メイドインディアボロス

ざわ、と学院の生徒達がその姿を見てどよめいた。彼ら彼女らの視線の先にいるのは、アップルトン男爵令嬢。特異な能力を持ち合わせているとして特待生で学院へと入れられた少女だ。公然の秘密として、庶子であるという話もある。下級貴族であること、庶子であること、その二つが合わさり、彼女は基本的に自分の身の回りの世話をする従者をつけていなかった。

 そんな彼女が、マリィ・アップルトンが。一人のメイドを伴っている。


「……」


 彼女の後ろを歩くその姿は、明らかに浮いていた。左右で結んだツインテールの金髪は鮮やか過ぎるほどで、主人であるマリィの方が手入れで負けていると言っても過言ではない。顔立ちも整っており、ゆったりとしたメイド服越しでも分かり過ぎるほど魅惑的なプロポーションは思わず目で追ってしまうほどだ。

 そして何より、その瞳。碧い右目と、漆黒の左目。まるで一つの美術品に二つの魂を入れ込んだかのような、そんな魅力を醸し出していた。


「……めちゃくちゃ目立ってるんですけど……」


 ひーん、とマリィが涙目でメイドを見る。対するメイドは知らんとばかりに澄まし顔だ。左右でくくった髪をくりくりといじっていることから、何やらそこに不満があるらしい。


「この見た目でツインテールはやっぱなかったかなぁ……」

「言い出したのはあなたでしょうに」


 同じ口から違う口調が飛び出す。いけると思ったんだもん、ならもう良いでしょう。そんな口論らしきものを一人で行うと、先程からこちらを見ているマリィに視線を移した。


「それで、どうするの?」

「えっと、とりあえずは普通に過ごすつもりでしたけど……」


 無理ですね、とどこか遠い目をした。いやまあ分かっていましたよ。そんなことを呟きながら先日の作戦会議を思い出していた。

 公爵家との繋がり、あるいは断罪の黒幕。それらを調べる取っ掛かりにするために、マリィに嫌がらせをしていた犯人確保を行う。そう決まった時にやると身を乗り出したのが、当然のごとくエリーゼだ。もし知り合いなら、仕返しの対象にもなるのでとしれっと抜かしたので、死なないようにお願いしますと皆揃って頼んでいた。勿論『死なない』に掛かっているのは『犯人が』だ。

 そんなわけで、ではどうやって見付けるか。そのための手段として選んだのが潜入。そしてその潜入時の立場としてチョイスしたのがマリィ付きのメイドというわけなのだが。


「主人の百倍くらい美人ですよぉ……」


 はぅぅ、と嘆いているのが喜んでいるのかよく分からない吐息を漏らす。乙女ゲームでもこんな感じだったらシナリオすげーことになってたんだろうなぁ、とベスはぼんやり考えていた。


「あ、そか」

「どうしました? ベスさん」

「あたし知らないから教えて欲しいんだけど。これまではどんな感じだったの?」

「これまで、というと?」

「乙女ゲー本編、じゃなくて、ヒロインが逆ハールートに行くまで、でもない。第二王子とマリィちゃんが仲良くなってエリザベスが断罪されるまで、でいいんかな? のやつ」

「あ、それでしたら。え~っと」

「ベス、雌豚。とりあえずは授業よ」


 あ、そうか。そんなことを言いながらマリィは教室へと駆けていく。お付きのメイドとはいえ、流石に授業を一緒に受けることはない。だから次にしっかりと会話するのは休み時間か昼食時だ。

 ぱたぱたと去っていく彼女の背中を眺めていたエリーゼとベスは、それが見えなくなると踵を返す。それで、まずは何をする。そうベスが問い掛けると、エリーゼは暫し考え込む仕草を取った。


「別に何も」

「おい」

「これから生徒は授業でしょう? 聞き込みも出来ないのだから、わたくしがやることはないわ」

「へーへーそういうことですか。んじゃ指示出して、あたしがその辺の調査するから」

「どのみち、大して何もやることは無いと思うのだけれど」


 学院の、人気のない場所をつらつらと述べていく。何かやらかすならばその辺、というわけだ。授業をサボってまで嫌がらせをするような貴族はいないだろうから、そこに行っても決定的瞬間はない。


