第22話 「未来じゃ、こいつらみたいな霊的存在のすべては解明されているんだ」

 “打ったものはなんであれ、ホームランにしてしまう”。

 

 それが“戦闘打者バットボーイ鈴城晋すずき すすむに許された唯一の異端だった。

 別段敵の力を跳ね返すなんて小細工ではない。

 本当に、打ち勝っているのだ。

 遠心力。角速度。握力。腕力。何が強化されているのか分からないが、その打つ瞬間だけ総合力が青天井に跳ね上がる。

 

 相手がなんであれ、ホームランにするほどの力が握りしめていた金属バットに宿る。ただそれだけ。

 単純明快。

 

 異世界の聖剣使いが振るう聖剣が相手であろうと。

 攻撃力無限という理不尽の塊が相手であろうと。

 比喩でも何でもなく、惑星が相手であろうと。

 物質である限り、語りつくせる森羅万象全てにおいて例外なく、彼方まで吹き飛ばされる。

 

 “打ったものはなんであれ、ホームランにしてしまう”。

 

「おー、流石聖剣使い。良く飛んだ。フライかな」

「心配には及ばねえよ。甲子園だったら間違いなく場外ホームランだ」


 累は遠い空に打ちあがったメアを眺めながら、確信的に言う。

 決して異端ではない鷹の如き視力が、メアの軌道を追う。

 

 細い四肢はあらぬ方向へ折れ曲がり、口や鼻から鮮血を吹き出す少女の目に光は宿っていなかった。

 ただ打たれるがまま。ただ放たれるがまま。くるくると縦回転するがまま。

 慣性に従って放物線の二次関数を描くまま。

 意識は手放しても、ヒビの入ったレーヴァテインを手放さない辺りは戦士と言ったところか。

 

 しかし抵抗はそこまで。

 小兵の女体は、最後には遠くの建物に叩きつけられた。衝撃で崩落したかは分からないが、粉塵が舞っていた。

 

「さて。聖剣少女ちゃんのホルマリン漬けをしに行くか。うちの“監督”はあれを欲しがってるみたいだし」

「しかし確かにやべえ動きをしていたな。人間じゃなかったぜ。あれでも生きてんじゃねえの?」

「間違いなく死んだよ。トラックに轢かれて死ななけりゃ人間じゃねえ。あの打撃、トラック何台分に轢かれたと思ってんだよ」

「いいや分からねえぞ。異端ってのはそういうものらしいからな。大体漫画じゃ人間が何百km飛ぶなんてトレンドにならないくらいザラだろ?」

「違いねえ。まあでもあれは、間違いなく死んだだろ。そうじゃなきゃ辻褄が合わねえってもんだ。世の中の殺人トリックが立ち行かなくなるぜ」

 

 と小さく笑いながらも、確かに手ごたえはあった。

 全身の骨が砕け、全ての内臓が破壊される少女の感触がバットから感じられた。

 例え自動回復の魔術が備わっていたとしても、無数にして絶対の致命傷相手には歯が立たない。そこまで来たら魔術の名は自動回復ではなく、最早活ける屍リビングデッドに改名すべきだろう。

 

「だが目下気にすべき問題は」

「そうだな」


 累と晋は向かい合って、次にする行動を決める。

 二人の間には誰もいない。メアは先程“ホームラン”にしてしまった。

 しかし、先程までもう一人いたはずだ。

 つい今の今まで、目の前で何も出来ていなかった筈だ。

 

 白兵戦なら無双の力を持つメアよりもニヒルが恐れた、安倍晴明の可能性を持つ人物。

 しかし先程の試合ではただベンチから見守る事しか出来ていなかった少年を思い浮かべていた。



「安倍童子がいない」



 路は細く、横に抜ける所もない。

 しかし聖剣使いさえ打ち取った“烈火寿命オーバーバッテリー”の守備をすり抜けるとは、なかなかどうして尋常ではない。

 

 

