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 髪の毛先が、ブラウスの襟に触れている。外耳に髪がかかるようになったのが、昨日のようにも思えた。半年以上、髪は切っていなかった。前髪以外のケアは毛先を整える程度で、以前のような杜撰なベリーショートではない。


 部活の引退を表明したのは、今年の四月ごろだった。それからもズルズルと受験勉強から逃げ続けるうちに、体育館で乱取りに参加したりもしていたが、入試の小論文対策に熱が入るにつれて、自然と部活から足が遠のいていくようになった。


 お世辞にも優秀な生徒とは言えなかったが、自分なりの真摯さ真面目さで講座には取り組んだつもりであった。ただでさえ胸を張って得意だといえる勉学の科目がない以上、勤勉さで自己アピールをするほか道はないのである。現代文や外国語、歴史分野は人並みか、もしくはそれ以下。理数系は壊滅的だ。数学などできようはずもない。中学時代に一桁台の点数を叩き出し、一般生徒にとって未開の地にも等しい生徒指導室とやらに誘われたのも、今となっては懐かしい。


 学年担当のふくよかな女性教諭による「真面目にやってるのにどうしてできないのかしらねえこの子は」といった要旨の指導に、ただただ半笑いで頷くことしかできなかった。少なくとも、あの下腹に嫌な圧がこみ上げる感覚は、二度と御免被りたかった。


 雅代には二人の弟がいる。両親はともに大卒である。進学に基づいた金銭面の話題に関して、両親は口が裂けても雅代には応えなかった。小中学校時代を共学校で過ごした外部生とはいえ、自分の家庭が一般的な中流に位置しているかどうか判別できるほど雅代には知識がなかったが、少なくとも家計に負担をかけたくないというのは事実であった。私立校は金がかかる、公立校はそうでもない。たったそれだけの曖昧で稚拙な知識だけをもって、そんな漠然とした不安を抱いていた。


 だから、というわけでもないが、雅代の第一志望校は、東京都内の国立大であった。



 推薦入試の当日は、鼠色の曇天が都内の空を厚ぼったく覆っていた。


 しとしと滴り落ちるような勢いのない雨の中、雅代は昨年のオープンキャンパスで訪れたきりの大学構内に足を踏み入れた。今いる古式ゆかしい木造の女子校とは趣を異とする、試験会場を擁する施設内ビル。コンクリートとガラスで形作られた清潔で未来的な造形美は、ただでさえ緊張で処理の追い付いていない雅代の脳をいたずらに刺激した。外履きのまま絨毯を踏みしめる感覚はあまり馴染みのないものだったし、純白の壁面に講義の開講情報が投影される透過複層ディスプレイの存在にも驚かされた。


 窓のない講堂で、小論文の試験は実施された。


 問題文は、県内の待機児童対策に関する時事ネタだったように思えたが、文字数を稼ぐためのレトリックを少ない語彙の中から捻り出すのに必死だったため、あまり覚えてはいない。父や担当教員からは、口を酸っぱくして「新聞の編集後記を読め」と言われ、図書館で記事をコピーしては目を通していたが、雅代の貧弱な文章力の醸成に寄与したかどうかは疑わしかった。


 続いて行われる面接について言えることは、ほとんどなかった。胸元に液晶を備え付けた純白のパーソナルロボットの方がまだ愛想が良く見えただろう。手応えという観点からいえば、暗澹たる心持にならざるを得なかった。


 ともあれ一日の試験を終えた雅代は、高まり過ぎた緊張を雨天の冷気で癒しつつ、正面入口へと歩を進めていた。


 守衛室を過ぎたところで、不意に声をかけられた。女性の声だった。


「お疲れえ」


 大学施設の目と鼻の先、決して道幅の広くない道路の路肩にムリヤリ停めた真紅のメルセデスの運転席から、彼女はひらひら手を振った。


 一見して、彼女の容姿に見覚えは無かった。サテンのリボンで栗色の頭髪を緩く編んだ、柔和な雰囲気の女性だった。空色のカーディガンにブラウスといった服装は、間延びしたウィスパーボイスの彼女の柔らかな物腰からなる印象を、より一層深めていた。

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