第27話 「夢は、遂げられなかった」

 夢は、遂げられなかった。


 “令和二年の怪物”。

 当時球界が注目していた双子の野球少年、鈴城累と鈴城晋はそう呼ばれていた。

 高校一年にして、既に彼らは高校生を超えていた。超高校級の宝だった。

 

 160km越えのストレートと、蛇のように折れ曲がるナックルを狩る左手を持ったアンダースロー投手、鈴城累すずき るい

 来日していたメジャーリーグ投手の全力投球相手に連続ホームランを打って見せた剛腕スラッガー、鈴城晋すずき しん

 誰もが、この双子野球少年こそが世界の野球を引っ張るに相応しい神童。

 そう、誰もが思っていた。


 ただし、彼らの名前はどの球団の歴史にも粕でさえ残っていない。

 ましてや、甲子園の土を踏むことなく、彼らは野球世界から姿を永遠に消していた。

 

 野球を続けられなくなったのは決して彼ら自身のせいとは呼べない。

 人一倍研鑽を積んで、人一倍体調を管理して、人一倍野球に熱心だった。

 ならば彼らの野球人生を、何が台無しにしたのか?


 結論から言えば、少し前に世界中で大流行したコロナウィルスという魔物達に起因する。

 黒死病以来の、空前絶後のパンデミックだった。

 

 その感染力、破壊力はすさまじく、多くの国が経済を犠牲にして一つでも多くの命を救った。

 今でこそは“少しはマシになったものの”、当時は誰もがマスクをしていた。

 それでもウィルスは感染し体を殺した。善意は伝染し心を壊した。

 

 マスクをしない人間を、変わり果てた正義感でで弾劾し断崖へ追いやる。

 シャッターが閉じた店を、自粛という免罪符で損害し残骸に変える。

 病院さいぜんせんで戦う戦士達を、呪われた感染者と強調し凶兆扱いする。

 

 世界も人も、そんな風に様変わりした中、累と晋はコロナウィルスに感染した。

 ただし、彼らの野球人生を奪ったのは正確にはコロナウィルスではない。

 確かにその年の甲子園大会はコロナウィルスによって中止にされた。

 それでも、以降のドラフト会議で名が上がる筈だった。しかし。




 『初めてこの街でコロナウィルスの奴が出た』

 そんなとてつもない理由で、病院から解放されたその日に暴行を受けたのだった。

 

 最悪な事に、その怪我は野球を続けるには致命的過ぎる箇所に十分なダメージを受けていた。

 野球生命が謂れのない理由で断たれ、そしてそれからも後ろ指をさされて生きてきた。


 そんな毎日が半年続いて、遂に二人は野球部からも姿を消す。

 今日に至るまで、彼ら二人の姿を見たものはいない。

 人を笑って殺し、異端を楽しんで壊す本物の怪物になった事を誰も知らない。



  尚――実はその病気はMartis異端番号#20200“陽死病コロナウィルス”として管理されていたもので、ここ最近におけるオムニバスの失態故の出来事だった。

 

 故にこの二人が数年後オムニバスの敵として現れたのは、オムニバスにとっては実は身から出た錆である事を、童子はおろか、メアもまだ知らない。

 


 刻まれた異端番号は、16089と16051。

 Martis異端番号#16089“壊幕投手バッドスロー”――鈴城累すずき るい

 |Martis異端番号#16051“戦闘打者バットボーイ”――鈴城晋すずき すすむ



 与えられた番号は少なくとも、背番号ではなかった。

 怪物としての、管理番号のみだった。

 

 『俺達兄弟。甲子園で優勝して、プロになってずっと野球してようぜ!』

 

 夢は、遂げられなかった。

 

 

 


 

          ■       ■


 

 “打った全ての物体をホームランにする”。

 

 

 それが例えボールだろうと、砲丸だろうと、隕石であろうと、ロボットであろうと、心霊であろうと、神であろうと、異世界の聖剣使いであろうと、安倍晴明であろうと、ごくありふれた日常のものであろうと、ありえない異端のものであろうと、一切の例外はない。バットを振るう瞬間においては、どの世界の存在よりも無敵になれる主人公のような能力である。

 

