第19話 「女ってのは分からねえもんだな」
最後に家に帰った時同様、自分で鍵を開けることは無かった。
ガスマスクから命からがら逃げる時に、持ち物確認なんて行わないからだ。当然鍵は室内にある。
だからこそ鍵は開いていたはずなのだが、そもそも童子は玄関から入ることは無かった。
ではどうやって入ったかと言うと、ベランダから入った。
ただし三階のベランダから。
メアに襟を掴まれ、成人男性一人分の重さを肩に担れたまま、ぴょんと兎の様に跳び映ったのだ。
「あのさ。メアは俺の認識を弄っただけの、実はキン肉マンとかじゃないんだよな?」
「ほう。君はこんな美少女を捕まえて、筋肉モリモリの変態マッチョな不審男性だとか抜かしますか。あまりその方向では揶揄されたことはありませんが、いい度胸という奴なのですよ。流石は安倍晴明」
「だから安倍晴明じゃないって」
乱暴に手を離され、ベランダの床に尻餅を着く。
本当に機嫌を損ねたのか、メアは鍵のかかった窓ガラスを無理矢理引き壊したのだった。
自分よりも一回りどころか二回り大きい窓ガラスをぶん回すメアに、流石に何も言わずにいられない。
「おまっ、人ん家を何だと思ってんだ」
「どうせ後処理班が何とかしてくれます。さっきのガスマスクとの戦闘だって、異端漏洩防止の目的から痕跡一つ残さずいつも通りになりますからね。それよりも迅速さが優先です」
「そういう所だぞ」
「御託は結構ですので、さっさとご母堂の遺骨を回収したらどうです」
どうやら急かすのは、男扱いされてしまった苛立ちだけではないようだ。
ベランダから中に入り、仏壇まで向かう。
「ああ。良かった。あった」
童子は安堵の息を垂らした。
正直、ニヒルに回収されてしまった最悪の未来も想定していた。
だがこうして仏壇も、遺骨が納められていた骨壺もこうして目の前にある。
「中身を確認したほうが良いのでは?」
「いや……分かる。これはお袋の遺骨だ」
説明できるような内容ではない。それでも童子には、霊を感知する力を持っている。
ただし霊的性質については生者も兼ね備えているし、遺体にも要素が備わっている。生きている肉体に宿っていた意識が、死んだ時に霊として昇華するものだと童子は捕えている。
その残滓は遺骨にも残り、遺伝子の様に霊的要素が絡みついている。
長年面倒を見てきた母親だからではなく、童子にはそれが分かるのだ。
と、自分の力を俯瞰的に見たことが無いため説明がついていないわけだが、メアはそれで納得し頷く。
「……長居は無用です。早めに出ますよ。奴ら、何を仕込んでるか分からないので」
「わかった。でもガスマスクを一方的にのしているにしては慎重だな」
「戦場では何が起きるか分かりません。この日本にもありますでしょう。下剋上という言葉が」
狙撃された弾丸を掴み、一方的に投げ返して射殺するメアの身体能力を見た後では、迂闊でも童子にはそんな言葉は言えないわけだが。
しかし当のメアは先程の損ねた機嫌を引きずっているわけでもなく、考察に考察を重ねていた。
「覚えていますか。ガスマスクは私達が出た瞬間に
オムニバスに繋がる外界への扉は、実は一定周期で切り替わる。
オムニバスが連携している母体企業のオフィス、オムニバスが買収した建物。それらは童子が想像する以上に用意されている訳だが、更にオムニバスは周期的にこの扉と出口の紐づけを切り替えているのだ。
「いかにニヒルと言えど、どこにあるか分からない筈のオムニバスの扉から出た所をガスマスクで狙い撃ちだなんて、普通は出来ません」
『ましてや狙撃手なんて準備のいいガスマスクがいたのが、いい証拠だな』
「一方でこの室内は何もないのが、いい前フリです」
迅速に出たいと言いながらも、メアは警戒するかのように周りを見渡す。
更に脳裏では別の可能性に辿り着いているらしく、途端に小さく呟いた。
「やっぱり……オムニバス内に、内通者。と考えるのが自然、ですか……」
「内通者?」
「いいえ。こちらの話です。こちらで何とかします」
メアが失態した、と言わんばかりにすぐに話題を切り替えるのだった。
