第3話 青眼の竜

「な、なんだ!? 竜が竜を殺している!?」


「何だっていい! 今の内に逃げるぞ!!」


 人々が竜のいない通路へ逃げていく。そんな中、琥珀色の弓を背負い、薄いレモン色の髪を後頭部で団子状に纏めた男は事の成り行きを呆然と眺めていた。


 竜が竜を殺戮している。翼のない漆黒の竜が無骨な爪で切り裂き、野太い尻尾でなぎ払い、鋭利な牙で噛み砕いていく。仲間割れや共食いといった事象は稀にあったが、目の前の光景は明らかに異質。


 人を守りながら戦っている。こちらに向かってくる眷属を優先的に殺し、血が飛び散らないよう計算して立ち回っていた。


 男は逃げることも瞬きすることも忘れ、翼のない“劣等竜”の動きを目に焼き付ける。


 劣等竜とは、翼がなかったり、体に異常があったりする竜の総称だ。弱個体が多く、大体が真っ先に食料や肉盾にされてしまい、まず長生きしない。


 だが、目の前の竜は、その常道を覆すように圧倒的力で蹂躙じゅうりんしていく。気が付けば屍山血河しざんけつがが築かれていた。その中心にただ一頭君臨する劣等竜が黄金の瞳で男を見やる。血濡れの竜は彼を値踏みした後、他の竜の叫び声がする方へ去っていった。


 人々を守る翼のない竜。まるでそれは——。


「……リザードマン」


 男は誰に聞かせるでもなくポツリと呟いた。



 リンドウは団子髪でマヌケ面の男を見送り、竜のいるであろう場所へ向かっていた。残って人間を守り続けるより眷属竜を操っている竜を倒すべきと判断したのだ。


 最後に見た団子髪の男は“竜器”で武装していた。竜器とは人類が竜に対抗するため開発した竜の体の部位を使った武装である。それを身に付けていたということは、ある程度戦えるはずだ。弓らしき物も背負っていたので間違いない。放っておいても大丈夫だろう。


 先に進むにつれ眷属の量が増え、体躯の大きな個体が散見される。力が強く動きも機敏になっていると感じたが、リンドウにとっては蟻が白蟻に変わった程度の変化でしかない。断末魔の叫びを上げさせる間もなく、鎧袖一触がいしゅういっしょくに葬っていく。


 そしてついに竜の巣へたどり着いた。そこは半球形の大広間で床は真ん中を除くと腰丈ほどの高さの水が張られていた。中心には生物の骨でできた巣があった。やはりというべきか人間の頭骨も散見された。


 巣の上には数体の眷属を従えた青眼の竜が鎮座している。


(ついてるな。早くも再戦できるとは)


 そいつはリンドウが竜化前に戦った赤眼竜の肩裏から突如現れた青眼の竜だった。


 ——暴水凶竜スピノ。背中に翼と、背骨に沿うように帆を持つ二足歩行の竜——


(この図体の大きさからして体質変化の魔法を使えるとみていいだろう)


 竜は魔法を使う。竜にのみ存在する臓器“魔臓”を使い、そこから放出される魔素を変換して火や氷のブレスを吐いたり、体を変化させたりできる。


 前回、青眼の気配を察知できなかったのは魔法で体を変化させ隠れていたためとリンドウは予想した。さらに迷宮は隘路あいろが多く、巨躯の竜は変形しないと入れないことも多いため推測を後押しした。


(とりあえず牽制してみるか)


 リンドウは鱗を数枚剥がし、横投げで投擲とうてきした。それを魚とワニを足して二足歩行にした姿の眷属竜が叩き落とす。


 ——凶型魚眷属竜ダイナサハギン。大型の魚が竜の血により変化したもの。泳ぎが得意——


 鱗を叩き落とされたが、いくつかの鱗を水上を水切りするように投げていたため、時間差で青眼の脚に直撃する。すると青眼の竜スピノの体が水に投げ入れた石の波紋のようにたわむ。


(液状化する能力か)


 リンドウの読みを裏付けるように青眼は足元から水と同化するように溶けていく。水場で液状化する能力。敵にとって最適な場所での戦闘だ。


 この場合リンドウは水から上がって戦うべきと思う者もいるだろう。しかし、それは間違っている。竜との戦いにおいて危惧すべき一つが消極的戦法によるジリ貧な展開だ。


 水から上がっても相手が追いかけてくるとは限らない。それより巣の防備を固める可能性が高い。つまり、ここで重要なのはあえて敵の有利な水場で戦闘し、相手に勝てそうだと思わせることだ。


(この先、相手の有利な地形で戦う場面は増えるだろう。この程度で逃げるわけにはいかない)


 翼のないリザードマンが現在、竜と対等以上に渡り合えているのは迷宮という閉鎖空間にいるからというのが大きい。外に出れば自由に飛べる敵が絶対的有利なのは言わずもがなだ。だからこそ、こんな小石程度の些事に躓くわけにはいかない。


