第33話 「安倍童子と、異世界の聖剣少女が相棒同士になった記念日」
支給された服は様々あったが、その中で童子がネイビーのフード付きウィンドブレーカーを選んだ理由は乏しい。
着飾り虚飾を張る事も知らず、その出自故に節制した生き方をしてきた童子にとっては、最優先は機能性である。
「だってスーツ姿の方が身がしまるじゃないですか」
メアに尋ねると、精神の方を大事にしていたらしい。
今日も廊下をともに歩くメアの下半身は相変わらず黒スーツのパンプスだった。リクルートスーツと換言しても可だ。
思えば彼女のスカート姿を見たことは無い。
脚は細いので、似合うと童子は考えている。しかし。
「生足だすとか、この世界の女子達は本当に図太いですよね。スカートって言うんですか? あれ。万が一パンツを履き忘れたらどうするんですか」
「うーん。少なくとも詩桜里がパンツ履き忘れたことは無かったな」
虚無を表すような侮蔑の眼で、冷たく見上げられていた。
「……君は詩桜里ちゃんのパンツを毎日見ているのですか」
「なんでそういう結論に至った?」
というか詩桜里ちゃん?
先程メアが詩桜里へインタビューをしたらしいが、何か仲が進んだのだろうか。
「何故スカートの中も見ていないのに、パンツを履き忘れていないのか分かるのですか。これはここの研究者の受け売りですが、異端というのは開けるまで有る可能性も無い可能性も、それが両立している可能性もあるというのですよ」
「シュレーディンガーのパンツか何かか?」
恐らく完全に受け売りだろう。
メアが量子力学の“りょ”の字も知らない事は言うまでもない。
その辺りの頭脳は、聖剣もといハードディスクなレーヴァテインに任せている節がある。
『メア。スカートからはみ出る生足の良さについて語るのもいいが、とりあえず童子君をどこに連れていくかの説明をした方がいいんじゃないか?』
「レヴァさんってやっぱり男性なのか?」
『聖剣に性別は無いよ。だが美や芸術等については目がないのでな。まあ、見る目もないのだが』
「目なんて世界を感じる為の道具だよ。原理は聞かないけど、レヴァさんが世界を感じる事が出来るなら十分だろう」
『私自身道具のようなものだがね』
「けれどそうやって思考は出来ている。哲学者のデカルトも言ってたな。精神とは思考や意識を差す。精神とは人間だけが持つものだ。ならあんたは道具じゃなくて外見が人間じゃないだけの人間じゃないのか?」
『ほう……面白い考察をする』
童子は逆に人間と同じにされると聖剣というのは憤慨するのだろうか。
レーヴァテインの言葉は、人間と違い表情がないゆえに読みにくかった。しかしやはりレーヴァテインにも芸術を感じ、考察を巡らせるだけの精神があるのは間違いない。そう感じた所で、メアが本題に戻す。
「今君を連れて歩いているのは、他でもないです。君の分析の為です」
「それは何となくわかる」
「異端的観点から、君の肉体と精神の分析を行っている主担当を紹介します。
実は童子という異端の管理には意外と多くの人間が関わっている。
エージェントとして、童子を監視する人間。研究者として仮説と検証のサイクルを回す人間。他の異端とのスケジュールを管理する人間。今童子が見に着けている衣服を用意する人間。
この表現でも相当抽象的らしい。童子という存在のプロジェクトに関わっている人間は百人はくだらない。
エージェントとしての主担当がメアで、全体的な研究の統括が
今から会うのは、
メアやジェラルドみたいなエージェントとは対極的な、
「まあ、林が紹介してくださいよって話ですが、この時間あの女はシャワータイムです」
『ルーチンワークを挟まないと、彼女曰く頭が動かないらしいね』
「まったく。いついかなる時も全力が出せない様では、魔法少女というのも大したことが無いですね」
腕組をしながらふん、と鼻を鳴らすメア。
上司の愚痴を、本人のいない所で話すタイプらしい。
「でも清潔にするのはいい事だろう。そんな事を言ったらメアはシャワーを浴びないのか?」
「勿論浴びますよ。女子として自分の体を磨くことは吝かじゃありません。そしてちゃんと時と場合を選びます。そもそも私はエージェントである前に聖剣使いです。元の世界では湯浴み中に襲われた事もあって、返り討ちにしてやったのですよ」
『ああ。出歯亀の盗賊団がいたな。湖で体を洗うメアに襲いかかったら、素手で湖に沈められた変態達だな』
どうやらこの少女は巷で大人気のラブコメ作品のヒロインにはなれないな、と童子は考えた。
間違えてシャワールームに突撃してしまったが最後。その主人公は血を巻き散らすシャワーとなるのだろう。
実際、指を差してメアは次のように警告している。
「いいですか。試験期間とはいえ“私の相棒としてエージェント活動をしてもらう”以上、私に対して邪な思いを抱かないとも言えないでしょう。しかし勢い余って浴場の私に欲情を持て余す様な事をしでかした場合……つまりそういう事になるという警告でもありますので、忘れてはいけないのですよ」
割と殺意が籠ったその眼は、一見小学生の少女の他愛ない者と思うには少々無理があった。途方もなく研ぎ澄まされていた。
誇り高い聖剣使いである前に、清楚であろうとする女性の矜持が籠っていた。
冗談ではないのだろう。前例がある以上、コメディに「童子君のえっちー!」ではなく無言で殺しに来るのかもしれない。
しかし失礼にも、童子はそんなメアを前にして。
