第8話 「やめろって言ってんだろ!!!」

 別段、童子は運動神経にこそ恵まれているものの、決して異端と呼ばれる程に身体能力に恵まれている訳でもない。

 霊に干渉出来る時点で通常の人間とは造りが違うにしても、彼自身に戦闘能力と呼べるものはない。一応は逞しく成長している為に、不良との喧嘩レベルなら対応できなくもない。

 けれど、戦闘行為と呼ばれるレベルの大立ち回りをしろという方が無理があるのだ。

 それでも培ってきた第六感で以て、不意打ちを詩桜里を守りながら回避できたのは奇跡と言えるだろう。

 

「……」

「……」


 だが放たれた光線によって溶かされた窓ガラスから侵入してきた影は、明らかに異常だった。

 2mを超える巨体で、その全容は覆っていた黒コート、そしてガスマスクで窺い知ることは出来ない。

 しかし掲げていた銃らしきものを鑑みれば、まずコミュニケーションが成立するかどうかさえ微妙な所だ。

 

『安倍晴明の生命活動を認識。再度無力化を実行』

「ちょっと待て! おたく一体何者だ!」


 日本の室内にもかかわらず、土足で入り込んで野暮な事を言う侵入者に話しかける。

 しかし帰ってきたのは、銃のトリガーを引くという無慈悲なものだった。

 

「詩桜里っ!」

「わっ!」


 今度は詩桜里と共に床に転がり込むことで回避。

 極細と言えど、あらゆる障害物を貫く一条の光は、想像だにしない灼熱を内包している。

 間違いなく人体が触れれば、瞬間で溶ける。

 肉は綻び、内臓は焦げ、骨は消滅する。

 そうでなくとも量産型の弾丸でさえ、童子にも詩桜里にもオーバーキルだというのに。

 

 ……あれは弾丸ですらない。

 光線だ。

 

「おい! おたくあれだろ!? メアの仲間だろ!? オムニバスっつったか!?」

『生命活動認識。安倍晴明の再度無力化を実行』

「……くそ! また安倍晴明かよ! 俺は――」


 必死に思考を巡らす。

 何のために?

 突然現れた理不尽な暴力を理解しようとする為に。そしてこの場において最適な行動が何かという事を回答する為に。

 

 まず、目前の存在は令和の時代においてまともな存在ではない。

 自分の事を安倍晴明と言った。あのメアという少女と同じく、童子を安倍晴明と認識したうえで殺害行動を取っている。


(けど……、あれが俺しか狙っていないのだとしたら?)


 一体何なのか分からないが、ガスマスク越しに口走ったのが自分だけ。

 そのたった一つの情報さえ分かれば、それで十分だった。

 脳神経が麻痺したかのように、突然の不条理の嵐にただ座り込む事しか出来ていない詩桜里を一瞥する。

 

「詩桜里。お前だけ逃げろ」

「えっ?」

「あいつの狙いは、多分俺だ。それだけは確かみたいだ」


 丁度隠れていた台所から、包丁を手に取る。

 

「ど、童子君は……?」

「何とかする。だがまず詩桜里が逃げろ――いいな!」


 ガスマスクの前に飛び出すと、童子はそのまま突進した。

 平安時代の記憶の片隅から、刃を向けられた時の事を思い出す。それによって培った度胸が、この特攻を成立させていたとも言える。

 心臓を鷲掴みにするような恐怖を常時放つ銃口は、童子の狙い通り、明らかに詩桜里を無視している。

 勿論それは即ち、銃の先端が童子を向いている事に他ならない訳だけれども。

 

「……っ!」


 声を出す暇もない。

 トリガーが引かれ、直前に動いた童子の左肩を掠める。

 痛い。熱い。溶かされた。

 しかし真っ白に焦がされたのが左肩でよかった。利き腕は右手だから。

 包丁を掴んでいたのは右手だから。

 

 更に言えば、同時にとって見慣れた室内という事も幸いした。

 ガスマスクと、童子の距離は2メートルも離れていない。

 かわした同時に焦点を合わせるようにして銃口をずらしている間に、童子は間合いに入る。

 

「この野郎! 倍返しだ!」


 握っていた包丁を、銃口を持っていた左腕に突き立てた。


『……』


 殺すつもりだったと言っても過言ではない。

 平安時代、人を殺してはいけないという決まりなど建前のようなもので、歩けば死体が転がっている町内で生きてきた彼にとって、こんな緊急事態に手段を選べるほど優しいつもりはない。

