第一章 1.カラト=フェイケンの憂鬱

【カラト=フェイケン】

「いやーほんとーにありがとうございますわぁ。流石、メテライト王国この国一の家庭教師、カラト先生。いえ、評判以上でしたわ! あれだけ生意気だった娘が、すっかりと、かわいげのある様子になってぇー」

 アンライン伯爵夫人はそう言って、香水の香りを振りまきながら、俺に礼を言った。

「いえいえ、そんなことは」

 俺は夫人に対して恐縮するように言葉を並べた。

「実際娘さんはとても優秀ですよ。いつかは我が国の宝になるかもしれませんね」

 俺のセリフに、夫人は少しだけ眉をひそめた。

「そこなんですよカラト先生。うちの娘、女のくせに、魔法にこっちゃって、これが楽器や詩集ならまだかわいげがありますがね。嫁の貰い手がいなくなるって、私心配してましたのよ。男ならまだしも、女が魔法で天狗になられるなんて、ねぇ。

 でも先生のおかげで、あの子目がさめたようですわぁ」

 そう言って笑顔を浮かべる夫人に、俺は、いえいえ、私なんて微力ですよ、と謙遜して見せた。

 ふと、夫人が、あ、そうそう、と言って急に声を潜めて話し始めた。

「それでですね、先生、ぜひうちのサリーに家庭教師としてついていてほしいのですが、週一回、四〇〇サパの給料をお支払いします、いかがでしょう?」

「十分です。ありがとうございます。サリーお嬢様の家庭教師として、一生懸命働きます」

 俺がそう答えると、夫人はほっとしたように笑みを浮かべ、近くにいる執事に、目配せをした。執事は一礼すると、手に持っていた分厚い封筒を私に仰々しく渡した。

「それはお約束していた、成功報酬と初回授業料ですわ」

 夫人はさらりと言って笑みを浮かべた。

「ありがとうございます、いただきます」

俺は分厚い封筒を懐にしまって、恭しく一礼をした。

 こうして俺は、夫人に見送られながら、アンライン伯爵の屋敷を後にした。


 日がいよいよ傾き、赤い光を放ち始めたころ、俺はアンライン伯爵の屋敷から、町への道をてくてくと歩く。周囲を軽く警戒しながら、俺は、夫人からいただいた、封筒の中身を調べた。

「……全部で一万サパといったところか……まぁ、多分足りるだろう」

 夫人からもらった大金を見ながら、俺はため息をついた。

 ガサガサガサ!

 ふいに、道中の木の影から、小さな影がひょんと飛び出した。

 驚いて慌てて封筒をしまう俺。

 木陰から飛び出したそいつは、ニシシ、ととがった八重歯を見せながら笑いながら、しっぽを振って、両手を上げて俺を出迎えた。

「おかえり! ごしゅじん」

「びっくりした、ワウか。ご苦労さん」

 俺は足を止めて、木立から飛び出した少女にそう声をかけた。

 こいつの名前は、ワウ。オオカミの血が混じっているとかで、毛皮に覆われた耳と、しっぽが生えている。町をねぐらにする獣人のこの子に、俺はよく仕事を頼んでいた。

「ごしゅじん、きょうのしごと、うまくいった?」

「ああ、ワウのおかげだ。ありがとな」

 俺はワウに笑いかけると、ワウは照れくさそうに頭を掻いて、しっぽをパタパタとふった。喜ぶワウに、俺はもうひとつだけ仕事を頼むことにした。

「なぁ、ワウ。もう少しだけ仕事を頼んでもいいか?」

「いいよ! なぁに」

 元気に返事をするワウに、俺は指示を出す。

「あの例の荒れ地に行って、地面に落ちている鉄を拾ってきてほしいんだ。目につく奴だけでいいよ。できるか?」

「できるよ。まかせて!」

 ワウはそう言って胸を張った後、少し心配そうな顔をした。

「ごしゅじんもいっしょにいくの?」

「いや、俺はこれから用があるから。お前とは別行動だ。ええと、そうだな……」

 俺と別行動と聞いて、悲しそうな顔をしたワウを元気づけるように、俺はワウにこう言ってやった。

「暗くなる前に、いつもの町の街灯のところで待ち合わせしよう。賃金もそこで渡す。いいか?」

「うん。わかった」

 ワウはそう言って頷くと、サッと駆け出して、

「行ってきまーす!」

 と言ってアンライン伯爵の屋敷のほうへ向かって走っていった。


 ワウと別れて数分後、俺は町までたどり着いていた。

 夕暮れとあって、人通りも多い。出店のにおいや居酒屋の歓声、酔っぱらいの喚き声が混じった町はちょっとしたカオス状態だ。

 俺は歓声でごった返す町を抜け、裏路地に入る。

 一度そこで立ち止まって、俺は周囲を警戒した後、懐から仮面を取り出した。素早く顔につけ、さらにフードをかぶる。

 俺は背筋を丸めてひょこひょこと、浮浪者のように裏路地を抜けて、町のはずれまで来た。

 まばらにポツン、ポツンと経つ家々の中で、煙突から白い煙を上げている、今にも崩れそうな、小さな家が一つ。

 俺はその家までまっすぐ歩き、家のドアをノックした。

 ドアの覗き穴から、目がちらりと見えたかと思うと、ドアのカギの開く音がした。

 俺はササっと、ドアを開けて、家の中に体を滑り込ませると、素早くドアを閉じた。

「誰かに付けられたりはしてねぇだろうな?」

 唐突に、家に入ってきた俺に、責め立てるような声がかけられた。

「大丈夫さ。いつも通り、うまくやってるよ」

 俺はフードを取り、姿勢を伸ばして声の主に笑みをかける。まぁ、顔につけた仮面をつけているから、わかんないだろうけど。

 その声の主――ヘヴィースミスはひょうひょうとした俺の態度が気に食わないのか、ふん、と鼻を鳴らした。

 ヘヴィースミスは、この町のはずれで、闇の鍛冶屋をやっている。お国にばれたらまずいような武器を作ったりするのだが、買い手の事情を一切詮索しないので俺はいつも彼にたのんでいる。

