第30話 「夢でしかなかった、消える魔球」

『累兄ちゃんの投げ方かっこいいなー。サブマリン投法だろ?』

『いいだろー。でも俺はお前のバッティングセンスが羨ましいよ』


 少年野球、グラウンドの片隅。

 未来がどれだけ人間に絶望する地獄か知らない頃の。

 誰も歩かない道を選ぶことになるなんて知らない頃の、身の程知らずの夢を抱いていた野球少年たちの会話。

 

 投げたボールの先に。

 放った打球の先に。

 結局間に合わなかった夢の先に。

 

 

 あの白いボールの先に、何があるのか、見たかっただけだった。


 

 

「お前のバッティングセンスがあれば、こんな奴らどうとでもなったんだけなー。すすむ


 鈴城累はもう、自分が生還しようホームに戻ろうなんて微塵も考えていなかった。

 

 理由は、壊幕投手バッドスローとしての欠点にある。

 “投げる球が全て魔球になる”。

 累は相手が単体ならば、この個性を駆使して聖剣使いさえも寄せ付けない配球を見せる。

 一対一の勝負においては、晋よりもあらゆる応用が利く。

 

 だが、それでも彼はピッチャー。

 故に、一度に一球しか投げる事が出来ない。

 同時に複数の人間を二枚抜きなんて出来ない。


 先程までは、童子は戦力としてカウントしていなかったが故の優勢だ。

 今度は、童子も異端をどういう因果か会得してしまった。

 厄介な事に、一対一でさえ童子に勝てる見込みは低い。

 

 片や満身創痍とはいえ、接近戦で晋を下したメアだ。

 ましてや先程晋と戦った時よりも回復していると見ていい。

 実際こうして投球姿勢に入った累に対して、メアは回復した片足で迅速な距離の詰め方をしてきている。

 

 この分だと、一球でメアを仕留めなければ、自分も首をはねられる。

 しかしメアを仕留めても、また童子が異端を発動したら終わりだ。

 累自身も今でさえ相当無理している状態であり、火焔の竜巻を避ける余力フットワークはない。爆発の余波は、人外になったからと言ってそう無視できるものではなかった。喰らえばお陀仏確定だろう。

 

 つまり。

 もうこの時点で、累の死亡は確定している。

 違うのは死因と、最後にとる攻撃の選択肢のみだ。

 

 それでも、先制の権利は累にあった。

 メアが斬りつける前に、童子が異端を発動する前にピッチングフォームの構えを完了していた。

 

 まだ一球だけ、残されている。

 目の前の二人をどうにかする事は出来ないが、一人ならどうとでも出来る。

 

 聖剣を比較的無事な左手で携えながら駆けてくるメアを瞼に焼き付けながら、低い投球姿勢をとる。

 全身を深く、深く沈める。

 リリースポイントを、1ミリでも下に持ってくる為に。

 

「――俺は仇を取るなんて考えはしねえぜ。晋」


 仇ともいえるメアを目の当たりにして、累は呟いた。


「そんなの、俺達を身勝手な理由で追放した人間と変わらないもんな。俺達、人間やめたもんな」


 恐怖なんて言い訳で、自分達の選手生命を壊した人間。

 野球が出来なくなれば生きている価値はないと、即座にお払い箱にした人間。

 そんな人間に戻る事だけは、累は死んでも嫌だった。


 しかし意地と同時に、虚無感も抱いていた。

 壁すらも壊してしまうピッチングの持ち主である鈴城累では、壁打ちは出来ない。

 だからこそ唯一相棒として接する事の出来る晋が死亡した今、累のボールを受け止め、打ち返し、投げ返す相手はいない。


「お前がいない世界じゃ、野球も出来ないもんな。お前の居ない世界に、意味なんて無いよな」


 野球は一人ではできない。

 もう、累は野球が出来ない。

 キャッチボールが、出来ない。


「バッターがいなきゃ、勝利はねえ。ピッチャーに出来るのは、敗北を防ぐことくらいだ」


 全部使い切っていい。

 腕が折れる程の勢い。

 そうやって投げた累の様を人は呼ぶのだろう。一球入魂と。

 

「有終の美を飾るに相応しい、最高の球を投げたらさ。俺も逝くよ。お前が待つマウンドへ――を土産にしてな」

 

 リリースポイント、完璧。

 軌道。完璧。

 腕の骨が折れる程の天衣無縫の威力。それが累というアンダースローのカタパルトから放たれた。

 人生最後にして、最高の投球だった。

 


『晋。俺な、いつか投げるんだ――漫画で見た、“あの球”を』


 走馬灯のように蘇る、遠い遠い子供の頃の、夢物語。

 累は笑いながら、いつかとある“野球漫画で見たあの球”をついに実現する。

 

 野球帽が落ちる。

 それも構わず――。



『秘技! “消える魔球クロスファイヤー”!!』



 投擲、という表現が正しかった。

 野球ボールが異端とはいえ出していい球威ではない。

 空気との摩擦で球が燃えている。炎の権化である不死鳥が一瞬、メアの視界に映った。

 

 滑空する炎球からの尋常ではない気配に、メアでさえも思わず脚を緩めざるを得なかった。

 あらゆる魔物と死闘を繰り広げてきたメアが、その気迫に圧倒された証左である。

 

