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関東有数の進学校たる御影に籍を置く、才気煥発たる槐琴音。齢十三にして身に着けた処世術とでも言いたげな特有の敬語は、同年代の少女たちの多くには受容されなかった。
妥協という行為に対して、過剰なまでの敵愾心を向けるようになったのも、ちょうどこの頃だっただろうか。
誰に対しても辛辣で、高慢で、自分を取り巻くすべてを蔑んでいるかのような少女。端麗でありながら他者を寄せ付けぬ、研磨された氷柱のような思考と容姿は、彼女の孤立に拍車をかけていた。
だが、校内ではただ忌み嫌われていたわけではない。言うなれば、年齢の隔たりなく畏憚の念を抱かれていたのである。良く言えばご神体、悪しざまに言えば腫物、というわけであった。
小学校を卒業した槐琴音にどういった心境の変化があったのか、一介の凡夫にすぎない雅代にはわかるはずがなかった。元より人一倍我の強い性格をしていて、大人相手にも果敢に不毛な水掛け論と屁理屈で舌戦を挑みかかる狂犬めいたところはあったにせよ、同年代の交友関係を根こそぎかなぐり捨てるほど極端な排外主義者ではなかった。そして、今でも雅代は彼女のことをそのように認識していた。
そうでなければ、自分に彼女がかかずらう理由など、どこにもないと理解していたからだ。
槐琴音の選択は、自分には及ばぬ、繁文縟礼にして理路整然とした幾重にも及ぶ思考の筋道を辿って導き出されたものなのであろう。雅代はそう思っていた。
妥協を嫌い、挑戦と克服を何よりも優先すべき事象として据える。知識と才能によって裏打ちされた槐琴音の有言実行を是とする学校生活は、雅代に自身の凡庸さを強く自覚させるとともに、槐琴音という存在の不可侵性を臓腑に刻み込むに余りあるものだった。
「私、あの賞取りましたよ」
「私、あの人負かしました」
放課後の体育館で、通学路で、琴音は噛み終えたガムか何かと同じようにぽろりと吐き捨てる。
凡夫には手の届きようのない栄光は、槐琴音にとっては取るに足らない路傍の石でしかない。
やれば片手間に何でもできてしまうという人間は、雅代の目の前に往々にして現れるものであった。しかし、槐琴音ほどの万能と、それを疑わぬ自己肯定の念を併せ持った人間など、これまでいなかった。
なぜその境遇を是とするのか?
なぜ自分の限界を否定しないのか?
なぜ自分を戒める常識を訝らないのか?
とびきりの懐疑主義者にして情熱の塊そのものである槐琴音は、ことあるごとに雅代を罵倒し叱咤した。彼女なりの焚きつけなのかどうかは、雅代にはわからなかった。
「私、あの人振りました」
「模試なんてちょろいものですね」
「私は生き急いでいるわけではありません。青春の謳歌と消費にあまりにも熱心なだけです」
いつもと同じような雄弁に対して、雅代はブリックパックを片手に適当な空返事と相槌を打つだけ。ヘラヘラ聞き流している内容のすべてに、雅代の伺い知れぬだけの密度の情報が詰まっているに違いない。想像も及ばぬ技術と創意工夫が凝らされたが故に彼女が手にした、輝かしい結果を。横で語る偏屈な幼馴染は、至極当然のものとして享受してきたのだろう。
重ねてきた年月は違えど、時間の濃度は残酷なほど違う。雅代の生が、笹舟が涼やかに流れてゆく河瀬であるなら、槐琴音のそれは練り飴のような豪胆な粘度をもって横たわっているに違いない。
事実、大人を下から見上げるのに近しかったのだろう。どれだけ競ったとしても結果に大きな溝を開けられてしまう、絶対的な差が介在する、相対にもなりえない関係。もしくは、ドラマやアニメに登場する架空の登場人物。全知全能にして万能なる神の化身。同じ喪服めいた辛気臭い制服に袖を通した、クラスメイトの恰好をしたメアリー・スー。
彼女にとっては彼女こそが己の人生の主人公であり、視界に入るすべてが有象無象のモブキャラクター。その事実に異を唱えるつもりは雅代にはなかったし、またそうであるべきとも思っていた。
彼女は世界に愛されていて、想定される中でもっとも優秀な遺伝子の塩基配列で産まれることができて、失敗や挫折とはまるで無縁の日々を過ごしている。
そんな彼女の選択が正しくないはずがないし、彼女の行為が法に触れるのだとしたら、法の方に重篤な瑕疵があるのだろう。
それに気づいたとき、雅代は実に平坦な気分になったものだった。潤んだ桃色の唇から紡ぎ出されるおよそすべての事後報告が、無味乾燥な日常会話にしか聞こえなくなった。
誰を負かして誰に勝った、なになにの頂点に立った、といった発言の大半は茶飯事であって、槐琴音には些事に過ぎない。にもかかわらず、雅代にこうして聞かせにくるということは、彼女の中での雅代の評価は、その程度のものということらしい。さすがに雅代は、そこまでの蒙昧でもない。自分と琴音との間に存在する距離くらい、こちらで把握できているのだから。
槐琴音が勝つだなんて、そんなの当たり前のことなのに。槐琴音が頂を踏破するだなんて、火を見るよりも明らかなのに。
心で理解できるでしょう、凡庸な中高生が彼女に敵うはずないんだって。培ってきた人生の密度が違うんだから。
水素ガスとブラックホールほどに差がある比較に、一体どれほどの価値と意義があるというのだろう。競うだけ無意味だし、わざわざ厳然たる事実に歯向かうのは、それこそ傲慢であろう。
彼女の不可侵性は失われるべきではない。ましてや、自分からそれを暴きにいくなど論外である。
仮に、彼女から害意らしきものが感じ取れたとしても。それは単なる錯誤であり増長であろう。幼子の些細な粗相に対して、大人が向ける稚気のようなものにすぎないのだ。
そう断じておきながら、雅代はこの結論から逸脱する思考をわずかに抱いたことがあった。
今にして思えば、それがどれだけ浅短で、思い上がった考えであったか。非があるとすれば、それは自分の身の程知らずな驕気に他ならないというのに。
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