第1話 初見騙し
〈アポカリプス・オンライン〉。
フルダイブゲーム隆盛の時代において、操作性の良さとイカレたゲーム内容で話題に上ることが多いゲームメーカー、ナイトメア社がこの春一番の自信を持って業界に放り投げた爆弾の名前である。
ナイトメア社のゲーム製作における基本コンセプトは、「誰もが一度は考えたことがある、現実ではできないを実現する」だ。
それだけ聞けばそれほどおかしいことではないはずだが、そういうのは普通魔法だとか自由に空を飛ぶだとか巨大な怪物と戦うだとかのファンタジーな現象に適用されるべきであって、暗殺だのスカート捲りだの超能力を使って通勤時間を極力カットするだのに適用されるもんじゃないと思う。しかしクオリティが高いので始末に負えない、そんな印象だ。
そして〈アポカリプス・オンライン〉のメインテーマは、「世界を滅ぼす」だ。
何のためにもクソもない、しいて言うなら「滅ぼすために世界を滅ぼす」ゲーム。ついでに言えば何がきっかけで世界が滅び始めるか分かったもんじゃないので、滅ぼすつもりがなかろうとも一挙手一投足が滅びに繋がる可能性もある――その最たる例が世界を吸い込んだあのトイレである。
なるほど確かに? 中二病を患った人間なら一回ぐらいは己が手で世界をぶっ壊してやりたいと思ったことがあるだろう。だがトイレで世界を滅ぼしたいと思った奴は流石にいねぇよ。考えた奴便所飯でも食ってたのか?
そんな不条理・理不尽が蔓延しているこのゲームだが、ハマる人間には絶妙にハマるタイプのゲームであると言えなくもない。
かくいう俺――PN:ランダムも、その一人である。
◆◆◆
リアルでは何かとストレスがかかることが多いが、〈アポカリプス・オンライン〉の中では剥き出しの自分でいられる。俺がこのゲームをプレイしている理由は大体そんなところだ。
今日こそは世界を滅ぼしてスカッとしてやろうと考えながら、俺はてくてく森の中を歩く。とてもそんな物騒なことを考えているようには見えないかもしれないが、このゲームではバタフライエフェクトが割と馬鹿にならない。南で蝶が羽ばたけば北で竜巻が起こるってアレだ。
つまるところ何がきっかけで世界が滅び始めるか分からんから、滅びを探す手段として散歩は意外と悪くないのだ。
酷いところではプレイヤーが木の実を木からもいだ結果として世界が滅亡を迎えたこともある――具体的には、木の実を得られなかったことでモンスターの幼体が餓死、怒り狂った災厄級の親モンスターが「我が子のいない世界など滅んでしまえ」と言わんばかりにドッカンバッコンの大立回り。世界が滅んだ。アレは酷い事件だったね……。
一人のプレイヤーとすれ違う。胸にモンスターを抱えていた。…………!?
「ちょっ……と待てそこの女子!」
「うぇ!? は、はい?」
俺に呼び止められた、赤色ポニーテールの女子が振り向く。表示されるプレイヤーネームはアルコ。驚きの中に交じる訝し気な表情はナンパを警戒するもの、つまり中身はリアル女子か。いやそれはどうでもいい。そんなことは問題にもならないんだ。
「その……そいつは、一体どこで……?」
「? この子ですか? さっきそこを歩いてたら、足にすり寄ってきたので……可愛いんですよ、この子」
はにかむ少女の腕の中に抱きかかえられているのは、しいて言うならポメラニアンに近い。ふわふわもこもこした白い毛玉につぶらな瞳。なるほど、子犬にも似たその姿は一見アニマルセラピーにも使えそうでもあるが、俺は知っている。ソレはヤバい。
「一応訊くが……そいつが何か分かっているのか?」
「? モンスター……ですよね?」
ダメだ、何も分かってねぇ。こいつ初心者だな!
「悪いことは言わない……そいつを今すぐ手放すんだ」
「え? なんでですか? こんなに可愛いのに」
そうか、そいつが可愛く見えるのか。そうかそうか、ハハハ。
「単刀直入に言おう、そいつは世界に滅びをもたらす。だがそれ以上に――あっこら!」
滅びをもたらすと言った瞬間に、アルコは踵を返して走り出した。
ちっ、しくじった――話す順番を間違えたか! 親愛度はどうだ? すでに溜まっているか? 今ならまだ彼女を助けられるかもしれない……!
あの毛玉を始末する。たとえアルコに恨まれることになろうとも、初心者を救うのは先駆者の役目だ!
