ヒロインのやべーやつ

 日が昇ってからそう時間も過ぎていない王都の街を、一人の修道女が歩く。その歩みはとても堂々としていて、まるで世界の中心は彼女のためにあるかのように思えた。被っているヴェールのおかげで顔はよく分からないが、ちらりと見える金髪はまるで蜂蜜をとろけさせたような美しさであった。


「てか、シスター服着てるのに、いや着てるからか、すっげーエロいんだけど」

「あなたの妄言に付き合っている暇はありませんの」


 ヴェールで隠されているシスターの口から、まるで二人の人物が会話しているような言葉が飛び出す。幸いにして通行人はまばらで、彼女の奇行を気にする者もいない。もっとも、彼女はそんなことを気にしないであろうが。

 ともあれ、その修道女、エリザベスと須美香改めエリーゼとベスは、首担当であるエリーゼを主導としてとある場所に向かっていた。その途中、街一番の広場に立ち寄る。ふん、と鼻を鳴らすと、彼女はすぐさま踵を返した。


「……ここで首落とされたの?」

「美しい令嬢が殺される瞬間をこの目で見たいという腐った連中はごまんといるものよ」

「美しいとか自分で言うんだ……。いや確かにすげー美人だけど」


 それで、何故ここに。そんなことを問いかけようとした最中、女性の声が聞こえてきた。何やら切羽詰まっているようで、それは半ば悲鳴に近い。ん、とその方向に思わず視線を向けてしまったベスは、エリーゼが呆れたように溜息を吐いたので思わずごめんと謝った。

 声の聞こえてきた場所へと向かう。広場から繋がっている路地の、少し奥まった場所。そこには案の定、ごろつきらしき男に囲まれた一人の少女がいた。気丈にも真っ直ぐに男達を睨んでいるようだが、それがまた彼らの欲望を刺激させているらしい。下卑た笑いをあげながら、男達は彼女の服へと手をかける。


「――へ?」


 その直前、男は横薙ぎに吹き飛んだ。地面と平行に飛んだ男は路地裏の箱へと突っ込んでいく。あれダンボールっぽくない? というベスの脳内ツッコミは当然誰にも聞こえないのでスルーされた。

 一方の吹き飛ばした方である。エリーゼは腕組みをしたまま、蹴り飛ばした足を地面におろした。そのポーズによって押し上げられた胸と、そして修道女服のスカートから伸びる太ももがとてつもなく扇情的である。ヴェールで顔が見えないのもまた、そそった。


「おやおや。こんなところでシスターがなんの御用だ?」

「ひょっとして、俺達の相手をしてくれるわけ?」

「……いやさ、あたしが言うのも何だけど、今吹っ飛んだ仲間見てその反応できるってどんだけ股間で物事考えてるわけ?」

「……あ?」


 思わず呟いてしまったベスのそれに、男達が反応をする。不意打ちでどうにか出来たからって調子に乗っているな。そんなことを言いながら、別の男が修道女の服に包まれた魅惑的な巨乳を鷲掴まんと手を伸ばした。後はそのまま、強引にでも組み伏せ楽しめばいい。そう思っていた。


「生憎と」

「え?」


 がしりとその腕を掴む。ミシミシと骨が鳴る音を立てながら、男の腕が小枝を手折るように捻じ曲げられた。


「わたくし、猿以下の下等生物とよろしくするような雌豚とは違いますの」


 男が悲鳴を上げる直前に口を塞ぎ顎を揺らす。ゴキリと音が鳴ったような気がしたが、エリーゼにとってこいつらの価値など路傍の石にも劣るので何の問題もない。どさりと倒れる男を見て、残っていた二人の男はゆっくりと後ずさった。

 その二人の腕をしっかりと掴む。確かに価値は最底辺だが、利用できるのならば利用したほうがいいというベスのアイデアを採用することにした。とりあえず逃げるようなら足を折ると脅しておく。意識のない男達の回収を命じ、次いで聞きたいことがあると述べた。


「ここ最近の王都の情報を、教えてもらえるかしら?」

「お、王都の、情報……?」

「ええ。具体的には、エリザベス・マクスウェルが処刑されてからの様子を」


 エリザベスの名前を出した途端、男と、そして背後で助けられた少女がビクリと反応したの分かった。どうしてと聞き返す男をひと睨みで黙らせると、彼女は男の話す内容を顎に手を当てながら聞いていく。


