第2話 「大体。陰陽道ってなんなんだ?」

 焼け爛れた右手が治り始め、包帯がいらなくなったと感じた頃。

 もう何百回と歩いた筈の高校からの帰り道で、「はて」と安倍童子は首を傾げた。

 

「何だって俺はこんな所を歩いてるんだ?」


 通学路では歩かない筈の河川敷に、童子は立っていた。

 しかも上には橋が聳え立っており、更にはこの辺りは人も少ない。

 

 先程まで歩きながら英単語を反芻していた訳だが、まさか道を決定的に間違える程に熱中していたとは。

 しかし現に童子は通学路から決定的に外れた場所に立っている。

 不可思議に思いながらも、道を間違えたなら歩きなおすしかないと、踵を返した時だった。


 

「――単刀直入に伺います。あなたは平安時代から飛んできた、安倍童子で間違いないですね」



 橋で陰から、威風堂々と単身矮躯な少女が歩いてくる。

 小柄で、幼顔だ。この前成仏を看取った公園の少女程ではなくとも、いい所小学校高学年くらいではないか。

 しかし身に着けているのはスーツであり、更には左手に携えているのは剣だった。

 高価そうな宝玉が所狭しに張り巡らされた鞘。使い古された黄金の柄。装飾品としての、西洋のロングソード。

 訝し気にその剣を一瞥して、しかし何事もなく童子は言葉を返す。

 

「名前を尋ねるんだったら、まずは自分から名乗れよ」

「これは失礼。確かにこの国の礼儀では、それが作法の様ですね」


 この国の礼儀? 確かに金髪碧眼の少女であるところを見ると、外国人だろうか。

 しかし日本語は流暢だ。発音にも気にかかる所は無い。日本の敬語を日本人並みに使いこなしている。

 

「私はオムニバス日本支部所属のエージェント、“メア”というものです」

「オムニバス? 聞いた事ないな」

「それは当然です。あなたような異端認定されたものを管理し、隠匿する裏方なので」

「はぁ」


 素っ気ない童子の態度が逆に警戒心を掻き立てたのか、メアの眼が細まる。

 

「まあ俺は確かに平安時代からタイムスリップしてきた安倍童子だ。異端っていうのはタイムスリップしてきた事か?」

「当たり前に認めるのですね」

「お袋に言われてんだ。嘘は良くないって」


 面倒くさそうに言い放ちながらも、童子は心当たりがあった。

 “お袋”曰く、この時代にも幽霊や妖怪、神を認識しそれを制御しようとする組織がある、と。

 

「しかし管理と来たか。勘弁してくれ。ただ単純にタイムスリップしてきたというだけで、俺は一介の学生だ。逆さにしたっておたくの求めるもんは何も出てきやしねえ」

「何も出てきやしない、ですか」


 むすっとしていた少女の額に、微かだが皺が刻まれる。


「御母堂に言われているんでしょう? 嘘は良くないと。私にはタイムスリップしてきた平安の人間という肩書よりも、もっとしっくりくる二つ名があると思っているんですが」

「……?」


 いまいち要領が得られず、童子は頬を掻く。

 

 幽霊とコンタクトが取れる才能の事を言っているのだろうか。

 確かに客観的に見れば珍しい能力ではあったが、平安の時代には霊と接触できる人間はいないでも無かった。

 一方で令和の人間は平安と比べれば光の中で生きている。

 霊や妖怪が出現する闇は狭まり、霊と接触する能力も失われたように感じる。しかし全く無くなったとは思えない。

 

 しかしこのオムニバスという連中は、何故自分が平安時代の出身である事を知っているのだろう。

 以外に知る者はいない。

 大体、タイムスリップしてから12、3年。何故今更こんな組織が顔を出してくるのだろうか。

 何故このメアという少女は、親の敵と言わんばかりに殺意と敵意を剥き出しにしてくるのか。

 一体このメアと言う少女が、童子に何の用か。

 当の童子には、とんと見当もつかない。

 

 

「陰陽師――安倍晴明」


 その理由を、メアは口走る。

 

 

