2.三男坊の頃の思い出

【カラト=フェイケン】

 今は宿から宿へ泊まり歩くという体たらくだが、これでも昔は貴族の家庭に生まれたお坊ちゃまだった。つまり、生きるのに苦労しない身の上と言う奴だ。

 だが、俺は、十歳になって学校に入る前に、自分が別の点で恵まれているということに気付いた。俺は顔がよかったのだ。

 兄弟の中で、俺は一番に甘やかされた。母親も、姉も、メイドも、しょっちゅう俺のことをかまってくれた。学校に入ってから、姉やメイドに寝癖を直してもらったというエピソードを話したら、悪友に大いに馬鹿にされたものだ。

 学園に入ってからも、俺はよい友人に恵まれた。特に何もしなくても、俺の周りから人がいなくなることはなかった。

本当に幸運だった。昨今の社交界で、人づきあいが苦手なことを本気で悩んでいる人がいるという話を聞いたことがある。俺がそうならなかったのは、ひとえにこのころから、人の輪の中心に入ることができたからだろう。子供心ながら、相手との距離を測りながら、言葉を頭の中で練っておしゃべりをしていたことを、なんとなく覚えている。

少し上の二人の兄たちが、家庭教師の下で、屋敷の裏庭で魔法の練習を始めたのもそのころだ。

母と一緒に二階から、兄たちが魔法を練習するのを眺めていた。多くの子供たちがそうであるように、俺は心から、初めて見る魔法というものに魅せられた。その時母にかけられた言葉を、俺は不思議と覚えている。

「素晴らしいでしょ、カラト。あれが魔法というものよ。カラトも頑張れば、きっといい魔法使いになりますからね。なんてったって、私とお父さまの子なのですから」

 幼心に、俺は、いつか兄のように、自在に魔法を操って見せると、心に誓ったものだ。

そのころの俺は、自分がこの先ずっと、人と金銭に恵まれながら、新しい日々に希望を持って生きていけると信じて疑わなかった。

 あの忌々しい、魔力値測定なるイベントがなければ。


 それは十一歳のことだった。貴族の子供、特に男子は、十二歳から本格的に、魔法を使うための勉強を始める。国が戦争になったときに、貴族は先頭になって戦うもので、そのためには魔法が必須だと教わっていた。

 魔力の測定は、国を守る立派な貴族になるための、いわゆる儀式のようなものだったのだ。

 魔力測定の日の一週間前のことである。

 俺は突然、父親に呼び出された。基本的に、父は俺だけではなく、息子たちに対しては、叱責をするとき以外、あまり話さない。だから俺はぎくしゃくしながら、父の書斎を訪れた。

「おう、来たな。入れ入れ」

 父は珍しく、俺を笑顔で迎えてくれた。不思議に思いながらも、俺は父に出迎えられながら、書斎に足に踏み入れる。そこで俺は、見慣れないものが、書斎にデン、と据え置かれているのに気が付いた。