「……まあ、所詮ごろつき程度の情報網ではその程度でしょうね」


 第二王子を手に入れようとしていた悪女は見事成敗され、街には安堵のムードが漂っている。その一方、公爵令嬢は嵌められたのではないかという噂も囁かれていた。第二王子と仲がいい一人の令嬢は男爵位、下級の貴族がのし上がる策略をしていても不思議ではない。むしろ既に他国と内通しているのではないか。否、それこそ件の悪役令嬢エリザベスがそうなのだ。そんな風に市井の噂は枚挙に暇がない。


「まあ、いいでしょう。わたくしが起きるまでの短期間でその噂が出るということ自体、何かが暗躍しているのは間違いないでしょうから」

「うへぇ、きなくせぇ……」

「そんなものよ。だからこそわたくしは、淑女の嗜みを鍛えたのだもの」


 一人で何やらブツブツと喋っている。そんな感想を抱いた男達であったが、もういいという言葉に間抜けな声を上げた。次はないからとっとと去れ。改めてそう言われたことで、男達は気絶した二人を担いで一目散に逃げていく。

 ふう、とエリーゼは息を吐いた。これは中々に面倒だ。仕返しをするとしても、表面上の連中をぶん殴ったところでこれは気分が晴れそうもない。そこまでを考え、でもやることはやっておこうと小さく頷いた。


「さて、と。そこのあなた、こんな時間に、こんな場所で。わざわざ襲われるような行動を慎みなさ――」

「エリザベスさま!」

「は?」


 がばぁ、と少女はエリーゼに抱きついた。何がどうした、と一瞬思考が停止したエリーゼであったが、ベスの呼びかけで即座に調子を戻すと少女を引き剥がす。そうしながら、何故いきなり名前を呼ばれなくてはいけないのだとその顔を。


「あら。あなた、腐れ雌豚クソビッチではありませんか」

「ルビも単語もどっちもひでぇ!」







「丁度よかったわ。わたくし、あなたに仕返しをしようと思っていたもの」

「仕返し、ですか……?」


 エリーゼの言葉に、クソビッチだの雌豚だの呼ばれた少女は首を傾げる。その姿を見て、ベスは思わず眉を顰めた。彼女の仕返し相手ということは、目の前の少女が第二王子を寝取った男爵令嬢だ。つまりは乙女ゲームのヒロイン。少し外はねしたピンクブロンドの髪は肩口まで伸ばされており、クリクリとした翠の目やぽてっとした唇など成程確かに可愛らしい。悪役令嬢エリザベスが美人、美少女という分類ならば、こちらは可愛らしい美少女という感じであろう。

 それはそれとして。ヒロインだとしたら、悪役令嬢であるエリザベスに抱きつくなどということは考えられない。だって敵なのだから、ようやく排除できた障害なのだから。


「仕返し、でいいんですか? もっと、復讐でわたしをミンチにするとかそういうのでなくてよかったんですか?」

「えぇ……」


 思わずベスが声を出した。なんかちょっと予想外の答えが来たぞ。そんなことを思いながら、エリーゼの言葉をじっと待った。


「てい」

「きゃう」


 躊躇いなくビンタした。男ほどではないが、その衝撃で少女もぶっ飛ぶ。地面にぶつかる直前に自ら受け止めたエリーゼは、まあとりあえず今はこのくらいねと小さく笑った。


「エリーゼ……?」

「なんですの?」

「ひょっとして、そこの、ヒロインと仲良かったりする?」

「仲がいい相手に婚約者を奪われたら、その仕返しは普通にミンチですわよ」

「ですよね!?」

「……エリザベスさま?」


 自分を抱きとめた修道服姿の令嬢が一人芝居を始めたことで、少女は思わず目をパチクリとさせる。一体何がどうしたのかと、痛む頬を擦りながら立ち上がった彼女は、真っ直ぐにエリーゼを見た。


「色々と聞きたいことはあるんですけど……。エリザベスさま。まずは、ご無事でよかった……」

「無事ではないわ」

「え?」

「死んでいるのよ、わたくし。ほら」


 そう言ってエリーゼは首のチョーカーを取り外す。外れたチョーカーは靄へと変わり、接続パーツのなくなった首はポロリと胴から転げ落ちた。それをベスが慌ててキャッチする。分離するならするって言って。そう、吹き出しに変わった文句をエリーゼに突き付けていた。