異端でありながらも、管理する側の
何より、今は緊急事態だ。
いかに聖剣使いとして異世界の魔物と正面衝突してきた経緯があるからこそ、例えここまで楽勝とはいえ油断をすることが無い辺りは百戦錬磨とも言える。
「ところで」
メアは平坦な胸で、腕組をした。
身長にして40cm以上も差がある童子の顔を見上げる。
「私の事はメアさんとお呼びなさい」
「は?」
あまりに酷すぎる話題転換に、思わず声が裏返ってしまった。
「は? じゃないです。そんな素っ頓狂で返すのが、ジャパニーズ礼儀という奴なのですか」
「いや、まあ。メアさん」
「一応伝えてくと、メアお姉さんでも可です」
「……」
しかし相手は明らかに分類分けするのであれば、小学生がいい所のあどけなさMAXの少女である。
子供ゆえの背伸びだろうか。
ここまで主張されると、童子としても聞き返さないわけにはいかない。
「メアさん、一体幾つ?」
「逆に幾つだと思っていたんですか?」
物凄い目が細くなった。
答え方を間違えると殺される奴だ。
まあ、これくらいの外見をする中学生ならいないでもなかった。ここは中学生くらいで答えておくのが無難だろう。
「14さ――」
「今が任務中じゃなかったら、聖剣の峰でぶん殴ってましたよ。運がいいですね」
怒られた。
背後に骸骨が見えるくらいの憎悪の爆弾が見える。これが爆発したら間違いなく殺される。
「とりあえずこれは頭に叩き込んでおきなさい。あなたと同い年の18歳なのですよ」
「……?」
流石に思考が停止した。
しかし嘘をついているとは思えない自信満々の発言だった。
ドヤ顔で。顎をくい、と逸らした上から目線である。
「誕生日で言えば君より年上です。せめてメア“さん”を付けてほしいですね。それかメアお姉ちゃんでも可です」
「……」
童子が無視ではなく、絶句している事に勘付いたメアは途端に訝し気に目を細める。
「……異世界の存在よりも、私が同年齢という事に驚くとはどういう了見ですか!?」
「いやいやいやいやいや。この外見で18っていうのを信じれってのが無理難題だろう!? 異世界よりもありえねえよ!」
「……レーヴァテイン、早くこの男の消去許可を林に取ってください。可及的速やかに! 火急の用で!」
正直、童子を安倍晴明と最初に見なした時よりも低い声だった。
だがそんなメアを諭すように、レーヴァテインがやれやれと声を漏らす。
『落ち着けメア。そんなことで怒っていては大人にはなれないぞ』
「おと……な……」
猛獣を飼いならす様なレーヴァテインの采配によって、どうやら事なきを得たようだ。
聖剣を鞘に納め、鼻を鳴らしながら18歳の少女は偉そうに目を逸らす。
「ふん。命拾いしましたね。今日の私の目標は大人になる事です。そのおかげで器量が大きくなったのです。まったく運がいい奴です」
「は、はあ」
その発言をする時点で大人ではない気がする。
「まったくもう、まったくもうなのですよまったくもう。これだから安倍晴明は……」
「いや今の文脈、安倍晴明関係なくね!?」
『まあまあ、彼女になりに君の担当者として近づきになろうとしているのだ。察してくれ』
「レーヴァテイン! 余計なお世話は結構という奴なのですよ」
少し好意的に解釈しすぎな気がするが、レーヴァテインに仲裁に入られるとまるで教師に導かれているようで、頷くしかない。
どうやら異世界出身という事もあって、戦闘の距離の詰め方は手慣れたもののようだが、関係の距離の詰め方はまだ不慣れなようだ。
しかし、この体躯と童顔で18歳……。
四肢はあれだけの破壊を繰り広げたにしては細いという印象を受けていたのに、加えて18歳にしては小さくて細すぎる。詩桜里という一個下の少女を知っているが故に、この短背矮躯と寸胴型。
童子は一種のカルチャーショックを受けていた。
「女ってのは分からねえもんだな」
母親から女性は花を愛でるように扱うように言われているが、それだけでは伺い知れない領域があるようだ。
「ほら、さっさと行きますよ! どうやらこの辺りに異端的な罠はないようです。気を付けるべきはさっきみたいなスナイパーライフルか、ドローンによる上空銃弾攻撃ですね」
