現代怪異と異世界魔術の曇天帰し～陰陽道知らずの高校生安倍晴明と、異世界の元Sランク冒険ギルド所属の聖剣少女。応答せよ～

第21話 「分身魔球と直角魔球」

　メアは、野球を知らない。

　バッターボックスに立ったことはおろか、バットを持ったことが無い。

　マウントで構えたどころか、野球ボールを投げたことさえ無い。

　野球というスポーツはしていても、野球という経験は一切ない。試合すら見たことが無い。

　だから、目の前の鈴城累という敵がそうしたように。

　大きく振りかぶって、ボールを投げられた事もないので。

　バッターのように待つのではなく、あくまで戦士として駆け抜ける。

　空を弾き飛ばしながら猛烈な速度で直線を描くボールに対し、メアは無機質なまでに戦闘的思考を張り巡らせる。

　確かに早い。人が投げたにしては速い、何なら弾丸より速い。絶対的な時間にすれば一瞬だ。

　現に、後ろで佇む童子には全く見えていない。

　メア自身もその速度と、マンション一つ崩壊せしめた威力を低く見積もらない。

　成程、これが異端。

　確かに人間を超越した、投球フォームだ。

(衝撃波を弾く球威。確かに直撃すれば大事ですが)

　さりとて彼女は異世界の聖剣使い。

　迫る白球を高く評価しつつも低く看破している。

　音速をぶち抜く速度の野球ボールに対し、既に軌道計算まで完了している。

　まずは童子と軌道が被らない、自分を狙った弾道である事を認識。

　結果、紙一重の間合いも見切り、最低限のロスで回避行動を開始。

　このまま次弾は打たせない。先手こそは譲ったが後手必殺。

「確かに投擲技術は大したものですが、隙が大きすぎますね。断頭台の鎌が落ちるのでも待ってるんですか!?」

　ボールをやり過ごし、今だに投げ終わった体勢を取っていた累の首をはねる――そんなイメージを頭に描いた時だった。

「投擲技術じゃねえよ世間知らず。これは洗練された投球技術（ピッチングフォーム）だ」

　不敵な笑みが、こちらを向いた。

「穿（・）れ（・）。“直角魔球（スライダー）”」

　瞬間、視界の外に流れて言ったはずの球体が。

　物理法則を無視して、“折れ曲がった”悪送球へと変貌した。。

　そのままの速度で、メアの頭蓋骨目掛けて。

「!?」

「知らねえのか?　ピッチャーの投げる球は、曲がるんだよ」

　知らなかった。メアどころか、この世界に長くいる筈の童子でさえ知らなかった。

　野球ボールが、ここまで不気味な軌道を描くというのか。

「初めてにしては随分上手なバントじゃねえか」

　しかし、異端らしく折れ曲がった軌道の野球ボールは遮られた。

　レーヴァテインの刃先で鍔迫り合う。

　反射するでもなく。潰れるでもなく。

　その野球ボールは、姿勢が崩れていたとはいえ聖剣と互角に押し合っていた。

『なんという……威力だ』

「おも……っ!?」

　ガスマスクを紙のように引きちぎっていたメアでさえ、苦悶の表情を浮かべて受け流すのがやっとだった。

　変化球らしい軌道の不気味さだけではない。異端らしく異端を押し返す程の威力が累の投げる野球ボールにはあるのだ。

『どういう事だ……確かに普通の野球ボールだったぞ!?』

「それなら……それが敵の能力という事でしょう」

　マウントに立つは壊幕投手（バッドスロー）、鈴城累。

　異端番号#16089を背負いし、異端を葬る為の実業団野球部。いざ尋常に勝負、とはいかない。

　つまり。

　“鈴城累の投げる野球ボールは、なんであれ衝撃波を放つほどの魔（・）球（・）へと変貌する”。

　その性質に勘付いた時、既に後ろで動きが起きていた。

「けれど受け流しちゃ駄目だろ。ファールじゃ試合には勝てねえ。知ってるか?　野球ってのは打たなきゃ点数が取れねえんだ」

　攻撃行動こそは止められたものの、白球の受け流し先については完璧だ。

　童子への危険も閑却していない。

　寧ろ、攻撃に転じていた。受け流した先は、金属バッドを片手にしていた晋（すすむ）だ。

　前傾姿勢で、股関節から体を捻じりパワーポジションを取る。

　一見後ろに引いた金属の棒に全ての力を集約しているにも関わらず、メア達に垂直に陣取った体には一切の力が入っていない。

　自然な、基本に忠実な、構え。

「あれを打つ気ですか……!?」

　鉛玉がBB弾にしか感じなくなるくらいに、重さまで籠った野球ボールだ。

　しかしどう見ても、そんな戦慄の球体を打とうとしている。

「仕方ねえな。この剛腕スラッガーが教えてやる」

　タメの動作。

　後ろに半分ステップ。

　後方の体重を、前に移動。

　その最中で、振り抜いた金属バットが太鼓のような音を発して――いともあっさりと野球ボールを弾き返す。

「まずは一点」

　童子は――自分にボールが向かっているという事に気付く暇も無かった。

　ただマンションの壁を衝撃波で破るよりも果てしない威力の閃光が突き進んできていた。

　人体なんて、砕くどころか何百というパーツに破裂させるくらいの大きな球が――

「――くっ……!」

　しかし童子を包み込んだのは死神の鎌ではなく、メアの抱擁だった。

　打球が到達するよりも早く、メアが全身で童子に体当たりして軌道からずらしたのだ。

　メア自身も体を捻って、打球の軌道から体を逸らす。

　だが、それですら生ぬるい。

　メアの背中に、“衝撃波”による掘削という洗礼が容赦なく降り注ぐ。

「あああああああっ!!」

　メアとて、衝撃波を往なす技術は心得ている。更に言えば一定以下の魔物からの攻撃は、例え自分より何回り大きい筋骨隆々の化物であろうとも、一切のダメージを受けない防御力を持っている。

