第13話 破壊-(13)

「ユキムラ! どこに行ってたの! んもぉ!」

 

 帰宅すると同時に、ユキムラは母に抱きつかれた。

 淡い色の小袖、こんがりと日に焼けた肌、滑らかな黒い長髪。そのくっきりとした二重の瞳からは涙が滲んでおり、相当心配していたと見えた。おそらく、禍神の一件がどこからか耳に入ったのだろう。


「気持ち悪いな! 離れろ!」


 ユキムラが拒絶すると、母はぐずった。


「心配したんだからね! 禍神と戦ったって聞いたから……。大丈夫? 怪我は無い?」

「大丈夫だから……。離れてくれ……」

 

 ユキムラに怪我が無いことを確かめると、落ち着いたのか、一旦身を引く。

 だが、すぐに心細くなったようで、力一杯ユキムラを抱き寄せた。


「……」

 

 抵抗はしないものの、顔を歪ませるユキムラ。

 どうして母はこう心配症なのだろうと毎度のごとく思う。

 ふと香る母の匂い。柔らかく、安心する匂いだ。ユキムラはこの匂いが嫌いではなかった。犬に噛まれかけた時、道で転んだ時、帰りが遅くなった時。自分が母に心配をかける度に、嫌というほど嗅いできた。最近は他人の目が無くとも恥ずかしいので、やめてもらいたかったが、言って分かるような人ではない。


 再び落ち着いてきたと見えると、ユキムラは僅かに目を細め、そして疑問を呈した。


「母さん、親父ってさ。なんでこの村を離れないのかな」

「? どうしたの? 嫌なことでもあった?」

「あ……いや、まあなんとなく」


 そういう意図の疑問ではなかったが、確証が得られない状態で無暗に御光様のことを話すのも憚られ、適当にはぐらかす。


「んー。まあ色々あると思うけど、ここが母ちゃんやユキムラの故郷ってことが一番なんじゃないかな」


 不思議と腑に落ちた。

 濫觴村は二人の生まれ故郷である。家族の中で余所者は父親のマサユキただ一人。たとえ危険があったとしても、そう簡単に離れるわけにはいかない。故郷というものは何より代えがたいとういうことを、父なりに理解しているのだろう。


「……」

「どうしたの、急に黙って」

「いや……」

「何よまだあるの? 言ってみなさい」

「……親父って、帰天師だったのか?」


 以前、この質問をした時は適当にはぐらかされたのを覚えている。

 まともな答えはあまり期待していなかったものの、確かめずにはいられなかった。

 母は少しだけ迷った素振りを見せると、


「さあね。そうなんじゃない?」


 と言い、微笑した。


「そうなんじゃない、って。随分と適当だな……」

「だってあの人、昔のことは何も話さないもの。私が知るわけないじゃない」


 素性の知れない男と結婚する度胸はどこから来るのだろうか。

 まして、あんな呑んだくれと。

 不満そうなユキムラの顔を見て、母は続ける。


「大事なのはね。結局愛よ、愛」

「愛?」

「そう、愛。地位とか、お金じゃないわ。

 ……とは言ってもあの人、どこかに大金を隠し持ってるみたいだけど」

「へえ」


 最後に、そういう意味では本当に帰天師だったかもしれないわねと付け加えた。

 帰天師が儲かる仕事というのは常識だ。

 なにせ王直属の国家防衛機関であり、目指す人間は多いといえど、実際になれる数は少ないと聞く。


 浴びるように飲む酒の費用がどこから出ているのかと不思議だったが、父がもし本当に帰天師だったならば辻褄が合うだろう。


 にわかに信憑性が増したことで、ユキムラは更なる疑念を抱いたが、ここで思考を中断せざるをえないことが起こった。


「うっ。ひゅー……」


 突然、膝から崩れ落ちる母。ユキムラは慌ててそれを支える。


「だ、大丈夫かよ。腹に赤ちゃんがいるんだろ?」

「ありがとう、ユキムラ。そうね、たぶんいるわ」

 

 それを聞いたユキムラは、思わず口角を上げた。


「名前とか、もう決めたのか?」

「気が早いわよ。まだ男の子か女の子かも分からないのに」

「それもそうか」


 弟妹がじきに生まれる。

 そのことが最近のユキムラにとって一番の喜びだった。何をしていてもずっと頭の片隅にあるような状態だ。他人の赤子なら見たことがあるが、実の弟妹ともなればその可愛さは至上のものだろう。あやすことを想像するだけで、頬が緩んだ。


「赤ちゃんてさ。どんな感じなんだ?」

「うーん。ぷにぷにふわふわ?」

「本当か? それ」


 暫く、他愛のないやり取りが続く。


「さ、とにかく。夕餉ゆうげにしましょう」

「手伝うよ」


 そう言えば白蓮の家の猪汁を食いそびれたと考えながら、ユキムラはあわを椀に注ぐ。お湯を入れ、質素な膳に並べた。

 腹を膨らますには物足りない食事。たまには米を食べたいが、多くは飢饉への備えとなり、残りは租として回収されてしまうため、庶民がありつけるのはごく僅かだった。食べるのは祭事の時くらいか。その代わり、王政は村に様々な恩恵を施してくれているので、仕方がないといえば仕方がない。

 

 用意が終わり、食べ始めると同時に話題を探す。

 

「禍神ってさ、心臓を斬らないと死なないらしいよ」

「そうなの?」

「うん。帰天師の人が……」

 

 そこで、ユキムラはぴたりと箸を止めた。

 わざわざその事実が口を衝いたのか、自分でもよく分からなかった。家族とともに過ごすだけで満足なはずなのに。自分には関係ない話なのに。

 自分で振っておきながら、すぐに話題を替えたくなったユキムラ。何言ってるんだ俺、と我に帰った後に悔やんだ。


(というか、なんか忘れてるような……ダメだ。思い出せない)

 

 一人そんな葛藤をしていると、母は


「聞き忘れてたけど。ユキムラ、どうして禍神と戦ったりしたの?」


 と尋ねてきた。


「……逃げるに逃げられなかったし、俺がやらなきゃ誰かが傷つくと思ったから」

「そう。それは立派なことね。でも、禍神と戦うなんて無茶、お母さんはやめて欲しい。分かった?」

「……ああ。もうやらない」

「あなたが居なくなるって考えると私、私——」


 話しているうちに不安が押し寄せてきたようで、再び抱き寄せてこようとする母。

 ユキムラは反射的に避ける。

 

「どうして逃げるの! もうっ」

「なんか怖いからだ!」


 逃げられて尚、母はどこか嬉しそうだった。

 身重のくせに、動きは軽快で、禍神より回避が難しく感じる。そんなこと、あり得るだろうか。母の底力、恐るべし。


 家中を追い回されているうちにユキムラは捕縛され、ぎゅうっと抱きしめられる。


「は、離せええええええ……!」


 力無い断末魔が、村に響いた。

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