         ■        ■



「おやっさん達……!」

「さっき辺りの霊みんな騒いでたぞ……童子のマンションが崩壊したって。最近妙な事に絡まれ過ぎじゃないか?」


 童子は丁度その時、ある心霊たちに匿われていた。

 メアがホームランされるまさにその瞬間、人として死んだ魂の残り粕に手を引かれ、気づけば煤だらけのアパートの中にいた。

 

 普通なら血も心臓も凍るホラーものだろう。

 異端の中でも怪異、心霊現象と呼ばれ、一番何が起こるか分からないという恐怖もある。

 実際に関わって良い事は少ない。何故ならば彼らは死を経験し、その殆どが未練故に居残る世界のエラーである。

 生者もまた生よりの死に引き込まれ、絶望の渦の中に溶けていくのだから。

 

 さりとて童子は、そんな霊達と信仰を深め、彼らの心を暖めながら生きてきた。

 この場においても、人と怨霊の垣根を越えて心温まる童子の仲間である。

 暖まるどころか、熱い。

 何せ目の前の大人たちは皆、この“全焼アパートの怪”の元となった焼死者達なのだから。

 

「いや、メアさんを助けに行かないと!」

「駄目だ、童子君!」


 メアが出ていこうとすると、霊ゆえの人的限界を無視した力で引っ張られる。まさに地縛霊だ。

 霊に干渉出来る故に、霊からも干渉される。童子の弱点とも言える部分だ。

 

「あいつら見たけどどう考えてもやばいだろ……それに、さっきの子、この前童子君を追いかけてた子だろう? 童子君の事だからまた友達になったんだろうけれども……」


 全焼アパートの怪。そのリーダー格であり、童子からも『おやっさん』という愛称で親しまれている中年(の霊)が首を横に振る。


「さっきのは……間違いなく死んでいる。あんなに吹き飛んで死なねえ奴なんていねえ」

「……!」


 童子も確かにこの目で見た。見てしまった。

 聖剣が甲高い音を立てた途端、バットが鳴らしてはいけない肉と骨と内臓とを圧し折る音が連続したのを。

 吹き飛ぶ瞬間、宇宙を思わせる力がメアという小さな体で爆発したのを。

 空を舞うメアが、どうみても生き延びていないのを。

 

「それでも……」


 童子は歯軋りしながら、拘束を振りほどこうとする。

 脳裏に浮かぶは、彼女なりに童子を気遣い人として扱ってくれた一幕。


 こんな事になるんなら――メアお姉ちゃんって、呼ぶべきだった。

 子供が衝撃波で内臓をズタズタにされた怒りを納めてくれた時――ありがとうって言うべきだった。

 もっと彼女の、異世界での話を聞いてやればよかった。

 

「俺は……考えてみれば、まだメアさんにありがとうって言ってねえんだよな」

 

 世界を滅ぼされて。

 その世界を滅ぼしたかもしれない人間が目の前に現れたら。

 誰だって激昂する。それを分かってやれなかった。

 だからこそ童子に出来るのはメアの命を諦めず、例え前門の虎後門の狼であろうとも、宇宙で一番怖いバッテリーが相手であろうとも、彼女の元に馳せ参じる事だ。

 

「結局、俺は一方的に守られただけだ。聖剣使いだからって、異世界出身のSランクギルドとやらだからって、あんな小さい体で戦う女の子一人を見捨てて、男な訳ねえだろ。詩桜里にだって向かせる顔がねえ。お袋にだって拝ませる顔がねえ」


 右手の遺骨が入った箱を抱き寄せながら。

 左手の処方箋が入った袋を握りしめながら。

 苦々しそうに述べる童子を、おやっさんは後ろからぽんと肩を叩いた。


「童子君。それでも無謀と勇気っていうのは違うもんだ。あの野球の化物達に立ち向かうのが、果たしてどっちかなんて。頭のいい童子には分かるだろう」


 おやっさんの掌から伝わる感情。

 例え嫌われてでも、童子の遺志を無理矢理曲げてでも、命を大事にしてもらうのが大人の役割だ。

 そんな風に伝わってくるからこそ、童子も反論してしまう。

 