「はは、初めて見るだろう」

 父は自慢げにあっけにとられている俺に向かって笑った。

「すごいですね、お父さま。これは一体何なのですか?」

 俺は素直に問いかけた。

 それは、小型の風車のようなものだった。羽の部分が、ガラスのように透き通っていて、根元の部分には、馬の手綱のようなものが垂れ下がっている。

 父は俺の反応が気に入ったのか、もったいぶるよう間を取った後、静かな声で言った。

「我がフェイケン家が新しく開発した、魔力検知器だよ」

「魔力検知器? これが!」

 俺は驚きの声を上げた。父は愉快そうに俺の顔を見た後、

「いやぁ、まぁ、今度お前が学校で測定をするときに使う奴は、別のタイプなのだけどね」

 と付け加えた後、

「だが、実を言うとこの機械のほうがずっと新式で、性能が良くて、どんなに少ない魔力でも検知することができるのだ」

 父は、そう言うと、魔力検知器の手綱のようになっている部分にちょんと触れた。

 ブォオオン……途端に、風車の羽の部分がグルグルと動き回り始めた。おまけに羽の部分が黄色に光っている。生まれて初めて見る光景に俺は目を丸くした。

「わたしほどの人間になると、魔力が強すぎて少し指で触っただけでこうなってしまう」

 父は少し自慢げに言うと、俺の方を向いて、まるで子供がいたずらをするときのような笑みを浮かべて言った。

「カラト。今から、私とお前とで、秘密の魔力測定をしよう」

「……! はい!」

 俺は、威勢よく返事をした。

 跳ねるように魔力測定器の前に立った俺は、手綱を握る前に、ふと気になって、父に尋ねた。

「あの、お父さま。兄さまたちはどんな風にこれを動かしたんです?」

「兄たちのことは、今は考えるな」

 父はいさめるように俺に言った。

「自分と素直に向き合って、手綱をしっかりと握りこむのだ」

「はい。すみません」

 俺は恐縮して、父に謝ると、ふう、と一つ息を吐いた。自分なりに集中力を高める。父が満足げな顔をしたのが視界の端に入った。

 俺は真剣に、グイ、と手綱をつかんで、引っ張った。

 ……機械はうんともすんとも言わなかった。

 何分間か経って、俺はおずおずと父のほうに声をかけた。

「……あの、父上? これは……」

 そして、俺は恐る恐る父の顔色を窺った。

 父は青ざめていた。


 それから数分後、父は絶望したように頭を抱えながら、椅子に座っていた。

「あの……あの……」

 俺はしどろもどろになりながら、父に謝った。

「ごめんなさい」

「いや、いい。そう言うことではないのだ」

 父は俺にそう言った。

 あとから聞いた話だが、魔力が一切ない人間というのは、国に一人二人という、ごくごく小数で、存在するらしい。

 魔力がないと知られた彼らの境遇は、かなり悲惨なものだ。貴族としての資質が疑われ、精神に障害を抱えた者と同等な扱いを受けるらしい。社交界に出ることもなく、結婚もできない。ただひっそりと、実家で朽ちていくのだという。

 だから、次に父の言ったセリフが、とても暖かいものだと気づいたのは、結構後になってからだ。

「まいったね、カラト。どうやら奇跡よりも貴重なものに当たってしまったようだよ。そう、私たちは、なにかモっているのかもしれないな」

 そう言った後、父は俺の肩に手を置いて、俺のことをまっすぐに見つめて言った。

「いいか、カラト。学校の教員たちには、私の方から丁寧に口止めをする。

 今日のことは、絶対に誰にも言っちゃいかん。いいな? とにかく、学校の魔力測定で奇跡が起きるのを信じよう。それからのことはあとで考えればいいさ」

 それがどれだけつらいことなのか、俺は全く理解できなかった。だが俺は、力強くうなずいた。

「はい。お父さま」


 一週間後。恐れていた魔力測定の日が来た。

 魔力の測定値は、一応個人情報だ。一人一人呼ばれて、複数の先生の前で測ることになっている。

 待機している生徒たちは、皆そわそわしている。本来ならすぐに誰かとしゃべって緊張を紛らわせたいはずなのだが、先生が静かにするようにと、ずっと見張っているのだ。

 俺は、魔力がないと判断された後の自分の人生を、子供ながらにひたすら考えていた。どうやって生きて行けばいいのだろう。みんなとは一緒にいられないのだろうか……そう考えると、暗い海の底を覗き込んでいるような気分になった。

「カラト=フェイケン。出番だ。測定室まで来なさい」

 唐突に、見張りの先生が俺の名前を呼んだ。

 俺はふらふらとした足取りで、測定機械のある部屋へと足を運んだ。

 教室の隣のその一室には、三人の先生が、なにかを見張るようにして立っていた。そして部屋の真ん中に、デンと一抱えもある水晶のようなものが、台の上に設置されている。

 これが、この学校が使っている魔力測定器だ。魔力を持つものが触れると、様々な色に光り、噂によれば、強い紫色の光が、最も良いとされているという話だった。

 俺を測定器と共に迎え入れた先生のうちの一人が、仰々しく、こう聞いた。

「カラト=フェイケン君ですね」

「はい」

 反射的に俺は返事をした。

「よろしい」

 その先生はそう言うと、静かにこう言った。

「前に一歩出て、測定機に触りなさい」

「はい……」

 声が少し震えた。俺は、ゆっくりと一歩前に出て、命じられるままに、測定機に触れた。その瞬間、先生たちの目線が、若干それたことを今でも覚えている。

 あとから聞いた話なのだが、父が先生たちに、「もしかしたら、息子の魔力測定で、トラブルが発生するかもしれない」と言っていたらしいのだ。先生たちは父の言外のメッセージを受け取った。俺に魔力が欠落しているということを悟ったのだ。

 水晶に触れた手を、さらに力をこめる。やはり、測定器はうんともすんとも動かなかった。

 何かの間違いであってくれ。もしくは今この瞬間、俺の魔力よ、目覚めてくれ。

 俺は、必死に水晶に触れる手に力をこめた。

 その瞬間だった。

 水晶がぐらっと傾いた。

 しまったと思った時には遅かった。

 俺の目の前で水晶が、まるでスローモーションか何かのように、ゆっくりと落ちていくのが見えた。

 バッシャーン!!

