第20話 「さあ、プレイボールだ」
「……株式会社ニヒルは以前も話した通り、異端を生産する工場という表向きの一面と、天然の異端を破壊する裏向きの一面をそれぞれ併せ持ちます。つまり後者に関しては、ニヒル専属の殺し屋がいるという事です」
次の瞬間には、童子はぶら下がっていた。
同じくどこかの建物の窓際にぶら下がるメアの手に、軽々と支えられる形で。
しかしその建物にもヒビが入っている。拡散した衝撃波に乗る形で吹き飛ばされたので、100mや200mじゃいかないくらいの距離を跳んできた(正確にはメアに引っ張られた)筈なのに、駆け抜けた見えざる破壊はこんな所まで迫っていたのだ。
「いやいや殺し屋って」
一応、童子が手に持っていた遺骨と処方箋は無事だ。
言い換えれば。
それ以外が、どう見ても無事じゃない。
惨憺たる終末の集合体が、童子の眼下で今も尚燃え上がっていた。
「……それが一体全体、どうしてこんな終いになるんだよ」
振り返った時には、十階建てはあった筈のマンションは下へ下へと沈んでいた。
遅れて聞こえる轟音。舞い上がる粉塵。
最早スケールがでかすぎて受け止めきれない。異国の映画を見ているかのようで、現実味がわかない。わからない。
かつてこの日本には、異国との戦争で原子爆弾が落とされたと言うが、少なくともそこまでの破壊があったとは思わない。
しかし憲法九条で戦争しない義務を背負った日本の光景とは思えない。
こんなものは殺し屋の仕事じゃない。戦争屋の仕業だ。
マンションだけではない。
破裂した大気は建物という壁を障子紙のようにに突き抜けて、辺りの家をも踏みつぶしている。
辺りの鳥は衝撃に驚いて嘶いて空を舞い、事態の深刻さを世界に知らしめる。
次から次へと
マンションからの距離に比例して破壊も小さくなっていくが、出てくる人を見ていればとても悲劇ではないとは思えない。
今目に移った男の子が吐血をして倒れ、痙攣を繰り返すのみだった。
異常な体内と体外の気圧差による、内臓の破裂。
メアからの咄嗟の助言――とはいえ『口を開く』だけだが、それがなかったら童子も危なかった。
だがあの子供は、もろに気圧の変化を受けてしまった。白目をむいて、ついに動かなくなってしまった。
童子の表情が曇った隣で、メアが淡々と助言する。
「私達が行くよりも、公的な救急機関の方が救命確率は高いです。破裂した内臓の場所によっては……助かります」
「悪いな。人は合理的なだけじゃ納得は出来ねえんだ」
「……今は耐えてください」
言いながらも、メアも他人に対して無感情だったわけではないと悟る。
ただこみ上げる感情への対処方法を知る先輩として、童子のフォローをしたのだ。
切り替えるしかない。それは苦手ではない。マンションにいたであろう今は故人達の黙祷をしている暇もないのなら、前に進むしかない。
今自分達に出来る事は、今自分達がすべきことを果たすまでだ。
「流石にあれだけの破壊があった後では“検索不可”とやらも機能しなくなるようだな」
メアに抱えられながら、地面に降り立つ。
周りでは窓から顔を出す人の姿が見え、阿鼻叫喚の悲鳴が耳に入ってくる。
地獄絵図を感じながらも、メアに連れられオムニバスに通じる扉へと向かう。
「“検索不可”は簡単に言ってしまえば
爆弾が爆発して、その方向を向かない人間はいない。
空まで届く煙に目を惹かれない人間はいない。
人間の仕組みを応用した技術だからこそ、異端と言えどオールマイティに立ち回れるわけではない。
「それで? あんな事をした“殺し屋”ってのは誰だ? もしかしてガスマスクに上位の存在がいたとかか?」
静かな憤り。
童子からの問いには、それが含まれていた。
『株式会社ニヒル“実業団”です』
答えたのはレーヴァテインだった。
なんかスポーツをやりそうな名前の組織だ。
『先程メアが“壊し屋”の存在について触れただろう。ニヒルの中でも、異端を壊し殺す事に最適化された――おそらく人間』
「じゃあさっきのは人間が、バズーカでも打ち込んできたってのか? ガスマスクじゃなくて!?」
『補足すると、その人間もまた我々が管理すべき“異端”という事なのだがな』
メアが会話に割って入る。
「恐らくは投げ込まれたのは爆弾じゃありません。この世界で“野球ボール”と呼ばれるものです」
「野球……ボール?」
光線銃やら、聖剣やら異端の象徴たるアイテムが次々に登場している中で、逆にそのアイテムは目新しかった。
よりにもよって、世界各地で毎日のように投げられている野球ボール。
あれのどこに、何十人も殺害するだけの要素があるというのか。
「光線銃何て分かりやすいものであれだけの惨劇が起きるよりも、怖いとは思いませんか」
「ああ。お陰様で光線銃の存在より信じられねえよ。野球ボールが一体どうしたらマンションを滅ぼす大量虐殺兵器に早変わりするんだよ」
しかし今は緊急事態。
童子も本能で周りの変化に反応する。それにエネルギーを裂く。
不穏な空気。確かに後ろの方では、サイレンの音が忙しく鳴り響く。火の手は未だに黒煙となって垣間見える。
“新命山”が背景になっているのも、今は特筆すべき事項ではないだろう。
「なあ」
「ええ。私も感じました」
メアも途端に警戒態勢に入った。
駆ける足取りを一旦やめ、聖剣を抜いて辺りを見渡す。
恐ろしいくらい静寂に包まれた、平和な日常シーンを見まわして不吉に一言。
「また人が、いなくなってますね」
