第34話 「はじめに神は天と地とを創造された」
2mにも達しそうな細身の体は、傲慢にも四つの観客席を占拠していた。
横になった肉体の頂点に位置する寝顔は、深い睡眠に入る為に“努力”をしているようなものだった。
寝顔があまりにも、居眠りが得意そうではなさそうだったからだ。
「
「……うん。ああ、はぁ……もう来てしまったか」
天成という名前が苗字なのか名前なのか分からぬまま、とりあえず白衣の居眠り男性は天成という名前だと知った。
隈に包まれた眼を開くとだるそうに体を起こし、脇にあった眼鏡をかける。
「この第六総合競技場は、危険域の異端が使う所ではないし……、うるさい異端も使用スケジュールに入っていないから格好の寝場所だと思ったのだが……この分だと、せっかく見つけた居眠りスポットもおじゃんになりそうだな。ふあぁ……」
力の抜ける声と欠伸の先には、人体では届きそうもない高さの屋根。
寝起きのルーチンか、首をごきごきと鳴らしながら童子とメアへ振り向く。
「次から休憩に入る時はどこにいるか書置きしてください。大体ここだと分かったからいいものを」
「書置きしたら休憩にならんだろうが。来訪者が来ると分かってて眠れる程、人は器用じゃないんだよ……ま、辿り着いちまったのなら仕方ないね」
「うん? もともとスケジュールを取ってたんじゃないのか?」
童子の質問に、呆れたような顔を見せながらメアが腰に手を着く。
「基本この人は神出鬼没です。基本的には決まった時間以外は外にいますし……特定時間はオムニバス内には間違いなくいますが、しかし広大な建物の中。どこにいたのか分かったものではないんです。周りからその日の生態を聞いて、予測するしかないのです」
「なんだ。そういう異端なのか?」
「世迷い事はよしてくれ。俺はただの人間だよ」
背伸びをしながら
「メアみたいに100mを1秒台で走れるような肉体も持っていなければ、
「俺の事を知っているのか」
「医者ってのは患者の顔を覚えるのが特技になるんだよ」
童子は一分前まで天成の事を知らなかったが、天成は既に童子の
医者。その単語に、童子の忘れかけていた感情が僅かに踊った。
「医者? あんた医者なのか」
「そうだ。まあ君はこんな医者にならんようにな」
「えっ」
「医学部を目指しているのだろう? それなら私のような怠惰の塊は反面教師だ。参考にしてはならない」
「いや、なんでそこまで……」
天成は立ち上がり、腰を伸ばしながら目前の柵にもたれ掛かる。
吸い込まれそうな蒼天に向きながら、飲み込まれそうなそよ風に神経を集中させている様だった。
童子の疑問には答えず、リラックスしながら天成が本題に入る。
「人の眼には、量子力学の世界は見えない。だが我々は量子力学の成り立ちを知っている。異端も同じだ。前人未到の部分はあるが、未来がいずれ過去となるよう、説明不可能のオカルトもいずれ説明可能の科学となる……君の異端は映像越しだが拝見させてもらった」
映像。
異端を発揮した時といえば、“
あの時、ガスマスクや戦闘兵器用のドローン以外に、自分達を観察していたカメラなんてあっただろうか。
「以降、君に対するテスト結果などを参照し、君が眠っている間やインタビュー記録から君の能力に推測を立てた。林ちゃんと一緒にね」
「いつの間に……」
「プライバシーの侵害はオムニバスの専売特許だ。済まないね。我々には手段を選んでいる余裕がない」
「まあそれは最初から分かっていた事だけど」
童子がメアを見る。
しかしメアは「なんで私を見るんですか?」と言わんばかりにその理由に無頓着のようだ。
「では君の異端について、分析担当として今日は入口だけでも説明しようか。居眠りするなよ」
■ ■
【
・概要
20■■0413、エージェントメアと安倍童子が実業団“野球部”である
メアがこれと良く戦い、
過程で、安倍童子が異端を発生した。
その現象の様子を記載する。
・現象1
この現象の発動条件は現在、安倍童子の生命が危機にさらされた時に発動するものとされている。
詳細な座標は不明だが、成層圏から遺伝子状の光が出現する。光の出現がきっかけとなり、過去に無力化された異端へと変貌する。
出現した異端は当時敵対していた
(この時、出現した無力化済み異端番号については補遺4を参照)
異端は無力化前の構造である事が推測されている。つまり無力化された異端と同一人物である。
ただし一定のダメージを受けた場合は存在を維持できず、出現時の光と同じ構造になって消滅する。
消滅した異端は、再出現させることが可能である。
以降この現象1として定義する。
・現象2
この現象の発動条件は現在、不明である。
現象1で発生した異端が攻撃以外の理由で消滅し、安倍童子自身がその異端に酷似した性質を会得する事を差す。
分析用カメラで確認したところ、消滅した異端が抱き着くように安倍童子と同化している事が確認された。
また、安倍童子は現象2の発生時、重度の錯乱と幻覚症状を発症。駆け付けたメアにも攻撃を一時的に行った。
・分析結果/考察
20■■0413、回収した安倍童子を調べた所、特に精神面で異端的パラメータの一部が消耗している事が分かった。(詳細は補遺7参照)
