魔力がなくてもカリスマ家庭教師をする俺は冷や汗が止まらない……

@norikawaken

プロローグ とある貴族令嬢の日記から

【サリー=アンライン】

 この世界では、魔力がすべてのものを言う。大きな魔力を持つものは、強力な魔法を使うことができる。強力な魔法は武力となり、それは国を守護する貴族の誇りとなる。そのために、私たち貴族は、知識を高め、己と対話し、反動に耐えられる体を作る。

 私は、メテライト王国のアンライン家の娘として、すべてに恵まれて生まれてきた。

 人よりも早くものを覚えた。人より集中力が高かった。決して虚弱ではなかった。

 すべてに恵まれていた私は、周りを圧倒した。魔法学園の生徒なんて目ではなかった。先生たちも目を見張った。家庭教師は苦笑いをした。

 おごっていたと言われたら、そうなのかもしれない。だが、あの時の私は、どんな相手が来てもまさるという確信があったのだ。

 あの日、あの先生が来るまでは。


「初めまして、サリーお嬢様。わたしの名前はフェイケン。カラト=フェイケンと言います」

 母が新しく雇った、家庭教師の先生は、垂れた首をゆっくりとあげて、私に笑いかけた。

 ふわっと、良い風が吹いたような気がした。自分の気持ちが、この人に引き込まれそうになっているのに気付いて、慌てて居住まいを正す。

「初めまして。お名前はお聞きしております。フェイケン先生。私、サリーと申します。

 なんでも凄腕の魔法使いということで」

 私は挑発するようにカラト先生に言った。

「おや、そうですか。それはそれは。光栄です」

 応接間で高飛車な態度を取った私に対して、カラト先生は笑顔で受け流した。

「では、早速ですが、授業のほうを始めていきましょうか。確か火の魔法の応用までが範囲でしたっけ……」

 カラト先生はそう言いながら、少し腰を浮かせた。先生の前においてあるティーカップが少しだけ揺れる。

私はすかさずそのカップにちょんと指先で触れた。一瞬だけ目を閉じて、指先に魔力を集中させる。

刹那、カップの液面がボコボコと泡を立てた。魔力を熱に変換させ、紅茶を沸騰させたのだ。

「おや、見事なものですね。瞬間で紅茶の温度を沸点までもっていきましたか。かなり勉強しておられる」

先生は眉もあげずに、まるで花を眺めるように、そう私を評価して見せた。私は拍子抜けをした。大抵の大人はここで顔を真っ青にするのに。

と、先生はふいに、沸騰している自分のティーカップの上に指を持ってくると、パチンと鳴らして見せた。

 ぼぁっ、とカップの上で炎が立った。

 水蒸気の燃焼……その様子に思わず私は目を丸くする。

 先生はまたにっこりと笑って応接間のソファーから立ち上がった。

「サリー様の勉強部屋で授業をしようとしましたが、やめましょう。お嬢様は実践的な訓練を望んでおられる。外に出て、少し体を動かしてみませんかね」

 私は思わずかっとなって顔を赤くした。初めて感じるやりきれない思いを押し隠すように、私はしゃなりと一礼して見せた。


 屋敷から歩いて三分ほど。我がアンライン家の領地の中の広大な荒れ地で、私とカラト先生は相対していた。

 私はいつも着ているドレスから、動きやすい乗馬用の服に着替えていた。対して先生は屋敷に来る時に着ていた一張羅のままだ。

「着替えなくてよろしいんですの?」

 私が問いかけると、カラト先生はにこりと笑った。

「ええ。大丈夫です。そんなに長い手間はかけませんから」

 そのセリフに私はカチンときた。

「ええ、そうですか。わかりました」

 私は怒りを押し隠すようにして、一つ大きく息をついた。

 実践的な訓練と言えば聞こえはいいが、今から私と先生がやろうとしているのは魔法を使った戦いだ。

 私はこの訓練でほぼ、負けたことがなかった。同級の生徒は歯が立たない。先輩は私と戦おうとしない。

 そして今までで二回、この荒れ地で勝負をした家庭教師を叩きのめしている。

 ――見ていてくださいまし。カラト先生。

 私は心の中でつぶやく。

 ――すぐにあなたを叩き潰して差し上げますわ!

「じゃぁ、そろそろ始めましょうか」

 カラト先生は、私の心中に全く気付かないのか、能天気にそう言った。

「対戦よろしくお願いします」

 先生が丁寧に私にそう挨拶をした。私は一つ息をついて、キッと先生を見据えた。次に私が先生に挨拶を返した時、それが戦いの合図だ。

 自分の中で集中力が最高に高まったその時、私は高らかに宣言をした。

「……はい。対戦よろしくお願いします」

 瞬間、私は右腕を上げて、初手の魔法を発動した。

「『風地法、礫風』!」

 刹那、私の足元の地面が砕け、無数のつぶてとなった。同時に発動させた風の魔法によって、そのつぶては縦横無尽に空を切る。あっという間に、とがった石の舞う砂嵐は、先生に容赦なく襲い掛かった。

