第31話 「甲子園の土、結局踏めなかったな」
「やっとお目覚めですか。思ったよりお寝坊さんなんですね」
目を覚ましても、倦怠感が否めなかった。
体をぐいと起こすまでに、昨日見た全ての景色を童子は思い出す。
丁度、メアが累の体を斬った辺りで記憶が途切れていた。
あの瞬間、体そのものがぐらつく感覚が合った。メアに攻撃した時のような暴走は無かったと判断した。恐らくは、体の方が持たなかったのだろう。
「……一体どのくらい寝てたんだ?」
「丸二日」
「……詩桜里はどうしてる?」
二言目には義理の妹の話か。
少し呆れたような顔を見せながらも、ベッド隣に座っていたメアは素直に答えてくれた。
「遂30分前まで君の看病をしていました。頭を冷やしてくれてタオル。見覚えがあるからこその今の質問でしょう?」
「ああ」
「そろそろ目覚めるでしょうと言ったら、暖かくなる料理を作るって意気揚々と出ていきましたよ。彼女の部屋に置いてある
しっとりとして、まだ冷たいタオルを手に取りながら童子が相槌を打つ。
メアの隣には小さくなった氷が浮いた水が桶に入っていた。
どうやら詩桜里の看病は、メアが引き受けてくれていたらしい。
「メアもありがとうな」
「管理している異端が意図の外で無力化するのは、エージェントとして不本意なので」
顔を背けるメアがなんだか面白くて、童子が小さく笑う。
しかしメアは顔をそむけたまま、扉の向こうを眺め始めた。
「……いい子ですね。本当に。私の世界にも、あそこまで貞淑で気遣い上手な子はいませんでした。私にも気を使ってくれ、美味しい料理振舞ってくれました。正直、美味しかったです」
「そうだろ? あいつの料理は何故か上手いんだ。いつまでも食べていたくなる。今度教わってみたらどうだ?」
ふん、とメアが童子に顔を向けないまま言い返す。
「別に私、女子力なるものに興味はありません。人間ありのままが一番です」
「そうかいそうかい」
「……ですが今のうちに彼女の料理を食べておいた方がいいかもしれません。君はもしかしたら彼女と、二度と会えなくなる可能性もあるんですから」
突如降ってわいた永遠の別離宣告に、童子はしかし揺らがない。
眼を細めて、一つだけ懸念していることを確認する。
「それは詩桜里が死ぬって事じゃないよな?」
「はい。断じてそれはありません。直接的な言い方をすると、青原詩桜里の記憶から君を消してしまおうという計画が進んでいます」
真剣な眼差し。合法的な幼女体型に見合った子供のそれではない。
突き付ける事実の残酷さを隠そうともしていない。しかし若干の後ろめたさを振り払うように、敢えて語気を強めている。
だがその強い声も、童子の無表情を崩すことは無い。
「それってさ。その記憶処理ってのは、詩桜里の健康を損ねるものじゃないよな」
「いいえ。肉体精神共に後遺症の無い事が証明されている記憶処理術です。医療スタッフから説明をしましょうか?」
「ああ。メアさんが嘘をついているとは思えないけどな。でも勘違いしないでほしいのは、別に詩桜里が俺を忘れてくれて構わないって事だ」
「意外ですね」
童子は自分の掌を、忌々しく見て話す。
「俺、だいぶ怪物だったんだな。俺も知らなかったよ。今でも俺は安倍晴明じゃないって百篇だろうと話せる。けれど、ここに管理されている訳にはいかないって言えなくなっちまったな」
過去になった異端の歴史を召喚していた。
そして、歴史と融合した。一時的には目の前のメアが誰か分からなくなるくらいに、暴走した。
「もし、さ。二日前に俺の横にいたのがメアさんじゃなくて、詩桜里だったら? あの子は剣術も体術も魔術も持ち合わせていない、霊も見えなければ戦場に入っただけで気絶しちゃうような優しい子なんだ。それでいて、でもあの子は逃げてくれないから更に困ったもんだ」
最初にガスマスクに遭遇した時、自分が囮になって詩桜里を逃がそうとした。
詩桜里だけには、死んでほしくなかったから。もう家族を失うのは嫌だったから。
でも彼女は逃げなかった。捕まった童子を助けようと、震える脚で折れた包丁を突き付けてきた。
「何が言いたいのか分かるか? 俺が自分の異端を制御しきれなくて殺してしまう候補として、真っ先に上がるのが詩桜里なんだよ。このままじゃな」