「……ぷっ」
と、口元に手をやり笑うのだった。
「むむ、何がおかしいのですか」
「いや。今まではこういう時俺の事、『やはり安倍晴明ですね』みたいな事を言ってくるもんだから。何というか、こうやって安倍童子として接してくれるのは初めてだな、って思ってしまってな」
「……」
拍子抜けしたように、メアが言葉を失う。
振り上げた聖剣の降ろし方に困っている様だった。
「そ、そ、そんなにお望みなら安倍晴明認定して斬ってやりますよ」
「それは困る。俺は安倍童子だ」
『メア。君の負けだな。どうやらまだまだ彼を安倍童子として、受け入れるしかないようだ』
歩きながらも、天を仰いで溜息をするメア。
「君はいつだったか、女性の尊厳を大事にする主義と言ってましたね」
「ああ。言ったかもな」
「だからこそ、まあ君がそんな人だったら、詩桜里ちゃんにあそこまで慕われないでしょうしね」
「詩桜里と何か話したのか?」
「実を言うと、詩桜里ちゃんとは一つ“約束”をしたのです。例え記憶処理しても、消えない約束という奴をです」
「どんな約束をしたんだ?」
「女子同士の約束に突っ込むなんてデリカシーがないという物なのですよ。聖剣使いは、秘密も守ります」
「そうかいそうかい」
ふと、詩桜里の事を思い浮かべる。
自分に抱きしめて、『生きててよかった』と言ってくれたあの少女に思いを馳せる。
「それに、メアさんならあの子のいい親友になれそうだしな」
「何か言いました?」
「いや? それよりも、目的地はそろそろか?」
童子とメアが立ち止まったのは、一つの扉の前だった。
異空間に座標するイメージのオムニバスの建物としては珍しく、風が吹いてきている。
間違いなく、この先にあるのは外の世界だった。だが外の世界に迂闊に出れば、ガスマスクによる地獄が待ち受けている。
「ご心配なく。この先にあるのはオムニバスの私有地です。GPS等では観測できない、とある孤島に位置しています」
先回りするようにメアが補足する。
扉のドアノブを握りしめながら、もう一つ。メアは一人の人間として認めた童子に展望を伝える。
「君はこれから、オムニバスのエージェントとして生きていく上でも、自分の正体を知るべきだと思います。レーヴァテインから多少なりとも君が意識を失っていた時の情報や推測は与えられていますが、そこはしっかりと専門家の意見を仰ぐべきです」
……まだ、“
しかし状況は童子の想像を上回る速度で進み、既に童子がエージェントとして生きる受け入れ準備も完了していた。
勿論、童子はメアに管理されている立場だ。
管理されている立場でありながら、別の異端を管理する立場にもなる。
マトリョーシカと言うべきか、ミイラ取りがミイラになるの逆とでも言うべきだろうか。
しかし林が下した人事の通りに、組織の改編は始まっていた。
それはメアの心の中にも確かな兆しが差し込んでいるのだろう。下手すれば仇である童子を相手に、“ツーマンセルの相棒”であろうとしているのだから。尋常な覚悟ではない。
それとも先程あったという詩桜里との会話は。
彼女の中の何かを、本当に溶かしたというのだろうか。
「……お気づきかとは思いますが、私も異端番号は振られ、一応は管理の処置を受けています。
開いた先は――一言で言えば競技場だった。
陸上400mトラックの周回ラインも引けるし、ゴールポストを置けばフルエリアのグラウンドにもなれるような、その名の通りの“第六総合競技場である”。
つまり第一から第五の存在は確定し、実は第三百二十四競技場まで存在する。オムニバスという歴史の深淵さと壮大さを三次元的に表す事実である。
空は雲一つない快晴。
晴れ渡る青一面は、多分きっと宇宙までつながっているのだろう。
異端だらけの空間にも平等に、太陽の光は差し込んでくる。
「引き受けた以上は、私は君を管理する立ち位置としても、君の相棒としても、君の異端を共に知る必要があります。だから一緒にここにいる」
「管理って事は、俺が安倍晴明だって分かったら……」
「その通りです。いつでも間合いにいる事を忘れないでください」
腰に差した聖剣に触れると、ほんの微かにきしむ音が聞こえた。
そよ風程度の競技場では、その程度の音すらも厳然たる事実として良く聞こえたのだった。
「分かった。じゃあ俺は変わらず、俺が俺である事を照明するだけだ」
「上等です」
聖剣から手を離し、童子と共に観客席へ登る。
童子は今から会う“研究者”と第六総合競技場の関連性が見いだせずにいた。とはいえスポーツ科学なんて学問もあるくらいだから、その程度の違和感は笑って捻り潰せる研究者がここにいるのだろうか。
運動は得意だけれども、メアレベルの運動能力を求められたら早速死ぬな、と自虐したところで――辿り着いた。
「メアさん。この人が?」
童子は見下げていた。
目線を下にやっていた。
「はい。あなたの肉体、精神の分析を主担当に行う研究員です」
説明したメアのように、背が低いから。ではない。
青空の下、しかし総合競技場を半分を覆う屋根で直射日光は避けていた一つの観客席に、その研究員はいた。
下手をすれば童子より身長の高い、髪を後ろに結わいた白衣姿でオールバックの中年男性だった。
気持ちよさそうに――すやすやと眠っていた。
「通称、“
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