第29話 「メアの選択」

「……俺、は、帰る」


 遂に眼に見えるガスマスクをスクラップにした童子は、しかしそんな感慨もわかないままに頭を抱えて蹲る。

 わからない。今自分が何をしているのか分からない。

 ただただ、母親と一緒に、薬を妹の下へ届けたかっただけなのに。

 

「俺の、家は……でも、さっきマンションは、潰れて」


 ぶつぶつと呟くその間も、灼熱の翼は――全焼アパートの怪で猛っていた焔は背中から吹き上げていた。


「ああ、でも、俺達ノ、アパートは、アパートは――アツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイ、ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 童子はもう、自分がどこにいるのかが分かっていなかった。

 自分が召喚した公園の上に立っている事も、今いる場所が本当はただの小路である事も分からなくなっていた。

 

 ただ、痛くて、熱くて、冷たくて、悲しかった。

 やっと友達になれたと思ったおやっさん達は、もう永遠に会えなくて。

 そもそも彼らが抱いてきた灼熱の最期を、追体験してしまっていて。

 

 だんだん、境界線も分からなくなっていて。

 自分が誰だったかさえも、忘れ始めていて。

 童子という存在が、コワレていく。

 

 

 結論から言えば、童子の能力による副作用は“自身の歴史こころが変貌する事である”。



 累の見立て通り、異端を童子は取り込むことで超常現象を発動してきた。

 ただ、“異端の取り込み先”となる内臓など存在しない。人体はそんな事を想定していない。

 大体にして、物理的な異物を体内に取り込んでいる訳ではない。

 

 彼は、異端が辿った業――即ち、歴史を召喚し、取り込んだ。

 歴史を、どこに取り込んでいるのか?

 いわゆる、心と呼ばれる概念に、である。

 別の言い方をすれば、童子自身の人格であり、即ち記憶と経験を積み上げた歴史である。

 

 だが、童子の歴史と取り込んだ異端の歴史とで整理されるわけではない。

 特に疲労困憊のまま弱り始めると、どこからどこまでが自分の領域なのか分からなくなる。

 どこまでが安倍童子の世界なのか、分からなくなる。

 一体心の中にいる誰が、自分自身であるのかを失念し始める。

 

 結果、安倍童子の中で、安倍童子という歴史が変わっていく。

 後ろを振り返れば、沢山の足跡がある。どれが自分のか分からなくなっていく。

 混ざり合って、溶けあって、呑まれて、匿名の何かに成り果てる。

 

 

 歴史を取り込んだ? とんでもない。

 取り込まれた喰われたのは、童子の方だった。

 

 

 曇天から差す一条の光は。

 照らしてはいけない永遠さえも、容赦なく曖昧にする。

 

 

「俺は、何なんだ」


 童子は、再び取り戻しかけた意識で誰にも聞こえない問いを投げた。

 断崖を掴む手一つで、自重を支えているような気分だ。

 

「誰でもいい。教えてくれ。俺はさっきから、何をやっている? なんで俺が願うと、消えたはずの皆が、現れちゃうんだ。ここはどうしてあの公園になっているんだ? さっきまで、ただのアスファルトだったろ?」


 周りに散らばるガスマスクのパーツたちを見て、茫然自失とする。

 生き残った感動などわかない。

 

 冷静になると、ある問いに戻ってきてしまう。

 昨日までは無かったはずの、問いに戻ってきてしまう。


 異端とは何か。

 自分もその、異端なのか。

 

『お前は安倍晴明だ』


 誰かの言葉が反芻する。

 結局、自分は安倍晴明という歴史上の人物なのか。

 かつて一つの国を歴史事この世から消し、メアの世界を世界ごと消した大罪人だというのか。

 

「俺は、安倍晴明じゃない、安倍童子だ、俺は、俺は、俺は、俺ハ、童子君ハ、俺は、俺は、俺ハ、俺は、俺ハ、俺ハ、俺ハ、俺は、俺ハ」


 思考が熱くなった。

 オーバーヒートしそうだった。

 灼熱に、身を焦がしていく。

 止まらない。

 止められない。

 負の思考が、芋づる式的に止まらない。

 