 水晶が俺の足元に砕け散る。

 先生たちがぎょっとして俺のほうを見た。

 俺は、絶望の底にたたきつけられた。必死になるあまり、水晶に体重をかけてしまったのだ。

 もう終わりだ。魔力がないだけならただの無能だが、水晶を壊したとなったら、俺は不良生徒だ。

 そこから先のことはあまりよく覚えていない。ショックでその場、その場で意識を失ったからだ。

 あまりの絶望に、意識が遠のいていく俺の耳が拾ったのは、

「大変だ! オーバーフローだ」

「まずい、魔力繊維が焼けこげる! トランス状態になったぞ!」

「医者を呼べ!」

 と喚くそれぞれの先生の叫び声だった。


 俺は数時間後、俺は眠っていたようだ。どうやら、そこは俺の屋敷の自室のベッドだった。

 俺が目を開けると、あたりから、一斉にどよめき声が聞こえた。

「カラト! カラト! 聞こえるか!!」

 だんだんと視界がはっきりとして、必死な様子で俺に声をかける父が見えた。

「はい、お父さま」

 身体を持ち上げながら俺が答えると、大歓声が起きた。驚いてまわりを見てみると、母に、兄、姉、メイド、おまけに学校の先生もいた。

「ああ、神様! 本当に良かった!」

 母と姉は感極まったように叫び声をあげ、兄は先生と握手をして、父は顔をぐちゃぐちゃにして喜んだ。

 しばらくして騒ぎがおさまった後、先生がまだ興奮が冷めやらぬという様子で、何とか威厳を保とうという様子で、俺に説明をしてくれた。

「カラト君。すまないね。私たちは危うく君を見殺しにするところだったんだよ」

 きょとんとする俺に、先生は話をつづける。

「君の魔力量は、百人に一人といない規格外の代物だ。あまりの君の魔力に測定器が堪えられなかった。測定不能。君の魔力を当てられた測定器は、水晶から崩壊をしてしまった」

 今度は父が首を振りながら、先生に謝った。

「いやいや、先生、私の方こそ、愚かだった。先生方にもっとはっきり警告をしておくべきでした。

 我がフェイケン家最新式の魔力測定器で、カラトは最高の成績をたたき出したのです。大事になると思い、先生方には、トラブルがあるかもといいましたが……いや、私の見込みが甘かった」

 何が起きているのかさっぱりわからない俺は慌てて口を開こうとした。だが、父はそれを押しとめた。

「ああ、いけない。カラトまだ少し顔が青いようだよ」

 父はそう言って無理やり俺を寝かせた。とたんに先生や、周りの人が慌てだした。

「そうか、すまないね、君はさっきまで気絶していたんだったね。今はゆっくり、休みたまえ」

 俺は何も言えずに、一つ頷いて、とりあえず目をつぶることにした。

 その様子を見て、母たちも騒いではいけないと思ったらしい。一人、ひとりと部屋から出て行く気配がして、俺の寝ている部屋はとうとう、無音になった。

 誰もいなくなったかな、そう思って、目を開けようとしたその時だ。

「カラト、起きているな?」

 父の声がした。俺は頷くと、目を開けて、体を起こした。

「はい、お父様。私は元気です」

 父は神妙にうなずいて、静かに俺に尋ねた。

「いいか。ここには、私とお前以外、誰もいない。正直に、今日お前がやったことを話しなさい」

「……お父様、お許しください」

 俺は父親に、すべてを話した。決して故意ではない。故意ではないのだが、水晶に触れたときに、力をこめすぎて、床に落としてしまったこと。それで測定器が壊れたこと。そのことを本当に悔やんでいて、今でもその時のことを考えると、気が遠くなってしまいそうになることを話した。

 父は、俺の話を聞いて、しばらく目をつぶって考えていた。そしてふいにからからと笑い声をあげた。

「やっぱりな。カラト。やっぱりお前は魔力がないんだよ。

 だが、お前の学校の先生は、お前の強すぎる魔力が、測定器を壊したと信じ切っている。

 困ったなぁ、カラト。これからお前は魔力がとんでもなく強い男だと思わせながら、魔力がないことを隠して生きなきゃいけないみたいだぞ」

 余談だが、この一件を通して、魔力測定器は水晶を使った旧式のものから、父や実家が持っていた、「フェイケン式」というものに変更され、父は大いに儲けたという。ほんとちゃっかりしてる。

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