「だから、記憶処理してでも自分の事を忘れてくれた方がいい、と?」
「……俺はおやっさん達に生きろって言われた。お袋にだってそうだ。だからどんな目にあっても俺は生きる。死ぬつもりはない――だけど、詩桜里が死んでしまった時。ましてや俺の手で殺してしまった時……俺は、何かがどうなっちまうかもしれない」
小さく、呟いた。
死ぬかもしれない、と。
メアは無言で、童子の中で大きい家族の存在を見た。
「……今の段階では、まだ構想です。青原詩桜里から聞きたい情報もありますし、君の管理に有益だと分かれば君の記憶を残したままにするでしょう」
「詩桜里はずっとこの訳わかんない部屋のままか?」
「秘密保持のため監視付きとなりますが、日常生活は送れる事を保証します」
「……そこら辺が妥協点か」
「相当、青原詩桜里の事を大事にされてるんですね。先程から自分の事に触れないあたり」
「俺は、管理漬けの日々だろ」
決めつけるように、童子が返す。
「でもそれでいい。俺も自分が何なのか、ちゃんとはっきりしたい。俺が安倍晴明みたいな悪鬼じゃない事を、ちゃんと証明してほしい。で、本当にやばい存在だったら、斬ってほしい」
童子が、座り込みながらもいつでも臨戦態勢を取れるであろうメアを見る。
「あんたはその為に、こうやって俺の事を監視してんだろ?」
「……はい。それもあります」
「俺が寝ている間にも、進展はあったんだろ? 俺の事、管理のために研究したんじゃないのか? あの林って魔法少女が」
『実験結果については私から説明しよう。とはいえ、君には効きなれないだろう専門用語が飛び交う。腰を落ち着かせる必要がある』
レーヴァテインの提案に、童子が立ち上がりながら提案し返す。
「どうせなら、詩桜里のご飯でも聞きながらにしたいな」
「青原詩桜里の所に行く気ですね」
メアが立ち上がり、腰に差したレーヴァテインに左手をかける。
「家族におはようって言うのにも、許可がいるのか」
「……ええ。ですが、基本的にOKです。道中は私の監視に着いてもらいますが」
「部屋の中まで、メアさんの護衛に着いてもらわなきゃ駄目?」
「……」
メアは観念したように、息を吐いて目を瞑る。
「何かあれば切り込みますので、そのつもりで」
「助かるよ」
辛うじて廊下を歩くだけの体力はあった。
メアと言えば昨日のダメージは殆ど回復してしまったらしい。全身を魔球にタコ殴りにされ、数百メートル吹き飛ぶようなホームランを受けておきながら、なんという耐久力だろう。リジェネだけで説明がつくのが童子には正直現実離れである。
「俺全部は覚えてないんだけどさ。あの鈴城累って人は、結局どうなったんだ?」
「死亡しました。生命反応の消失をレーヴァテインによって確認しています」
「そうか」
「質問の意図を汲みかねますが、殺戮への嫌悪感でしょうか。それも君なら、むべなるかなという感じですが」
「別に。あんなの正当防衛だろう。平安時代じゃ不殺主義の人間の方が少なかったくらいだぜ。気にしてんのは殺人事件として警察が動かないかってくらいだ」
「動かないでしょう。オムニバスは警察重役内部にもエージェントが紛れ込んでますので。全ての事件は、警察が事件にしなければ事件じゃない、だそうです」
「哲学語ってんのか犯罪理論語ってんのか分からないな。まあいいや」
童子はギリギリ覚えていた。
全身全霊を尽くし、人生を燃やし切ってボールを投げた、累の最後の顔を。
「それでも即死じゃなさそうだったからさ。何か言い残したかなって思って。それくらいは覚えとかないといけないかなって」
「言ってましたね。『甲子園の土、結局踏めなかったな』でしたよ」
「やっぱりな。あの二人どこかで見たことあると思ったら、数年前コロナの時に自分勝手な大人たちに野球人生を潰された高校球児だ。行方不明になってからワイドショーに引っ張りだこだったな」
『確かに、彼らの管理情報にはそのような記述が存在する』
「……しかし今回だけで、無関係の人間多数が彼らの手によって殺されている事をお忘れなく。オムニバスが
釘を刺すメアの言葉に、童子も首肯する。
「あいつらの事は許せない。それでも、さ。人が死ぬってのは悲しい事なんだよ」
物思いにふける様に、童子の視線が少し天井を向く。
