第5話  「何言ってんだ。日本で一番高い山と言ったら、新命山だろ?」

「にしてもさっきの女の子は本当にたまげたな。あんなもので斬られたら殺されちまうぜ。銃刀法違反ってのを知らんのかねぇ」


 先程まで全焼アパートの怪を担っていた霊。

 そのうちの一人が、童子が差し入れたビニール袋に入っていた酒を飲みながら呆れたように口にする。

 先程までのホラーっぷりはどこへやら。ただの気前のいいおじさんになっていた。


 死んでいるけれど。

 しかもその場所は誰も立ち寄らない煤だらけの廃墟だけど。

 

「しかもあんなロングソード。中世のヨーロッパからタイムスリップしてきたのか、って言いたくなるね」

「いや。異世界から飛んできたって言ってたよ」

「そりゃまたおかしな事を言うもんだな」

「ただ、喋る聖剣とか“すてーたす”とか、今まで聞いたことの無いからくりを使っていたし、在りうるかも」


 一人だけジュースを喉に運んで、本来なら恐怖するべき霊達と普通に会話する童子。

 霊の一人が訝しげになり、言葉に迷い始める。

 

「……でも俺達が来る直前、物凄い氷柱が立ってたもんな。“アイスクリーム”なんて訳の分からない呪文も放ってたし」

「俺達と同じ、怪異と化した亡霊って事はありえんか? 童子君」

「生者と死者の見分けくらいなら俺もつく。彼女は間違いなく生きている肉体だったよ」


 うーん、と亡霊たちが唸り始める。

 彼らも死んで、体中を爆熱に炙られた痛みや、何のお咎めも無いのに死んでしまったという絶望を心霊現象として置き換えてきた存在だ。メアが扱っていた魔術も、異世界から転移してきた経緯も、自分達が異なる存在となった今では容易に受け入れられてしまうのだ。

 

「まぁ、何はともあれ。童子君が無事でよかった」

「本当にありがとう。皆のお陰で助かった」


 励ます様な亡霊たちの表情が目に映る。

 

「死んでからも意識があるからって、死んでからも実は人生だったからと知ったって、別に幽霊になってよかったなんて思わないさ。こんな姿じゃ、家族にも会いに行けねえ。死んじまうってのはそういうもんだ……精々出来んのは、人をおどかしたり、呪い殺したりくらいだ。百害あって一利なし。俺らも童子君に声かけられてなきゃ、恨み辛みに従って何してたか分かったもんじゃねえ」


 半年前。原因不明の大火がアパートを襲い、身元が分からなくなるほど燃え尽きた五人とそのアパート。

 ここに近づくことなかれ。生者を羨む焼死体達が迫ってきて、地獄の業火が宿るアパートに永住する事になる。

 真っ黒に爛れた、煤塗れの救われない住民となるのだから。


 そんな都市伝説に終止符が打たれたのは一ヶ月前。

 童子が、彼ら五人を助けたのだ。


 彼ら自身、最初から悪霊だったわけではない。

 燃え盛るアパートに囚われ、その隅っこで魂を焦がされていた被害者なのだ。元々は、心のあった人だった。

 結果、童子との対話だけで五人の亡霊は人である自分を取り戻し、無差別に生者を焼く怪奇現象は幕を閉じたのだった。

 

 先程メアに仕掛けた様に、未だ“全焼アパートの怪”を発現する事は出来る。そういう意味では危険な存在かもしれない。

 しかし本能のまま、恨めし憎しで相手を焼く事はしない。


 童子は、霊を差別しない。

 たとえ死んでいるからと言って、差別しない。

 この世にあってはならないと恐怖されている存在だからと言って、差別しない。


「だからな。童子君。死んじゃいけねえ。寿命まで人生出来る限り花咲かせて生きるんだ。それは生者に平等に与えられた権利だからよ」

「ああ。俺も死にたくない。死んだらきっと生きてる人と死んでる人、どっちとも仲良くできないからな」


 人を火炎地獄へと引きずり込むはずの霊達は、童子の返答に嬉しそうに頷く。

 

「それならホイホイ俺達みたいなのに近づいちゃならねえ。火の元には注意すべきだ」


 ま、焼死して、全焼アパートの怪になっちまった俺達が言っても説得力ねえんだがな。

 と霊は、小さく笑って付け加えた上で続けた。


「童子君は俺達みたいな生き物の霊に対してはこうして友達になれる。けどな、心を完全に失い、完全な悪霊になっちまった奴らは本当におっかねえ。心を失った相手に、対話は通用しねえ。鮫に懇願しても、聞いてもらえずに喰いつくされるのと一緒だ」

「そうなのかな」

「この世界には救えない奴もいる」


 首をかしげて、童子は疑問を抱く。

 これまで会ってきた怪奇現象の渦中にあった霊達は、それでも元々は人間だった。

 勿論それも、この街という閉じた世界での話であるが故に、まだ友達になった霊達が温いという考えも出来る。

 だけど、根が性善説の童子には救えない悪霊がいるという事を信じたくなかった。理解は出来ても、納得はしない。

 

「だけど、俺は最後まで会話を諦めない。救えない奴だろうと、完全な悪霊だろうと、元々が心を通わせる事が出来た存在なら猶更。例え他人だろうと、折角この世に生まれておいて、最期が何が何だか分からない悪霊で終わるなんてお世辞にもいい話とは言えないじゃねえか」

「純朴だなぁ。だがそれがきっと、童子君のいい所なんだろうな」


 折れない童子に、霊達は諦めたように深く頷く。

 しかし一人の霊だけは、だからこそ心配だと言わんばかりに忠告を始める。

 

「ならよ、童子君。“あの山”にだけは近づいちゃ駄目だぞ?」

「あの山?」

「ああ、あそこの事か。確かに最近おっかなくなっちまったなぁ」

「おっかなびっくりって奴だ。日本で一番高い山も、本当の意味で恐ろしくなっちまったもんだ」


 霊達が何に着いてうんうんと首を上下させているのか分かっていない。

 しかし日本で一番高い山といえば、それは一つしかない。


「富士山の事か?」


 一瞬、時間が固まったかのような沈黙が煤だらけの空間を覆いつくした。

 目を丸くした霊達の顔が、童子に向くのだった。

 そんな顔をするほどに恐ろしい何かがあの富士の山にはあるというのか? そんな思考が一瞬駆け巡っていると、一人の霊がついにその答えを放ったのだ。

 恐る恐る、と言った様子で。

 

 

「何言ってんだ。日本で一番高い山と言ったら、新命山しんめいざんだろ?」

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