 問いを投げる。

 そして誰も返さない。

 

「俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ童子君ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ俺ハ」


 足音。

 野球着に身を包んだ、死神かと思った。

 違った。

 聖剣を片手にした、小学生のようなメアという少女だった。

 

「があっ」


 反射的に、童子は背中から炎を解き放つ。

 メアは必死に表情でそれをかわす。

 

「俺は……俺は……俺は……俺は、俺ハ帰ル、帰シテ、俺ハ、アパート熱イニ、マンションニ、熱イ家族、皆デ、熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ熱イ――」


 体の中の何かが、灯を宿す。

 見て。

 目の前で体勢を立て直し睨みつける少女は、一体お前に何をした?

 

「返セ、俺ノ、俺ノオオオオオオオ!! 俺ノ日常……俺ノアパート……俺ハ、俺ハ、明日モ、明日モ……」

 

 突然現れて、管理するとか言い始めている。

 お前を家に帰さない。彼女がいる限り、お前は家に帰れない。そんな風に告げられている。

 

 メアと会わなければ。

 今日も童子は、普通に男子高校生でいられたのに。

 全焼アパートの皆も、普通に存在出来たのに。

 詩桜里だって、今日は普通の少女でいられたのに。


「帰リタイ、帰リタイ」

 

 帰ろう。

 世界の事なんて知らない。

 自分が本当は何かなんて事には興味はない。

 

 帰ろう。

 その為には、あの聖剣使いが邪魔だ。

 ほら、聖剣を構えて、なんか殺そうとしている。

 

 帰ろう。

 詩桜里と、お袋と一緒に暮らす。

 アパート、マンション、どこにでも買える場所に帰ろう。

 

 こんな灼熱地獄はもうごめんだ。

 だって俺達は、全焼アパートの怪となる前は。

 ただの人間だったのだから。

 

 猛る。

 背中の焔が、天にまで届く。

 有機物も無機物も荼毘にする、地獄の業火が童子の背中で巻き上がる。

 

 自分の自我さえも焼却処分しそうな、不気味な焔。

 しかし童子からは見えない。

 自分の背中はいけいの大火程、気づかない物は無い。

 

「アーアーッ、アーアーッ、アーッ、違ウ、違ウ」


 頭を抱えながら左右にぶんぶんと振っても、何も変わらない。

 童子の歴史が、鮮やかなまま汚染されていく。

 ただ敵を食い殺さんとする獣のように、眼を大きく見開く。

 

 ほら、自分から自由を奪おうとしている敵が目の前にいる。

 なんて焼きがいがある、可愛らしい女の子なのだろう。

 殺して、掴もう。

 彼女も、アパートの住人にしちゃおう。

 

 俺達の人生を掴もう。

 殺してでも掴み取ろう。

 生きよう。

 

 生きろ。

 だって、おやっさんも、そういってたし。

 

「違う……そうじゃない……だろ」


 だが燃え盛る小宇宙に投じかけた自分を抑えたのも、童子自身だった。



          ■      ■



 メアは公園に入るなり、途端に聖剣を構えていた。

 満身創痍。まだあちこちの骨が粉砕骨折している。

 だが泣き言なんて言ってられない。

 

「やっぱり……やっぱり君はそうだったんですか」


 童子がぶつぶつと呟く一方で、メアも確かに童子へ言葉を投げかけていた。

 しかし童子の視線は先程から焦点が定まっていない。耳が聞こえているかも怪しい。

 だが関係ない。ガスマスクのパーツを踏み越え、童子に近づく。切っ先を逸らさないまま。


「……人間らしい、不自然なくらいに人間らしいと思いました。こんな人が、私達の世界を滅ぼしたって、まさか。そんな風に迷っていた自分が今はただ恥です」

「……」

「驚きなんて、しないです。だって安倍晴明は世界を滅ぼす程の大なんですから。あなたのような普通の小を兼ねていてもおかしくはないです。私達の認識を自由に弄っている可能性だってあった」

