1月10日 白井 冬至朗
白井冬至朗は勇気を振り絞って、夏八木蒼に電話することにした。
数回の呼び出し音の後で、繋がった電話はすぐに切れてしまった。電車にいるかなにかで出ることができず、かけ直してくるのだろうかと白井は三十秒ほど待った。
反応はないので、もう一度、こちらからかけた。
今度は出た。
「あ、久しぶりです。どうしました」
やけに眠そうな声だった。さきほどは枕元で鳴る電話を手探りしているうちに、指が触れて通話を切ってしまったのではないかと白井は思った。
「もしかして寝てたか」
「もしかしなくても寝てました」
白井は壁の時計を見た。
「もう昼だぞ」
「みたいですね」
夏八木はテレビをつけたらしい。急ににぎやかな笑い声が聞こえてきた。
「息が酒臭いな」
「え、まじですか」
冗談が通じないほど寝ぼけているか、アルコールがまわっているらしい。
「やっぱり深酒か」
そこで夏八木はひっかけられたことに気づいたようだ。
「やられましたね。電話で匂いが伝わるわけがないのに」
「オレのは最新機種なんだ」
「で、なんです。こんな時間まで布団かぶっていてなんですけど、こっちも暇じゃないんですよ。やらなきゃなんないことあるんで」
不機嫌そうな声だった。
「バイト探しか」
「違いますよ」
「嘘つけ。クビになったんだろ。それでやけ酒なんかしてたんだろ」
あくびのようなものが聞こえた後で、困ったような声で「違いますって」と夏八木は告げた。
「じゃあなんだよ、レポートか」
「違いますよ。白井先輩には関係ないことです」
留年と浪人をしている白井は、夏八木よりも二つ年齢が上だった。夏八木が白井のことを「先輩」と呼ぶのは、よほど機嫌がいいか、反対にへそを曲げているときだ。
「都合のいいときだけ、年上扱いしやがって。白状しろよ、なんか企んでるんだろ。ちょっと聞いてるぜ」
白井は鎌をかけた。
「またまた、騙されませんよ」
夏八木は引っかからなかった。
「妙なことに首突っ込んで、恨まれるようなことしてんじゃないだろうな」
ははは、と乾いた笑い声が返ってきた。
「先輩こそなんかあったんじゃないですか。誰かになにか吹き込まれたんじゃないですか」
「わかるか」
白井は作戦を変更することにした。
「軽口のつもりだったんですけど、ホントになにか吹き込まれたんですか」
「暮れに帰省したときにさ、同級生と飲んだんだよ。一人が副業を始めてさ。なんだと思う、当ててみろ」
「別れさせ屋ですか」
愉快そうに夏八木は言った。
「なんだよ、それ」
「知らないんですか。なら知らないほうがいいですよ」
いつもの調子に戻ったので、また不機嫌にならないうちにと白井は仕掛けた。
「なんと占い師なんだな、これが」
「へぇ、なんか意外ですね」
意外という言葉の真意をはかりかねて、白井は少し黙ってしまった。できてしまった妙な間を埋めるように、早口で白井は告げた。
「案外、信心深いんだよ。こう見えて」
「ですよねぇ。絶対、占いとか運命とか信じないタイプだと思ってました」
「それ、ほめてんのか」
数秒、テレビの音だけが薄く聞こえる時間があった。
「いや、ほめてないですね。ほめてのびるタイプでもないでしょ。逆に叩かれてすくすくいくタイプでしょう、先輩は」
すくすくいくってなんだよ、という疑問を白井は飲み下した。
「ちょっと違うか。でも、先輩はあれですよ」
「あれってなんだよ、はっきり言えって、気持ち悪い」
咳払いのようなものが聞こえた。
「じゃあ、言わせてもらいますけどね。先輩って、ほめられたり認められたりすると警戒する人ですよね。こいつなんか裏があるんじゃないか、騙そうとしてるんじゃないかって思う。違いますか」
よく観察しているな、と白井は少し嬉しくなった。
言わせてもらえれば、お前だってオレと同類なんじゃないのか。
その言葉を白井は心でささやいた。
「図星だからって、だんまりは感じ悪いですよ」
「すまん、すまん。ま、そいつが言うには、オレの近くにいる人間が一月に危険な目に遭うらしいんだな、これが」
一月三十一日に死ぬ、とまではさすがに口にできなかった。
「へぇ、それで心配してくれているんですか。お人好しがすぎますよ。先輩、友だち多いんですから、いちいち全員にそんな警告していたら電話代がもちませんよ」
「だから、オレは最新機種なんだって」
「電話代、関係ないじゃないですか」
ちょっと怒ったような口調に、白井は慌てた。お義理でも笑ってくれるだろうという見通しが甘かったことを痛感した。そのせいで仕掛けるタイミングを誤った。
「まじな話、妙なやつがうろついてたり、別れ話がこじれたり、怪しげな儲け話に手を出したりしてないだろうな」
「大丈夫ですよ。こっちも最新機種にするんで」
これ以上、この話題を続けては警戒されると、白井は話題を変えた。
「まぁ、なんかやばいと思ったら連絡してくれ。それはそうと、やんなきゃいけないことってなんだよ」
しばらく、考え込むような間があった。
「内緒です」
やけに真剣な口調だった。思い詰めているといってもよいくらいだ。
よく似た響きの言葉をどこかで聞いたことがある、と白井は記憶をたどった。
数秒後、思い出した。
負けたら引退する、と決めて、妻子と別居してまで勝負に挑む三十歳のボクサーがテレビのドキュメンタリー番組で口にした「賭けてみたいんです、自分自身に」という言葉だ。
なぁお前、なにもなしていないくせに、いったいなににお前自身を賭けようっていうんだ?
白井は訊くことができなかった。
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