「いや。もう一つだけ回収したいものがある」
童子にはもう一つだけするべき事があった。
これはストレートに入手できた遺骨と違い、棚を幾つも開けては「どこだっけな」と独り言を繰り返していた。
「日用品なら後にしてください。必要があればオムニバスに調達にいかせますので」
「いや至急ほしい。詩桜里の薬だ」
「薬……」
「詩桜里は少し体質が弱くてな。いつも飲んでいる薬があるんだが、それが無いと俺も少し不安だ。何より、昨日ガスマスクに殺されかけた事で多分悪化した」
メアにはその言葉が遠回しに言っている様に見えた。
殺されかける事で悪化する病気。戦闘に徹しており、心も鍛えてきたメアだからこそ、そしてエージェントとして詩桜里の情報にも一通り目を通したメアだからこそ、それ以上の質問は必要はなかった。
「先程、詩桜里さんが服用しているという薬。こちらでも用意は恐らくできます」
「本当か?」
「生きていくうえで薬は必需品ですからね。管理している異端が病気持ちだった場合、それによって死亡したり苦しんだりさせたりする事は管理とは呼びません。意外と敏感なんですよ。そういうのには」
それを離すと同時、童子が立ち上がる。
遺骨を抱える右側とは反対側。左手で紙袋を掴んでいた。
『青原詩桜里』と書かれた処方薬。結局見つけたようだ。
「“トピラマート”」
紙袋に入っている薬の名前を、童子は発音する。
「いわゆる、“
実はその心的外傷後ストレス障害――通称PTSDに至ったのか、私は知っています。
そうやって続ける事はメアにはできなかった。
同時。
窓ガラスを破って、猛威的な速度で降ってきた白い影が合ったからだ。
光線銃による光線。
反射的に、童子とメアの脳裏に予想外に早いガスマスク達が火を噴かせる銃を思い浮かべた。
しかし。
そもそも突破してきた物体は、まず光線ではない。一つの質点だった。
さりとてライフル加工をされた筒でもない。
純白の球体。
しかし、僅かに赤色の線が入っている。
童子には遂に明確に見えることは無かったが、メアには一瞬だけその姿が見えた。
確かこの世界の知識をインプットした時に見たことがある。
そう、確かあれは。
「野球、ボール……!?」
悟ったのと同時だった。
破裂。
世界が、消し飛んだ。
音速を超えているどころか、音速すら次元違いである速度は、四方八方へ
隕石もかくやという破壊力たるや、三階部分が全て吹き飛んでマンションが崩落する程だった。
「――スナイパーライフルの狙撃でも殺す事が出来ない剣士。流石、リアルでチートステータスな事だけはあるぜ」
少し離れた所で。
金属バットを肩に担いでいた
「でも弾丸で死ぬことは無くても、全力投球の野球ボールならで死ぬ事はあるかもだ」
青年は、二人いた。
同じ顔の、同じ服装の青年。
しかしもう片方の青年が左手にしていたのはグローブ。逆の手で硬球のボールを何度もミット内にパスしていた。
「ほら。異世界出身って事は野球経験ないだろうし。幾らなんでも、マンションをぶっ飛ばす程のストレートは受けたことないんじゃないかな」
後に、このマンションに当時住んでいた46人もの人間の命が奪われたという。
しかし数字を聞かずとも圧死していった無関係の一般人に思いを馳せることは無い。
何故なら彼らは世界を救う為に身を粉にした程度にしか考えていないからだ。
安倍晴明らしき、世界を終わらせる可能性が僅かでもある驚異の存在と。
秩序を乱す異端達を“保護”している異世界の剣士である少女を葬れたのだから、お釣りを貰ってもいいくらいだと思っている。
彼らは株式会社ニヒルに存在する、最上位の殺し屋である。
それと同時に、野球選手の双子でもある。
という訳で、すっかり瓦礫の墓場と化したマンションの成れの果て目掛けて、満足げに言い放つ。
「コールドゲームって概念を教えたかったな。致命傷を帯びたら人間は終わりだ」
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