5.調達 集音帽子編
【カラト=フェイケン】
俺とセナは、眼鏡を買った町から離れ、隣の町にたどり着いていた。
『ごしゅじん、聞こえますか?』
尾行しているワウが定時報告をしてくれる。
『今もごしゅじんの後ろに、あやしい人はいません』
『報告ありがとう。疲れてはいないかい?』
『だいじょうぶです!』
ワウの元気な返事が聞こえたが、少し疲れた様子も感じる。
俺はマイクを切って、セナに相談する。
「セナ、ワウを少し休ませたい。どうすればいい?」
セナは少し困り顔になった。
「うーん、仕事を任せている以上、ワウちゃんを甘やかすのはあれだと思うんですが……ワウちゃん、ずっと手を抜かずに警戒してくれているみたいっすね」
セナはため息をついた。
「こんなことはあまりしたくないんっすけど、カラトさんと私が分かれて、私がワウちゃんと休憩をとるという感じでしょうか。ほんとは護衛している身でこんなことしたくないんっすけど」
「構わないさ」
俺が言うと、セナは頷いた。
「では、カラトさん。ちょうどよく、あそこに帽子店とその向かい合わせに喫茶店があるっす。カラトさんは帽子店に行って、変装用に帽子を二つ買ってきてほしいっす。私とワウちゃんは、喫茶店でいい感じで落ち合って、帽子店を監視してますから」
「はいよ。何分くらい滞在すればいい?」
「三十分くらいがいいと思うっす」
「わかった。じゃあ、またな」
「お気をつけてっす」
俺とセナはそこでわかれた。俺はまっすぐに『バケット』という名前の帽子屋さんへと向かって行った。
その店は帽子店というには少しお粗末な印象だった。所狭しと安物の帽子が並べられている。カウンターの奥の方では年配の店主が、酒でも飲んでいるのだろうか、赤い顔でこちらをじっと見てきた。と、急に笑顔になったかと思うと、カウンターから出て、こちらに近づいてきた。
「やあやあイラッシャイ、遠路はるばル。ええ。トリあえず、まぁ、椅子におかけクダサ。あ、今ちょうど酒があるんネンですけど、飲ムカ? なんて、へへ」
主人はたどたどしい言葉でそう言った。外国人のようだ。
俺はあっけにとられつつも、勧められるままに椅子に座ってしまった。変な主人だ。俺は思わずその店主の雰囲気にのまれて、
「あ、じゃあ、いただきます……」
と答えてしまう。
思うに彼は最近この国に移住してきたばかりの外国人で、彼の元居た国ではこういうふうに客をもてなすのだろう。
店主はご機嫌でコップに酒を注ぐと、俺に渡してくれた。軽く乾杯して、二人で飲み干した後、俺は用件を切り出した。
「今日来たのは、その、適当な帽子をだね」
「ハイハイハイ、モチロン、準備してございマスよ」
店主は俺の言葉を遮って、帽子が山積みになった商品棚から、帽子を二つ、取り出した。
「へぇ……」
俺は思わず声を上げてしまった。この店から出てきたとは思えないような、品の良いシルクハットだったからだ。店主に差し出されるままに手に取ってみると、思った以上に重さがあって、重厚なつくりだった。半面、手触りはすべすべしている。
「なかなかいいじゃないか。それで、これいくらなんだ?」
店主はにこりと笑って、そして何かの含みを持たせるようにして言った。
「あんたにお褒めの言葉をいただけたら、それでダイジョブだよ」
「うん? ええっと……」
俺は首をかしげながら言った。
「……こんな素晴らしい帽子を取り扱うなんて、この店はいい店だね……はは」
次の瞬間、店主の顔が曇った。
「ダンナダンナ。アイコトバですヨ、アイコトバ」
「合言葉……?」
俺がそう聞き返した途端、店主の顔が青くなった。
「返せ!」
と言って俺の手からシルクハット二つをひったくってしまった。そして俺を睨みつけながら、ぶっきらぼうに
「帰ってくれ。こいつは売れねぇ」
と、途端に冷たい言葉を投げつけてきた。俺が慌てて、
「おいおい、どうしてだよ? 俺にお勧めな奴を選んでくれたんじゃないのか?」
と言うと、
「こいつは売り物じゃねぇ! いいからとっとと帰れ!」
と、先ほどとは打って変わって、流ちょうな言葉で俺を店から追い出し始めた。
「わかった。わかった。いったん出るから」
俺は慌てて店の外に出る。俺が店の外に出た瞬間、店主はふんと鼻を鳴らすと、店の扉をバタンと閉めてしまった。