「お袋さんも……それに、可愛い同居人かぞくの詩桜里ちゃんも。そこんとこ分からない様な家族じゃないんだろう?」 

「悪い。おやっさん。俺は――」

「――お前は安倍晴明。この世界を滅ぼす恐れのある、最悪の悪魔だ」


 声が割って入った。

 全焼アパートの門前に何にも怖がるところも恥じるところも無く、鈴城累と晋は絶望を知らせるかのように再登場する。

 

「さあ、ゲームを始めようか。いい加減この世の中からサヨナラしようぜ。それとも6人で新しい野球チームでも組む気か? まあ3人足りねえけどな」

「待て貴様ら……俺達の姿が見えているのか」

「ああ。まっくろくろすけな霊的存在がこのサングラスからだと見えるぜ? ああ、えぐいえぐい」

 

 誰にも見えない常世の隙間、霊だけの世界。

 何故かサングラスをかけていた二人には、死と言う壁の向こう側にいる全焼アパートの住人たちが見えているようだ。

 メアに仕掛けた様に“全焼アパートの怪”として害をなす事象を発生させたときならともかく。

 ただの霊でしかない今は、童子のような霊への干渉能力を持つ人間以外は見えない筈なのに。

 

 童子も、息をのんだ。

 霊的存在にまで、この二人は干渉できるのか。

 あのサングラスは一体、何なのか。

 

「いや。そんな事はどうでもいい。最早俺達は死した身。今更生者に見つかろうが臆することは無い」


 腹をくくった声が隣から聞こえた。

 やがておやっさんの声をきっかけに、次々に全焼アパートの住人たちが燃え盛っていく。

 地獄の業火。そう比喩してもし足りないくらいに、悍ましく全てが炎上していた。


「だがお前達の発言は、童子君の抹殺宣言だな? それだけは許さねえ。また怨霊になってでも、俺達はこの子を護るぞ」

「おうよ!」

「事情は知らねえが、俺達の前で命を侮辱しようもんなら。身を焼かれ死んでいく怖さを教えてヤロウカ!!」

「アツイ……アツイィ!!」


 人の言葉を失っていく。

 今度はメアに仕掛けた脅かしではない。明らかに悪霊になって、“烈火寿命オーバーバッテリー”を呪って焼き殺す気だ。


「やめろ……皆やめろ!」


 しかし次に怨霊になってしまえば、もう皆戻ってこれなくなる。

 人の心を失った怨霊が行き着く先は、ただの災害だ。この煤に塗れたアパートで飲んだ酒の味さえ、最早思い出せなくなる。

 

 だが止めようとした童子を見越したのか、おやっさんが炎上網を張る。

 近づけない。ただ燃えているだけの境界線ではない。説明不可能の斥力で童子を遠ざけている。

 

「アアァ……!」


 這う漆黒の焼死体たちが、共に燃える仲間を求めて彷徨う。

 すっかり眼も落ちてしまった真っ黒な肉塊達を見つめ、「ああ怖い」と馬鹿にするように累は笑うのみだった。

 

「ああ、そうだ。ちょっと気になる事があるから、お前達で試してみるか」


 累はまた水きりでもするように体を屈め、アスファルトを擦る程に低位置から全力投球リリースする。

 剛速球。誰の目にも止まらないそれは、凪のように無回転であった。

 

「毟れ。“分裂魔球ナックル”」


 球が突如百に増える程振動していた事に、しかし今更全焼アパートの幽霊じゅうみん達は何も思慮しない。

 彼らにとっては常世のアイテムなど、最早一切関係ないのだ。

 ただ人命目掛けて這いつくばり、抱き着いて一緒に燃える。

 助けて助けて燃え盛り、共に地獄に落ちるだけ。

 