 とはいえ打率10割かつ致死率10割だった晋の神話は、遂に崩れる事となる。

 目前で生き延びているメアという聖剣使いが、致死率10割を9割9分に変えてしまった。

 

 だが、死んではいなくとも死にかけも同然だ。

 見た所、全身の骨が折れている。リジェネによって回復はしているようだが、明らかに間に合っていない。

 ここまで歩いてこれた右足と、聖剣を掴む左手を除いて、満身創痍もいい所だ。

 右肩から先はあらぬ方向に折れ曲がったままで、左脚はスーツで見えないが引きずっている辺りは大ダメージなのだろう。あれでは先程のような鬼神の如き疾風怒濤の剣術を扱う事は出来ないだろう。

 

 それに、何となくわかる。

 あの聖剣レーヴァテインも確かにヒビが入っていたはずだ。

 修復されているようだが、軋む音が聞こえる。伝説の聖剣も、野球の魔物の前には歯が立たなかった。

 

「ゾンビみたいに痛そうだな。女の子なのに。同情するぜ」

「紳士的な所があるとは知りませんでしたが、ご心配なく。女扱いしてもらえる権利は、この聖剣レーヴァテインと引き換えにしてきましたから」

「おたくの異世界事情は知らねえよ。女の子が傷ついているのを見るのは趣味じゃねえんだ。リョナっての? 可愛い女の子には幸せになってもらいたいというのが本音だ」


 だが、手は抜かない。

 そして油断はしない。

 

 踵を金属バットで二回叩き、掲げたバッドに引かれるように左右に背を伸ばし、野球帽を取る。

 

「おねしゃーす!」


 一礼すると、一歩前に進む。バッターボックスに入ったのだ。

 左手に持った金属バットをメアとの距離を測る様に水平に翳し、そして構える。

 一連のルーチンワークは、まだ人間だった頃からの付き合いだ。

 これをやらなければ、本気の実力は出せない。

 

「だから次で場外ホームランだ。ひと思いに打ち返してやるよ」

「野球と言うのは、ピッチャーが投げた球を打ち返す遊びの様ですね」


 完全に集中状態に入った晋の眼を見返すメアは、レーヴァテインを握る左手に力を籠める。

 

「なら見せてあげましょう。私の投剣術ピッチングを!!」


 そして、最終戦第一試合の幕は切って落とされた。

 メアが、聖剣を投げたのだ。

 全力で、下から放り上げた。


「……」


 凄まじい速度。

 そして回転。

 握っていなくても、あれに斬られればたちまち両断されるだろう。


 だが、晋はすぐさまメアへと視線を転じた。

 聖剣が本筋ではない。何故ならメアはただ単に聖剣を天高く放り投げただけだからだ。

 集中しているからこそ、視線を誘導された。

 

 “低く潜る様にして接近してくるメアへの反応が遅れた”。

 

「やっぱ、お前が本命か」


 しかし晋は読んでいた。

 メアが聖剣無しでもガスマスクを一方的に屠れる力を有している時点で、その選択肢は想像がついていた。

 即ち、聖剣を囮にしてメアが“球”となり、零距離戦に持ち込む戦術。

 

 組付かれれば、いかに満身創痍のメアとて何をされるか分からない。

 左手で首をへし折られるかもしれない。右足で蹴り殺されるかもしれない。

 だがその可能性も見据えて構えていた晋に、死角はない。

 

「かっとべ」


 脚を振子にして、その瞬間に全ての力を籠める。

 予測地点に、メアの幼顔が飛び込んでくる。

 

 

「“振子打法”!」



 思い切り振るった。

 真空が生じる程の、半円の軌道。

 奥の壁が衝撃波で掘られる程の一撃だったにもかかわらず、今度は手ごたえが無かった。

 

 振り切った晋の視界に、メアはいた。


「ボールなら曲がったり折れたりするだけでしょうが、私は生憎人間です。よって避けるのですよ」


 膝から上を、地面と水平に保っていた。

 重心が一体どこに存在するのか分からない姿勢だった。

 背を地に、腹を天に向けたその姿勢で僅かに硬直すると、そのまま両膝を起点に起き上がる。

 

「覚悟です」


 起き上がる勢いのまま、晋に絡みつこうとしたところで。

 ぴたり、とメアの動きが止まる。

 