「くっ、なん、という……!」


 メアが聖剣を前に差し出した。

 当たればメアと言えど即死。

 しかしすぐさま自分を取り戻す。最早相手がそういう魔物を超越した異端である事は百も承知。

 

「……受けきります!」

「防ぐ気か聖剣使い! 無駄だ……!」


 例え全ての骨が折れようとも、防いで見せるという気概。

 大したものだ、と累は素直に打者への称賛を送る。

 だが、累が投げた秘球中の秘技は精神論でどうにかなるものではなかった。

 


「消えるぜ、その球」



 宣言通り、メアの直前で球が消えた。


「えっ、なっ……!?」


 呆気にとられる。

 いつまでも構えたレーヴァテインに衝撃が走らない。

 目前で雲のように焔ごと消えた球は、いつまで経ってもメアの心臓を貫かない。

 

『メア! 違う! 狙いは君ではない!!』

「……! しまった!」


 球は消えただけで、確かに突き進んでいる。

 もしあのままの軌道で、メアをすり抜けたとしたら、乾坤一擲の一球は誰を穿つのか。

 

 メアの真後ろで、天に手を向けていた童子の肉体を破壊する事は眼に見えていた。

 

「悪いな。俺が仇を討つような真っ直ぐな性格じゃなくてよ……狙いは聖剣使い、お前じゃない」


 まだ球は見えない。

 しかし、“確かに累の投げた消える魔球クロスファイヤー”は突き進んでいる。

 童子の心臓目掛けて、寸分の狂いも無く突き進んでいる。


 そう。狙いは。

 安倍童子。

 

「俺の試合相手はお前だったろ。安倍晴明」

 

 ただならぬ気配に、童子も危険と分かっていながら異端を発動する。

 天から遺伝子の光が、童子を包み込む。


「出たな。だが攻略済みだ」


 光線銃の灼熱さえ寄せ付けない、焔の翼。全焼アパートの怪と融合した姿。

 しかし仮にその発動が間に合ったとしても、累には勝算がある。

 

 

 消える魔球クロスファイヤーの効果。

 打者の手元で消えて、狙いすました空間に出現する。

 

 

 

「光線銃すらも防ぐ程の熱量! 確かに恐れ入ったぜ安倍晴明……! この分じゃボールが直撃しようとも一瞬で溶かしちまうだろうよ」


 ただ、それだけ。

 しかしこのシンプルな効果が、童子には天敵である事に辿り着いていた。


「だがそれは皮膚に直撃した時の話であって、例えば“突如内臓で出現した”攻撃には手も足も出ねえよな!?」


 消える魔球クロスファイヤーは、消える場所にも出現する場所にも制限はない。

 例え真空の宇宙だろうと、大気の地球だろうと、別個体の座標だろうと関係ない。

 

 童子の肉体の中だろうと関係ない。

 当然、メアでさえ受ければ死亡確定の一球をその身に受ければ、どうなるか。

 火を見るよりも明らかだ。


「受けろ――俺達の夢、その集大成を!!」

「……死、ねるかああああああああああああああああ!!」


 

 球が出現する。

 童子の中心で、出現する。


 

 累のグローブの下でガッツポーズが出る。


「仕留めた……!」



 だが、一瞬の笑顔は、にわか雨の様に色褪せた。

 累の眼が、怪訝そうに細まる。

 

「……な、んで」


 童子の姿が、ぐにゃりと揺れる。

 胸部を骨や心臓ごと肉が圧縮している姿、ではない。

 球に押されて肉体が歪曲した結果、ではに。

 

 本当にぐにゃりと揺れて、消えてしまったのだ。

 消える魔球が及ぼす効果は投げた球だけ。標的は消えない。ばらばらになるだけだ。

 

 では、どうして。

 童子はボールの出現位置から逸れて、前にいるのか。

 かわしたというのか。累の球を。

 

(そんな事、んな事、無理な筈だ、んな事、んな事、んな事、んな事、んな事、んな事……)


 見えてはいけない心霊に干渉が出来ても、消えた球を捉える事は出来ない筈だ。あれは心霊現象の類ではない。

 では何故、童子はかわせたというのか。

 

 その答えを、累は微かに見た。


「……悪いな」


 謝る様な童子の声。

 まるで、互助関係が当たり前のような親子で見かける声色だった。

 しかも、先程の全焼アパートの怪と融合した時には垣間見えた暴走が、今度は見当たらない。

 穏やかな面持ちで、しかし悲しい面持ちで、童子は見ていた。

 

 ――ある女性の遺骨が入った骨袋を。

 

 



 Martis異端番号#51498“妖狐”。

 ――彼女はその存在を認知されながらも、オムニバスにもニヒルにも見つからなかった、認識を操る天才。

 ――この13年間、オムニバスからもニヒルからも童子を守ってきた、認識を弄る天才。

 

「……ああ、そういう事か」

 

 操られた。

 弄られた。

 

 童子が避けたのではない。

 累が出現させる距離を間違えたのだ――“童子のいる位置に対して、認識を誤ってしまった事で”出現位置をずらしてしまったのだ。

 実像の童子をすり抜けて、虚像の童子相手に出現させてしまった。

 

「畜生……夢の魔球だったんだぜ。それを、認識を操って――」



 それ以上は泣けなかった。

 零距離まで聖剣使いが迫っていたからだ。

 

 気付いた時にはもう。

 左肩から右腰まで、袈裟斬りにされていた。

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