3.滑落

 【カラト=フェイケン】

 その日、俺が研究室から、数週間前から泊まっている宿屋に帰る途中、町で、ヘヴィースミスの姿を見かけた。

 奴は、カジノの前で、餌を待つ肉食獣のように、自信ありげな様子で立って、開店時間を待っていた。

 奴は、すでにカジノの沼にはまりつつある。

 俺は思わず悪い笑みを浮かべてしまった。奴に見つからないように、早々に宿屋に帰った。

 数週間前から泊まっている、宿屋の二階の部屋に俺は入る。そして、衣装棚から、紫色に濡れたハンカチを取り出すと、窓に干すようにしてつるした。

 十分もしないうちに、宿屋の前の路地に、獣人の女の子のワゥが姿を現した。俺は宿屋の玄関まで出て、彼女を迎える。

「ごしゅじん! ハンカチのにおいがしたから来たよ! お仕事?」

「ああ。ここ数年で最大の仕事だ。臨機応変……何が起きてもきちんと仕事をしなくちゃいけない。報酬もがっつり払うから、一週間ほど仕事を頼んでいいか?」

「もちろん!」

「わかった。仕事の内容を話す。部屋まで案内しよう」

 俺はワゥを連れて、宿屋の自分の部屋に戻った。


【ヘヴィースミス】

一方、その日の夕方、カジノでは……。

 ヘヴィースミスに焦りの表情が浮かんでいた。

 今日は調子がおかしいのだ。昨日みたいに、「ツキの気配」が全く感じられない。賭けても引いても当たらない。まったく勝てないわけじゃないのに、ここぞというとき負ける。

 彼は信じられない気分で、ゲームをいったん引き上げた。暗算ができるわけじゃないが、すでに赤字になりつつあることは、彼にだってはっきりと分かった。

 ごった返す雑踏の中で、ヘヴィースミスは、ただ一人、呆然と立ち尽くしていた。昨日と違って、彼に声をかけるものは誰もない。

 ゲームから降りて、現実に引き戻された今、ひしひしと、自分の状況を突き付けられた。今換金をしに行っても、赤字。このカジノは、俺が外に出るのを許してくれるのだろうか。外に出ることさえできれば、とりあえずは万事解決だ。フェイケンをまた強請って、金を得ることができる。だが、どうやって外に出る。赤字で払う金のないことを言えば、身ぐるみをはがされて、外に追い出されるだろうか。

 だが、それは許されない。他のギャンブル中毒者とは違って、俺は引き際や、賭けのタイミングを見極める才能があるのだ。そんなヘヴィースミスが、身ぐるみはがされて、店から追い出されるなどと言う屈辱を、受けられるはずがなかった。

 その時だった。ちょんちょんと後ろから、誰かが肩を叩いた。振り向いてヘヴィースミスは、息の詰まったような悲鳴を上げた。

 肩を叩いたのはミス=マイザーだった。彼女は妖艶にほほ笑んで、ヘヴィースミスにささやいた。

「お久しぶり、ヘヴィースミスさん」

「な、なんだよ」

「いえね、何かお困りのようなので、私、あなたに少しお手伝いをしようかと思いましてね?」

 お手伝い。この女の言う「お手伝い」とは、つまりは金を貸すという意味だろう。一週間に二十五パーセントの利率で。

 この女から金を借りる恐ろしさを、ヘヴィースミスはよく知っていた。利息を返すだけで精いっぱいの借金生活が、また始まる……?。

 その時、昨日のカジノの帰りに、フェイケンがヘヴィースミスに言った賞賛の声が、彼の耳の奥でこだました。

(私が差し上げた分を差し引いても、その四倍の金を稼いだんですよ!)

 そうか。今日中に稼いで、返せばいいんだ。

「金を借りたい」

 ヘヴィースミスはそう、ミス=マイザーに言った。

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