慶長5年4月美作(その4)


新免伊賀守の嫡男の長春が、百合姫と捨丸がいる座敷に突如現れたので、ふたりは驚いた。

が、このことが、かえってふたりの距離を近くした。

何も変わらず、姫は捨丸を招き、キリシタンの話をしてくれた。

姫は、捨丸の視線を避けるようになったが、たまたま目が合うと、姫は頬を染め、小首をかしげた。

その様子を見る捨丸の胸も高鳴った。

「さて、どこまでお話しましたか?」

居ずまいをただした姫は、捨丸にたずねた。

「イエスが洗礼を受けたところまで、うかがいました」

「ああ、そうでしたね。ええ・・・次は、荒野で断食をしているイエスさまに、空腹ならこの石を麺麭に変えて食べろ、と悪魔が誘惑するお話です」

「石を麺麭に、ですか?」

「ええ。悪魔はすでにイエスさまが救世主であることを知って試したのです。でもイエスさまは、『ひとは麺麭だけで生きるものではない』と答えられました」

「・・・どういうことでしょう?」

「そのあとに、『神の口から出るひとつひとつのことばで生きる』と、続くのです。お分かりですか?」

「生きるためには食べねばならない。だが、それだけが人生ではない。神様にすがって生きなさい、ということでしょうか?」

「そうですね。半分は当たっています。このことばは、イエスさまの時代よりもっと古くからある教えの引用です。ただ食べて生きるだけの人生を、まったく否定したのです」

「そこまで」

「ええ、たぶん。神のことばとは、神の教えのこと。・・・ですから、飢えていても、飢えていなくとも神の教えの一言一句を元として生きなさい、とイエスさまはおっしゃりたいのでしょうね」

「なるほど。ただ食べるだけの人生では駄目ですか。これは、かなり覚悟がいりますね」

捨丸が溜息をつくと、それを見た姫は、

「すべてを神にゆだねれば、肩の荷をおろして、幸せに生きることができるのです」

と言って微笑んだ。

その時、いきなり襖が開き、嫡男の長春が現れた。

「あれほど言ったのに。まだ、そんなことをやっているのか!」

よほど腹に据えかねたのか、蒼ざめた唇が震えている。




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