第35話 「戦馬が乗り移った大型バイクと、はっけよい――のこった!」
嘶きに、観客席にいた三人も反応した。
その方向を見れば、隣にあった異端に蹴り飛ばされたであろうエージェントが倒れていた。
『あれは……
横たわるエージェントの隣にあった朱色の大型バイクは、無人だった。
だからこそ、突如マフラーから排気ガスを吹かしたり、ヘッドライトが赤色に付く時点で異端である。
何より――馬の鳴き声を放つバイクなど、本来この世にあってはならない。
『ヒヒイイイイイイイイイイイイイイイイイ……』
鈍重に響くエンジン音をバックコーラスに、もう一度馬の甲高い雄叫びが会場内を木霊した。
そのまま縦横無尽に芝生の上を駆け出した――弾丸の如き、バイクという乗り物が出してはいけない速度で。
「いっ!?」
童子が声を漏らしたのと、
炸裂と表現しても差し支えない轟音。
音では説明がつかない振動が、童子の胸にまで到達していた。
「……今の事故で無傷かよ」
童子の言う通り、砂煙の名から飛び出したバイクに一切の傷は見えない。
普通のバイクどころか戦車でも圧力で潰されていて然るべきはずだ。だがその常識や法則が通じないのが異端たる証拠。
少なくとも、今の激突でダメージを受けない程の頑丈さも異端の一つとして兼ね備えているようだ。
「まずいな。このまま壁を壊されては」
「ええ。どちらかと言えば問題は壁ですね」
メアと天成はバイクを見ていなかった。
最後に煙幕が晴れると、外壁に明らかな亀裂が見えた。音速に迫る速度で一台のバイクが激突したにもかかわらず、寧ろセンチで済むような罅しか入っていない。
それでもバイクが無傷なのに対し、堅牢堅固に見える巨大な壁にダメージが入ったのは確かだ。
「あの壁の向こう側は、外の世界へと繋がっている。航路にも存在しない無人島に、更に
確かに室内で再現されたにしては、リアルな青空と日光だった。
秘密主義をモットーにするオムニバスが一見不用意に外に施設を置いている裏には、数えきれないからくりが存在する。
そのからくりと秘密を込め、守護する壁へ――バイクは再び激突した。
「つまり、破壊されれば大惨事という訳です。この第六総合競技場を放棄するだけで済めばまだいいですが」
後ろに吹き飛ばされ、しかしタイヤ部分で上手く着地するバイクに傷はない。
しかし壁の亀裂は更に広がりつつある。少なくとも、このまま突進を繰り返せば崩壊は免れない。
速くて、硬い。それだけで物質は破壊の権化になる事を、鈴城累が投げた野球ボールで童子とメアは知っている。
「あのバイク、外に出ようとしている……?」
「いずれにしても、その行いは見過ごせません」
観客席の柵をひらりと乗り越え、数メートルの高さを平気の平左で着地すると、その勢いを利用してメアが駆けだす。
当然向かう先は一人でに壁に向かって疾駆するバイク――の少し前。
「いきますよレーヴァテイン」
『メア、無力化許可は出ていない。私は使えないぞ』
「最悪の事態になったらお願いしますという意味です。まずは真正面から受け止めてみせるのですよ!」
腰の聖剣は抜かず、特攻してくるバイクの軌道上に佇むメア。
勿論暴走する朱色のバイクを止める為だ。暴れ馬を鎮める為だ――つまり、殺せない。
彼女の代名詞である聖剣は使えない。得意の斬撃は使えない。容赦なく殺戮行動に移れない。
こうなるとメアに許されたのは四肢の抵抗のみ。
凄まじいハンデを背負ってしまった。殺して無力化するより、殺さず沈静化させる方が基本的に難しい。
さりとて彼女は
不利な状況から魑魅魍魎の魔物達を時には捕獲してきた彼女にとって、不殺の戦いも百戦錬磨。
「こういう時日本じゃこう言うんですよね……“スモー”って日本の伝統神事でしたっけ」
『メア。イントネーションが違う。“相撲”だ。あと私のインプットでは、あれもスポーツだ』
肺の中身を全て噴き出して、姿勢を屈めた。
膝を屈め、両手をだらんとさげる。
しかし視線は落とさない。超速で暴走する無人の暴走バイクを見据える。
――行司という役割は知らないが、メアは土俵という戦場で迸る掛け声を知っている。
「
メアの間合いにまで入る直前、メアもまた前へ押し進んだ。
直後に一つの肉体と、一つのバイクが絡み合う。
時間にして刹那。だがその瞬間、二つの箒星が凍ったように釣り合った。
「いぎぎぎぎぎぎぎ……」
「いや……異端じゃなくても最高速度のバイクとぶつかって交通事故にならないのかよ」
童子が絶句する光景の最中で、二つの力は混ざり合って溶け合った。
正反対のベクトル同士。過密なエネルギーがそこでは駆け巡っていた。
(……んん
空転するタイヤが掘削される芝。
後ろで踏ん張る右脚の靴の形に掘り起こされる芝。
だがやがて、一歩進んだのはメアだった。
白い歯を食いしばり、眼を赤く血走らせたメアがまた一歩前進し、バイクがタイヤ半周分後退する。
これ以上の力を込めた斬撃ごとホームランされたり、他にも力負けしたことがある経験と比べたら大したことは無い。
(特に……実業団の――“アメリカンフットボール部”の連中と比べたら!)