「うわ」

「ここまであからさまだと逆に褒めたくなりますわね」


 精々が、既に終わった痕跡が残るだけだ。そんなわけで調査してから数箇所目、見事にボロボロとなった教科書が散乱しているのを二人は見付けた。ひょい、とそれを持ち上げると、所有者を示す紋章が見て取れた。


「……アップルトン男爵家の紋章ね」

「ビンゴ。いや喜べねーけど」


 紛うことなきマリィの教科書というわけだ。今頃授業で使えず困っているであろう彼女を想像し、ベスは何とも言えない表情になる。対するエリーゼは平然としていた。今日はまだ使わないものだ、ということを認識しているからだ。


「何で知ってんの?」

「朝スケジュールを見たでしょうに……。やはり首がないと知能が」

「うっせいやい。あー……んじゃこれ、今から渡せば間に合う?」

「使えるとでも?」

「……ですよねぇ」


 然るべき場所で修復しなければ使えないようなボロボロの本を渡しに行って何になるというのか。ある意味嫌がらせの追加攻撃になるようなそれをする気になるはずもなく、ベスはとりあえず回収すると溜息を吐いた。


「まあ、あの雌豚のことだから既に慣れたものでしょう」


 しれっとそんなことを抜かす。確かにそうかも知れないが、だからといって放置しておくのも。そんなベスの感情が同じボディなので伝わったのだろう、本当に脳天気だことなどと言いながら、エリーゼが頬に手を当てた。


「フィリップから聞いたのだけれど、この学院にあるわたくしの部屋は未だ残っているそうよ」

「そういやそんなこと言ってたっけ……。ん? 何で?」

「わたくしの私物でも回収して自慰に使うつもりだったのかしら」

「やめて! これ以上隠し攻略対象のイメージぶち壊さないで!」

「冗談よ」

「その冗談、場合によっちゃ捕まって首が飛ぶやつじゃないですかね……」


 幼馴染だとか言ってたけど、それ許容されるやつなの? そんなことをベスは思ったし聞きもしたが、エリーゼは平然とそんなわけないだろうと言い放つ。絶対喧嘩になる。自信満々にそう言い切った。


「もういいよ……。んで、それがどうしたの?」

「わたくしと雌豚は同学年よ。当然、それと同じものをわたくしも持っているわ」

「ふむふむ……。え? マジで言ってる?」

「当然。それに、丁度いい罠になるでしょう?」


 エリザベスの教科書ということは、当然マクスウェル公爵家の紋章が記されている。嫌がらせの犯人が再び同じことをしようとした時、それを見たら。あるいは、ボロボロにした教科書が公爵家のものだと発覚したら。


「みみっちい嫌がらせはしないって言ってなかったっけ?」

「犯人捕縛に使うだけよ。勿論、その後は」


 ゴキリ、と指を鳴らしているエリーゼを見て、こいつあの時のお願い忘れてねぇだろうなと本気で心配になった。







「あ、教科書がないんだった……」


 きっとまたボロボロにされてるんだろうな。そんなことを思いながらさてどうするかと考えていたマリィは、まあいいかと諦めた。どうせ今から探しても授業が始まるまでには見付からないし、こんなこともあろうかと教科書の内容は全て複数の媒体に書き写してある。その結果ほぼ頭に入ってしまったのでぶっちゃけそれすらいらないのだが、まあとりあえず記憶から引っ張り出すよりは見る方が何も考えずに済むだろうとそれを取り出し。


「……ほえ?」


 誰かが横に立っているのに気付いた。いつのまにか講義室の喧騒が無くなっており、そして視線はほぼ全員がこちらに向いているのがマリィも分かる。

 ゆっくりと視線を動かした。そこに立っていたのは朝一旦分かれた、今日自分が目立つ元凶ともいえるメイド服の少女。そんな彼女が、何やら本を手にしてそれを差し出していた。