 まずは灼熱の破壊を振りまく銃をどうにかしようと、それを持つ腕に思いっきり突いた。

 包丁は深く潜り、場合によっては腕の切断される――はずだった。

 

 しかし。

 手に返ってきたのは、まるで鋼でも相手にしてしまったかのような鈍い反射。

 

「……えっ」


 流石に、全く突き刺さらない未来は想定していなかった。

 それどころか包丁が、折れ曲がっている。

 

 身に着けているものが、鋼の性質を持ったからくりだというのか。

 否。

 

「こいつ……人間じゃな……ぐっ!?」


 包丁を持っていた腕を鷲掴みにされ、そのまま持ち上げられてしまう。

 途方もない圧力が腕を軋ませ、声を漏らさずにはいられない。

 潰されていく肉細胞越しに伝わる感触は、鉄のそれだった。手袋の中身は、やはり人じゃない。

 足掻きに何度も蹴ってみるが、まったく手ごたえがない。巨岩でも相手にしている気分だ。


「ど、童子君!」


 詩桜里の泣顔が目に映る。

 腕の激痛よりも無視できない存在がまだ近くにいた。


「詩桜里……逃げろって言っただろ!!」

「でも……でも……」


 その時、ガスマスクが吊るされていた童子から、折れた包丁を拾った詩桜里に移る。

 同時に銃口も、詩桜里に移る。

 

『安倍晴明準無力化に伴い、個体を認識した生体反応の停止にかかる』

「なん……だと!?」


 口元部分から機械的な音声を聞いた時、背中が凍る感触を得た。

 最初からこのガスマスクは童子だけではなく、詩桜里まで殺害するつもりでいたのだ。

 理由は語られずとも察しが付く――平安時代にも常套句だった、“口封じ”だ。

 

「は……あ……」


 向けられた殺意と、背後に聳え立つ明確な死を詩桜里も悟ったのだろうか。

 震える脚。頼りなさげにカタカタと揺れる、ガスマスクへ突き付けて丸まった包丁。

 呼吸をするのがやっとな様子の唇。死が怖いと泣きじゃくる眼鏡の奥。

 最早逃げても光が彼女の華奢な女体を貫くが早いだろう。

 目前で溢れる地獄に、平成生まれの一般人である詩桜里が追い付く訳がない。

 だけど、その中で優先したのは、童子の安全だった。本能がそうさせていた。

 

「ど、どうじくんを……はな、じて……」


 枯れた声で詩桜里が懇願するも、ガスマスクは返答しない。

 代わりに無慈悲にトリガーを引く指が縮む。

 

「ふざけんな……おいやめろ……やめろ、やめろやめろやめろやめろ!」


 無我夢中で童子が必死に、ガスマスクの銃を蹴り上げる。

 必死だった。火事場の馬鹿力だって出ていたのかもしれない。

 しかし鋼鉄を相手にしているかのように、一切ビクともしない。

 

「詩桜里は俺に残された家族なんだよ!! お前の狙いは俺だろ! やめろ、やめてくれ!」


 懇願が通じる気配もない。

 慟哭も虚しく、冷徹にトリガーが充分な深さまで引かれていく。

 

 寸分も狂いも無く。

 震える詩桜里の左胸目掛けていた銃の先端。

 撃鉄すら鳴らず、銃口から一条の光が飛び出し。

 結局、救いも無く詩桜里の左胸を貫――



「やめろって言ってんだろ!!」



 ――くことは無かった。

 時間が停止したかのようだった。

 光線は発生しない。そもそもトリガーを引く指がそれ以上沈まない。

 無傷の詩桜里は、しかし死ぬ寸前の体験を得て心を消耗したのか、その場にへたり込んでしまった。

 

「……?」


 ガスマスクのガラス部分に怪しい光が映し出される。

 スマートフォンの根幹をなすプログラムのような、意味不明な文字の羅列が見えた。

 


『“安倍晴明の異端を確認、優先順位変更、最優先で停止に――”』



 その音声が最後まで紡がれる事は無かった。

 結局、“安倍晴明の異端”が何を差していて、何の意図があって同時に銃口を向けなおしたのかを窺い知ることは出来なかった。


 流星のように目にも止まらない速度で通り抜けたメアが、ガスマスクの両腕を一刀両断したからだ。

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