だが異端の発生、ならびに発生した異端の維持とは関係は認められなかった。
しかし異端を発生させた光との関連性が疑われる。その仮説を基に、検証していく。
・今後の方針
安倍童子は
しかし現時点では安倍童子と安倍晴明が同一人物である事には乏しく、一旦は
しかし日本支部として最重要にして最優先事項の異端である
尚、現象1、現象2については“曇天帰し”とし、
(分析担当者:天成)
(研究責任者:森木 林)
■ ■
「で、ここからがまだ報告書にも書けない推測上の内容だ。一般的に周知されている内容については……二人とも、理解できたかな」
二人に与えられたタブレットのディスプレイの“インシデントレポート”について、
童子の預かり知らぬところで、ここまで状況は進んでいたのだ。それも、たった二日で。
「理解はしたけど、さ。やっぱり、こう……今“曇天帰し”をしろって言われても、何も思い浮かばないっていうか」
「異端ってのはそんなもんさ。いや、日常にも共通する事だな。自分が一番自分を知っている。そんなのは、原始時代から象られてきたバイアスって言うのを学んでない奴の戯言だ。使い方については俺達がフィードバックする。使っていいのかも含めて、な」
主観と客観について所感を述べた後で、天成は二人にタブレットをスライドするように指示した。
報告書の体裁を為されていない、一枚の資料があった。
「童子君、君が発動する
「これが……?」
「君の異端は――」
童子がまず目を奪われたのは、タイトル欄に書かれていた異端番号であった。
「
世界。
その名称に振られた異端番号は――まさに創世を示していた。
「ちょっと待ってください……“世界”って」
「そう。俺達が立っている、この星とか。俺達を覆っている、この宇宙とか。それらひっくるめた総称の事。どうやらメアもこの異端番号の存在は知らなかったようだな」
小さく笑いながら「別に参照するだけならセキュリティレベルはそこまで存在しないぞ」とおどけて見せる天成。
童子だけでなく、メアも絶句していた。
最初に異端番号を振られた異端。
神話では神の創りし芸術作品。
オムニバスという存在よりも先に出来ていた舞台。
「まさか“世界”すらも管理してたなんて……」
「いや? 後で参照するといいけど、オムニバスも世界については管理しているとはいいがたい。というか、完全に諦めている……オムニバスは今の時点でも、“世界”ってものの成り立ちについて一縷の理解も出来ていない。メア、君のような異世界の存在を認めているにも関わらず、な」
天成はメアと童子を交互に見た。
メアは規模の大きさに慄いているようだ。彼女もまた、異世界の狭間に足を踏み入れた存在にもかかわらず、改めて定義された“世界”という管理対象をまず理解するのに言葉を失っていた。
そういう意味では、童子の方が耐性があるようにも見えた。
仰天していたのは間違いない。心が動かされていた事も否定はできないだろう。
だがメアと比べればまだ“心のどこかで備えていた――分かっていた”という節が見え隠れしている。
故に、まだ余裕がある様に天成には見えた。
「……世界が“在る”。それを証明する事さえも、我々には難しい。所詮世界とは、全ての要素の集合体を人間が勝手にそう呼んでいるだけだ。地、海、空、宇宙、有機物、無機物、人、物、あの世、その解釈も宗教ごとによって違う。この解釈を一にする事は、オムニバスにも到底出来たことではない」
「そりゃそうか。何を指さして世界が在るなんて、考えてみれば口に出来ないもんな」
深くため息をついた様子で童子が帰しながら、液晶の情報を下にスクロールする。
ふと、いつかの母親の言葉が蘇った。
『肉体でも魂でもない。輪廻するのは業という歴史。そうやって歴史は永遠に繰り返されてきた』
奈良の東大寺で教えられたことは、真実だった。
そう感じる事が出来た、記事だった。
「だがここ最近、世界が在るという事について片鱗の片鱗の更にヒントレベルまで尻尾を掴む事が出来ている」
要約すると。
――曇天帰しとは、
「君の能力は、その先駆けかもしれない。最近の分析で分かった事だよ」
■ ■
尚、この場所は“第六総合競技場”の為、本来は異端が肉体的な活動をするために用意された空間である。
故に、屋外に連れ出す必要のある管理ルーチンや、屋外での実験用施設という名目が本来の用途である。
勝手口から、縄に首部分を縛られた――バイクが一名のエージェント共に第六総合競技場に入ってくる。
「はあ……頼むぜ。この前みたいな暴走はしないでくれよ」
男性エージェントは溜息をつきながら、“縄に引かれて自動的にタイヤを回す”バイクに眼をやる。
勿論異端性を持っているのは、このバイクである。
見た目は国産の朱色に染まった大型バイクである。
ただしこのバイクには――“馬の幽霊が乗り移っている”。
『ヒヒイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!』
三国志に登場する赤兎馬のように。
誇り高く、案の定――暴走を始めた。
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