1月4日 夏八木 蒼

 夏八木蒼は買い物に出かけた。つまみとお酒は大量にあるが、部屋にはろくな食べ物が残っていなかった。つまみとカップラーメンで三日くらいならばやり過ごすことはできた。だが、それではきちんと栄養が摂取できない。

 執筆中の新人賞の応募原稿を満足のいくものにするためにも、身体には頑張ってもらわなければならない。特に脳味噌には過酷な労働をしいることになる。

 書いているときの感覚としては「もう一カ月しかない」のだが、実際は「まだ一カ月もある」のだ。余裕だとのんきに構えている暇はないが、先は長い。

 財布には珍しくお札が十枚以上も入っていた。銀行のATMが正月休みになることを見越して、年末に多めにおろしておいたのだ。ほとんどがピン札なのは、甥っ子へのお年玉のために、暮れに銀行で両替をしていたせいだ。

 スーパーまでは歩いて十分もかからない。思ったよりも人が少ないどころか、まだ誰ともすれ違わない。思い立って夏八木は少し遠回りをしてみることにした。神社の前を通って、人が少なければ初詣をするためだ。

 いつもならば、わあきゃあと子どもたちが遊びまわっている神社の境内には、誰もいなかった。やったね、と夏八木は口笛を吹いた。

 手を清める水もない小さな神社だ。社も古いというよりもボロいと表現したほうがふさわしい。踏み石を無視して社の前まで進む。ポンポンと二度、手を打って、そのまま手をあわせて目をつむった。

 どうかいい作品ができますように。

 くるりと体の向きを変えてから「ん」と思った。いい作品ができるかどうかは自分の努力や心がけ次第ではないか。神様に願うのならば、自分の能力だけではできないことにしたほうがよかったのではないのか。

 しばらく、神様にお尻を向けたまま、夏八木は考えた。結局、もう一度、くるりと体を回転させた。

「大切な人たちが幸せで、世界が平和で、できればいいアイデアが思い浮かびますように」

 周りに人がいないことをいいことに、夏八木は小さく口に出して願った。

「贅沢かな」

 口にしてから、首を傾げた。もっと無茶なことを願う身勝手な人間もいるだろう、自分などまだかわいいほうだと半ば自分を納得させた。

 桃野千秋のことを願わなかったのは、意地みたいなものだった。

「さぁ、初詣も済んだし、とっとと買い物済ませて、また原稿に向き合いますかね」

 賽銭をあげていないことに夏八木が思い至ったのは、セルフレジで財布から五円玉を探しているときだった。

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