第28話 曇天帰し

 バックドラフトという現象がある。

 一空間内の酸素濃度の低下により燻っていた炎に、外から酸素という餌をやると発生する現象だ。

 例えば一見鎮火した火災現場で、扉を開いて酸素を招く事がトリガーとなる。

 

 するとどうなるか?

 燃える、なんて言葉じゃ生ぬるすぎる。

 炎という固体が圧し潰してくる。灼熱の津波が全てを消滅せしめる。

 

 人は言い換える。

 ――爆発、と。

 今まさに童子を起点に吹きすさぶ朱色の竜巻がそれである。

 

「……!」


 圧倒的質量の火炎が累に迫る。

 ガスマスクの壁を容易く破壊し、渦巻く灼熱が放たれていた。

 

「危ねっ……」


 ピッチャーライナーを捉える如き反射神経と、人間離れした脚力でそれをかわす。

 迸る火の粉を気に掛けてはいられない。多少の余波で負った傷は仕方ない。

 間違いなくあれを受ければ、突風の衝撃波による圧死か、灼熱による即死で間違いないだろう。

 

 それを弁えた上で、着地。

 リスクは勿論承知の上で、低く沈んだ前に入る。

 

「“分裂魔球ナックル”!」


 右手から放られた地を這うボールはガスマスク達の間を抜け、童子の下へと向かう。

 メアのような外見と矛盾する肉体能力を持っていなければ一撃で破裂間違いなしの代物だ。

 

 だが、届かない。

 童子に直撃した途端に、ボールが溶けて消えてしまうのだ。

 あらゆる異端を打ち滅ぼしてきた光線と同じく、空間を歪曲せしめる蜃気楼を纏った童子の体温に飲み込まれていく。

 

 背中から巻き上がる焔の翼。

 童子の体温を灼熱たらしめている起点となったのは間違いない。

 それだけではない。攻撃方法も、爆発が凝固された翼を狩り薙ぎ払っている。ガスマスクは焼かれ溶かされる前に、圧倒的な爆風に見るも無残に破壊されつくしていく。

 

「やべえな。本当に」


 累は思わず声を漏らした。

 こうなるとガスマスクの“サブネットマスク”も効き目が悪い。ガスマスクが人工知能ソフトでいくら予測できても、機体ハードが着いて行けない。メア相手に無双された時と同じだ。

  

「対霊的存在用にしこらえた専用ボールも、心霊に有効な筈の光線銃も通用しない、か……で? なんでそんなどんでん返しが発生しちまったかというと」


 しなる灼熱の濁流を跳んでかわし、駆け抜けながら累は思考を凝らす。

 灼熱と蜃気楼の中心に佇む童子から目を逸らさない。

 まずは情報を整理する。未知の異端相手に、オムニバスもニヒルも取る戦法だ。

 

「さっきの“全焼アパートの怪”……ガスマスクが撃つ前に消えたな。さては――」


 ガスマスク達の標的として晒されているのが、童子しかいない。

 つい一分前まで(特に異端番号は付けられていないが)“全焼アパートの怪”の荼毘達がいたはずだ。ガスマスクの光線にやられた姿も確認していない。だが公園内ではよく目立つ、燃え盛る真っ黒なミイラたちはどこにもいない。

 

 一方で童子の様子も変わった。

 先程まで童子自身は普通の男子高校生だった筈だ。童子自身が戦闘能力を持っている訳ではない。

 しかし、今では灼熱の翼を振りかざしながらガスマスク達を一方的に蹂躙し始めている。

 

 ガスマスクが不利に陥っているという結果よりも、累はそもそも童子が変貌した原因に眼を向ける。

 突如彼に付与された炎の翼。しかし傍目から見ていれば、黒煙巻き上がるアパート内でその身を焦がしているようにも見える。

 何より。

 

「アツイ、アツイ、ガアアアアアアアアア誰カ、誰カ誰カ誰カ、畜生、死ニタクナイ、熱イ、痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ!! 苦シイ、呼吸、苦シイ、酸素、酸素、酸素オオオオオオオオオ!!」


 彼自身、無意識で戦っているように見える。

 童子の意識は逃げ場のない火災現場に閉じ込められているようにも感じられた。

 だがふと、童子が元の意識に戻る事もある。

 

「そうか……おやっさん達……こんな、ひでえ火の中で……死んだアアアアアアアツイ!!」


 吹き荒れる炎の台風が、またガスマスク達を破壊していく。

 思わず目を覆った腕を下げながら、累は童子の能力に一つの推測を出す。

 

 

「――つまり、召喚した異端を自分の中に取り込む事が可能という訳か」



 童子は“全焼アパートの怪”そのものを、何らかの形で取り込んだ。

 全焼アパートの怪を、その身で具現化しているのだ。

 

 現象だけではない。

 累には、こう見える。

 

 あのアパートが全焼アパートの怪となるまでの歴史も、童子の中に取り込まれているように見える。

 

「歴史を召喚しているだけではなく、歴史そのものを取り込む、か」


 遂にガスマスク達は数体程度に減り、累にも攻撃が割り振られるようになっていた。

 公園全てを朱色に照らす悪魔の炎が、渦巻いて累に襲い掛かる。

 

「おいおい。そんなの、歴史ごと国を消したっつー、安倍晴明他ならねえじゃねえかよ」

「……違う、違ウ、チガう……俺は……俺は……童子君は、童子君は」


 意識が混濁しているのだろうか。

 どうやら取り込んだ全焼アパートの怪に、意識を乗っ取られている。確かに自我のレベルまで踏み込まれてなければ、先程から焼却されていく幻覚を見たような言動に説明がつかない。

 

「俺、安倍晴明じゃない」

「嘘つけ」


 累の間近で炎が炸裂する。

 とてつもない力に押され、何十メートル先の茂みへ弾き飛ばされた。

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