カエルの弟はカエル
翌朝。
「ふぁぁぁ……」
先に覚醒したのはベスであった。目を覚まし、そういえば執務室で寝たんだっけと寝ぼけまなこで体を起こし、そして周囲をノロノロと見渡す。
真横にフィリップの顔が見えて、彼女は思わず叫び声を上げた。
「おはようベス嬢。いきなり叫ぶのは感心しないな」
「何平然と会話しようとしてんだエロボケ王子! 寝込みか? 寝込み襲ったのか? ヤッたのか? ふざけんなよ!」
「落ち着け。俺は何もしていない。朝の支度を済ませ、執務室に来たらまだリザが寝ていたから、その寝顔を眺めていただけだ」
「んー……何か一歩間違えると変態の発言なんだけど、一応、好きあってる同士? だし?」
いやそもそもエリーゼはフィリップが好きでいいんだろうか。昨日思わせぶりな発言をしてはいたが、はっきりと彼のことを好きだとかそういう発言はしていなかった。
ううむと首を捻るベスを見ながら、まあとにかく誤解だと彼は簡易ベッドから離れる。そうしながら、少し気になったと彼女の方へと振り向いた。
「君達は、どういう状態なんだ?」
「説明しなかったっけ? エリーゼが首で、あたしが体」
「いや、それは聞いた。恐らくだが、マクスウェル翁の策略らしきもので傀儡の死体にされかけたということもな」
「それ以外に、何が気になるのかしら」
「お、エリーゼも起きた」
小さく可愛らしい欠伸をしたエリーゼは、体をううんと伸ばしてベッドから出る。その際に揺れた胸をフィリップがガン見していたのをベスはしっかりと確認した。
「おはようリザ。気になるというか、その、二人は、きちんと別の存在なのかと思ってな」
「どゆこと?」
「認識としては二つの魂が一つの体に宿ってはいるけれど、実際はそうではなく、ベスがわたくしの異なる人格であるという可能性の話ですわね」
ああ、とフィリップが頷く。ベスは意味がよく分からず間抜けな表情で口を半開きにしたため、エリーゼにみっともないと主導権を奪われていた。
体にあるという黒幕の企みを潰す役目を果たした超容量の魂は、それそのものに人格を持っているのか。それとも、それをきっかけにしただけで、ベスはエリザベスのもう一つの人格なのか。
そう言われてもとベスは悩む。自分の記憶が、本当に正しいのかなんて分かるわけがない。物部須美香は既に死んでいて、その記憶をエリザベスが覗き見たことで生み出した仮想人格だと言われれば、そうかもしれないとしか言いようがないのだ。
「まあ、でも」
「何かあるのかしら?」
「あたしはあたし。どっちにしろそれは変わんないかな」
「そうか……」
ベスの答えに、フィリップは何かを考える仕草を取る。そうしながら、これはまだ仮定の話だが、と口を開いた。
最終的に、ベスの魂を別の器に移動させようと考えている。そう、彼は述べた。
「勿論、それでリザの体が崩壊しないという確信を持てなければやらないし、ベス嬢の正体がリザの別人格ならば意味をなさない」
「フィリップ、あなた何を考えているの?」
「いや、一つの体に別の人格を持った魂が二つ入っていては、不便だろう、と」
「……あんさエロ王子。体よくあたし追い出してエリーゼとイチャイチャしたいとか考えてない?」
「……」
「こっち見ろよ」
無言は肯定とみなした。ぶれねぇなこのエロボケ、とベスは溜息を吐き、エリーゼはどこか楽しそうに笑う。それが同時に行われたので、笑いながら溜息を吐く不思議な少女が出来上がった。
「まあ、思惑はどうであれ話自体は悪くはないと思う」
「あらクソ眼鏡、おはよう」
「グレアムさん、おはよー」
横合いから声。視線を向けると、執務室の扉を開けて中に入ってくるグレアムの姿があった。朝から早いなぁ、と歩いてくる彼を見ていたベスに答えるように、そうしなければいけない理由があったと眼鏡のズレを戻した。
「流石に王宮で大っぴらにお前達の姿を見られるわけにはいかないからな」
「そのためにわざわざ? ご苦労なことですわね」
「お前は自分が公爵令嬢のアンデッドだという自覚をもう少し持った方がいい」
