まともな感性はSSR

 王国の中心部ともいえる巨大な建物、王宮の一室にて、一人の青年が疲れたように溜息を吐いていた。その傍らにいる眼鏡の青年は、そんな彼を労るように、しかしどこか咎めるように見詰めている。


「だから少しは休めと」

「分かっている……」


 眼鏡の青年にそう返すと、彼は椅子の背もたれに体を預けた。その拍子に、鋭さを感じさせる銀髪がサラリと揺れる。暫し目を閉じると、その金色の瞳を再度書類へと向けた。

 やれやれ、と眼鏡の青年は頭を振る。黒に近いその髪色は、彼が青年の傍らに立つ影であるとでも述べているかのようで。


「フィリップ殿下」

「……分かった分かった」


 書類から目を離す。そうしながら、お手上げだとポーズを取った。休憩をすると書類の山をどかし、スペースを作る。

 片付けている間に眼鏡の青年が淹れてくれた紅茶を共に飲みながら、フィリップは何かを考えるように視線を落とす。何を考えているか、など悩むこともないと眼鏡の青年は彼に声を掛けた。


「フィリップ」

「何だ」


 今度は呼び捨て。それはつまり、第一王子と部下という関係ではなく、十年以上の付き合いである友人としての会話だということに他ならない。だからこそフィリップも、視線を彼へとしっかり向けた。


「またエリザベス嬢のことを考えていたのか」

「当たり前だろう」

「……もう、彼女はこの世にいない」

「知っている。……だから、俺は」


 右手で顔を覆う。何故、どうして。そんなことを考えてもきりが無い。何より、あの処刑を止められる立場であったはずの自分が、それを成せなかった時点で嘆く権利などどこにもない。

 そんな彼を見ながら、眼鏡の青年は眉尻を下げた。あれは、しょうがなかったと呟いた。


「しょうがないだと!? グレアム、いくらお前でも言って良いことと悪いことが」

「ここで怒るくらいなら半月前にやっておけ」

「ぐっ……」


 眼鏡の青年、グレアムの言葉にフィリップも口を噤む。自分で先程思ったことだ、反論など出来ようもない。

 そんな彼を見て、グレアムは小さく溜息を吐いた。だが、あれは本当にしょうがなかったと続けた。


「何であいつ素直に処刑されたんだよ……」

「言い渡したエドワードですら困惑していたからな……」


 え? 首落ちたの? 何で? と言わんばかりの表情を浮かべていたエドワードを思い出す。そう思うなら最初からギロチンにかけんなやとツッコミを入れられるような人材は生憎この国にいなかった。


「まあ、おかげでエドワードの拘束もすんなりと済んだが」

「……そうだな」


 納得行かねぇと顔が述べていたが、そればかりは仕方ない。拘束された当の本人であるエドワードも恐らく同じであろう。納得行かないが仕方ない。


「しかし……そうなると、これを起こした黒幕の目的は何だ?」

「公爵家の力を削ぐため、が妥当だが」

「今の状況はそれも出来ていない」


 一連の断罪劇は全て男爵令嬢の狂言であり、真の悪女はマリィ・アップルトンである。そんな噂が市井に出回っている。当然証拠など何もない。だが、人々は信じたいものを信じる。公爵令嬢が悪であった、男爵令嬢こそ悪である。それらは、どちらにも天秤が傾くことなく、そしてだからこそ消えることなく噂は蔓延していた。


「そして、目の前の馬鹿は男爵令嬢黒幕説に踊らされかけた、と」

「ぐっ……」


 グレアムの言葉にフィリップが呻く。エリザベスの冤罪を晴らそうと躍起になり過ぎた結果、噂に飛びつきアップルトン男爵家を裁こうとし掛けたのだ。話を聞きつけた謹慎中のエドワードとグレアムからの要請でやってきた騎士団長の息子アシュトン、筆頭魔導師の跡取りニコラスの三人が必死で説得を行った結果冷静になったフィリップは踏みとどまったのだが、そのことでグレアムには頭が上がらない。


