ここは先に行ったけど任せてない

 学院の敷地内を二人の男女が走っている。それを追いかけるのは明らかに学び舎と無関係の姿をした連中だ。そして、傍から見る限り相手を捕まえ害そうとするであろうことが伺えた。


「中々にめんどくさいことになってますねぇ」

「言ってる場合か!」


 追いかけられている片方、少女の名はマリィ。そして少年の名はニコラス。ちなみに何故こうなったかは二人共によく分かっていない。

 学院の授業が終わり、今日は一人であったマリィが寮に戻ろうとした時の話である。たまたまニコラスと遭遇し、先日の調査は進んでいるのだろうかと彼女に問い掛け、あの後出掛けたきりエリーゼはこちらに来ていないことを答えながら歩く。

 そんなことをしていたら、ふと気付いたのだ。あれ? 周りに誰もいなくない? と。


「人払いされていたのは偶然か……?」

「そうですね。たまたま人がいないタイミングを狙ってあのごろつきっぽい人達が来たんだとすれば、相当運が悪いんでしょうね、わたし」

「だったら巻き込まれた僕はもっと運が悪いな!」


 そんな軽口を叩きながら学院を走る。割と考えなしに走っている割には、誰にも遭遇しない。ということは、間違いなく作為的なものがある。流石のマリィでもそれくらいは分かっていた。

 問題は、その目的だ。誰を一体どうする気なのか。それが、分からない。


「……まあ、予想はつくんですけどね」

「例の件、ということか? こんな直接的にマリィ先輩をどうにかするとか、やけになったのか!?」

「目撃者がいなければどうとでもなるんじゃないですか?」

「自分のことなんだからもう少し気にしろ!」


 えらく軽い調子でそう述べるマリィにニコラスがツッコミを入れる。そうしながら、息を整え彼女を見た。つまり、狙いはそっちだけで、自分は関係ない、と。


「目撃者の扱いがどうなるか、ですよね」

「見なかったことにすれば助かるかもしれない、か」


 追跡者を一瞥。そしてスピードを緩めず走り続けた。その手の取引が出来るほど頭の良さそうなのはいないだろう、そうニコラスは判断したからだ。何より、雇われただけであろうごろつき連中がそんな臨機応変な対応をするはずもない。

 それを差し引いても、彼の中で隣のスチャラカ娘な先輩を見捨てる選択肢を取るつもりもない。ないのだが。


「……はぁ、はひ、ふぅ」

「ニコラスくん、あんまり無理しちゃ駄目ですよ」

「そういう先輩は、余裕だな……」

「だてに毎週エリザベスさまに始末されかけてませんからね」

「それは、自慢じゃ、ない……」


 魔導師のイメージに漏れず、ニコラスも体力には自信がなかった。共に走り続けていたのだが、マリィはピンピンしているのに彼は息も絶え絶えだ。このままでは間違いなく自分が足手まといになる。


「先輩……僕を置いて、逃げろ」

「そうしたら、ニコラスくんが危険ですよ?」

「気にするな。向こうの狙いはマリィ先輩なんだから、僕一人ならば」

「人質にされません?」

「誰が素直に捕まるって言ったんだ。……時間稼ぎをしてやるんだよ」


 ポケットから腕輪を取り出し、装着した。それと同時、彼の右手に魔法陣らしきものが浮かび上がっていく。そうやってニコラスが思い切り戦闘態勢を取ったことで、マリィは思わず目を見開いた。え? いいの? そんな顔で彼を見た。


「学院でその手の呪文を無許可でぶっ放したら、反省文じゃ済まないですよ!?」

「この状況でそんなこと言ってられるか! いやまあ、直前までそんなこと考えてたからこうなったんだけど」


 はぁ、と溜息を吐く。そうしながら、彼はさっさと逃げろとマリィに叫んだ。ううむ、と悩んでいた彼女も、その言葉に我に返るとごめんなさいと駆け出す。反撃用の何か手に入れたらすぐ戻ってきます、と物騒な捨て台詞もついでにもらった。

 ごろつき連中が追い付いてくる。そいつらを通さんとばかりに魔法陣を構え仁王立ちしたニコラスは、相手の出方を見つつ呪文を。


「――は?」


 素通りした。まるで誰もいなかったかのように、全くこちらを見ること無く。連中はニコラスを素通りして駆け抜けていったのだ。

 否、まるで、ではない。連中の中で、ニコラスは間違いなく存在していない。


「そういうことかぁ!」


 即座に振り向いて呪文を放った。ごろつき連中の眼前で発動したそれは、小さな爆発を巻き起こし進路を妨害する。それに吹き飛ばされた彼らはバランスを崩したものの、しかし立ち上がると再び目標に向かって足を。