「え、っと? エリ――」

「はいこれ。忘れ物」

「あ、ベスさんの方ですか」


 朝の表情とは別人のような脳天気なその顔と口調を確認し、マリィは少しだけ力を抜く。そうしながら、少し顔を寄せ声量を落とした。


「エリーゼさま、どうかしたんですか?」

「別にそういうわけではないわ。この場は任せろとベスが言うものだから」

「エリーゼの状態でここ来たら絶対何か起きるからだよ」


 はぁ、と溜息を吐くベスを見て苦笑したマリィは、とりあえず彼女の持っていたその本を受け取った。どうやらこれからの授業で使う教科書の代わりを持ってきてくれたらしい。

 ありがとうございます、と受け取ったそれの裏表紙をなんとなしに見る。マクスウェル公爵家の紋章が記されていて、思わずむせた。


「これってエリザベふごごご」

「しゃらっぷ。いいから受け取っといて」

「ぷは。何かの作戦ってことですか?」

「そういうこと。エリーゼの提案だから、安心して使いなー」

「……ありがとうございます!」


 おぉお、と目をキラキラさせながら教科書を捲る。いや同じだからねというベスのツッコミを気にすることなく、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のようにその行動を続けていた。

 行くか、とベスが呟く。そうね、と同じ口でエリーゼも返した。


「ところで、ベス」

「なんすか」

「あなただろうと、わたくしだろうと、大して結果は変わらなかったのではなくて?」

「そっすね……」


 物凄い勢いで視線が突き刺さる。一部はマリィに変わらず視線を向けている者もいるが、大半は移動したエリーゼ達に合わせて注目を動かしていた。そしてほぼ全員、好意的なものではない。

 ちょっとそこのメイド。そんなことを考えていた矢先、そう言って一人の女生徒がこちらに歩いてきた。


「生徒でもないのに、勝手にこの部屋に足を踏み入れないでくれるかしら?」

「……少しお嬢様の忘れ物を届けに来ただけですわ。長居するつもりもありません」


 言っていることは別段間違ってはいない。因縁つけているわけでもないし、何か適当に謝っとくかとベスは口を開こうとしたが、それよりも先にエリーゼが答えてしまった。ああ終わった、と一瞬思ったものの、別段言うほどでもなかったのでベスはほんの少しだけ安堵する。

 一方の女生徒は、エリーゼの言葉を聞いて視線を向こう側に、マリィの席へと向けた。お嬢様、と彼女のマリィへの呼称を反芻すると、どこか馬鹿にするように鼻で笑う。


「貴女も災難ですのね。あんな平民と変わらないような身分の者のメイドだなんて」

「ええ、本当に」

「ふ、あははは! メイドにまで馬鹿にされているの? あの平民上がり」

「本当に、面白いわ」

「あははは――は?」


 女生徒が笑いを止めた。そんな目の前の相手の状態など知るかと言わんばかりの顔で、エリーゼはクスクスと笑みを浮かべた。

 こうやって外からあなた達の間抜け面を拝めるのは、本当に面白い。回りくどいとかそういうやつではなく、思い切り真正面から馬鹿にした発言をぶち込んだエリーゼは、ではごきげんようと踵を返した。あまりにもあまりにもな発言で固まってしまった女生徒を気にすることなく、聞こえていた講義室の生徒達の怒りの視線を弾きつつ、彼女はそのまま何事もなかったかのように部屋を出た。


「何ケンカ売ってんのぉ!?」

「ちょっとした日常会話の範疇よ。これでこちらを目の敵にするようなのがいたら、それは」

「……それは?」

「ただの馬鹿ですわね」

「囮とか罠とか一切関係ねー! それ言っちゃったら教室の八割以上馬鹿じゃん!」

「ええ。だから面白いわ」

「あたしゃ別に面白くねーんだよ!」

「体の意見は求めていませんわよ」

「体大事にしろよ!」


 ぎゃーぎゃーと一人の体で口論を行う。そうしつつも、目的を忘れていないエリーゼは立ち止まることもなく学院の校舎から外へと足を進めた。

 その道中、そういえばとベスが呟く。何か気になることでもあったのかとエリーゼが問うと、大したことじゃないんだけどと返した。返して、いや結構大したことだわと訂正した。