「……」


 遂に、俯く童子の首筋に刃を当てた。

 童子から反応はない。ただし背後でとてつもない炎が巻き上がっている。

 

 異世界出身が扱う魔術ではない。

 魔法少女の代名詞たる魔法でもない。

 一番近いのは心霊現象だろう。しかしメラメラと膨れ上がる炎は、何かが違う気がする。

 

 だがこの距離なら、炎がこちらを向けば対応できる。先程の攻撃でテンポは掴んだ。

 発動はさせない。その前に聖剣で童子の首を落とせる。


「……本当に迷ってしまいました。騙されましたよ。あなたをかっこいいとさえ思ってしまっていました」

「……」

「あなたが妹を見る時の眼は、心から心配していた。あなたが母親を語る時の口は、芯から尊敬していた。あなたが“烈火寿命オーバーバッテリー”に巻き込まれた男の子を見たの表情は、根から絶望していた……」

「……」

「あろうことか、に似ていた事もあって……無駄に感情移入をしてしまっていたみたいです」

「……」


 未だに童子は壊れたようにぶつぶつと呟きながら、ただ背中で未知の焔を天へ伸ばしているだけ。

 メアが握るレーヴァテインから、軋みが聞こえる。震えが伝わっている。

 レーヴァテインが沈黙している為に、余計にかちゃかちゃという音が聞こえてくる。

 

「やはりあなたは、私達に取り入る為に安倍晴明が用意した偽の人格。それか認識災害、だったんですね……その背中の炎が何かは存じ上げませんが、遂に正体を現したと言ったところですか」

「……」


 メアは、まだ聖剣を振り下ろさない。振り下ろせない。

 そもそも、メアの表情は敵意に満ちたものではなかった。

 

 まだ。

 迷っていた。


「答えなさい……答えなさい!! 安倍童子!!」


 振り下ろせば。

 世界の仇を、撮る事が出来るかもしれないのに。

 

 

「君はやっぱり、安倍晴明だったんですか」

「違う……そうじゃない……」


 はっ、とメアが顔を上げた。

 先程まで人間という枠から外れていた雰囲気が、元の童子に戻っていた。

 

「そんな感情は……アパートの皆の業を……読み違えているだけだ。おやっさん達を、悪役扱いなんか、したくない」


 言い聞かせるように。

 メアにも聞こえるように。

 宣言するように、童子は自分の中で渦巻く何かに応える。

 童子自身の心で、必死に主張する。

 

「確かに……全焼アパートでは、皆地獄だった……だから悪霊化したりもした……でも、でも。ちゃんとその前は、必死に生きている人間だったんだ……! 俺に見せてくれたおやっさん達の優しさを、俺が忘れてどうすんだ……」

「……」


 メアの焦点が、メアに合う。

 眠気眼のようではあったが、確かにメアを見て安堵したようだった。


「メア……。良かった。生きてたんだな。いや、メアお姉ちゃん、だったか」

「……」


 聖剣を向けられている事にも気づかないくらいに、童子は疲弊していた。

 しかしそれでもメアに向けている眼は――本当に生きていて良かったという前向きな感情だったのだろう。

 

 気付けば。

 童子の背中から渦巻いていた焔の翼が、徐々にその勢いを弱めていた。


 炎は。

 保護者のように最後は童子の頭を撫でるように揺れた。

 そして、消えた。

 

「悪いな、おやっさん」

 

 童子の背中から、遺伝子状の光が天へと帰っていく。

 

「……光に、人が」


 メアの眼には、螺旋状の光に人の面影が見えていた。

 最初に童子を捉えようとしたときに妨害してきた、アパートの焼け跡の住人であった事を思い出した。

 

