6.破滅の土俵際

【カラト=フェイケン】

「そうか……そういうことかよ、こん畜生」

 ヘヴィースミスは目を怒らせてこちらを睨んでいた。

 こん畜生。俺も心の中でつぶやいた。ヘヴィースミスの野郎、まさか、あの騎士団から逃げ切って見せるとは。騎士団は一体何をやっていやがるんだ。

 心の中でいったん吐き捨てたら、少しだけ考える余裕ができた。俺は、ニヤリと笑ってワウに指示を出す。

「二手に分かれて逃げるぞ、ワウ。お前は屋根でもなんでも使って、どこかに身を隠せ。俺が奴を引き付けて、ぶっ倒す」

 俺の小声に、ワウが静かにうなずいた。

「いくぞ!」

 俺はそう叫ぶと、ヘヴィースミスに背を向けて、一目散に駆けだした。ワウも、まるで弾丸のように飛び上がると、壁から屋根へ飛んで、遠く家屋の向こうに消え去る。

「待ちやがれ!」

 ヘヴィースミスの息遣いと、怒号が、俺の背中を追いかけ始めた。

 夕闇のとばりの下りる中、俺はひたすら走り続ける。三分は走っただろうか。俺は町の近くの荒れ地まで走っていった。

 道の脇に、腰ほどの高さの茂みを見つけた俺は、そこに飛び込んだ。そしてそこから、後ろから追ってくるヘヴィースミスの姿を確認する。

意外なことに、ヘヴィースミスはゆっくりと走ってこちらに近づいてくる。暗がりにもかかわらず、彼は迷うことなく一直線にこちらに向かってくる。よく見ると、彼の瞳は少しだけ光っていた。何の形質を持っているか知らないが、奴もワウと同じ、なにかの獣人のようだ。単純な体力勝負で勝てる相手ではない。

「隠れても無駄だぞ!」

 ヘヴィースミスが大声でよばった。

「てめぇとちがってなぁ、俺には多少魔法が使えるからなぁ。多少の暗がりでもわかんだよぉ!! てめぇの居場所がなぁ!」

「そーかいそーかい」

 俺は小声でつぶやいて、茂みに隠れた。

 ただの人間と獣人との勝負なら、人間のほうに軍配が上がる。一般的には、人間のほうが多彩な魔法を行使できるからだ。

だが、俺のような魔力のない人間は、ただの弱点の塊でしかない。

 それでも、一発逆転の手はどこにでもあるものだ。

 俺はヘヴィースミスがゆっくりと距離を詰めている間に、準備を始めた。大急ぎで、地面に魔方陣を描き始める。時折ヘヴィースミスとの距離を確認しながら、緊張で震える手で、魔方陣を描く。

奴との距離が五十メートルを切ったとき、風が吹いて完成しかけた魔方陣の一部が消えた。

舌打ちをして、魔方陣の描記に集中する。よくわからない汗が、体中から滴り落ちる。汗が落ちるだけでも魔方陣に影響が出るので、必死に拭って落ちないようにする。

魔方陣が完成しかけた、その時だった。

「ギャッ!」

 ヘヴィースミスの、ぎょっとしたようなうなり声が聞こえた。慌てて俺は、ヘヴィースミスの来る方を見やる。

なんと、ヘヴィースミスは背を向けていた。俺とは反対の方向に向かって、走っている。

「どこに行く気だ?」

 俺は草むらから立ち上がって、目を凝らした。

 走るヘヴィースミスの向かう先に、小さな点のようなものがちょこちょこと走っているのが見えた。

「ワウ!?」

俺は真っ青になってヘヴィースミスを追いかけ始めた。


 【ヘヴィースミス】

「待ちやがれぇぇ!」

 ヘヴィースミスは鬼のような形相で、ワウを追いかけていた。アキレス腱からはどくどくと血が流れている。ヘヴィースミスがフェイケンを追いつめようとした瞬間、フェイケンのピンチを察したワウが、突然背後から襲い掛かり、嚙みついたのだ。

 ワウはオオカミの獣人の脚力を使って、全速力で逃げ続ける。大人と子供の差があるにもかかわらず、距離は縮まず、ヘヴィースミスは息が上がり始めた。

「畜生!」

 ヘヴィースミスは、とっさの判断で、道端にあった石を拾って、ワウに向かって投げた。

 ドッ!