「アアア、“バッ”」



 その筈だったのに。

 剛速球は、確かに幽霊の一人に直撃し、目前で破裂せしめた。

 

「えっ?」


 童子も声を漏らす事しか出来なかった。

 しかし先程まで5体いたはずの霊的気配は、4体しかいなかった。

 

 成仏でも何でもない。

 完全消滅を、累の投げた殺戮的魔球はやってのけたのだった。

 

「だよなぁ。当たったら普通挽肉198円だよなぁ」

「いやいや。だからさっきの聖剣使いがおかしかったんだって。普通に直撃したら死ぬから」

「おおよかった。スランプに嵌ったかと思ったよ。ったく。危なかった」


 まったく見当違いの咆哮に安堵する累の前で、怨霊達も流石にどよめく。

 全焼アパートという範囲では無敵だった筈の仲間が、今目の前で攻撃を受けて、そして消滅した。

 

「どうしたどうした? 幽霊の癖に脅かす側が驚いてどうすんの」

「まあまあ、累。こいつらは野良の異端だ。故に知らないんだよ――“未来”の事を」

「未来?」


 童子が問い返すと、冥途の土産とばかりに晋が口を回す。

 

「こいつは俺達も半信半疑だが……“未来じゃ、こいつらみたいな霊的存在のすべては解明されているんだ”。何故霊は発生するのか。霊は何故存在するのか。霊が起こす心霊現象とは何か。幽霊の正体見たり枯れ尾花って奴だ」

「実は俺の野球ボールにも、未来の技術によるコーティングが行われている。俺の異端だけじゃ霊には対抗できないからな。そこは少しばっかしドーピング頼らせてもらったぜ」

「じゃあお前達は、未来から来たのか?」


 平安から来た経験のある童子にとってタイムスリップは珍しい話ではない。その結論に直ぐに行き着くのも童子ならではだった。

 しかし累は「はっ」と馬鹿にしたように笑うだけである。

 

「俺達はちゃんと平成生まれだ。お前みたいに平安からタイムスリップした訳でも、未来からタイムスリップした訳でもない――未来から来たのはこいつらだ」


 丁度累たちの後ろで、ガチ、ガチと鉄同士が絡み合う音がした。

 焦点をずらすと、巨体に特徴的なマスク――“ガスマスク”の群れが到着していた。

 勿論その掌には、光線銃が握られている。

 

 

「折角だ。あの世にこの事実を持っていけ。



 ほぼ同時に。

 10体ものガスマスクが、全焼アパートの住民たち目掛けて光線銃を向けていた。

 当たり前のように、彼らの存在を認識している。

 

「安倍晴明よぉ。お前のパートナーの聖剣使いがばっさばっさ無双するもんだから、さてはこいつらをただの雑魚だと踏んでいたな?」

「……」

「確かにスペックが上の聖剣使い相手じゃ分が悪いんだがな。だがこいつらの真価は、“相手が心霊の時にこそ発揮する”」


 そして。

 トリガーは、一斉に引かれる。

 

「何せこいつらの光線銃もまた、こわーいホラーの存在を簡単に貫くんだからな」


 光は、霊達を照らした。

 照らすどころか貫いて、雲のように散りばめて消滅せしめた。

 

「逃げろ……童子、君」

「おやっさ――」


 手を伸ばしてももう、届かない。

 最後に人に戻って笑顔を見せてくれたが、それだけだった。


 やっと言い終わったところで、最後の一人であるおやっさんも光線銃に銃殺される。

 それが成仏と呼ぶのか、消滅と嘆くものかどうかを判断するほどに、童子は仏教を極めていなかった。

 

 そして童子は。

 一人、ガスマスクと“烈火寿命オーバーバッテリー”に囲まれてしまう。

 

 

 

 誰もが言う。

 絶体絶命。

 ――果たしてそれは、世界の全てを圧倒的な曇天が包んだよう。

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