　しかし衝撃波はまったく受け流せない。

　そしてメアの世界で最高峰の魔物が織りなす爪撃よりも、その衝撃波の爪痕は凄まじかった。

「メアさん!!」

「……」

　メアに掌で制され、童子がそれ以上近寄れない。

　一通り悲鳴を上げるも、メアもそれ以上は痛みに喘ぐ事はなく、すぐさまレーヴァテインで低い構えを作る。

　だが、童子には苦い顔をせざるを得ない。

　自分が今、地獄に一番近い場所に立っているからではない。

　先程同い年とは言ったが、こんな小さな少女が背中に痛々しい赤々とした大きな傷口を背負っている事に。

「メアさん、大丈夫か!?」

「問題ありません」

　確かに端から回復してはいる。

　だが、痛みは感じている。

　メアは顔には出さないが、蒼白そうな顔からそれはうかがえた。

　問題ありません。

　きっとそれが、この少女の、聖剣使い時代の口癖だったのだろう。

　割と手慣れている気がした。

「成程。それが“リジェネ”か。自動回復の恩恵、だっけ?」

「もう少し致命傷（クリーンヒット）を当てなきゃ駄目か?　ま、ゲームは長く続くから面白いんだけどよ」

　メアは未だ背中の激痛を放置しながら、思考を巡らせていた。

　晋が放った打球。

　あれが頭蓋か心臓に直撃したら、メアと言えど間違いなく即死だ。

　要は。

　“魔王の一撃にすら匹敵する打球。戦闘打者（バットボーイ）はそこまでバッティングを極めた”。

　何より、向こうはメアの事を良く調べているようだ。

　――さっきからまだメアには、一回も攻撃の打順が回ってきていない。

「ありゃー晋（すすむ）の方に見行っちゃったか?　妬けるねぇ」

　しまった。メアは舌打ちした。

　累がまた投球フォームを取っている。今からでは間に合わない。

「じゃあ、俺本来の投球に戻すか」

　だが、今度は大きく振りかぶって――ではない。

　地を這うように、腕が水平よりも下にある。

　アスファルトすれすれの所で、ボールを“リリース”する。

　アンダースロー投法。

　別名――サブマリン投法。

　放たれた球は、水を切っていく石のように地面すれすれを滑空し、そしてメアの直前で上方へと跳ね上がる。

　燕のように羽ばたく純白の球体は、またしてもメアの心臓を目掛けて放たれたものだった。

「今度は……上に曲がる球ですかっ!?」

　だが今度は変化するタイミングが早い。

　メアも対応が出来る。今度こそかわして、反撃を――。

「毟（・）れ（・）。“分身魔球（ナックル）”」

　今度は。

　曲がるでも、折れるでもなく。

　文字通り、“百”に分裂した。

「……!」

　百発の殺戮の石礫が、メアの全身に直撃した。

　脹脛。太腿。下腹部。腹部。胸。両腕。鎖骨。顎。鼻。眼。額。

　そのすべてに、無防備なあどけない体に鉄槌を与える。

　幾つかの骨が折れた。

　無数の肉が潰れた。

　メアの異世界で培った防御力を以てしても内臓を守るので精いっぱいの威力。

　当然、140cmにも満たない体が、吹き飛ばないわけがない。

　スーツは既にあちこちが破れ、素肌が所々見えてしまっていた。

　生々しい青痣や、痛々しい傷口も陽の目を見てしまっていた。

「……まじかよ、おい、メアさん!」

『メア!』

　宙を舞うメアに手を伸ばしたが、童子には届かず。