 鈍い音がした。石がワウの足に当たったのだ。ワウの足がもつれる。スピードに乗っていた彼女は何かに蹴飛ばされたように、宙を舞い、そして地面に投げ出された。

 ひっしに起き上がろうとするワウ。だが彼女の上体は飛び掛かってきたヘヴィースミスの足に踏みつけられ、地面に釘付けにされた。

「クソガキが!」

 ヘヴィースミスは踏みつけたまま、一発彼女に蹴りを入れる。ワウは痛みで息をすることもできない。

 ヘヴィースミスは、地面にたたきだされた彼女の首根っこをつかんで、持ち上げた。ワウの足はだらんと下がっている。

「おい、ようく聞け、クソガキ」

 ヘヴィースミスはワウにささやくように怒鳴りつける。

「今からてめぇをマイザ―のところに連れて行く。てめぇはそこで、フェイケンに雇われたって言え。そしたら痛い目にあわさずに話してやる。いいか!」

 ところが、ワウはヘラリと笑ってつぶやいた。

「……や、やだねぇ……」

 ヘヴィースミスはその態度に、カッとなって、彼女を張り飛ばした。ワウはまた地面に投げ出される。かくかくと震えるワウに、ヘヴィースミスは蹴りを入れながら、罵声を浴びせる。

「このクソガキ、しまいにゃ殺すぞ! え? 死ぬことすら知らねえのかてめぇは!」

 怒りのままに蹴りを入れ、息が切れた。ワウはもう震えることすらできなくなっていた。だが彼女はゆっくりと首を振った。

「ごしゅじんにやとわれてるから」

 そう言うと、ワウはまた笑みを浮かべた。

「しぬとか、よくわかんないや」

 その時だった。

「待て! ワウを放せ!」

 ヘヴィースミスの背後から、悲痛な声が響いた。


 【カラト=フェイケン】

 肺が、痛い。足から、じんわりと鉄のようなにおいがする。

 俺は、ヘヴィースミスの足に、倒れこむように飛びつこうとした。だが、ヘヴィースミスは足で払うようにして、俺を蹴り返す。俺の服に仕込まれた防御魔法が勝手に展開し、パリン、と小さく音を立てた。

 ヘヴィースミスは、チッ、と吐き捨てた。

「そうか、テメェにたくさん、俺が作ってやったっけな」

 そして、足を肩幅に開いて、背筋を伸ばして立つと、手を大きく広げて、俺を挑発した。

「おら、俺を止めたいんだろう? いいぞ、好きなところを殴って、俺をぶちのめしてみろよ。え?」

 俺は何も言い返せなかった。

「だよなぁ、」

 ヘヴィースミスは息を切らしている俺の頭を踏みつけて、勝ち誇った。

「俺をのめすだけの力もねぇ、ただの人間のくせに魔法も使えねぇ! ほんとテメェはどうしようもない奴だなぁ!!」

 ひとしきりそう言って笑った後、ヘヴィースミスはぐったりとしたワウの首根っこをつかんだ。

「こいつは俺が連れて行く。テメェはそこでそうしていろ。こいつは俺が町まで持っていく。マイザーの騎士のおもちゃにされりゃあ、少しは話も聞くだろうよ」

 ヘヴィースミスそう言って、にたりと笑う。つかまっているワウの呼吸がどんどん静かになっていく。

「頼む、ワウを。そいつを放してやってくれ」

 俺は、四つん這いになって、ヘヴィースミスに懇願する。

「おいおい! なんだよそのザマは。いまさら、そんなことをされたって俺が許すと思ってんのかぁ?

 お前も一緒に来るんだよ! 俺が間違って、こいつのことを殺さないようにな」

 ヘヴィースミスはゲラゲラと笑って、ワウをプラプラと揺らした。

「哀れな犬畜生だよ。殴っても殴っても、てめぇのことをずっと慕ってるんだ。刷り込みの住んだ馬鹿な雛みてえに、ちっとも俺のいうこと聞きやしねぇ。

 そして、こんなガキのことを、心底心配しているお前もなぁ! 何にも持ちやしないくせに、表の顔では虚勢を張ってふんぞり返って、そのための代償をどう払うかと思えば、こんな犬コロのことすら見捨てられない」