「おいっ、ちょっと待て! いいから俺の話を聞け!」
「聞くまでもありませんよ! 私に世界を滅ぼされないようにこの子を殺す気でしょう!? この人でなし!」
「違う! それは理由の半分に過ぎないんだよ!」
「半分違わないじゃないですかぁ!」
間に合うか? もう少しで追いつく――俺は地面を蹴って跳び上がり、木を蹴る。三角跳びの要領で回り込み、アルコの腕の中の毛玉を狙う。しかし彼女は毛玉を抱きしめ、きっとこちらを睨んで叫んだ。
「たとえ世界が滅ぶとしても! 私はこの子を守ると決めたんです!」
あっ馬鹿、それはまずい。
アルコの腕の中でポメラニアンのつぶらな瞳が光を放ち――急速に伸びた白い毛が鞭のようにしなり、俺の体を打ち据えた。空中で急激に方向転換させられ、木に叩きつけられてようやく停止。天地がひっくり返った視界の中、目を丸くするアルコの腕の中で毛玉の毛が爆速的に伸びていく。
そして伸びた毛の一本一本が太さを増し、しなやかかつ強靭な鞭と化す――否、より正確にそれを表現するならば、一本一本が自在に動く、触手。
あの毛玉は当然ながらポメラニアンではない。世界に滅びをもたらすモンスターが一体、〈テンタクルラヴァー〉。
非活性状態では白ポメラニアンにしか見えず、比較的人懐っこいモンスターなので足にすり寄られて騙されるプレイヤーの多いこと。否、別に連中に騙しているつもりはないのだろう。単に普通に人懐っこいだけだ。
しかしひとたび活性状態に覚醒すれば、無数の触手を用いて世界を滅ぼす存在になり果てる。
そしてその覚醒条件とは、一定以上の親愛度であるとされている。今回のはアルコの「守ってみせる」発言が起爆剤になったわけだな。
人に求愛し、また人からの愛情を受け取った毛玉畜生は、愛する者を守るために世界の全てを薙ぎ払うのだ。愛の仕方が重すぎる。そんなだからプレイヤーから「ヤンデレ毛玉」なんて呼ばれるんだよ。
だが、こいつの場合問題なのは世界を滅ぼすことじゃない。どうせ放っといても滅ぶ世界だ、今さらそこに危機感を見出したりしない。あの毛玉は――
「ひゃああ!? えっ、なになになに!?」
しゅるしゅると、毛玉を起点として触手がアルコの体にまとわりつく。感覚再現をどこまでしているのかは知らないが、足から腕から触手まみれというのは中々に気色悪いだろう。……粘液がないのが不幸中の幸いと言うべきか、流石に運営側もマズいと思ったのかは知らないが、ともあれ俺の眼の前で今、アルコの触手プレイショーが開演している。
おなか周りをきゅっと絞ればボディラインも浮き彫りだぜ。ひゅー。
――あの毛玉、自身が暴れまわる間はああして、守るべきプレイヤーを触手の内側で守る習性があるのだ。まぁ傍から見ればどうあがいても触手プレイなのだが。あいつを覚醒させてトラウマにならなかったプレイヤーはいないと言われるほどの地獄が始まる。馬鹿め、だから手放せと言ったんだ。先駆者の忠告は最後まで聞くべきだぜ。
アルコを中心として、触手が楕円状に空間を閉じていく。触手の隙間からアルコが助けを求める目を向けてきたが、活性状態に入った以上俺に出来ることは何もない。これに懲りたら、次から白ポメラニアンを見かけた時には心を鬼にして蹴り飛ばすんだな。せめて世界が早く滅亡することを祈っていてくれ――アルコが完全に隔離され、触手で形成された楕円の表面にぎょろりと眼が現れた。何回見てもキモいな……。
そしてその眼が俺を捉える。まあ、己が主に害を為そうとした敵を真っ先に殺すのは当然ともいえる。槍のように放たれた何本もの触手に体を貫かれ、俺はデスペナルティを被った。
◆◆◆
始まりの街へ死に戻りしようとも世界の危機は滅亡するまで終わらない。
ぼーっとしていた俺の様子から何かを悟ったプレイヤーが顔を引き攣らせる。程なくして地面から生えた触手がプレイヤーを串刺しにし、街を破壊し、やがて空から雨のように触手が降り注ぐ。上からも下からも触手、触手、触手。世界が触手に侵食されていく。最終的に、全ての触手が寄り集まった一本のごんぶと触手が地面に突き出された。過去の数パターンから察するに、奴はこの世界の核へ向かって攻撃しているらしい。ちなみにこの時点でアルコは触手から解放され、今は元毛玉の真上で十字の体勢となっている。
終わりを告げるラッパの音。世界の核が触手に砕かれ、大地の亀裂から光が満ちる。
主を愛した化物は、世界を滅ぼすことで主を守ったのである。傍迷惑な愛だよ、まったく。
◆◆◆
【その愛ゆえに、主は一人残された】
【世界が滅亡しました】
【アルコさんのレベルが1上がりました】
【アルコさんに滅亡特典を贈与します】
【世界を再構築します】
◆◆◆
「あっ」
「あ」
世界が再構成された後、俺とアルコは偶然再会した。
「……酷い目に遭いました」
「だろうな、だから手放せって言ったのに」
「……あの時、私を助けようとしてくれてたんですか?」
「ああ……まぁ、そうとも言えるかな?」
あの毛玉が何をもたらすのか分かっていて親愛度を深めていたというなら、俺は黙って毛玉を殺しにかかっていただろう。しかし何も知らない初心者が騙されているというなら黙っているわけにもいかない。
初見殺し……あるいは初見騙しとでもいうべきあれやこれやがゴロゴロしてるこのゲームではあるが、特にあの毛玉は引き起こしたプレイヤーが去ってしまう確率が高い。この混沌の世界に惹かれた同士ともいえるプレイヤーが、トラウマ一発でいなくなるのは勿体ない。なればこそ、先駆者として彼女を救うつもりだった――まあ失敗したけど。
「そうだったんですね……あの時は色々言っちゃってごめんなさい」
「まぁ、いいよ。ああいうのは割と慣れてるし」
戻ってきたなら万々歳だ。
「あのっ、ランダムさん。何かの縁ですし、良かったらフレンド登録してもらえませんか?」
「別にいいけど」
「ありがとうございますっ」
アルコからの申請を許可、俺のフレンド欄にアルコの名前が加わった。
「……それにしても」
「ん?」
「解放されるまでずっと頭とか撫でられてたんですけど、体がなんだかぞわぞわしちゃって…でもあんまり嫌な感じじゃなかったんですけど、あれなんだったんでしょうね?」
「…………」
後日、俺は運営にメールを送った。
『触手プレイはやめろ、せめて職種の本数を減らしたほうがいい。今にヤバい癖に目覚めるやつが出てくるぞ(意訳)』
ゲームの未来を慮った俺の提言は運営に黙殺された。
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