「――っ!」

「今のわたくしはエリザベス・マクスウェルでもなんでもない。ただの動く死体、首だけのアンデッド、エリーゼよ。そして体には得体の知れない制御用魂まで混ざり込んでいる始末」

《はい、得体の知れない魂です。ベスって呼んでねマリィちゃん》

「え、あ、はい。よろしくおねがいします……?」


 連続でわけの分からない事態が押し寄せてきたので、驚くタイミングを逃したのだろう。彼女の名前を――マリィ・アップルトンの名前を呼んだこともそれに拍車をかけていた。


「それで? 何で学院の寮生でもあるあなたがこんな時間にこんな場所へ出掛けているのかしら?」

《向こうの聞きたいことはガン無視ですね分かります》


 胸の辺りで首を抱えたまま、エリーゼもベスも話を続ける。そのあまりにも異様な光景に、マリィは頷くことしか出来なかった。

 とはいえ、それ自体は別に隠すことでもないし目の前の彼女にも関係することだ。否、関係するというのは語弊があるかもしれない。ただ単に、彼女が、自分で勝手にやっていることなのだから。


「広場を、見に来ていたんです」

「ここを?」

「はい。……わたしが、どうしようもなく無力な自分を戒めるために。そして、傲慢でも、エリザベスさまが、安らかであるように」

「本当に傲慢ですわね」


 ふん、とエリーゼは鼻を鳴らす。別にお前に祈ってもらわずとも、自分が安らかかどうかは自分で勝手に決める。そんなことを言いながら、わざわざ無駄なことをしているから目をつけられるのだと睨み付けた。


「あはは……。そうですね」

「大体、エドワードの馬鹿はどうしたの? あなたが奪った男でしょう?」

「……あの人は、今王宮で謹慎処分を受けています」

「は?」

「公爵令嬢の処刑は不当である、という……さっきエリザベスさまがあの人達から聞いていた噂、あれの発端となったことが」


 エドワードの兄である第一王子が行動したらしい。あの時の空気は異常だった。だれしもエリザベスが悪であると疑わなかった。ほんの僅かな、押しつぶされる程度の人間しか疑問を抱かなかった。

 その僅かな人間が、手遅れだとしても、せめてもと行動を起こした結果らしい。それを聞いてエリーゼは呆れたように溜息を吐く。


「処刑されてから動くなんて。とんだ臆病者ですこと」

「はい、返す言葉もありません」

《……ん? ちょい待ち。何かその口ぶりだとマリィちゃんも》

「……わたしも、そんな臆病者です。あの場で、違うと、それはエリザベスさまの仕業ではないと言えたら。自分の末路など気にせずに声を上げられたら。そう、ずっと思っていたから、だから」

「……相も変わらずいい子ちゃんですわね」

《エリーゼ……》


 二人の間に流れるその空気を感じ、ベスは少し胸がジーンとなる。そうか、悪役令嬢だとかヒロインだとか。そういうのとは関係なく、きっとこの二人には絆が。

 そこまで考えて、あれ、と彼女は疑問を抱いた。確かこの生首、雌豚は自分の手で始末するとか言ってたしやってなかったっけ、と。


「だって本当じゃないですか。階段から突き落とそうとするとか、教科書を破るとか、水を掛けるとか、あの小さないじめは別の誰かがやったことですし。エリザベスさまがやったのはわたしを掴んで二階から飛び降りて潰そうとしたり、教科書どころかわたしそのものを消し炭にしようとしたり、氷水の洪水で欠片も残さず流そうとしたりしてたやつですから!」

《ねえなんでそんなことした奴かばうの? 頭イカれてんの?》


 本気のツッコミである。間違いなく小さないじめよりやばいやつである。これをかばう場合、所詮下級の貴族だからとか、ベスは乙女ゲームの知識で知っているが庶子だからとか、そういう割と胸糞悪い方向に持っていかないとだめなやつだ。つまりは断罪される側の立ち位置になるわけだ。