「おや、見事ですねぇ」

 カラト先生はこの期に及んでのんきな声を出した。

「今サリー様がやられたように、実際の魔術師の戦闘では初手で相手のけん制と視界を奪う『礫風』を使うのですよ」

 カラト先生は私が引き起こした即席かつ強力な砂嵐の中で、不敵に笑みを浮かべながら、私への賛辞を述べてみせた。

 私は心の底で舌を巻いた。今までの家庭教師は、速攻で『礫風』に襲われて、体勢を崩されては、一方的にやられていた。だが、先生は身をかがめもしない。砂礫の雨の中、不敵に私のことを『ファイヤフォール』見ている。

 だが、私はもうすでに次の術の詠唱を始めていた。『ファイヤフォール』。文字通り滝のように対象に襲い掛かる炎の放射だ。先生が『礫風』から逃れるより前に、これで先生を倒す。

 集中力をさらに高めて、私は『ファイヤーフォール』の詠唱を始める。

「……起源の長子に生物の骨子、万物の死神と……」

 詠唱の半分が終わろうか、というその時だった。

「遅い」

 砂嵐の向こう側から、無情な声が聞こえた。

 次の瞬間。

 バギャ!

 突然、何かが砕ける音と衝撃波が、私の体を襲う。

「はっ……!?」

 私は詠唱を中断し、防御の魔法をかけつつ、及び腰になってしまう。

 衝撃は背後からやって来た。視界の端で、私は後ろの様子をとらえる。そして思わず身を固くする。

 私の身体から二歩離れたところの地面が大きくえぐられていた。

「そんな……いつの間に……」

「よそ見をしないで、どんどん行きますよ……『空撃』」

 カラト先生に容赦はない。

 ズギャ!

 今度は前だ。わたしの目の前の地面が爆発したようにえぐれ、砂煙が上がる。目の前の攻撃に頭の理解が一切追い付かない。

 魔法は必ず術者の手元から出る。おそらく先生は手元から高エネルギー弾を放っているのだろう。

 だが、威力が高すぎる。これほどの威力の魔法は、長い詠唱をする必要なはずだ。それなのに……。

「『空撃』」

 先生の魔法は、詠唱と同時に私の足元に突き刺さる!

「くっ……」

 私は先生の魔法をかわし切れず、少しだけ衝撃をもらって吹っ飛ばされる。かろうじて片膝をついて着地をして、先生を見据える。

 先生と私が目を合わせた瞬間、先生の攻撃が一瞬の間だけやんだ。

 その一瞬が私に落ち着きを取り戻させる。

 ――仕方がない。こうなったら先生の攻撃は気合で耐えて、無理やり『ファイヤフォール』の詠唱をしますわ!

「……万物の死神と手を取り、高見より飲み込む騒乱となりて……」

 私は詠唱の続きを始める。先生は片眉をクイとあげた。そして遠慮なく魔法を打つ。

「『空撃』」

 私が身をかわすと予知したのか、先生の魔法は私の少し右にそれて着弾。容赦のない衝撃が私の体を襲う。が、私は防御魔法で耐えて詠唱をつづける。

「……騒乱となりて、今まさに汝を飲み込まん」

 その時だった。

「そこまでだ!」

 ふいに空気を震わせるほどの太い声が、荒れ地に響いた。

 あのカラト先生が、轟のような大声を上げたのだ。

 思わずぎょっとして私は詠唱をやめる。

 先生はまっすぐに私をじっと見つめ、静かにこう言った。

「魔法で無理をするんじゃない。死ぬぞ」

 そしておもむろに右手の指を空にかざして、パチンと指を鳴らした。

 ドォン、

 くぐもったような音が大音響でこだました。

 音のしたのは荒れ地の端にある崖のほうからだ。

 思わず崖のほうを見た私は、衝撃の光景に息を飲む。

 崖の一層が崩れ、大音響と共に、たくさんの岩となって荒れ地に落下した。衝撃で舞い上がる砂煙の向こうで、岩と地面の砕ける音が、雷のような音を響かせた。

 先生はその様子を悲しげに見ていた。

その時、そよ風が吹いて、さらりと先生の服の袖をめくって、先生の腕をあらわにした。

 袖の下から現れた先生の腕は、刺青のようにただれていた。

 先生の右腕を穴が開くほどじっくりと見る私を見て、先生は悲しそうな笑みを浮かべた。

「……私も、学生の頃無茶な魔法を使ったんですよ……幸い、魔力繊維は無事でしたが、深に耐えられず、右腕が焼けました……」

 先生はそう言って、袖で腕を隠すと、はにかんだように笑って、私に声をかけた。

「つい、暑くなってしまいましたね。帰りましょうかサリーお嬢様」


 屋敷に帰った後、先生は私に、座学で授業をしてくださった。

 教科書を私と一緒に見ながら、先生はいろんな話をしてくれた。実際に魔法を使った時の話、その魔法がどんなものに応用できるのか、これからどう改良されていくのか。

まだ生徒の私でもわかりやすく話してくれた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、気づいたら日が傾き始めていた。

「もういい時間ですね。今日はここまでにしましょうか」

 先生はから外を見て、そう言った。

「はい、先生」

 私は先生の顔をまっすぐに見て言った。

「とても楽しかったですわ。ありがとうございました」

 私の言葉を聞いて、先生は心から嬉しそうに笑顔を浮かべた。


 私の、魔法に対する自信が、少しだけ無くなってしまった日。

 それは、私の幸せな日々が始まる最初の日でもあり……もしかしたら、初恋の日だったのかもしれない。

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