判定しない。
疑わしきは管理せよ。オムニバスの法精神は、公のそれとは逆行している。
とはいえ、事前の検査で詩桜里には異端性が無い事は分かっていた。故に、どちらかと言えば安倍童子や葛葉の第三者的な情報源として活用し、記憶処理をしたうえで放逐すればいいかと考えていた。
けれども、実はこの青原詩桜里というのは。
葛葉や童子以上に、普通の出自を辿っていないのは確かだった。
『鬼の子』という意味深な発言の真意も、女性エージェントには分かっていた。詩桜里のこれまでの履歴は、全て調査済みだ。
固定設置されていたディスプレイに映し出される記事に眼をやりながら、発言の真意を問いただした。
その記事は――“■■区■■高校教師女子高生殺人事件”。
犯人として名前が書かれているのは、“
「青原正義は、詩桜里さん。あなたの父親ですね」
「はい。その通りです」
「鬼の子とは、父親が殺人犯であったという事でしょうか」
「その通りです。身勝手な理由で、生徒である女の子を殺した、教師の風上にも置けない男です」
「それであれば、あなたは鬼の子ではありません。異端ではありません」
担当の女性エージェントは淡々とした、事務的な性格だった。
女性エージェントの親もオムニバスの人間であり、閉じた世界で生きてしまったが故の人格形成である。
だが、詩桜里としては早めに打ち切ってほしい話題だった。
故にここですっぱりと断たれた事については、感謝の感情しかない。
「ですが、この後質問しようとしていた安倍童子と、葛葉との“養子になる前の関係性”、養子になるまでの経緯については関係すると考えています」
「はい。私と童子君は同じ小学校でした。一学年童子君の方が上でしたけど、学校の行事で一緒したことがあって……あの時は童子君が小学校2年生で、私は小学校1年生でした」
きっと、大好きな家族との思い出話をするならば、もっと目は煌めいている筈だ。
にも拘わらず、詩桜里はにこりともせずに続けた。
「丁度、私の父親が殺人事件を起こして、学校中から苛められていた時でした」
「その頃から親しい関係にあったのですか?」
「いえ。私は唯一心を許せるのが童子君でしたけど、童子君から見たらどうだったのかは分かりません。それでも、いつも私の味方でした。登下校もわざわざ一緒に……いて、くれました」
童子が守ってくれたことは確かだ。
実は詩桜里以外にも、事前準備としてかつて同級生だった人間に(記憶処理付きの)インタビューを施している。
“人殺しの娘”――鬼の子。
当時、青原詩桜里に対し、学校中から壮絶ないじめがあったそうだ。
教師すらも、まともに庇わなかった。
しかし、最初の一週間だけだった。
事件の報道開始から、小学校の縦割り行事で安倍童子と青原詩桜里が同じ班になるまでの一週間までだった。
小学校とはいえ、いじめられっ子を庇った勇者が、次のいじめられっ子になるのはよくある見本市である。
しかし安倍童子は当時小学校2年生ながらにして、全ての問題を解決していた。
インテリな手回しなどではない。真正面から堂々と、いじめっ子全員を説得したのだ。
時には殴る蹴る揶揄われる等の暴力もあったが、それに屈せず、童子はやり遂げた。
子供の介入によるいじめ解決が成功した、貴重にして貴重な一例である。
だが、詩桜里の顔色が少し悪くなったのを見た。
思い出したくない過去ではあったのだろう。
女性エージェントは質問を切り上げた。
「……質問を変えましょう。あなたが安倍童子の義妹となり、葛葉の娘となった経緯を教えてください」
「初めて童子君と会ってから、二年後でした。優しかった母親は……見る見るうちにおかしくなっていきました」
その理由も、これも女性エージェントには分かっていた。
本当の母親と住んでいたアパートには、心無いスプレーの落書きがあった。
張り紙を破いた時に残した粘着テープは、雨でも全ては流れていなかった。
「大家にアパートから出てけと言われる。働く先もままならない。友人は、家族は手のひらを返したように鬼扱い。道端で見ず知らずの人間から暴力を受けそうになった。Twitterで、インスタグラムで自分達の画像と名前がアップロードされている。逃げ場はない。私は何もしてないのに。何で私まで罰を受けなきゃいけないの。日に日に母は窶れていき、生活もままならなくなっていきました」
もし、もう少しだけ時代が前だったなら。
インターネット上での私刑も、無かっただろうに。
加害者である夫が、死刑になるだけで済んだだろうに。
「いつからか、母は私に当たる様になっていました。あなたなんて生まなければよかった――鬼の子、と」