 俺は懐に入れた封筒から、紙幣を取り出すと、ヘヴィースミスに渡した。

「……全部で一二〇〇サパある。魔動爆弾五〇機分の後金だ」

 ヘヴィースミスはじろりと俺のほうを見て、文句を言った。

「魔動爆弾五〇機に、前金一二〇〇サパ、後金一三〇〇サパで、合計二五〇〇サパっていう約束でねぇのかい?」

「……一機だけ動作不良を起こした。あと少しで破滅するところだったぞ」

 俺がそう言うと、ヘヴィースミスが、ちっ、と舌打ちをした。そして、一二〇〇サパを懐にしまい込むと、俺を睨むようにして言った。

「もう帰れ(けぇれ)。用は済んだろ」

 俺は一つ頷くと、またフードをかぶり、追い出されるようにヘヴィースミスの家を後にした。


 ヘヴィースミスの家を後にした俺は、再び裏路地から裏路地へ歩みを進める。

 狭い路地をはさむ建物の一つに、路地に面する地下階段を持つ家がある。

 俺は背筋を曲げながらその地下階段を降り、その先にあるドアを叩いて挨拶もせずに中に入った。

「あら、お帰りなさい。仮面君。あと一時間遅かったら、あなたすこし大変なことになっていたわよ」

 ドアを開けて中に入った俺を、そんな高圧的なセリフが出迎えた。

「どうも、ミス・マイザー」

 俺は慇懃な態度で礼を言った。そして、心の中で唾を吐く。

 俺のことを仮面君と呼んだこの女は、ミス・マイザーと言う。職業はいわゆる金貸し業者。こいつも取引相手の身分についてとやかく詮索しないので、俺はよく利用している。

 俺は懐から封筒を取り出して、中に入っていた紙幣七五枚を数えて、この女の前に置いた。

「お借りした六〇〇〇サパに、二五パーセントの利息で、七五〇〇サパ、お返しします」

ミス・マイザーは隣にいるボディーガード風の男に、紙幣を数えさせる。

「七五〇〇サパ、確かにございます、ミス」

「あらそう」

 ミス、マイザーは厚く塗った派手な化粧でも覆い隠せないくらい、少しだけ悔しそうな表情をした。

「仮面君。いつもきっかり一週間以内に返してくれて、うれしいわ、とっても優秀なのね」

 当たり前だ、クソババア。一週間以内に返さなかったら、利息が五割になるのがお前らの金貸し商売だろ。

「いえ、そんなことは……」

 俺は内心の憤りを覆い隠しながら、謙遜をして見せた。

 俺は、すでにぴらぴらになってしまった封筒を懐にしまいながら、ミス・マイザーの家を出て行った。

 俺はミス・マイザーの金貸し屋から、町を抜けて、再びアンライン伯爵の屋敷のほうへ向かって歩いて行った。

 空は夕暮れに染まり、夜のとばりに星が瞬き始めるのが分かる。

 仮面を取った俺は、人に見つからないように、こそこそと歩きながら、道を急ぐ。行く先は、今日俺がサリーお嬢様と戦った、例の荒れ地だ。

 

「あ、ごしゅじん。おかえりなさい!」

 荒れ地につくと、先に荒れ地に向かわせていた、ワウのはつらつとした声に迎えられた。

「や、ワウ。仕事の方はどうだ?」

 俺はしっぽを振って駆け寄って来たワウにそう聞いてみる。

 ワウは張り切った様子で地面の一角を指した。そこにはねじ曲がったような金属の破片が、ひざ元くらいの山になって詰みあがっている。

「じめんにおちていたてつ、ぜんぶひろったよ」

 ワウは胸を張って言った。

「じめんにうまっているやつは、ほりかえさなくていいんでしょ?」

「そうだ。それでいい」

 俺は頷いて、ワウの頭を撫でてやった。

「じゃぁ、ワウ。最後の一仕事、頼んでいいか?」

「もちろん!」

 俺は、日の沈んで暗くなりつつある荒れ地を指さして指示を出した。

「ここに埋めた、魔動爆弾をこれから掘り返す。埋まっている場所の地面に、印を付けてほしい。できるか?」

「まかせて!」

 そう言うと、ワウは四つん這いになって、クンクンと鼻を鳴らしながら、地面を嗅ぎまわり始めた。

 俺はワウが仕事をしている間に、薄くなった封筒の中身を確認することにした。指に唾を付けて、ぺらぺらと数え始める。

 封筒に最初に入っていた一万サパは、今や二一〇〇サパになっていた。

「まあまあ稼げたかな」

 自分を鼓舞するようにそう言ってみたが、かつて入っていた一万サパの札束に引き伸ばされてしわになった封筒を見ていると、いつの間にか俺は唇を噛みしめていた。

 でも仕方がないのだ。

 俺はいつも自分に言い聞かせている独り言を、心の中でつぶやいた。

 俺は、魔法なんて扱えないのだから。

    

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