聞く人が聞けば、ナルシズムに溺れた戯言だと揶揄する者もいるだろう。
しかし童子は本気で口にしているし、メアも小馬鹿にせず童子の言葉を耳にしていた。
「だから最後の言葉は俺が覚えていて、後は機会があったらちゃんと遺体に弔って、霊化していたら話ししたいなって思っただけだ。そうは言っても、メアには甘く聞こえるか?」
「ええ。ショートケーキと言うおやつくらいに甘々ですね」
“
だがメアには後悔は一切見られない。童子と違って振り返る事もしない環境で生きてきたのだろう。
そのメアからすれば、確かに童子の感覚は砂糖菓子並みの手緩さに思えたのかもしれない。
「ですが、別に嫌いじゃありません。死者への倫理観は、この世界からは学ぶものが多いです」
「それは良かった」
「まったく。自分の管理が厳しくなるかもしれないって言うのに、君は唾棄すべき敵の事を考えるんですか」
面白いですね。
そう口が動きかけたメアの唇を、童子は見逃していた。
「……寧ろこんな時だから、多弁になって気を紛らわそうとしているのかもしれない」
「じゃあ、存分に語って来るがいいです」
メアが立ち止まったのは、詩桜里の部屋だった。
「でも、これで最後じゃないので安心して下さい。恐らく有限ではありますけど」
童子が入っていくのを見届けて、メアは反対側の壁に背を預ける。
『一応確認だが、よかったのか? 林からは離れずで監視するように言われていたろう』
「離れてませんよ。扉一枚如き、私達にはシャボン玉とかわりないでしょう。シャボン玉が間に隔てられているからと言って、離れたという気ですか」
メアの反論に、『素直ではないなぁ』とレーヴァテインは茶化す。
レーヴァテインに言われなくとも、これが管理の仕方としては不味い事は分かっていた。場合によっては管理違反と呼ばれる、緊急事態に当たる事も分かっていた。
それでも、童子と詩桜里には少しでも二人の時間を取らせたいという気持ちが勝ってしまった。
許可を与えなければ会えないのなら。
せめて、会った時くらいは自由にさせてあげたい。
「きっと私も、本当に家族がいたら、あんな風に無理矢理にでも会っていたでしょうし」
『メアは両親との触れあいが少なかったからね』
「でも、家族はいなかったわけではないですよ。“アイク”がいましたから」
『……』
「レーヴァテイン。家族がいないのって、どんな気分です?」
『意味深な質問だな。それに、受け取る人によってはセンシティブな内容だ』
「レーヴァテインだから聞いてるんです。私らも家族みたいなものじゃないですか」
『さあね。生憎私を作った神様は、そういった感情を賜らなかったからな』
「不完全な神様ですね」
『そりゃあ、外様の異世界人に滅ぼされる程度だからな』
「神様も幽霊も、結局変わらないものですね」
足音。
右から聞こえる素足のぺたぺたとした、微かな音。
全裸に白衣を包んだ林の登場だった。
「あれー? メアっち、安倍童子は?」
「大丈夫です。私の間合いの中にいるので」
何でもない事のように、顎で童子が詩桜里といる部屋を差す。
「メアっちー、あたしだからいいけどさ。普通に管理違反だからね。消去、されちゃうぞ?」
「婦女子が全裸に白衣って、そちらこそどうみても管理違反では? 管理対象が欲情して暴走しちゃったらどうすんです」
「だってー。“本部”の頭かたーい連中と、あなたみたいな管理違反常習者に挟まれたあたしが、露出狂になるのもこれは止む無き事だと思う訳よ」
林は頬をポリポリさせながら、よっこらせとその場に座り込む。
「ま、いいけどね。多分童子っちなら大丈夫でしょう?」
「テスト結果。もしかして
「さあね。まだ危険度レベルは出してない。というか保留――あくまで考察レベルで、危険度最大だけど、ま、その辺は今度話すわ。危険度最大の猛毒でも、使い方を間違えなきゃ劇薬になる」
「どういう事ですか」
メアの質問に、あっけらかんとした様子で林が答える。
「辞令を下す。メア。安倍童子とツーマンセルで今後の任務に当たれ。安倍童子は今日をもって条件付きエージェントにする」
思わずメアは。
聖剣を落とした。
「……は?」
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