「気になったのは二点。一つは、断罪イベント終わってんのにマリィちゃんの立場が変わらないこと」

「……噂が原因だ、とフィリップ達が話していたでしょう? 馬鹿なの?」

「いや知ってるよ? でもさ、変わらないはおかしくない? 原因が変われば少しはやり口とか変わるんじゃ」

「ふむ……。ですがベス、そこは訂正させてもらうわ」


 変わっていない、ではない。悪化しているのだ。そう言ってエリーゼは指を立てくるくると回す。尚悪いわ、と当然のようにベスがツッコミを入れた。

 そんなツッコミを彼女は流す。疑問の答えとしては間違っていないでしょうに、と小さく溜息を吐きながら、それでもう一つは何だと問い掛け直した。


「え? 今ので終わりなの?」

「これ以上何を話せと?」

「いやまあ、立場をひっくり返すイベント失敗してればそうなるのかもしれんけど……。あー、確かにこれ以上考えても仕方ないか。うし、んじゃもう一個」

「あなたのその能天気さは貴重ですわね」

「うっさいやい。もう一つは、これよこれ」


 自分の顔を指差す。エリザベス・マクスウェル公爵令嬢の顔を指しながら、何でみんな驚かないのと呟いた。髪型は変わっているし、ベスの影響で繋がっている状態ならオッドアイになってはいるが、その顔立ちは全く変わっていないのに。そこが彼女はどうにも納得できなかった。

 が、エリーゼは何だそんなことかと鼻で笑う。


「いいこと? 普通、首を落とされた人間が平然と歩いている姿を想像出来る人はいないの」

「あ、はい。そっすね……」


 ド正論であった。そりゃそうかと納得するしかなかった。

 悪役令嬢エリザベスは、既に断罪され処刑されている。それがこの国で生きている者の共通認識だ。その断罪が不当だろうと冤罪だろうと、処刑されたという事実は覆らない。

 だから、どれだけ似ていようとそれはエリザベスではないのだ。そこに繋ぐことはないのだ。


「……まあ、そこまでわたくしに興味がなかったというのもあるでしょうけれど」

「え? 何で? 公爵令嬢でしょ?」

「公爵令嬢だからよ。その肩書きを見ていた連中が殆ど。顔立ちなど、大まかな特徴で見間違えなければそれでいい」

「いやまあ、確かに見間違えないレベルのクソ美人だけどさ……」


 自画自賛である。現在その体に入り込んでいる魂であるベスにとっては、ただの自慢である。

 そんなことはどうでもいいとスルーしたエリーゼは、後はこれでしょうとツインテールの髪を梳いた。エリザベスではありえない髪型を撫でた。


「わたくし、髪を結んだことはないの」

「……お、おう」

「ああ、入浴だとか、そういう必要時は除いてよ。普段の髪型は、常にこの長い髪を流していた」


 どこか懐かしむように述べているが、現在進行系でエリーゼは髪を結ぶのを嫌がっている。今回は必要時に分類されるから仕方なく扱いだ。


「だから、エリザベス・マクスウェルを認識する場合、まず真っ先に出てくるのは髪型」


 そこは悪役令嬢なんだから縦ロールっとけよと思わないでもなかったが、話が進まないので口には出さない。が、同じ体に入っているからか、何となく察せられたらしく鼻で笑われた。


「勿論瞳のこともあるでしょうね。どちらにせよ、この学院では余程わたくしに近しいものでなければ結びつけませんわ」

「ふーん。んじゃ、大丈夫か」

「ええ。元取り巻き連中は無理でしょうし、エドワードは謹慎中。分かるとしたら――」

「げぇ! エリザベス・マクスウェル!?」


 ん、と視線を動かした。そこには、顔面蒼白でこちらを指差しカタカタと震える一人の男子生徒が。制服の上から魔導師のローブらしきものを羽織っているその少年は、青みがかった髪と瞳の整った顔立ちを恐怖に歪めながら動けずにいた。


「お、お前……やっぱり、首を落とした程度では死ななかったのか!?」

「エリーゼ、何かしっかり理解されてるのがいるけど」

「失礼ですわねヒョロガリニコラス。わたくしも首を落とされれば死にましてよ」


 死んでから蘇るほうがタチ悪いんじゃないかなぁ。そう思ったがベスは口にはしなかった。


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