 今全力でエリーゼを、悪役令嬢エリザベスをかばっているのはド直球の被害者である。やられた奴である。ベスでなくとも頭がおかしいと判断するであろう。


「……初めてだったんです」

《そりゃそうだろうね。そんな全力で殺しにかかってくる悪役令嬢普通いないから》

「わたしを、わたしとして真っ直ぐに見てくれたのは」

《違うよ、絶対違うよ。この外道生首悪役令嬢、絶対婚約者にたかるハエ位の感覚で見てたよ》

「人聞きの悪い。わたくしはきちんとこいつを始末するべき雌豚として認識してましたわ」

《ハエでも雌豚でも変わんねーよ! マリィちゃんとして見てねーじゃん!》

「いえ。呼び方はともかく、エリザベスさまは間違いなく、わたしをわたしという一つの存在として見てくれました」

《処刑された時の空気が異常だって思ったのはあんたらが異常者だったからなんじゃないすかね……》


 真面目な話をしていたような気がしたが、多分間違いだ。そう判断したベスは色々を理解するのを諦めた。多分考えたら負けなやつだと結論付けた。


「それに、エドワードさまは……いえ、他の皆様もきっと、わたしじゃなくても良かったと思うんです」

《何かさり気なく逆ハールート行ってたみたいな発言したぞこいつ》


 ベスの中でマリィの認識が乙女ゲーの可愛いヒロインから、何か頭おかしいやべーやつに置き換わっている。遠慮も多分に無くなった。

 それはそれとして。マリィの言葉をベスは何となく理解できた。彼女の記憶が確かならば、乙女ゲームのヒロインは特別な力を持っていたはずだ。浄化の光、魔に連なる者を消し去り、清める。ルートによっては教会から聖女認定される力。そんな特殊な才能を持っているからこそ、エドワードを始めとした攻略対象が近付いてきたのだと、彼女はそう思っているのだ。


「まあ、あなたのような雌豚があの連中に気に入られるきっかけは間違いなくそれでしょうね」

「ですよね、ふふっ……。でも、エリザベスさまは違った。そこにいた個人を、わたしを認識して、始末しようとしてきた」

《特殊な才能持ちをどうこう、じゃなくて、マリィちゃんを始末しようと思ってたってことね……いや変わんなくない?》


 肩書きなど関係なくマリィをぶっ殺したい。そう考えれば何となく理解が出来る。そう思い込みたかったが生憎ベスには全く共感出来なかった。やっぱり駄目だ、彼女は即座に理解を放棄した。二回目だ。


《えーっと。まあそのへんはもういいんだけど。とりあえずマリィちゃんはこっちの味方ってことでいいの?》

「エリザベスさまが許してくださるのならば」

「許すも何も。わたくしは最初からあなたを恨んでなどいませんわ。ただ、あの時はムカついていただけ。何も気にすることなどないわ」

「……ありがとう、ございます」

《ねえ今のやりとりに何かジーンとする場面あった?》


 そうと決まれば協力は惜しみません。そう言って胸をどんと叩いたマリィを見ながら、ベスは色々と割り切ることにした。乙女ゲームの世界に転生したとかいう世迷い言は捨ててしまおうと心に決めた。


「ところで雌豚マリィ

「はい、エリザベスさま」

「今のわたくしはエリーゼだと言ったでしょう?」

「あ、ごめんなさいエリーゼさま。それで、どうしました?」

「あなた、王宮に入ることは出来る?」

《おおっと何か不穏なこと言い出したぞぉ》


 先程の話を聞く限り、王宮に行く理由で思い付くのはエドワードへの仕返しだ。間違いなく大事になる。

 そんな彼女の思考を読んだのか、エリーゼはジロリと己の首を支えている体を睨んだ。いくら自分でも、思い立っただけで王宮に乗り込んで暴れるつもりはない。そう抗議をした。


「えっと。じゃあ、どうするんですか?」

「決まっているでしょう? エドワードの馬鹿を謹慎させた張本人に話を聞きに行くの」

「え? それって」

《ツッコミの内容は何も変わらないなぁ》


 第二王子をどうこうできた人物、それはつまり。先程も少しだけ話題に出ていたその人物の顔を思い浮かべながら、エリーゼはどこか懐かしむような笑みを浮かべた。


「第一王子、フィリップに会いに行くわ」


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