第9話 「さあて、開戦です。いっちょショータイムと行きますか」

 両腕を切断され、銃も童子の体も手放さざるを得なくなった“ガスマスク”は、しかし特に悲鳴を上げるでもなかった。

 腕を切断された激痛や絶望は推して知るべしだが、人間らしい反応が一切無かった。激痛に喘ぐ事も、絶望に暮れる事も無かった。

 理由については童子は薄々勘付いていたが、断面を見て確信に変わった。

 腕の中身は、肉や骨のような有機物で構成されていない。

 血液の代わりに僅かに静電気を迸らせる断面に詰め込まれていたのは、コードとか基盤とかそういった無機物だった。

 

 ロボット。

 そんなからくりの名称が、童子の脳裏に浮かび上がった。


「まさか“ガスマスク”がこんなに早く君の所に来るとは。迂闊でした」


 メアは振り返るや否や、右手に携えていたレーヴァテインを再び振りかざす。

 “ガスマスク”も腕を欠損した状態にも関わらず、メアの凝視しながら音声を発する。

 

『異端名“異世界Sランクギルドの聖剣使い”優先順位変――』


 言い終える前に、ガスマスクは“みじん切り”にされていた。

 包丁で野菜を細切れにしたことはある童子でも、人体――それもロボットがみじん切りにされる瞬間は、当然初見だった。

 だがその結果を生み出したメアの一連の斬撃は、とても童子の眼で捉えられるものではなかった。

 右肩から先の動きとレーヴァテインの軌道は、何十回かガスマスクの体を通過したという事が分かる程度だった。

 

「……すげえ」


 思わず声を漏らした。

 一秒間で一体何回両断されれば、鋼鉄で構成された体がバラバラに散らばって落ちていくなんて事になるんだろう。

 流石は、異世界の聖剣使いを自称するだけある。

 伝説のような、おとぎ話のような説明不可能の強さだった。

 全焼アパートの怪の皆さん、よくこのメアを封じ込めたな。

 

 みじん切りにされたガスマスクだった“部品”の中心で佇むメアは、レーヴァテインを鞘に納めると童子と向かい合う。

 警戒心に塗れた細い目のおまけつきで。

 

「一応、オムニバスからはあなたの確保を命じられている為、命を狙われるなら助けました」

「……まあ、殺されそうだった。ありがとうよ」

「ですが殺されるフリをして、あなたが安倍晴明である可能性も無きにしも非ずです。あなたが少しでも不可思議な動きをしたら斬りますので、お忘れなく」

「あっ、そう」


 俺は安倍晴明じゃない、と言うのも何だか疲れてきた。

 何はともあれ、命は助かったのだから敢えて文句をいうつもりもない。

 

 握り潰されたと思っていた右腕も、まだ鈍痛があるが動かせないわけではない。左肩は光線に焼かれた部分が今更激痛を訴え、み動かす事も辛いが切断というほどではない。

 メアの足元に散らかったガスマスクのパーツに目を運びながら、童子は訊いた。

 

「しかしいいのか? このガスマスクは、あんたが差し向けた奴じゃないのか?」

「いいえ。違います」


 訝し気な表情は変わらないままだが、一度観念したように息を吐くとメアは当たりのパーツを見渡す。

 そのうちの一つを拾い上げて、同時に手渡す。

 パーツの裏側には、こう書いてあった。

 

 『copyright Nihil inc.』

 

 著作権と言う概念くらいは、童子の頭にもあった。

 

「“株式会社ニヒル”。ひとまず彼らがここに来た目的を言うと、あなたを消去しようとしています」

「おたくらも似たようなことをやっていると思っているけど」

「我々は異端を管理する組織です。最初から消去という選択肢が入っている訳ではない。最も、世界終焉を引き起こしかねない物に対しては例外ですが」


 メアが童子を一瞥しながら続ける。

 