「……だが、男爵令嬢に入れ込んでいた連中の言葉を鵜呑みにしてよかったのだろうか」

「それも今更だ。どうしたフィリップ、今日はやけに」

「そうだな。……何か、あったのかもしれん」


 説得の際に散々出た話題だ。そして件の男爵令嬢にも話を聞いて、もう終わった話だ。

 何よりあの男爵令嬢はエリザベスを慕っていた。聞く限り一週間に一回は殺されかけていた気がしないでもないが、とにかくエリザベスを気に入っていた。その話を聞いたアシュトンとニコラスがドン引きしたのも記憶に新しい。勿論グレアムもこいつ頭おかしいんじゃないかと戦慄した。


「何か、か。お前の直感は案外馬鹿に出来ないからな。そういう時は必ず何かしらが」

「買い被りはよせ。それに、もしそんな直感があったのならば、俺は……リザを」

「……ふぅ。少し換気でもするか」


 湿っぽい空気を纏い始めたフィリップを見て肩を竦めたグレアムは、部屋の窓を開く。新鮮な空気が入り込み、どうやら相当淀んでいたなと苦笑した。

 そうしながら窓から見える景色を眺めていると、ふと気付く。

 何かが、こちらに向かって飛んでくることに。


「うおぉぉぉぉ!?」

「グレアム!? どうし――うおぁぁ!」


 咄嗟に避けた自分を褒めてやりたい、とグレアムは思う。窓を開けていなかったら間違いなくぶち破る勢いで飛んできたそれは、二人のいる部屋に入り込むと床をバウンドして転がった。

 急な飛来物に暫し固まっていた二人は、我に返ると即座に警戒態勢を取る。第一王子の執務室に投げ入れられるような物体など、明らかに危険物。爆発しないか、毒を撒き散らさないか。それらに対処出来るように構えつつ、まずは応援を。


「……フィリップ」

「な……」


 そのつもりであった声が途中で止まる。そこに投げられた物体を視認したからだ。ある意味爆発物であり、毒を撒き散らすような危険物ではあるが、それでも彼らにとってはとても馴染みのあるものであったからだ。


「エリザベス嬢……」

「リザ……!」


 飛び込んできたのは紛れもなくエリザベス・マクスウェルの首。処刑時にまとめて斬られないようにと避けられた美しい髪が、床の上で模様のように広がっていた。そして、宝石のような碧い目も、変わらずこちらにしっかりと向けられ。


「え?」

「ん?」

「……気付いたのならば、とりあえず机の上にでも置いてくださらない?」


 そして、二人にとって馴染みのある声で、その生首は文句を言いつつ唇を尖らせた。







 首だけのエリーゼの要請により、残った体とマリィという四分の三と一人も執務室にこっそりと入れられ、これでようやく話が出来ると彼女は息を吐いた。勿論机の上に乗っかったままである。


「暫くぶりですわね、フィリップ、クソ眼鏡」

「ああ」

「いや名前で呼べ」

「あ、わたしも雌豚呼びなのでお揃いですね!」

《えぇ……》


 グレアムはこのノリについていけていない体を見た。どうやらエリザベスとは別に自立行動しているらしく、そしてその中身は割と常識人寄りだ。そこまで考え、苦労するだろうなぁとどこか哀れみの表情を浮かべる。