「世界に点在する異端の中でも群を抜いて、幽々ゆうゆうたる、赫赫かっかくたる呪術、それが陰陽道。それを自在に操り、世界を滅亡せんとする魔王。それがあなたの正体でしょう」


 安倍晴明。

 そんな名前を、日本史の教科書で見つけたことはある。

 しかし教科書に収まる様な品行方正な正史の話ではない。

 

 このメアが憎々しく言い放ったのは、どこの誰が書いたかもわからないような闇に生きる安倍晴明の事だ。

 令和の時代にも市民権を得ている、平安の伝説である。

 

「2年」


 メアは剣呑とした表情で続けた。

 ここであったが百年目と言わんばかりに。

 

「2年、私達オムニバスは――私は、あなたを追い続けた。何の考えが合って、市井に紛れて姿を表したかは分かりませんが、しかしこうして相まみえたのなら是非もない!」

「……」

「聖剣“レーヴァテイン”。久方ぶりのの出番ですよ! 聖剣であるあなたを振るう相応しい怨敵! 星さえ斬ると恐れられたあなたの切れ味、このMartis異端番号#21111“安倍晴明”を討伐する事で証明なさい!」


 メアの口から出た意味不明な鼓舞の羅列は何だろう。

 安倍晴明という名前以外は聞いた事はない。


『解脱を許可する。しかしはき違えるな。基本、捕獲で臨め』

「えっ?」


 釘付けになってしまった。

 今まさに抜刀されていく聖剣“レーヴァテイン”に。


 今、明らかに意志を持って男性の声を発していた。

 童子は素直に驚いて、思わず感想をもらした。

 

「……この時代のからくりっていうのは、剣に意識を宿す事も出来るのか?」


 普通の少年少女だったら、『なんだその魔法は!?』とか驚愕しそうな所、この感想はやはり平安時代出身の人間たる所以である。

 尚、一般公開されている技術では、剣に意識を宿す事は出来ない。出来て人工知能だ。


「ふん、何を驚いたふりを。剣が喋るなんて、君の陰陽道程に世界を逸脱している訳ではないでしょう」

「いやぁ。この時代で13年間生きてるが、風景が変わる板スマートフォンとか、毎日が驚天動地のからくりとの出逢いなもんだからな。いい加減何が出てきても驚けねえんだ。で、それはどんなからくりを使ってるんだ?」

「世界を終わらせる陰陽道を持つ君が、何をしらばっくれているんですか。聖剣の聖域たる奥深さにだって、そう言いながら勘付いているんじゃないんですか?」

『やはり様子が変だ。警戒していけ、メア』


 黄金一色だが、しかし通常の黄金ではない。そんな不可思議さを思わせる金の長剣――曰く聖剣“レーヴァテイン”を振りかざす。


「少しは構えたらどうですか? 一応は私とて剣士の端くれ、ましてや“聖剣使い”。正々堂々と威風堂々が信条です」

「いや、構えって言われても……何? 君と喧嘩しろって事? というか聖剣使いって……この時代、そういうのは法律で縛られてるはずなんだけどな」

「陰陽道には構えが無いんですか? それとも、私如きに構えなど必要無いと?」

「え、いやだから別に喧嘩は出来ないって……話まったく聞いてくれんな」


 何故か殺す気満々で、“レーヴァテイン”を振るうには持って来いな正眼の構えのメア。

 一体あんな矮小な体のどこに、見た目十キロ単位の長剣を振るう筋力があるというのか。

 だが、刃の切れ味自体は本物の様だ。童子の心臓を貫く事だって可能だろう。

 困り果てた童子は思わず尋ねる。



「……?」

「……」

……」

「……」



 メアは。

 その姿勢を変えないまま、目の前の童子が言った事に。

 

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」


 と、呆れた声を出してしまった。

 

 

「俺は安倍童子。だから平安時代からタイムスリップっていうのに巻き込まれただけの、単なる一介の学生だって」

 

 

 

 

 自分が安倍晴明とも知らない。

 陰陽道という単語さえ満足に知らない。

 この物語は何も知らず平安から令和に移った、安倍童子の物語である。

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