「ニヒルは自分たちが作り出した“異端”で世界を埋め尽くす為に、天然の異端を排除しようとしています」

「自分が作り出した異端って……このガスマスクの事か?」

「ええ。この自律生命無力化ロボット“ガスマスク”も、その“光線銃”も。ニヒル製の異端です」


 童子からすれば、この世界の技術全て異端なのだけれど。

 しかし光線銃なんてものが、フィクションの話にしか登場しないのは何となく分かる。

 SFというジャンルだったろうか。


「異端を作り出すってのはよくわからねえけど、そんな支離滅裂な理由で殺されるのはごめんだ……っていうか、俺が屠られるならまだいいよ」


 童子が桜里を抱える。

 先程銃を突き付けられた際に、失神してしまったらしい。

 無傷を確認して深く息をするも、怒りを幽閉した低い声で本音を語る。

 

「詩桜里はおたく達の言う異端でもなんでもねえ。普通の子なんだ。なんだってでその詩桜里がこんな目に合わなきゃいけねえんだよ」

「……」


 メアが童子を警戒している様に。

 童子もまた、メアを警戒している。

 ただし自分の命が狙われている時よりも、詩桜里が巻き込まれていると悟った今の方が、余程獣のような表情を醸し出していた。

 

「納得出来ねえよ」


 自分が殺される事よりも、許せない事があった。

 誰かに料理を美味しいと褒めてもらえる事が生きがいである掌に、攻撃目的で包丁を握らせた事。

 詩桜里に、銃口を向けた事。

 死の恐怖で、こうして気絶させた事。

 

 許さない。

 許せない。

 それだけは、童子は許せなかった。

 

「俺が安倍晴明とかいう糞野郎だって判明したんなら後ろから斬ってもいいさ。けれど、詩桜里を殺そうってんなら、どんな金科玉条を破ってでも俺は抵抗するぞ」

 

 メアは、それでも警戒の素振りを崩さない。

 果たして、こんな顔をする人間が、かの安倍晴明なのだろうか。

 そんな一抹の疑問が再び頭をよぎるも、それも陰陽道の為せる業かもしれない。右手で柄を握るレーヴァテインをいつでも振るえるようにしつつ、童子の胸の中で眠る詩桜里に目をやった。

 

「その子――青原詩桜里についても、既に調べは着いています。彼女は異端ではありませんが、“異端である貴方に触れ過ぎている”。何よりあなたの異端を知っている公算も高い。あなたの異端を管理する上で、無視できる存在ではありません」

「どういう意味だよ。つまり詩桜里の自由を奪うってか」

「残念ですが、それがこの世界の金科玉条らしいので」

「許せないな」

「許せないならどうします」

「おたくならどうするんだ」


 詩桜里を抱えて立ち上がる童子が、メアと眼光をぶつけ合う。


「さっきの“ガスマスク”みたいな物じゃなくてよ。おたくだって、心と魂と血が通った人様だろうが。それが突然世界を滅ぼす化物だ言われてみろ。ましてや家族の自由と生命が狙われてみろ。愛した世界が塗りつぶされてみろ。それをした安倍晴明って野郎が許せないって感情を抱いているから俺に敵意丸出しなんだろ」

「……」

「だったら俺も、俺の名前を、世界を、そして家族を。奪うような奴相手なら、例え敵わなくたって命を落としたって、それらを守り切ってやるさ。俺は無実で、世界は笑顔で、そして詩桜里は希望を持って朝日迎えられるようにって祈りながらな」


 メアに向けたのは、詩桜里が握っていた包丁だった。

 ただし刃先はぐにゃりと丸まっていて、対峙するは聖剣。

 勝負にならないどころか、絵にすらならない。

 

 だがその曲がった包丁でも尚、詩桜里が童子を助ける為にガスマスクに向かい合ったように。

 童子もその包丁をメアに掲げてその意思を示す。

 詩桜里と違うのは、一切異世界の最強の剣に眉一つ動かす事すらしない事。

 

 その眼に。

 一切の不安も邪悪も、無し。

 生粋の絶望どころか、命の暑ささえ感じさせる星が宿った双瞼だ。

 

「……私は」

『だがそれでも、やはり君にはオムニバス日本支社“試験管”に来てもらわなければならない』


 言葉に詰まるメアの代わりに、諭すようにレーヴァテインが喋る。


『これは君の為でもある。君の異端を明白にしておく事は悪い事ではない筈だ。君の疑いを晴らす意味でも、君の異端を真に知る意味でも』

「詩桜里を連れていくつもりだろ?」

『確かに彼女にも来てもらわねばならない。だが青原詩桜里自身に異端がある可能性は低いと踏んでいる。君の事を知っているだけならば、君の異端解明に協力してもらう事で寧ろ彼女に報奨を払うつもりだ。安全も自由もなるだけ確保した状態でな』