紅茶でも淹れるか、とグレアムが動く。それを待つ間に簡易寝具を片付け、執務室を普段通りの様相に戻した。こういうのって事情を教えられたメイドとかがやるんじゃないの、というベスの呟きは流された。
そうして朝の紅茶を飲みながら、今日これからの行動を話し合う。
「さっきのあれ流すの!?」
「まだ先の話で、それも仮定でしかない。何より、中の人のそれからに関わることだろう。ゆっくり考えればいい」
「あ、うん。あんがとグレアムさん」
「では、話を続けよう」
フィリップ達はこれから伯爵令嬢の行っているマリィへの嫌がらせと公爵家に繋がりがないかを調べる予定である。令嬢達を直接問い詰めるのはその後だ。
他のルートでも何か黒幕へ辿り着くものがあればいいのだが、今の所手掛かりとなりそうなのは噂の出処くらい。あるいは、エリザベスの体そのものか。
「ヒョロガリが言っていたわ。わたくしの今の構造はありえない、と」
「なんか大半の魔導師は調べても分からないだろうとか言ってたっけ」
「彼は腐っても筆頭魔導師の技術を受け継いでいるからな……となると、エリザベスを調べられるのは現筆頭魔導師のラングリッジ卿くらいということなるな」
「今のリザを多数の目に触れさせるのは得策ではないだろう」
フィリップの言葉に、グレアムもそうだなと頷く。流石にこういう場所では余計なことを考えないかとベスも聞き専に回っていた。
しかしそうなると殆ど進展が見込めない。というより、地味な行動しか出来ない。その結論を出した場合、不満ぶっこくのが約一名いるのをここにいる面子はよく分かっていた。
「つまらないですわね」
ほら出た。そんなことを思いながら、頬杖をついて二人を見るエリーゼにフィリップもグレアムも視線を向ける。そう言われても出来ないものは出来ない。証拠なぞ知るかと公爵家に乗り込んだところで、この一件は解決しないのだ。
「乗り込んで証拠を集めてくればいいのでしょう?」
「いいわけあるか」
「そもそもあれでしょ? エリーゼの考えてるやつ、黒幕の爺さんだか誰かボコして無理矢理証言させるとかそういうやつでしょ?」
「上手く行けば一気に解決じゃない。何が悪いの?」
「今度こそ本当にただの死体になるか、あるいは死体人形になるか。その可能性が大いにあるからだよ。俺はリザを、愛する人をもう失いたくない」
「……むぅ」
下心なしに真っ直ぐ伝えたからだろうか。エリーゼが珍しく引き下がった。ついでに彼女が少しだけ恥ずかしそうにそっぽを向いたので、ベスは心の中だけでニヤニヤする。そうしながら、本当にあのエロ王子でいいのかなぁ、と不安になった。
ともあれ、そうなると本気で彼女は暇になってしまう。そしてそうなった場合、高確率で碌でもないことをするだろうと付き合いの長い二人は分かっていた。
「かといって、エリザベスにやってもらうような仕事は」
「……」
ううむ、とグレアムが何かを探している中、フィリップは少し考え込む仕草を取った。そうした後、横の彼にあの案件を頼んだらどうだと述べる。言われた方は一瞬怪訝な表情を浮かべ、そして本気かと眉を顰めた。
「確かにエリザベスなら適任かもしれんが」
「もったいぶるわね。何かあるなら言いなさいクソ眼鏡」
「……禁呪の調査だ」
はぁ、と探していた書類の山とは別の場所にある棚から数枚の書類を持ってくる。それらをエリーゼの眼前の並べると、個人的にはあまり乗り気ではないと呟いた。
書類を手に取る。そこに記されていたのは、今回の断罪劇で起きた『何も問題なく進んだ』出来事だ。普通ならばもう少し手間が掛かる、あるいは足止めされるような問題が起きるはずの、そんなものだ。
「そこに、禁呪の痕跡があるかどうかを調べてもらいたい」
「ねえ、エロ王子、いいの? 禁呪ってことは前の公爵家のテリトリーっしょ? 危険が危なくない?」
さっきお前が言ってたやん。そういう意味合いを込めたベスの言葉に、それは分かっているとフィリップは返した。ほんとかよ、という目で彼を見たが、グレアムも似たような目をしていたので大分信用がないのだろう。
