第5話

スマホを手に取るあゆみ。右利きなのにいつも左手であやつる。

スタートボタンをきゅっと押す。ジュンからのLINE通知は来ていない。


―あけおめメールくらい出してもらっていいじゃない…


年が明けたばかりなのに、寂しさがつのっていくのを感じる。8年ぶりのひとりぼっち。この時間にジュンが隣にいない、ジュンの声が聞けない、ジュンの言葉すら届かない…


「はあ、何してたんだろ…」


さびしいのは連絡のないジュンのせい。もう許せない。となるはずなのだが、どういうわけかジュンへの「怒り」が湧いてこない。どうしてだろう…


いつもいるはずの人がいない時に人は何かに気づく。いることが「当たり前」に思っていたことの素晴らしさ。7年も、ジュンと一緒に新年を迎えていた私。どれだけ幸せだったんだろう。あゆみの胸には、いままで抱いたことのなかったような、やわらかな不思議な温かさを持った「感謝」の気持ちが浮かんできた。


ジュンへの感謝なのか、私たちを出会わせてくれた神様に対する感謝なのか、よくわからない。とにかく「ありがたい」のだ。


本当は腹が立っても仕方がないはずだ。2021年が明けたというのに既読スルーであけおめメールもよこさない男は問答無用で避難対象のはずである。今巷では、彼氏に怒りを覚えている女子に溢れているのではないか。でもなぜだろう、不思議なほどにネガティブな感情が消えているあゆみ。


大晦日から今まで連絡をよこさなかったのを心が許してしまっている。これまでけんかはそれなりにあったけれど、その大半は「飲み会終わっても連絡くれなかった」とか「大事な話してたのに寝落ちしてた」みたいなコミュニケーションミスが原因だった。今回は2人にとって大切な瞬間をすっぽかした超特大ミスのはずなのに、「絶対に許せない!」という鋭利で刹那的な感覚は一切ない。


電話をかけるのがおっくうなあゆみを気遣うように、2人の通話は通常はジュンからだ。日々のやり取りも、デートの誘いも、ジュンから発信するのが2人に暗黙のルールだ。


ところがなぜか今、着信履歴を開いてジュンの番号にリダイアルしようとしている。グリーンの受話器ボタンをタップしようとしている。ふつう女子は男子からあけおめ電話をくれるのを待ち望んでいるはずだ。電話するのがめどくさいあゆみなのに。


そもそも新年の始まりを坂宮神社で過ごす2人にとって、あけおめ電話もLINEも必要がない。1月1日になった瞬間すでに2人はそばにいてコミュニケーションをしているのだから。


何だかわからない「ありがとう」という小さいけど確かな心のぬくもりが、「自分から電話をかける」というあゆみにとってはハードルが高い行動に誘っている。


8年目にして初めてあけおめ電話するもの実に不思議な感覚だ。それも自分から。この今まで味わったことのない新鮮な気持ちもまた、ジュンへの発信へと向かわせているのかもしれない。


呼び出し音が鳴る。どきどきする暇もなく、ジュンはわずか1回で出た。


「もしもし」

「あ、もしもし」

2年越しの連絡スルーだったものだから、いきなり電話に出てくれたことに驚いてしまった。あゆみは8年も付き合っていながら急に話されると未だにキョドってしまう自分に、胸に中でため息が出る。


「明けましておめでとう」

「おめでとう」

「LINE見たでしょ?」

「うん見た」

「坂宮神社にオンライン参拝してたんだけど、ジュンもやってみた?」


ジュンからは思いがけない言葉が返ってきた。


「あのね…」

「ん?」

「実は俺ね、もう坂宮神社に初詣に行ってきたんだ…」

「えっ??」

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