 俺は歯ぎしりをした。

 暗がりの中で、体で地面を覆うようにして、こっそりと地面に魔方陣を描く。

 だが、ワウがヘヴィースミスの手から離れていない。

 ――今、魔方陣を起動させたら、きっとワウも巻き込んでしまう。

 俺は藁にもすがるような思いで、ヘヴィースミスに話しかけることにした。

「……そ、それにしても、よくあのマイザーの騎士団から逃げることができたな」

「なんだ? 時間稼ぎか?」

 ヘヴィースミスはそう言って笑い飛ばした後、得意げに説明をした。

「なんか知らねぇけど、俺が奴らに捕まりそうになった瞬間に、三角帽被ったちっこい男が助けてくれたんだ。世の中いい奴もいるもんだな」

「あ?」

 俺は思わず聞き返してしまった。

「三角帽被ったちっこい男?」

「ああ、そうだ」

 ヘヴィースミスがそう言って頷いた。

「青い閃光がはじけてな。騎士団の連中、全員目つぶしを食らいやがった。俺はそのすきに逃げてなぁ」

 その時、俺の視界の端で、夜空で、なにかがきらりと光った。

 俺は思わずため息をついて、魔方陣を描くのをやめた。そしてヘヴィースミスに語り掛ける。

「ヘヴィースミス。訂正しなくちゃいけないことがいくつかある。まず初めに、そいつは男じゃない。短髪の女だ。もう一つ、そいつはお前を助けるわけがない。そいつはこの世のありとあらゆる男という生き物が大嫌いで、ぶっちゃけ少女しか愛せない」

「な、なんだ、急に」

 ヘヴィースミスがびっくりして、俺に問いただした。

「まさか、知り合いか?」

「おうおう。しかも本当に最悪なことに、俺とそいつは婚約者同士ときている、そして……」

 俺はヘヴィースミスに、弔辞を述べた。

「奴は少女を害する奴が許せない、我が国が誇る、メテライト王国、王立騎士団の団員の一人。セナ=オリシア。またの名を『蒼き稲妻』。ご愁傷様だ、ヘヴィースミス」

 俺がそれを言い終わるか終わらない瞬間だった。

「こぉぉぉぉんんのやろぉぉぉぉおおお!!」

 上空から、ハスキーな怒声が降りかかってくる。

 ヘヴィースミスが慌てて空を見上げるがもう遅い。

 そいつは稲妻のような速さで、空高くからドロップキックをヘヴィースミスにかました。

「あびゃぁ!」

 ヘヴィースミスは一声だけ断末魔の悲鳴を上げると、軽く数メートルほど吹っ飛ばされる。

 衝撃で、ヘヴィースミスの手から離れたワウを、俺は飛びつくようにして受け止める。

 上空から舞い降りたそいつは、ワウが俺の手で保護されたのを見ると、地上に降りて、つかつかと地面に転がるヘヴィースミスとの距離を詰めた。

「おらぁ!! てんんめぇぇ、こんなかわいいおんにゃの子に手を出しやがってぇぇ!!」

 セナは容赦を知らなかった。電撃系統の魔法を、本人にしかわからない倫理観の嘆きを叫びながら、ヘヴィースミスに叩き込む。

「こんの野郎(電撃)世界に生み出された唯一の良心(女の子)に(電撃)貴様のような存在そのものこそが罪な汚物(おっさん)が(電撃)、触れることは愚か(電撃)近づくことすら許されざるというに……」

「お、おい、やめるんだセナ。ヘヴィースミスが死ぬ!」

「え(電撃)? ヘヴィースミス(ゴミ)が何か(電撃)?」

「あ、ええと……ワウがびっくりするから」

「それは大変!」

 セナは慌てて電撃をやめた。

 ヘヴィースミスは白目を剥いて倒れた。胸が多少動いているので、息はあるのだろう。

 俺とセナはヘヴィースミスには目もくれず、ワウの手当てを始めた。

「ワウ! ワウ! 目、開けられるか? 返事できるか?」

「わ、ワウちゃんて言いうんっすね。だ、大丈夫だよ! 今すぐにお姉ちゃんが助けてあげるっすからね!」

 ワウは、うっすら瞼を開けると、

「だいじょうぶ」

 と言って、起き上がろうとした。慌ててセナと俺とでワウを寝かせた。

「町の中心街に宿をとっている。ワウをそこまで運ぼう!」

 俺がそう言ってワウを抱えようとすると、セナに止められた。

「ダメっすよカラトさん。自分の足が血まみれなの、きづいてませんね?」

 言われて俺は足元を見た。靴は穴が開いて、そこから血でぐちゅぐちゅになった靴下がうっすらと見える。

「ね、座っててくださいっす。ワウちゃんは私が責任もって宿まで運ぶんで。飛べば一瞬ですよ」

「……助かる」

 俺は息をついて、その場で腰を下ろす。セナはワウを抱えると、飛行魔術を起動させて、宙に浮いた。

「カラトさんは、ヘヴィースミスのことを見張っておいてください。あ、あと、こいつもカラトさんの宿に連れて行ってもいいっすか?」

「いいけど……ヘヴィースミスにも用があるのか?」

「はい。できれば、マイザーとかいう女の私兵にやられる前に、いろいろ聞きたいことがあってっすね」

「わかった。早めに頼む」

「はいはーい」

「あと、ワウに手を出したりしたら承知しねぇからな」

「し、しないっすよ! 同意が出るのくらい待てますよ私!」

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