「いや、分かっている。だからとりあえず、危険が少ない案件を任せたいんだ」
「まあ、やることもなく軟禁されるよりはいいのでしょうけれど。一体どれをやらせる気?」
「ああ。これだ」
そう言って一枚を指差す。その部分を眺め、エリーゼは成程そういうことかと肩を竦めた。確かにそれならば、無茶な行動をすることも殆どない。
何より、この調査をする場所は王宮内。二人の仕事のついで程度に向かえる位置にある。
「えっと、つまり?」
書類を読んでいたベスも察したのだろう。小さく笑うフィリップと呆れたようなグレアムを見て、何か面倒そうだと苦い顔を浮かべた。
「エドワードの馬鹿に、会いに行きますわよ」
カリカリとあてがわれた部屋で軽い書類仕事と学院に与えられた課題をこなしていたエドワードは、扉をノックする音で我に返った。どうやら余程集中していたらしい。そんなことを思いはしたが、しかし今日はまだそれほど時間も経っていない。外出も出来ず王宮内での生活を強いられているからだろうか、その辺りが曖昧になっていた。幼い頃は、同じような状況でもそんなことを思うことはなかった気がする。それは成長したからなのか、それとも。
再度ノックが響く。いかんいかんと気を取り直したエドワードは、どうぞと入室の許可を出した。メイドか誰かが、兄の言伝でも持ってきたのだろうか。そんなことを思いながら、彼はやってきた人物を見た。
「しばらくぶりですわね、エドワード」
「ぶふっ!」
吹いた。予想外の人物が突如現れたことで、彼の頭が混乱する。一体全体どういうことだ。目の前の光景が信じられず、思わず自身の頬を抓った。痛い、夢じゃない。
その人物は部屋の扉を閉めるとゆっくりとこちらに歩いてくる。動きやすいように誂えられたドレスは、そのまま走り回っても暴れても問題ない。それでいて、彼女らしく地味さと無縁なデザインは流石というべきか。
しかし問題はそれではない。間違いなく目の前にいる人物は彼女なのだが、しかしそれを認めると自身の認識が狂ってしまう。
「どうしましたの? 元婚約者でしょう?」
「……本物、だ」
「当たり前でしょう。わたくしがそれ以外の何に見えるというのよ」
「え? ……化け物の類、かな」
「は?」
「あ、いや、済まない。いくら混乱するような出来事が目の前に展開されていようと、令嬢に使うべき言葉ではなかった」
そう言ってエドワードは頭を下げる。その拍子に、兄であるフィリップと同じ銀髪がさらりと揺れた。フィリップは鋭さを感じさせたが、彼のそれはどちらかというと柔らかなイメージを醸し出している。
そうして再度顔を上げたエドワードは、目の前にいる少女を、エリーゼをしっかりと見やる。金の瞳がほんの少しだけ細められた。
「エリザベス。貴女は……生きて……いや、違う。……貴女は、『エリザベス』として動いているのかい」
「相変わらずの把握能力の高さだこと。だからこそ、黒幕は真っ先にあなたを選んだのでしょうけど」
はぁ、とエリーゼが溜息を吐いたことで、エドワードが怪訝な表情を浮かべる。自分自身に起きたことを、目の前の彼女はある程度分かっているようだ。正直己ではきちんと解明出来なかった。だから、情報が手に入るのならば。
「その前に。何か言うことはなくて?」
「……謝罪を述べるのは、違うと思うんだ」
「一応聞きましょう。それはどちらについて?」
「両方、かな。貴女を処刑台に送ったという、取り返しのつかないこと。そして」
そこでエドワードは言葉を止めた。言い辛そうに視線を逸らすと、頬をポリポリと掻きながら息を吸い、吐いた。
「……婚約破棄を、したこと」
「後半はもういいわ。どうせわたくしは死体、世継ぎが産めるかも定かではないもの」
「そこまで明け透けに言われると、俺としては反応に困るな……」
ははは、と苦笑したエドワードは、聞いてもいいだろうかと彼女に問うた。ええ、とエリーゼは既にすっかり話し慣れたこれまでの経緯を彼に告げる。自身の現状、フィリップ達に協力していること、黒幕の予想。
「成程。それでここなんだね」
「ええ。あなたを無意識に誘導した『何か』が禁呪ならば、それを辿ることが出来るはず」