「完全に自由にはなれないのか」

『……君と過ごした七年間の記憶を消せば、確実だ。彼女を管理する理由は、君の異端が世間一般に広まる事を危惧している為だからな』


 童子は直ぐにかみつく事はしなかった。

 自分と過ごした七年間が彼女の中から消えてでも、自由になれるなら何でもいいと思っていたからだ。

 

『それに、どちらにしても今は我々といた方がいい。本当に君達二人とも、このままでは命を落とす事になる』


 途端だった。

 童子の目には、デジャヴが映り込んでいた。

 本の五分前の映像――ソファに座っていた童子と詩桜里目掛けて放たれた数条の光線。

 再び、それが目前で実現していたからだ。

 

「何故ならこういう時、“ガスマスク”は一体では行動しないからですよ」


 言い終えた時には、メアは“全ての光線”をレーヴァテインで弾いていた。

 レーヴァテインが察知したのだろうか。それとも童子が先程感じてかわす事が出来た嫌な予感を、自覚して感知する事が出来たのだろうか。

 背中を向けていたにもかかわらず全ての軌道を正確に把握しきったメアは、更に不可思議な事をやって弾いたのだ。

 レーヴァテインをどう振れば刃で防げるかを瞬時に計算し、その軌道の通り最低限の剣閃を実現。

 光の速度とは言わなくとも、雷のような速度の光線を上回る身のこなしで体を動かす。

 

 結果。

 この場にいた三人に、一切の傷は無し。

 

 異世界で最強と謳われた聖剣使いは、複雑な表情で窓の外を見た。

 童子も同じ面持ちで、窓の外を見た。

 

 

 “数体ものガスマスクが、光線銃を片手にベランダからこちらを覗いていたのだ”。

 

 

 ただし。

 疾風迅雷を体現した速度で間合いを詰めたメアに、再びみじん切りにされる。

 

「これで終わりじゃないんですけどね」


 少女の声は、童子の真後ろからしていた。

 ベランダからはそれなりに距離があるのに、何をどうすればこんな瞬間移動を可能にするのか。

 

 しかしその驚きも、束の間。

 ドアや壁を貫いた光線を、メアが奇想天外な剣裁きで弾いた事で塗り替えられる。

 

 というか、当然のように玄関の向こうにも佇んでいた。

 扉が倒れて視界が良好になる前から、予感していた事だ。

 ……勿論遮蔽物が消えた瞬間、廊下を駆け抜けたメアによってレーヴァテインの錆にされるのだが。

 

「……成程ね」


 ここに至って、童子もようやく納得する。

 ベランダにも、玄関も、蟻のように無数のガスマスクで埋め尽くされている。

 それこそメアの神がかり的聖剣裁きでも倒しきれない様な、膨大過ぎる数だ。


「とりあえず、あなた達を連れて脱出します。少なくともその詩桜里がこのまま殺されるのは、私の本意ではありません。勿論君も、このままニヒルに消されたのではエージェントの名折れです」

「……」

「喧嘩はその後です……それとも、私達を敵とみなして愛する妹と一緒に心中しますか」

「いや。喧嘩も無しだ。まずは詩桜里の命を守ってほしい。死んだら、もう一緒に登校する事も出来ねえんだ」

「その意気やよしです」


 再び剣閃を展開する事で、遂に玄関からの脱出ルートが見え始める。

 さっきまでガスマスクだった物のパーツを絨毯にした先に、非常階段。

 

「さあて、開戦です。いっちょショータイムと行きますか」

 

 勿論メアの青色の瞳に映りしは、非常階段より放たれる光線銃。

 それら全てから二人を守りながら、身の丈140cmしかない侏儒しゅわいな体を以て余裕綽綽の表情で先陣を切る。


「私こそは聖剣レーヴァテインを授かったパトス村出身の戦士、メア。勝鬨かちどきの華を芽吹かせる大盤振る舞い、ついの夢に篤と御覧じるがいいです」

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