 リンドウが覚悟を決めたと同時、眷属サハギンが水の中を潜行してくる。人間のような体に魚とワニを足した顔のそいつらは鮫のように速く泳ぎ、攻撃を仕掛けてくる。リンドウは焦ることなくかわしていく。


(こいつらは撒き餌。狙いは——)


 左後ろの水中から実体化したスピノの爪がリンドウの腹部目掛け突出してくる。


 ——ホライモリは側線を持ち、水の流れが手に取るように分かる——


 リンドウは、その【水流感知】能力により水の動きが分かり、スピノの一撃も感知していた。爪撃を余裕で回避し、それを叩き折るべく蹴り上げる。が、液体化されてしまい、水を蹴る感覚だけが残った。


 続いてサハギンが水中から足を掴もうと接近してくる。水中での戦いも面白そうだが、そこまで付き合う義理はない。


 リンドウは水に頭を突っ込み、サハギンの首根っこを噛む。そのまま引き揚げ、獲物を喰うワニのごとく噛み砕いた。


 別のサハギンが遠くで頬を膨らませた。怒っているわけでも、かわい子ぶっているわけでもない。頬をすぼめると同時、口から水の砲弾が高速で飛来してくる。


 眷属竜にも魔法を使う個体は稀にいるが、これはまた違う。テッポウウオの水鉄砲の強化版みたいなものだ。とは言っても、人間なら当たれば骨折、最悪死ぬだろう。


 リンドウは特に焦ることもなく、風に舞う木の葉のごとくヒラリとかわしていく。肝心の青眼スピノは水に紛れて攻撃を続けていた。だが、あまり急所を狙ってこない。


(これも陽動か)


 リンドウの上の空中が少しゆがむ。


 スピノの能力の本質は水にまぎれ戦うことではない。透明度を極限まで上げて背景に溶け込むことだ。足元の水に気を取られているところを空中から不可視の一撃を放つ。


 これが青眼の必勝法。


(いい戦い方だ。だが相手が悪かったな)


 リンドウには全て見えていた。


 ——ホライモリには側線の他にも生体の発する微弱な電気を感知する電気受容器がある——


 リザードマンはそれの上位互換的な【電気感知】能力により水中に限らず広範囲感知できる。


 青眼の動きが手に取るように分かり、迫る不可視の噛みつきを寸前でかわした。反撃を試みるが、リンドウの爪は空を切った。スピノは逃げるようにリンドウの死角である巣の裏側に移動。


(なるほどな。それが弱点か)


 飛びかかってくるサハギン二頭を尻尾の横なぎ一閃。首の骨を砕いた。リンドウはスピノの魔法の隙を見つけた。


 それは“呼吸”。


 液状化している間は呼吸できない。故に数分に一度実体化しなければならないのだ。巣の裏側で隠れるように実体化していることから間違いない。


 リンドウは【水流感知】でその奇妙な行動に気付いたのだ。狙うは次の呼吸の瞬間。スピノとサハギンの攻撃をかわしながらそのタイミングを待つ。


 そして、スピノの攻撃が止んだ瞬間、残りのサハギンを瞬殺。巣の裏側に動くのを感知し、水を思い切り蹴り跳躍。逆さまになり三角飛びのように天井を蹴ると、巣の裏側へ突撃する。


 ——血はいざとなった時に使う。


 それは、あと一撃で殺せる場面だ。目から出した血液を爪に塗布し呼吸のために実体化し始めた竜目掛けて振りかぶる。


 一撃確殺の竜殺しの爪撃。敵の青眼に光が宿った刹那、バターの塊を切るがごとく容易に上顎から上を斬り飛ばした。


 スピノの体全体が実体化していく。水に浮かぶ巨躯、血に染まる水面。青眼は走馬灯を見る間もなく絶命した。


 静寂を取り戻した空間に、水面が波打つ音だけが響く。


 最後の一撃で分かったことが一つ。


 “リザードマンの血は魔法も消せる”ことだ。顔を斬った時、まだ実体化していない液状化の部分も削いでおり、そこもえぐれた状態であることから間違いない。


(ますます使い所が難しくなったな)


 切り札は切り時が難しい。温存しすぎて使う前に死んだら元も子もない。


 ふぅ、と息を吐くリンドウ。一旦、考えるのをやめ青眼の死体を眺める。


(とりあえず一頭か)


 敗北の借りは返した。自分を死に追い込んだ残り二頭も必ず仕留めてやる、と眼光を鋭くして気を引き締めた。


 それから休憩がてら血を洗い流していると、一瞬、目の端に影が映る。直後、先の通路から足音が聞こえた。


(感知を逃れた……?)


 リンドウは一切油断をしていない。戦闘が終わっても常に周りに気を張っていた。その状態をかわす何か。音のした方に行くと人間の子供の足跡だけが残っていた。

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