店の外に締め出され、俺はただただ路地で立ち尽くす。同時に何だか腹が立ってきた。あの帽子は商品の中に埋もれていたのだ。売り物じゃないわけがない。あれだけ品の良い帽子を粗雑に扱っている、店主の態度にもなんとなくむかっ腹が立ってきた。
「いけないな……」
俺は路地でひとり呟く。
「酒が回ってきてるのか」
どうやら先ほど店の中で飲んだ酒が、思った以上に強かったらしい。気を付けないと、思ってもないことを口走ったり、変な行動を軽々しくやってしまったりするかもしれない……酔っていることをまわりの人も気付くだろうから、まぁ大目に見てもらえるとは思うけど……。
ふと、扉の向こうの店内を見ると、先ほどの店主が、二つのシルクハットを持って、カウンターの奥へ引っ込んでいくところだった。今度は本当にどこかにしまってしまうらしい。いい帽子なのに。俺はため息をついて、店を離れて歩き出した。
その時だった。店の勝手口だろうか、裏路地に面する小さなドアから、ひとりの女性が盥と山積みになった洗濯物をふらふらと持って出てきた。あの店主の奥さんだろうか、お手伝いさんだろうか? 俺は何とはなしに酔ってふわふわする頭を引きずって彼女に声をかけることにした。
「重そうですね、ミス。持ちますよ? どこに持っていくんですか?」
俺がそう声をかけると、ふらふらしていた洗濯物を片手で抑える。
「あ……申し訳ありません、裏庭まで……」
女性がそう言ったので、俺は彼女から洗濯物の半分を抱えて、裏庭まで運んであげた。知り合いの誰かが助けてくれたとでも思ったのだろう、その女性は、洗濯物を裏庭まで運んだ俺を目をぱちくりとさせてまじまじと見ていた。俺は照れくさそうな表情を作って、彼女に弁解をするように言う。
「すみません。つい、お声をおかけしてしまいました……実は、あまり町を歩いたことがなくて、さっきもそこの帽子屋さんに叱られてしまって……もし不快に思われたなら……」
女性はそこでくすりと笑った。
「いいえ、いいえ、助かりました。それに、気を落とさないでください」
女性は俺を励ますようにして言う。
「あの帽子屋さんで私も働いているんですけど、店長さんが外人でしょ? 陽気なところがあるけど、怒りっぽくて、よくトラブルを起こすんですよ」
「ははは、大変ですねぇ。家政婦をなされているんですか?」
「はい。最近は店のお手伝いもしていますが」
「すごい!」
「あはは、大したことないですよぉ」
「いえいえ、あなたが一生懸命だったからですよ。それにお綺麗だ。ご主人も家事だけではもったいないと思うに違いありません」
「えー」
女性は無邪気を装う俺に、気を許したように顔を赤くして謙遜して見せた。女性の警戒が解けたようだ。頃合いと判断した俺は、彼女に相談を始めた。
「すみません。実は、そちらのお店の、シルクハットがどうしても欲しいんです。ちょうど今まで使っていた帽子がダメになってしまって。とっても気に行って、店長さんも初めは売ってくれそうだったんですけど、なにかに気が触ってしまったみたいで、売らないって言うんですよ。おまけに今店の奥に引っ込んじゃって」
「あら、そうなの……」
彼女は少し思案顔になると、俺におずおずと言った。
「もしよろしければ、私がお売りしましょうか?」
「いいんですか!?」
大げさに驚く俺。彼女は、いいんですよ、と言って笑った。
俺はその場で財布を開けると、五百サパを彼女に握らせた。
「多分これで十分だと思います。おつりはそのままお納めください」
「こんなに……? 多すぎますよ」
「いいんです。僕の気持ちです」
何回か押し問答をした後、ようやく彼女は金を受け取ってくれた。
一度洗濯物を盥において、店に行こうとした彼女に、俺は一つ声をかけた。
「すみません。あなたのお名前だけでもお聞きしていいですか?」
「ジュディよ」
振り返って、そうほほ笑んだ彼女に、俺も微笑み返して偽名を名乗る。
「僕は、マークだ。本当にありがとう、ジュディ。これからもよろしくおねがいします」
「ええ。またね、マーク」
ジュディはそう言うと、とっとと店へと向かって行った。
【セナ、ワウ】
「なんなんですか、なんなんですか、なんなんですかあれぇ!」
喫茶店で、セナと一緒に、カラトを見守っていたワウが、あわあわとした様子で、セナに縋りついた。