 更に、公園そのものも優しい光に包まれて、最後は天に向かって光を放つと元の小路に戻っていた。

 蒼と金色の光に、無力化された異端番号の一部である少女が映っていたような気がした。

 

 そうして、ただの人間に戻った童子。

 メアは、無言で聖剣を下した。


『そうか、それが君の選択か。メア』


 咎めるでもないレーヴァテインの声。

 まるでメアがどのように判断するのか、待っていたようだった。


「聖剣レーヴァテイン。教えてください。導いてください。断じてください。目の前の存在は、やはり安倍晴明……なんですか」

『私も、私を作った神も与り知らぬ事だ。この世界の既存知識をインプットし、君に伝える事は出来る。でも答えではなく意志を持つことは、やはり人間にしか出来ないのだよ。メア』

「……私は忘れない。私の世界を滅ぼしたあの悪鬼の事を、安倍晴明の事を……」

「俺は、安倍晴明じゃねえよ」


 童子が言うと、おっと、とよろける。

 メアも思わず聖剣を手放して、童子を受け止めたのだった。

 

「悪い悪い、メア」

「……私の事はメアお姉ちゃんと呼びなさい、と言ったでしょう」

「んー、やっぱしっくりこない。体小さいし、小学生にしか見えないし」

「やっぱその二枚舌斬り落としてやりましょうか」

「百歩譲ってメアさんって呼んでやるから、それで許して」

「……いいえ。私に攻撃してきたことは許しません」


 へ? とメアの耳元で素っ頓狂な声が聞こえる。

 

『どうやら先程までのメアの声は、届いていなかったようだな。この分だとメアに攻撃したことも忘れているぞ』

「俺が攻撃したって……メアさん、大丈夫か?」


 ふん、とメアが鼻を鳴らす。

 しかしメアの行動は聖剣を掴む事ではなく、童子の後ろ髪を不器用にくしゃくしゃと撫でる事だった。

 

 結局それが。

 メアの意志だった。

 童子が安倍晴明である。その仮説については、まだ保留だった。


「でも私大人ですので、それくらいの粗相は許してあげるのです。どーですか、恐れ入りましたか」

「……悪いな。恐れ入った恐れ入った」

「ただ、帰ったらそれ相応の扱いは覚悟してください。君の異端を管理する為、解明する必要がありますので」

「正直、もう管理されたくないとか言えないな。俺もその辺は望むところだ。俺の中に何があるのか、俺も知りたい」

「ですが、その前にやるべき事があります。まだ倒すべき敵がいます」


 メアの目線は、一方向から定まらない。

 童子もようやく姿勢を立て直し、メアと同じ方向を見る。

 

「向こうのお山の大将は、私を帰す気が無いみたいなので」


 視線の先。

 先程まで、公園の茂みに隠れていた累が佇んでいた。

 “ふれあい公園”が天に帰った事で、逃げも隠れもできなくなったのだ。

 

「上手く隠れていたつもりでしたが、残念でしたね」


 鈴城累が、覚悟を決めた凛とした面持ちで二人を見つめていた。

 先程の童子の攻撃であちこちに火傷やダメージが見受けられるが、まだ戦闘は可能のようだ。

 

 累の足元に、双子の弟であり相棒でもあった鈴城晋の胴体が倒れていた。

 少し先には、首も転がっていた。

 しかし累はその体を隠す事も、首を拾う事もしない。ただ一瞥しただけで、右手のボールをグローブから取り出す。

 

「別に。ピッチャーマウンドって場所は、逃げも隠れも出来ない場所なんだよ」

 

 あくまで、最後まで投げ切るつもりだ。


「延長戦と行こうぜ。殺した方が勝ちな」

 

 丁度距離は、18,43m。

 鈴城累が立ちなれたピッチャーマウンドから、バッターボックスまでの距離である。


 抑えクローザーMartis異端番号#16089“壊幕投手バッドスロー”――鈴城累すずき るい

 ――最終戦第二試合は、まだ終わっていない。

 

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