1月23日 白井 冬至朗
白井冬至朗はスマホをカメラモードに切り替えた。
自動販売機の陰に隠れて、スマホを持った手だけを出す。小さな画面に苦労しながら、位置を調整する。ズームアップしたいが、片手では無理だった。
「なにしてるんですか」
白井は天を仰いだ。
不思議そうな顔で、桃野が立っていた。
「お前こそなんで」
「偶然、白井さんを見つけたんで、ここまで尾行してきました」
「ほめられたことじゃないな」
「そういう先輩こそ、誰を尾行しているんですか」
尾行とくり返しているから、ある程度、見られていたに違いないと白井は覚悟した。言葉を探していると、桃野がにやっとした。
「あそこにいるの、緑川さんですよね。マスクと帽子とメガネで印象違いますけど。先輩があの人のこと好きらしいのは、なんとなく気づいていましたけど、いつからストーカーになったんですか?」
「頼む、見なかったことにしてくれ」
「犯罪者を見逃せと?」
白井は桃野の顔をうかがった。本気で警察に突き出すつもりはないらしい。
弱みを握ってから、なにかのチャンスにからかってやろうぐらいの気持ちのようだ。
「ちょっとわけありなんだ」
「いくら好きでも、もう少し警戒したらどうですか。うち、すぐそこなんですよ」
だから問題なのだ、とは白井は言えなかった。
なぜ緑川がわざわざ変装してまで桃野のアパートに向かっているのかが問題なのだ、とは言えなかった。
「後で話す。二月には話せると思う」
「そうやって、その場しのぎで逃げるのってらしくないですね」
桃野で頭がいっぱいだったから、白井は緑川の接近に気づけなかった。
「なにしてるんですか」
緑川の声に白井の心臓は止まりそうになった。
「あれ、すごい偶然、緑川さんまで」
わざとらしい桃野の言いかたに緑川が顔をしかめる。
待てよ、と白井は内心で首をひねった。
変装した緑川の行き先が桃野のアパートらしいとわかってすぐに、白井は先日の猫の死体事件と緑川を結びつけた。
精神的にもろく、思いこみの激しいところもある緑川ならば、なにかの誤解で桃野を敵視して思い切った行動に出ることもあり得る。そう白井は思った。
だが、今、緑川は自分から白井たちのほうにやってきた。
もしも、緑川に後ろ暗いところがあれば、そうしないのではないか。
仮に騒いでいる白井たちを見つけても、一目散に逃げ出すのではないか。
緑川の性格を考えると、逃げずに大胆にも自ら近づいてくるとは思えない。
ゆえに緑川は本当に偶然、桃野のアパートの近くにいるのではないだろうか。
「うち、この近くなんだ。せっかくだから、寄ってく?」
無邪気に桃野が緑川に話しかける。こちらの気持ちも知らないで、と白井は少し腹を立てた。
「そういや、そうだね。でも、行くとこあるんだ。市立図書館に本返しにいかないと」
緑川の口調に、精神の乱れのようなものはなかった。
「なんで、緑川が桃野のうちを知ってるんだ?」
「前に撮影の控え室に使わせてもらうんでお邪魔したことあるんで」
淡々と緑川は答える。
見つかった場合を想定して、あらかじめ用意した台詞を言っているのかもしれないと白井は訊ねた。
「へぇ、どんな本、借りたんだ?」
緑川はトートバッグから、一冊の本を取りだした。分厚い映画評論だった。
あらかじめ本まで準備していたとも考えられるが、それならば、こんなに重い本である必要はない。
「お前のうちから結構、距離あるのに自転車じゃないんだな」
「へぇ、先輩、緑川さんのうち知っているんですね」
桃野の茶々を白井は無視することにした。
「散歩がてら。正月太り解消です。それに風を切ると寒いんで」
すらすらと緑川は答える。
信じよう、と白井は思った。
「あ、ちょっとごめん」
断りを入れて、緑川はスマホを取り出した。
「恋人?」
桃野が白井のほうを向いて訊ねた。頬が緩んでいる。
「いや、学部の友だち。ちょっと今すぐ返事しちゃっていいですか?」
「どうぞどうぞ、よかったですね、先輩」
桃野が白井のわき腹を肘でつく。
緑川になにか言われると厄介だと、白井は桃野の腕を払った。
「やめろ、ったく」
緑川はメールを打つのに夢中で、桃野のふざける姿に気づいていないようだ。
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