「……リザ。言われるままに呼んでおいてなんだが、本当に君なのか」

「あらフィリップ。わたくしを見間違えるの?」

「いや、ああ、そうだな。君は、変わらない」

《いやどう見ても変わってるよね!? 首だよ!? 生首だよ!? デュラハンだよ!?》

「そういうあなたは、ちょっとだけやつれたかしら」

「少し忙しくてな。だが、君の無事な姿を見れたのだから、多少はマシになるさ」

《無事じゃねーよ! 首取れてんだよ!》

「エリザベス嬢のボディの中の人、あまり気にすると心が病むぞ」

《諦めてござらっしゃる!?》


 グレアムの達観した物言いに思わずツッコミを入れる。そうしながら、この人話通じそうだとベスは猛烈に親近感を覚えた。

 それで、とフィリップにエリーゼに問う。一体何の用事で窓から飛び込んできたのか。それを彼女に尋ねると、大したことではないと微笑まれた。


「わたくしが死んでからの状況を、教えて頂戴」

「……承知した」


 ふ、とフィリップも笑みを浮かべる。立ち上がると机に積んであった書類の束を彼女の眼前にどすんと置いた。

 そのまま暫し無言の空気が流れる。ゆっくりと目を閉じたエリーゼは、短くベスと名前を呼んだ。


《はいはい》

「とりあえずそこの馬鹿を殴って」

《自分でやれよ!》

「あなたはわたくしの体でしょう?」

《いやそうなんだけど……》


 目を開きジロリとこちらを睨むエリーゼに圧され、ベスはうげぇと文句を言いながらフィリップの前に立った。この顔知ってんだよなぁ。まさかの隠し攻略対象が出てくるとはなぁ。そんなことを思いながら、まあ結局やべーやつと同等の思考回路をしているのを見て乙女ゲームの世界の幻想を完全に捨て去った彼女はドキドキもしないし期待しない。

 ただイケメンをぶん殴るのはちょっとだけ抵抗が。


《まいっかー》

「げふぅ!」

「お前も大概だな中の人……」


 どこぞのお笑い特番のお約束のようなビンタでフィリップをふっ飛ばしたベスは、それでどうするとエリーゼに聞く。が、視線だけで何となく意図を察したので、彼女は生首を掴むと首の繋ぎ目へと押し込んだ。


「つくのか……」

「ええ。……何クソ眼鏡、あなたまさかわたくしの首が取れっぱなしだとでも?」

「まあ普通分離してやって来ればそう思うでしょ」

「ベスは黙ってなさい」


 自分の口を使ってツッコミを入れるベスを黙らせ、エリーゼはフィリップから渡された書類を手に取り眺めていく。

 その辺りでようやくフィリップが立ち上がった。久々にやってくれたな貴様と頬を押さえながら彼女を睨み付ける。


「先に喧嘩を売ったのはあなたでしてよ」

「ちっ」

「うわ舌打ちしたよこの王子」

「見た目と違って、意外と中身はエドワードさまの方が紳士なんですよねぇ」

「そういうの躊躇いなく口に出来るマリィちゃんの神経どうなってんの……?」

「ベス、だからわたくしの口を勝手に使わないように」


 話が進まない、とエリーゼがぼやく。その理由の大半は自業自得か類は友を呼ぶ的なやつだと思うのだが、これ以上何か喋ってもまったく得はしないのでベスは無言を貫いた。

 それで、とエリーゼは起き上がったフィリップを睨む。これで一体何が分かるというのだ。そんな文句を言いながら、彼女はばさりと書類を机に投げ捨てた。


「何だ、見ても分からないのか?」

「見て分からなければ、するのは違う質問。そうでしょう?」

「ああそうかい。どうやら腐ってないようだな」

「ええ、勿論」

「……処刑されてから半月近く経っているのに、腐っていないのか」

「物理的な意味で!?」

「ええ、勿論。……そうね、それについても聞きたかったのよ。ひょっとしたら、今回の話に関わってくるのではないか、と」


 無視かい、と言いたかったが何だか真面目な話をしそうだったのでベスは耐えた。その代わり違ったら絶対何か言ってやる。そう心に決めた。

 エリーゼのその言葉に、フィリップは暫し考え込む仕草を取る。グレアムに視線を向けると、小さく頷き別の場所から一枚の手紙を持ってきた。


「マクスウェル公爵家の頼みだった。少しだけ、別れの時間が欲しい、とな」

「わざわざきっちりと切り捨てたのに、そんな情に溢れたような事を頼んだの?」

「ああ、そうだ。……だからこそ、これには何か裏があると思ったんだ」


 フィリップの言葉に、グレアムも頷く。その後の騒動でこちらの陣営に関わるようになったマリィも、コクリと頷いた。

 まあ分からなかったが。そんな空気を霧散させるようにフィリップが肩を竦める。なんじゃそら、とベスも思わず顔を顰めた。


「いいえ。分からなかったという結果が分かったのは大きいわ」

「ああ、そうだ」

「えっと、どういうことですか?」


 ニヤリと口角を上げるフィリップとエリーゼを見ながらマリィが首を傾げる。だよね、と不敵な笑みのままのエリーゼの口からベスの同意が出たので、傍から見ていると非常に間抜けな光景が映っているだろう。