『横に倒してしまえ。タイヤが地に着かなければ非活性化される』
「分かってるっちゅーのですよ……! ですがこのバイク……」
声をまともに出す余裕すらないメアも、ハンドルを掴みながら必死に右に左に揺さぶりをかけている。
一方で
だが抑えるのが精いっぱいで、中々倒れない。
前輪部分が器用に右へ左へずれて、精一杯バイクが立ち続けている。
(器用ですね……本当に賢い戦馬でも相手にしているようで……)
『ひひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!』
苛烈に唸るエンジン音。アクセルスロットルが
突如前輪部分がホップして浮き上がったかと思うと、猛烈な勢いで回転する前輪が――メアの前足を踏みつけていた。
当然、その重量と摩擦は途方もない“抉る”ダメージをメアに与える。
「ぐ、あああああああああっ!?」
思わずハンドルを捉えていた手が離れた。
一縷の隙。
僅かに自由になった瞬間、前方ボディが強烈に振られてメアを弾き飛ばした。
「メアさん!」
最高速のバイクに轢かれたならまだしも、停止状態のボディの遠心力が数十メートルも人を吹き飛ばす絶景は日常には存在しない。
しかしメアはどちらかと言えば自分から吹き飛ばされたようで、すぐさま一回転して受け身を取って壁に着地する。
直上にあった柵にしがみ付き、メアは競技場を見下ろす。
メアの左膝はパンプスが破れ、見るに堪えない抉られた跡がこびり付いていた。
しかし二日前ホームランされた時と比べれば大したことは無い。戦闘に参加できないレーヴァテインから恵まれるリジェネの回復速度なら完治まで時間はかからない。
一方のバイクも、壁を破壊するには助走が足りなくなったと感じたのだろうか、物凄い速度でバックを始めた。
だが、次にヘッドライトが向いたのは、上方にて待機するメアだった。
「……あのバイク、敵意を――メアさんに向けた?」
一方眼中にも無い童子の呟きに、天成が尋ねる。
「何故わかった?」
「そうなのか?」
「いや、私には分からん。知っているのは馬の鳴き声がなるとか、バイクが出せる最高速度を優に超えているとか、空も飛べるとかくらいだな」
何故、敵意なんてものが分かったのだろう。心霊現象並みに説明不可能な敵意だ殺気だ気配などというものが分かったのだろう。
いかに幽霊が乗り移っているとはいえ、いきなり信条も心情も読み取れない。
生きている人間相手でさえ、第一印象ですべては悟れない。嫌な印象を抱かれているという感想なら分からなくも無いが、敵意ときっぱり言い放った事に我ながら違和感が合った。
しかし童子はそこで――思考を止めた。
今天成の言葉の中に、聞き漏らしてはならない情報が合ったからだ。
「いや待て。天成さん――さっき、“空も飛べる”とか言ったか?」
「ああ。空も飛べるはずだ」
天成の制限通り。
前輪がメアに向かって持ち上がり――そのまま射出された。
「“
しかも跳んだではなく、飛んだなのは間違いない。明らかにニュートンの法則が息をしていない。
馬でもバイクでもまさしく摩訶不思議な
「成程、どうやら私を敵と見定めた様ですね――上等です」
明らかに飛行能力を発揮したと判断した。
そのうえで、全てを飲み込んだ上で。
メアは勢いよく発声する。
「戦いなら負けませんよ。いっちょショータイムです!!」
再び上空で、二つの体がぶつかり合う。
互いに後方へはじけ、片や空を飛び、片や忍者のように壁を駆け抜け、再び交差する。
何度も何度も。轟音を放ちながら衝突する。
「なんかメアさん楽しんでねーか?」
そんな二つの生き様を眺めて、心配する必要もなさそうだと力が段々抜けてきた童子。
「聖剣使いの矜持は分からんが……、まああの分なら“
「分析担当は何でも知ってるな。メアさんも分析担当か?」
「ああ。彼女のステータスは私も良く知っている。異端として管理されていた時からね。しかしエージェントとして放たれた途端、私の寝床を次々に荒らしおって……ふああ」
「俺よりも力抜けてるな。いや、寝るんかい」
「寝られるときに寝る……知っているかな? 昼寝は夜寝るよりも数倍体力を回復させるのだぞ……」
暢気に欠伸まで始めた天成。無理もない。持久戦になった今、メアの勝利は確定しているのだから。
しかしまた寝始める辺りは彼も相当のベテランと捉えるべきなのだろうか。
「しっかし……」
と、童子はタブレットで“
何故あのバイクは――乗り移っている馬はあそこまでして外に出たがっていたのだろう。
「……!?」
思わずタブレットを落としてしまう。
暴走するバイクを目に入れながら、目的を考え始めた時だった。
意識が、朱色のボディに――その中に、中に、中に、中に、中に、中に、中に、中に、中に――。
更にその中――バイクに宿る、馬の輪郭に――。
手綱を引っ張られ、
勇ましい戦装束に身を包み、槍と日本刀を携えた益荒男を背に野を芝を疾駆する姿が――。
「ぐ……あ……」
見える。
見える。
あの馬の生きざまが――。
その、歴史が――。
“はやく外に出なければ、信繁様と共に徳川を打ち滅ぼす、までは、終われない、何度でも、何度でも――……!”
その入り口で聞こえた、感情。
馬の言葉を知り得ない筈なのに、雷鳴のように唸る“泣き声”は、間違いなくその言葉を差していた。
「真田……栗毛?」
童子が無意識に呟いたのは。
かの侍、真田幸村――即ち真田信繁の愛馬の名であった。
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