「ごしゅじんが、知らない女ときゅうになかよくしてます! 知らない女も、ごしゅじんに、にこにこしはじめてます!」
セナも、カラトの様子を見てため息をついた。
「みたいっすねー。カラトさんがナンパまがいに帽子屋のお手伝いさんに声をかけていやがるっすねー」
「え、え、ごしゅじんって、ああいう女の人が好みなんですか!?」
心配そうなワウに、セナは首を振った。
「違うっす。多分あれは酒を飲んだせいっすね。
カラトさん、酒を飲むと妙に気が大きくなって、軽々しく女性に声をかけたり、ギザったらしくなったり、愛嬌を振りまいたり、悪乗りしたりする癖があるんっすよ」
「……ごしゅじんは、お酒に弱いんですか?」
「いや、めっちゃ強いっすよ。全然酔いません。ジュースとアルコールの区別がつかないくらい」
セナはため息をついて説明した。
「ただ、あの男は、酒を飲むと、酔っぱらったような気分になって、なにやっても許されるような気分になるだけなんっすよ。酔ってるわけじゃないっす。
まったく、ふだんからどんなストレス抱えてんだか……」
「はぁ……」
ワウはよくわからないといったような顔になって、こう聞いた。
「どうすれば元に戻りますか?」
「マイク貸してくださいっす」
セナは、ワウから通信機のマイクを受け取ると、カラトに通信を始めた。
「もしもしカラトさん、帽子は買えたっすか?」
『ああ、セナかい? 何とか買えそうだよ』
スピーカーから、カラトの少しギザったらしい口調の声が聞こえた。セナはすっとぼけてカラトにこう聞いた。
「カラトさん? 酔ってます?」
『ああ、そうかもしれない。店主に酒をふるまってもらってね』
「そうですか? あの店の店主さん、多分東の方からの移民の方ですから、アルコールは提供しませんよ。多分酒じゃなくて、ジュースみたいなもんだと思いますよ、それ。酔っぱらうわけありませんよね?」
『……』
「もう一度聞きます。酔ってますか?」
『……酔ってないです』
「よろしい。帽子買ったらとっとと戻ってきてください」
『……はい』
セナはカラトの返事を聞くと、通信を切った。そして、ワウに解説をする。
「はい。このように、カラトさんはジュースとアルコールの区別がつきませんので、嘘でもいいので、お前が飲んだのは酒じゃないと言ってやると、とたんに正気に戻ります」
「はぁ……」
ワウは、そうつぶやくと、ふふ、と笑みを浮かべた。
「ごしゅじんの、ふしぎなところ、はじめて見ちゃいました」
数分後、カラトが帽子屋のお手伝いさんからシルクハットを二つもらって、ワウとセナのいる方に合図を出した。
「どうやら無事に帽子を買えたみたいっすね」
セナがつぶやくと、ワウが椅子から立ち上がった。
「セナさん。じゃあ、わたし、しごとに戻りますね?」
「うん。ありがと」
セナがそう言うと、ワウは勢いよく店から飛び出して、雑踏の中へ溶けていった。セナはワウを見送った後、ゆっくりと喫茶店から出、再びカラトと合流した。
「いい帽子は買えたっすか?」
「ああ。このサングラスに合いそうなのをな」
かけているサングラスをトントンと叩きながら、カラトはシルクハットをセナに見せた。
「へえ、いい品じゃないっすか」
セナはシルクハットの一方をカラトからもらうと、それを頭に載せてみた。
「いいですね。この帽子。サングラスともピッタリっすよ」
「だろ?」
カラトも自慢げに言って、シルクハットをかぶる。と、セナが不思議そうな顔をした。
「あれ、なんかこの帽子つけてると、周りの音がよく聞こえるような……」
「ほんとだ……」
カラトはそうつぶやいた後、物知り顔になってセナに説明を始めた。
「いや、でもほら、シルクハットってつばが大きいからさ。その分まわりの音が聞こえやすくなるんだろう」
「ああ、なるほどっす」
セナは無邪気にうなずいた。
【モール、ヴューレット】
その十数分後、モールとヴューレットは、眼鏡屋、『ドラゴンフライ』のある町から、次の別の町に入っていった。モールがヴューレットに言う。
「じゃあ、我々の集音帽子を調達しようか。協力者は帽子店『バケット』というところで我々を待っているそうだ」
「ちょうどこの町の入ったところにあったはずですよ……あ、あれです」