「分かった。俺で良ければいくらでも協力しよう」
「嫌でも無理矢理調べるけれど」
「だろうね。貴女はそういう人だ」
そう言って笑みを浮かべたエドワードは、では何をすればいいと問い掛ける。そうしながら、少し気になっていたことがあってと頭を掻いた。
「何かあったかしら」
「いや、さっきから時々、貴女の表情が何か言おうとして口を噤むものに変わっていたから」
「ああ、そういうこと。……ベス」
「あ、もういい? いやだって何か普通に真面目な話してたからあたし喋ると絶対駄目だなって思って」
「……そちらがもう一つの魂だね」
「あ、はい。ベスって名乗ってます」
「エリーゼと、ベスか。エリザベスが分割したから……なんとも貴女らしい」
どこか楽しそうに笑うエドワードを見て、ベスはさっきから思っていたけれどと目を細める。何かこいつ色々お見通しみたいな空気醸し出しててやりにくい。口には出さずに呟き、それとは別にと口を開いた。
「エロ王子より王子っぽい」
「雌豚も言っていたでしょう? エドワードの方が紳士だと」
「まあ言ってたけど……」
この手の話のお約束だと、騙される方のが単純枠。そんなどうでもいい偏見を持っていたベスには、どうにも納得行かないものがある。あるいは、フィリップの煩悩が禁呪だか何だかを上回ったのかもしれない。どちらにせよ考えても意味はないことだ。
「あ、待った。ねえエリーゼ。こいつマリィちゃんのことどう思ってるわけ?」
「本人に直接聞けばいいでしょうに」
「いや、何かちょっとこういうタイプはなぁ……」
「ははは。聞こえていたから素直に答えるけれど。俺はマリィが好きだよ」
はっきりと告げた。確かに誘導されて、婚約破棄と断罪劇を起こしてしまったけれども、そこに自分の意志が何もなかったかと言えば答えは否。だから、自分はむしろこれを利用してやろうと思っている。そこまでを彼は言ってのけた。
「だから俺は謝罪を述べられない。それは貴女に、真摯じゃないから」
「何かめんどくせーやつだ」
「そうね、それは同意よ」
そういう意味では、こちらとしても婚約破棄は問題なかったと言える。元々見飽きてない美形だからとかいう理由で選んだのだ、未練がそれほどあるわけでもなし。
加えるならば、現在のマリィを、あのやべーやつをきちんと王子の婚約者として制御出来る人間は貴重だ。
「え? これ、マリィちゃんの手綱握れるの?」
「そうでなければ、あの雌豚がわたくしが処刑されるまで大人しくしているはずないでしょう?」
「あー……」
だからこそ黒幕はエドワードを狙ったのだ。彼を押さえれば、周りを容易に操れる。そう判断したのだ。
「……マリィは、どうしているのかな?」
「フィリップから聞いているでしょう?」
「そうだけれど。直接は会えてないし……あの事件から、少し距離を取られたし」
「あぁ、なんか言ってたっけ。特別な力があるから自分に構ってくれただけだとかなんとか」
「それは違う!」
「うぉ」
拳を握って突如叫んだ。そんなエドワードの剣幕にベスは思わず引き、そしてエリーゼも冷めた目で見ている。
あれあの表情、というか動き、ついこないだ見たぞ。そんなことをベスは思った。
「マリィはね、可愛いんだ! 何というか小動物っぽさがあるんだけれど、その割には真っ直ぐ一直線に走り回って、逃げることを知らなくて。そんなギャップが、こう、たまらないんだ!」
「そっすか……」
「髪の毛が見た目より少し固めで、手で梳くとそれがまた気持ちよくて。背は低めだけど、それに比べて大きな胸が、とっても柔らかそうで」
「兄弟揃っておっぱい星人かよ」
「雌豚の前では隠しているのでしょうね、これ」
王子ってやつはどいつもこいつも。そんなところで血の繋がりを見せなくてもいいよとツッコミを入れたくなるエドワードのその姿を見ながら、ベスは盛大に溜息を吐いた。エリーゼもまた、面倒臭いとばかりに小さく息を吐いていた。
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