「……」
「でも、いつかは大好きだったお母さんに戻ってくれる。今は何とか、みんなにごめんなさいをして、料理が好きで、父と一緒に絵本を読んでくれた頃のお母さんに戻って……くれるって……思って……」
詩桜里の顔色が、青くなった。
また質問を変えようとしたとき、詩桜里が答えを言った。
俯きながら、必死に我慢していた涙を流しながら。
「そして私は“躾”で死にかけ、同時に母は……優しい母に戻る事はありませんでした。もう、ずっと、永遠に」
「分かりました。ありがとうございます」
ここも、予め警察関係者や医療関係者に聞いた通りだった。
ある1月、安倍童子と安倍葛葉の通報で“鍵付きの風呂場で低体温症を発症していた”青原詩桜里と、“居間で首を吊って病院で死亡が確認された”青原優子が発見された。
詩桜里の方は一命をとりとめたため、暫く病院で治療を受けた後――安倍葛葉に引き取られたと証言があった。
「あの」
「なんでしょうか?」
少し、インタビューの内容が刺激的過ぎたか。
ここに来て女性エージェントは引き際を誤ったと、後ろめたい気持ちに呑まれ始めた。
詩桜里の息遣いが荒い。
呼吸をしても呼吸がしきれない様子だ。
何だか意識が朦朧としている。
青原詩桜里の特記事項には書いてあったのに。
――幼少期の経験から、
「……どうにかして、条件付きでも童子君を外で生活させられないのでしょうか……勿論、オムニバスさんの事情もあると思いますし……ガスマスクという……命を狙う人を何とかしないといけないとは思いますけれど」
「最善を尽くします」
「私は……わた、しは……」
女性エージェントが立ち上がり、机に伏し始めた詩桜里に着き始める。
医療班を呼ぶボタンを視野に入れながら、間近で詩桜里の顔を見る。
青ざめた顔で、霞んでいるだろう視界の中で、詩桜里は女性エージェントに訴えかける様に呟いた。
「わたしは……ほんとうは……あの冷たい風呂場で…死ぬはずだった……この命は……童子君と、お母さんに……救ってもらった……から」
「青原さん!」
「おかあさん……そして、童子、くん……には、沢山の、素晴らしい、景色を見せてもらった……から。あの人、医者になるって……夢が……」
消耗しきった顔から、涙と汗が滲んで垂れる。
それでも、言いたい事があるかのように。
振り絞った声で、祈りを口にする。
「わたしは……どうなってもいいから……お願いだから……童子君は……何のしがらみもなく…………」
「――それは、世界を石に変えられちまう事になってもか?」
「エージェントジェラルド」
医療班もまだ呼んでいないのに、インタビュー室の扉が開いた。
無造作に飛び出した赤いツンツン頭。日本どころか世界中でもレアな部類に入るファンキーな髪型。
それが裏付けるような、万能感に満ちた表情。勝ち誇った表情で入室すると、苦しんでいる詩桜里に近づく。
「お前もお前で、インタビューなんてしてる場合かよ。この世界ってのは何でこう……しり込みするのが好きなのかね」
「エージェントジェラルド。このインタビューには呼ばれていない筈だ。即刻退去を求める」
ジェラルドの行進は、女性エージェントが立ちはだかった事で停止せざるを得なかった。
快活の笑みが、苛立ちに滲んだ瞬間だった。
「流石にエージェントを殺しちまったら色々面倒だから、
「!?」
何かが小さく炸裂した。
女性エージェントの腹部で火薬が弾けた直後、猛烈な勢いで壁に激突した。
「あっ!」
「別に死んじゃいねーだろうに。本当にこの世界の人間は思考から脆弱だよなぁ……何か手下さなくても死にそうになってるし。だが丁度いい」
机に縋るのが精いっぱいで、必要以上の呼吸を苦悶顔で繰り広げるしかない詩桜里。
彼女の髪の毛を掴んで持ち上げる。
泣きそうな少女の沈痛な面持ちと。
解を得てスッキリしたような戦士の笑顔が、一直線に並ぶ。
「“安倍童子が安倍晴明である”。それを分からせるために、手っ取り早い方法を教えてやるよ。あの男が後生大事そうにしているこの娘を殺せば――ちょっとは正体表すんじゃねえか? 世界の為の尊い犠牲って奴だ。喜べ。それとも死ぬ前に抱いてやろうか?」
詩桜里は、もう声にならなかった。
けれど、唇で童子の名前を呼んだのは――望んでいたから。
八年前、冷たい風呂場で終わった筈の鬼の命などではなく、
太陽の様な未来を持つ一番愛しい人の、檻の外の未来を。
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