ヴューレットは先ほどまでカラトとセナがいた店『バケット』を指さした。
「ほう、あの店か」
そう言って目を細めたモールだったが、顔を曇らせた。
「……様子がおかしいな。閉店しているようだ」
モールの言葉に、ヴューレットがおずおずと頷く。『バケット』の扉には、閉店の札がついていて、おまけにその前で、落ち込んだ様子のお手伝いさんが、むくれ顔で立っていた。
「……何かあったんでしょうか?」
「わからない。とにかく、あの娘に話を聞いてみよう」
モールはそう言って、『バケット』のお手伝いさん、ジュディに声をかけた。
「もしもし、お嬢さん。この店は今閉店中なのかな?」
「はい」
ジュディはむくれ顔でモールとヴューレットに言った。
「店長が急に、怒り出してですね。私のことを叱り飛ばした後、店を閉めたかと思ったら、どっかに行ってしまったんですよ」
モールとヴューレットは顔を見合わせた。困ったことになったが、どうしても集音帽子は手に入れたい。ヴューレットがやさしくジュディに話しかける。
「ごめんなさいね。私たち、あるものを探しているの。あなた、この店にあるものの中で、何か特別なものはないかしら?」
「さぁ、ここはただの帽子店ですし……」
ジュディが思案顔になる。
「どんな些細なものでもいいんだ。店長がものすごく大切にしていたものはないかい?」
モールも優しく問いかける。すると、ジュディがパチンと手を鳴らした。
「あります! 店長が、絶対に捨ててはいけない、大切にしろって言っていたものが!」
「なんと! 見せてくれないか?」
「構いませんよ? こっちです」
ジュディは二人を伴って、店の裏にある、洗濯物を干すための裏庭まで案内した。そして、盥の上に山積みの、洗ってない洗濯物の中から、二枚の長い布を取り出した。モールが眉をひそめながら、ジュディに聞く。
「これはなんだ?」
「わたしもよくわかりませんが、『フンドゥシ』と店長は呼んでいました」
ジュディが二枚の長い布を見せながら説明する。
「特に店長は、こっちの赤い色の『フンドゥシ』を、『アカフン』と呼んで、絶対に捨てるな捨てるな、と言っていました」
「ほーお……」
モールは目を細めて、その赤い布と、白い布を手に取って観察した。よくわからないが、この布には紐が二本ついている。なるほど、ただの布ではなさそうだ。モールとヴューレットは目配せをして頷きあう。ヴューレットは頼み込むような表情を作って、ジュディに相談を始める。
「ねぇ、私たち、どうしてもこの布が欲しいんだけど、売ってくれないかしら」
「いいですよ」
ジュディは肩をすくめて言った。
「私、この店もうやめるつもりなんです」
「……そうか」
モールはそう言うと、財布から、サパ紙幣を大量に取り出して、ジュディに握らせた。
「半分は、店長に渡してやってくれ。次はいい職につけるといいな」
「こんなに……ありがとうございます」
ジュディは深々とお辞儀をして、金を受け取ると、『フンドゥシ』をモールとヴューレットに渡した。モールとヴューレットはそれを素早く懐にしまうと、ジュディに礼を言って、意気揚々と立ち去っていった。
「今日はいろんなことがある日だわ……これだけお金があれば、次の職を見つけるまでは食べ物に困らなさそうね」
シルクハットに偽装された集音帽子を勝手に売ったことで、店長に怒られたジュディは、そう言って幸せそうな顔になった。
余談ではあるが、『フンドゥシ』、もとい褌とは、東の方にある一部の国々で使われる、男性用下着の一種である。そのため……。
【カラト=フェイケン】
『へんな人たちををはっけんしました』
シルクハットを手に入れた俺とセナが、町を離れて歩き始めたとき、ワウからそんな通信が入った。
「どんな奴らだ」
『おしっこくさい男の人と女の人です。なんか知らないけどマフラー持ってます。ポケットの中によくわからない変ながらのめがねがちらちら見えます』
「ワウちゃん。それはただの変質者っす」
俺に代わってセナが答えた。
「とりあえずほかの人を警戒してくださいっす」
『わかりました。セナさん』
ワウの返事がスピーカーから聞こえた。
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