　レーヴァテインが必死にメアの体を回復させようとするが、間に合う訳がない。

　それでも。

　二人の声は届く。

「――聖剣使いを、舐めないでもらいたい!」

　吹き飛んだ先で構える晋（すすむ）に、強烈な眼光を浴びせる。

　息をしていなければ、心臓が動いていなければ、意識が刈り取られていなければ出来ない戦闘の意志。

　流石に。

　ここまで有利を保っていた“烈火寿命（オーバーバッテリー）”も戦慄した。

(こいつ……あの“分身魔球（ナックル）”の中でひたすら自分の意識を保つ事だけに集中した、だと!?)

(よけられないと分かるや否や、逆にそれを利用してダメージを晋（すすむ）への推進力にしやがったのか!?)

　メアが無数の被弾の瞬間。力を入れたのは“顎”。

　脳さえ揺らされなければ、それでよかった。

　別に肉が潰れるのは戦闘では日常茶飯事だ。骨が軋むのは戦闘では当たり前だ。内臓が潰れるのだって、魔物との戦闘では隣人とさえ思えていた。

　彼女は異世界でSランクギルドの聖剣使いとしてその名を轟かせた英雄。

　故に、負けも死も知らない。

　更にはここでメアは、ようやく攻撃の手番が回ってきた。

　全身の痛みなんて、いいカンフル剤だ。

「意識さえあれば……貴方達なんてものの数ではありません。“アイスクリーム”」

　滑空の先にいた晋に向かって、氷結魔術を発動させる。

　晋の脚下から氷柱がせりあがった。

(ありゃ……触れたら氷漬けになるっていう)

　道一杯を覆いつくす結晶の三角柱。

　童子には、間違いなく今のでやれた。そう思えた。

　だが。

　晋は“それすらも分かっていたかのように、前起きなく現れた氷柱を横にステップしてかわしたのだ”。

　しかも、バッティングフォームを崩さないまま。

「悪いな。俺はサードだ――故に反射神経も鍛えてる。魔術なんてのも知ってりゃ大したことはねえな」

「そうですか」

　童子とは対照的に、メアには驚きがない。

　何故ならその回避行動で、メアが着地し、剣を振るうまでの余裕が出来たからだ。

　ここまで追い込まれたからこそ、メアは敵を見誤らない。魔術の不意打ち程度では死なない連中だと分かっている。

　ならば、自分の得意な接近戦に持ち込む事こそ勝利の鉄則と見た。

　対する晋はフルスイングを開始していた。

　かわせない。だが武器破壊のつもりで、溜めた一撃をメアは放つ。

　上段から、一気に振り下ろす!

　天を裂くと言っても過言ではない攻撃力が、その一線には含まれている。

「終いです」

　かつて、金属よりも固い鱗に包まれたブルードラゴンでさえも一刀両断せしめた。

　かつて、ダイヤモンドよりも固い鱗で構成された恐竜プラキオレイドスさえもその首を刈った。

　かつて、世界中の最高硬度の鉱石で構成されたゴールドゴーレムさえもその刃で仕留めた。

　冒険者たちがこぞって目指した剣。

　その実力。その聖剣。

　メアに斬れぬもの無し。鍔迫り合いになった直後で、彼女の前で立っていられる化物はいなかった。

　まさに天衣無縫（チートオブチート）の、名も無き一閃である。

「“ゲームセット”」

　そ（・）の（・）一（・）閃（・）ご（・）と（・）、（・）メ（・）ア（・）は（・）遥（・）か（・）彼（・）方（・）へ（・）ホ（・）ー（・）ム（・）ラ（・）ン（・）さ（・）れ（・）た（・）。