つい一分前までは、確かに野次馬たちが家から飛び出して現場に身に行っていた筈だった。
童子とメアは目立たないように流れに遡行して駆けていた。
勿論、突然目に移っていた人が消滅した訳ではない。
それでもごく自然に。ごく無意識に。
夕方から夜に気が付いたらなっているのと同じレベルで。
「いや、“検索不可”はもう発動できないって」
『マンション崩落に人の目線を集めたのだろう。最早覆い隠せないのならば、そこに視線誘導をしてしまえばいい』
時すでに遅し。
二人のいる位置は、ゴーストタウンへと変貌していた。
人払いを仕掛けられた側が、その境界線に気付かない事にある。
気付いた時には、戦場に足を踏み入れてしまっている。
気付かれないが故に――対策が取り辛い。
「……つまり、今俺達の目の前にいる奴らは」
「はい。株式会社ニヒル“実業団”です」
再び二人が目を前に向けると、夕暮れの下。
誰も現れない筈のゴーストタウンに、野球選手がいた。
20代中盤くらい。
左手にはグローブを装着し、右手でスピンを駆けながらボールで遊んでいる。
「あー。良かった。やっぱ死んでなかったな。困るんだよ、“死合”の前に壊れてもらっちゃ」
と、声をかけたのはもう一人の野球選手だった。
しかも同じ体系。同じ服。同じ顔。童子とメアの後ろで佇む。
ただし得物だけが違う。持っていたのは何の変哲もない金属バットだった。
二人揃って、丁度同じ距離だけ童子とメアから離れていた。
18.44m。ピッチャーとバッターの間合いである。
「まあマンションの倒壊如きで死ぬんだったら、そもそも俺達が狩りだされてない訳で。さっきの球も直撃して無かったみたいだし」
「……貴方達、実業団ですね」
臨戦態勢を既に整え、低い体勢を保っていたメアからの質問。
しかし童子には意外な程、彼らは正直に答えたのだった。
嬉しそうに。楽しそうに。スポーツでも楽しんでいるかのように。
「株式会社ニヒル実業団野球部“
「さっきのはほんの始球式だ。俺らのグラウンドから生きて帰れると思うなよ」
「おい。さっきのがほんの始球式だと?」
童子が憎々しそうに両端の二人を交互に睨む。
脳裏では、内臓が破裂し生死不明となったあどけなき少年、そして何の罪もないのに突如破壊に巻き込まれた変わり果てた街並みが浮かび上がっていた。
「てめえら、人の命を何だと思ってやがる」
「ファールボールがたまたま当たって不幸な事故死を遂げたのと何の違いがある」
「実業団ってのが、野球部ってのが、“
「そりゃ世界を滅ぼすかもしれない安倍晴明さんに言われてもな」
小馬鹿にする嘲笑が聞こえて、童子の眼が血走る。
しかしここで冷静なのがメアだった。
「……残念ですが、説得して聞くような耳を持っているなら最初からあんな事をしません」
メアが童子の前に出る。
出たのはボールで手遊びしている方。先程マンションを破壊した野球ボールを投げたのは間違いなくこちらだ。
中距離戦が出来ると踏んだ以上、この間合いでは優先して倒すべきはこちらだと判断した。同時に戦闘を放棄して逃走が出来るという甘い見込みは捨てている。少なくとも一合は斬り合う必要があるだろう。
メアは聖剣の切っ先を向け、豪語する。
「いいでしょう。野球とかいうスポーツには疎いですが、貴方達の“死合”。受けて立とうじゃありませんか。この野球のルールとやら、貴方達に捕まるか殺されなければ私達の勝ちで」
「猛々しい事だ。ウグイス嬢でも任せようと思ったが、そんな気性じゃ無理だな」
そんな野球は存在しない。そもそもこれは野球ではない。
試合ではない。
死合だ。
殺し合いだ。
口には出さないとはいえ、メアの眼は人殺しを行う準備をとうに決めている。
「じゃあ、始める前の礼儀と行こうか。
「そうだな。
野球帽を二人して取る。ほぼ同時に。
髪型から見ても、この二人は間違いなく――双子だ。
そして、前方に30度。頭を下げて、大きな声で解き放つ。
それぞれマウントと、バッターボックスに入った時と同じように。
「
「
名前的に先程マンションを崩壊せしめるほどのストレートを投げたのは、累の方だろう。
一方の晋は、やはり名前通りに金属バットを一定のルーチンワークを刻んだうえで構えに入る。
「……ふむ」
ここが、メアの弱点とも言うべき箇所かもしれない。
命を弑する事への躊躇いは、とうに乗り越えている。しかし
更には、同じく敵に自分の正体を明かすという事もやってしまう。
「名乗られたからには、こちらも名乗り返さなくてはいけませんね」
幸いにも、鈴城兄弟にもスポーツマンシップと呼べるものが合った為、メアもまたスキを突かれることない。
切っ先を向けて、正々堂々威風堂々、名乗りを上げる。
「
一方の童子は名乗らない。
死なない為、許さない為。無言で鈴城兄弟を交互に睨む。
一方の鈴城兄弟も特には言及することなく、それぞれの構えを完成させる。
「おっと名乗り置きが長くなってしまったな。本来我々の世界に名乗りは不要。あるのは
先手を取ったのは“
脚をこれでもかというくらいに天高く上げ、反動で右の強肩を思いっきり振るう。
体勢に隠れて手から先は見えない。
メアが次にボールを見た時には、大きく振りかぶって、全力投球をした時だった。
「さあて、開戦です。いっちょショータイムといきますか」
「さあ、プレイボールだ」
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