「裏はなかった、じゃない。分からなかったんだ」

「何かしらあるってこと?」

「ああ、その通り。中の人は案外理解力が高いようだな」

「……エリーゼの何か変な呼称の影響って」

「俺とグレアム、リザは幼馴染だからな」


 ベスの疑問にフィリップが答える。それもいいが話は理解してくれたか、という問い掛けに、彼女は何となくと返した。マリィは背景が宇宙になっている。どうやら先程の頷きは完全にノリだったらしい。


「それで? 公爵家が怪しい、で終わりかしら?」

「ああ」

「ふざけてますの?」

「仕方ないだろう。今のマクスウェル公爵家を下手に突けば、アップルトン男爵家を潰した後こちらに反旗を翻しかねん」

「何より、エリザベス嬢の処刑が冤罪であったという噂が、こちらの動きを抑制している」

「あはは。それのおかげでわたしも学院生活がだいぶやばいです」


 次の標的。あるいは、当初の標的。そんな状態となっているマリィの立ち位置も、薄氷の上なのだろう。当の本人である彼女は父親であるアップルトン男爵を疑うことはしていないが、それでも万が一を考え実家と連絡すら取っていない。

 はぁ、とフィリップが溜息を吐いた。本当はもっと単純に終わるはずだったんだと頭をガリガリと掻いた。


「リザ、君が処刑などされなければ」

「ああ、そうだ。エリザベス嬢、お前ならば普通に衛兵や追っ手をぶちのめして国外に逃亡するなりギロチンを弾き飛ばして無罪放免になるなり出来たはずだ。何故やらなかった」

「何故? それこそ何故ですわ。あの場でわたくしの無罪が主張出来なかった以上、大人しく決められた刑に処されるのが淑女の嗜みでしょう」

「薩摩武士かなんかなの淑女……」


 一歩進むたびに話が脱線しているような。そんなことを思いつつもベスはツッコミをやめない。考えたら負けだろうが、しかし受け入れてもそれはそれで負けた気がするからだ。


「あ、そだ」

「どうしたの? ベス」

「断罪ん時に言ってたマリィちゃんへのいじめ、あれ犯人は別にいたんだよね。そいつらって分かる?」

「今回の件に関係ないだろうから、こちらでは特に調べていないが」


 クラウスの言葉を聞き、まじかぁとベスが肩を落とす。それが何か関係するのか、という彼の質問に、まあそっちが関係ないと判断したなら無駄足だろうけどと彼女は前置きをした。


「そのいじめって、今回の断罪に持っていくための仕込みなのか、ただ単にマリィちゃんへの嫌がらせを丁度良く利用したのかで変わってくるんじゃないかなーって」

「……」

「……」


 フィリップとグレアムの動きが止まる。エリーゼは自分の口から放たれたベスの言葉に嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「あとは、ほら、学院に派閥とかあったりした場合なんだけど。その犯人がエリザベスの派閥だったらさ、公爵家の指示でもエリザベスの指示って脳内変換しちゃうんじゃない? だからやってない犯人の証拠が出来上がる」

「どうやら、相当俺たちは頭に血が上っていたな……」

「言われるまで気付けないとは……」


 はぁ、と揃って盛大に溜息を吐いた。そうしながら、ふと、そうなった理由を思い出した。エリザベスが冤罪である、という『噂』がどこからか聞こえてきた。だから、フィリップはいてもたってもいられずに。


「あらフィリップ。そんなにわたくしを想ってくれていたの?」

「……そうだと、言ったら?」

「婚約破棄もされていますし、フリーではありますが……。今のわたくしの体は死体なので、王族の世継ぎは産めないと思うのだけれど」

「試すか」

「試すなよ! 下半身で生きてんのかエロ王子!」

「やっぱりエドワードさまの方が紳士ですよねぇ」


 さて、紅茶でも淹れるか。そんなことを思いながら、グレアムはアッパーカットで久しぶりにノックアウトされる幼馴染を横目に、備え付けの給湯室へと足を進めるのであった。

 現実逃避、ではない。彼にとっては、これもまた日常の一コマなのだ。


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