「そうは、いかない」


 木製の大剣が男達を纏めて薙ぎ払った。ごろごろと転がるごろつきは、追いつこうとしたニコラスの後方まで吹き飛ばされていく。

 そんな芸当を行った赤毛の青年は、問題ないだろうと言わんばかりの表情でニコラスを見た。事情はよく分からないが、と頬を掻きながら彼の隣に立った。


「こいつらは、例の件に関わることだろう?」

「恐らくは。そしてどうやら、マリィ先輩だけを狙ってるらしい」

「ふむ、了解した。では、自分が押し留めてみせよう」

「この間の汚名返上に、か」

「そこは、濁してもらえるとありがたいな」


 そう言いながら、青年は手にしていた木製の大剣を構える。準備も何もしていないので練習用のこんな得物だが、まあ問題ないだろうと彼は立ち上がったごろつき連中を真っ直ぐ見た。


「アシュトン先輩、注意してくれ。そいつら、僕らには目もくれずにマリィ先輩だけを追っている」

「承知。――アシュトン・バスカヴィルの名のもとに。ここから先へは通さん!」







 ん? とマリィは足を止めた。周囲には追い付いてくるごろつき共はいない。いないが、しかし。


「今、野太い声で女の子みたいな悲鳴が」


 心当たりはあるが、確認しに向かうわけにもいかない。何より、彼女の予想が正しければ、それはきっと。

 ピクリと気配に反応した。察知が遅れるとエリザベス相手では一瞬でミンチなので、マリィにとっては大前提の技能である。


「……」

「……こんにちは。今日は取り巻きを連れていないんですね」


 こちらを真っ直ぐに見詰めているのは、件の伯爵令嬢だ。どこからやってきたのか分からないが、とにかく彼女はマリィに向かってゆっくりと歩みを進めている。

 そんな令嬢を見て、マリィが抱いたのは違和感だった。これまでのように、取り巻きに命じたり直接嫌味を言いに来たりという時に感じた覇気がない。これではまるで、こちらを害しに来たというよりも、むしろその逆。あるいは全く違う方向。


「っ! 危ない!」


 一気にトップスピードに加速したマリィは、伯爵令嬢の手を取ると全力で駆け抜けた。一瞬遅れて、ガラガラと頭上から破壊されたテーブルが降ってくる。のんびりとあそこで待っていたら、間違いなく下敷きになっていた。


「大丈夫ですか?」

「……の。……がうの」

「はい?」

「……ちがうの。ちがうの! 私じゃない! 私はこんなこと、頼んでなど!」


 取り乱したように叫ぶ令嬢を見て、マリィは思わず引く。あー、そういうやつですか。そんなことを思いながら、少し考える仕草を取った。

 そうして、彼女が慕っている、彼女が一方的に親友だと思っているエリザベスのごとく。


「ていやー」

「きゃん!」


 ビンタした。パァン、と誰もいない周囲に音が響き、割と手加減なしにぶちかましたことを感じさせた。勿論令嬢の頬は赤くなっている。

 ヒリヒリと痛む頬によって、伯爵令嬢はそこでようやく我に返った。何をするの、とマリィに食って掛かり、その反応を見て彼女はこれでよしと笑みを浮かべる。


「正気に戻りましたか?」

「は? え? ……あ」

「ちなみに、わたしは謝りませんよ。嫌がらせの犯人だし丁度いいかなって思ったくらいですから」

「……はっきり言うのですわね」

「育ちが悪いですから」


 そう言って笑みを強くさせたマリィは、それで一体どうしたのだと彼女に問うた。自分じゃない、と叫んでいたのだから、今のこの状況は望んだものではないはず。ならば、解決させるための情報提供くらいはしてくれるのでは。そう考えたのだ。

 が、令嬢は首を横に振る。知らない、と。こんな状況自分は知らない。そう言って頭を抱え蹲った。


「いやまあ知らないなら知らないでいいんですけど。だったら何で巻き込まれてるんですか?」

「し、知りませんわ! 私はただ、あの子達と、あなたへの嫌がらせをどうするか話し合っていただけで」

「少しは隠す努力しません?」


 その自白は別の意味でアウトだ。まあこの単純さだからこそ巻き込まれているのだろうとあたりを付け、そうなると情報すら碌に聞き出せないかと溜息を吐く。それでも一応、もう少しだけ聞いておこうと彼女はごろつきのことを尋ねた。