 感じたのだろう。

 “晋の第二撃が到達する方が、早いのだと”。


「知ってる」


 振り切った力をそのまま利用し、体を一回転させてバットの位置を元に戻す。

 器用にルーチンワークを行った後と同じ、自然な構えを通過して二度目のスイングを始める。


「それでいて、人間は打たれたら壊れちまう。ボールよりも弱っちい存在だ」


 今度はメアの心臓。

 ふくらみの無いメアの胸を穿てば、間違いなく心臓は破裂する。

 容赦なく、冷静に急所を目掛けて遠心力のままに二球目を薙ぎ払う。

 

 

「“ノーステップ打法”!!」



 死の打撃が空を切る。

 またメアには当たらなかった。

 今度は右足で跳んで、晋の頭上を取っていたのだ。

 

「あなたの異端は、どうやらスイングという方法でしか発動されないようですね」


 再び回転を開始。

 しかし、メアの看破したような声が丁度頭上から鳴り響く。

 このまま取りつかれては形勢逆転だ。まるで死神が肩を撫でるような状況でも、しかし晋は冷静であった。

 

「真上の敵にスイングも何もないでしょう」

「おいおい。野球舐めんなよ、嬢ちゃん」


 瞬く間に構えが完了している。

 スイングの弱点は、回転の身のこなしを鍛える事によって解決していた。実際にスイングが終わってから構が終わるまでには一秒。ただ異端なだけではない。一体どれほどの研鑽を積めば、野球では使わない様な構に至るまでの動きを洗練させる事が出来たのだろうか。

 

「野球に死角はねえ」

 

 分からない。

 それでも今から放つ打法の方が、晋は練習したつもりだ。

 来る日も来る日も、悲しみを打ち払う様にバットを丹念に降り続けたつもりだ。

 

 腰を曲げ、必然的にバットを構える右側が上に来るように調整する。

 大砲の照準を合わせるように、きらりと光る銀の反射光がメアの方を向く。

 

 もしこのままバットを振るえば?

 結論は簡単だ。

 頭上の相手でも、ホームランに出来てしまう。

 

 人はその極端なダウンスイングを、こう呼んだ。

 


「“大根切り打法”!!」



 真上の空間が、刀のように振り下ろされたバットに薙がれた。

 ぶぉん! と。

 けたたましい怒りを短く放出するように発された一閃の末。

 

 

 メアは、振り抜かれた金属バットの上に立っていた。

 

 

「おいおい。今のは正直マジだったんだけどな。流石に悲しくなっちまうな」

「普通のスポーツならもんどりうったかもしれませんが、これは戦闘です。戦闘というスポーツには、何でもありなんですよ。故に、何が来たっておかしくない、柔軟な反射神経が求められます」


 メアの羽毛のような軽さを感じていたのもつかの間。

 傷つき、折れ果てた体でメアが羽交い絞めにする。

 体も一回り以上小さく、二回り異常細いのに、何もできない。動けない。

 恐竜でも愛艇にしているかのようだ。

 力の差が、違い過ぎる。

 バッターとしてなら吹き飛ばせても、普通の人間としてでは歯が立たない


「ぐっ……!?」


 断頭台に連れられた死刑囚のように、首を前に差し出される。

 否、本当に断頭台なのだろう。

 

 最初にメアが天高く投げた剣。

 それがくるくると音を奏でながら、帰ってきている。

 

「お前……最初からこれを狙っていたのか……!」

「投擲術“フォールアップル”。聖剣使いを自称するからには、離れた敵にも剣を突きさすだけの実力が必要です。このような使い方は初めてですが……」


 ふぉんふぉんふぉんふぉん、と。

 迷いのない剣の雄叫びが近くなった。

 

 空を裂きながら。

 天空からの自由落下運動で、凄まじい回転速度を帯びながら。

 数多の魔物を狩ってきた聖剣は、また一つ怪物の頸椎目掛けて振り下ろされる――!

 



「……累」

 

 なんとか、最後に童子と戦う累の姿を見た。

 そういえば、とどこか満足そうに晋は笑ったのだった。

 

「悪いな。お前以外に、三振取られちまったよ」



 林檎が落ちるような音がした。

 仕留められたバッター、鈴城晋はマウンドに沈んだのだった。

 

 夢は、遂げられなかった。

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