 が、マリィの予想とは裏腹に、伯爵令嬢の顔色がみるみるうちに悪くなっていく。


「まさか、そんな……?」

「あれ? 心当たりあるんですか?」

「ち、違うわ! ただ、どうせならそのくらい思い切った方が貴女が思い知るでしょうと」

「違わないじゃないですか」

「だから違うのよ! そんな話をしただけなの! 実行出来るわけがない、と雑談で飛び出した話題なの!」

「雑談でそれ飛び出すのは大分やばいですよね」


 ちょっと彼女達の頭が心配になるが、別に友人というわけでもなし。特に何か忠告することもなく、マリィは少しだけ思考する。今必要な情報は、その雑談が現実になっていることだ。そして加えるのならば。

 それらはついでに、首謀者であったであろう伯爵令嬢も始末しようとしたことだ。


「えーっと」


 視線を上げる。先程テーブルが落ちてきた場所から考えて、校舎の窓から落としたとは考えにくい。大きさが合わない。だから、もしそれを行うならば。

 今から行って間に合うか。そんなことを考えはしたが、案外罠を張って待ち構えている可能性だってある。とりあえず行くだけ行ってみようとマリィは結論付け頷いた。


「ちょっと、貴女! どこに行く気ですの!?」

「あっちの校舎の屋上ですよ。あのテーブルとか落とした犯人の手掛かりとか落ちてないかなぁって」

「私は行きませんわよ!」

「いや、別についてこなくていいですから、大丈夫です」


 ガチめの拒否である。置いていったら被害に遭うかもしれないという心配はあるが、何の罪もない令嬢というカテゴリには入っていないのでマリィとしてはどっちでもいいのだ。

 ベスがここにいたら、お前はヒロインとしてそれでいいのか、と説教なのかツッコミなのか分からない叫びを上げていただろう。

 じゃあ行きますね、とマリィはスタスタと歩みを進める。伯爵令嬢はそんな彼女の背中を睨み付けるようにしながら立っていたが。しかし猛烈な悪寒に襲われ目を見開いた。

 視線を、腹の立つ男爵令嬢から、自身の背後へと向ける。そこに立っていたのは、先程話題に出たごろつき共。ただ、ほんの少しだけ変わった特徴を持っていた。

 首がありえない方向に曲がっている。


「いやぁぁぁぁ!」

「あ、今度は本当に女の子の叫び声ですね」


 涙目で、というか令嬢にあるまじき涙と鼻水でぐっちゃぐちゃになった顔で全力疾走してきた彼女は、マリィにしがみつくと盾にするようにその体に隠れた。対するマリィはそれを見ても冷めた表情である。


「エリーゼさまやベスさんと比べ物にならないくらい汚い……」


 中々に酷いダメ出しである。明らかにアンデッド、というかゾンビであるごろつきの成れの果てを見ながら、とりあえず無視でと踵を返した。目的地に行ってから考えよう、そんな斜め上の結論を弾き出した。

 置いていかないで、と伯爵令嬢がその腕を掴む。はいはい、と彼女はそのまま二人で校舎へと歩みを進めた。表情の対比が極端である。


「ん~。それにしても、一体どういう状況に持っていきたいんでしょうか」


 廊下を歩きながら思考する。これでマリィをどうにかしようとしているのならば、それは明らかに大事件だ。噂の断罪劇の片割れがそんな死に方をしたとしたら、世間が思い浮かべる犯人は。


「マクスウェル公爵家?」

「い、いきなり何を言い出しますの?」

「そうですよ。ついでにエリザベスさまの派閥だった伯爵令嬢も殺しておけば、実際がどうであっても証拠隠滅だと勘ぐられる」

「ひっ!」

「あ、でもわたしが生き残ってこの人が死んじゃった場合は……あー、男爵令嬢が全て悪いって方向に持っていく感じですね」

「どのみち私は死ぬの!?」


 なんてことない軽い口調で自分が殺されることを呟く眼の前の少女が、どうしようもなく怖い。伯爵令嬢が感じたのは得体の知れない恐怖で、そして同時に自分はこんなのに嫌がらせをしようとしていたのかという後悔である。


「んー。ニコラスくんは多分足止め、アシュトンくんはさっき悲鳴上げてたから論外。エリーゼさまが来てくれれば手っ取り早いですけど、その場合この人ついでに殺されちゃいそうですし」

「ひっ!」


 鼻歌でも歌うように自分が殺される未来が描かれる。お嬢様として生きてきた彼女にとって、それは未知の領域であり、理解の範疇を超えている。

 だから。


「しょうがない、わたしが守るしかないみたいですねぇ」

「お願いしますわ! 是非! 助けてくださいませ!」

「はえ?」


 そんな彼女に全力で縋られ、マリィは若干の困惑を浮かべた。


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