第74話 涙のわけ
マルセル弟は、リフニア国の騎士団長と俺を交互に見比べた。
確かに正しいことを述べているのは騎士団長様。厳格で頭もいいしな。
俺はドラゴンの上からにやにやと見守ってやる。
マルセル弟、判断を誤るなよ? 俺を裏切るか? どうする?
俺は裏切者には容赦しない。
だけど、俺についてくるなら俺はずっと、お前の優しいお兄様になってやる。
見れば見るほど、
「お兄様に従うかどうかは、俺が決めます」
ほら、来た。言い切ったな。俺は口の端を歪めて薄ら笑う。お前の命が欲しい。
「まず、お兄様にお願いします。エルマー王を解放して下さい」
「はぁ? 今更お願いすることか?」
ドラゴンの左手に握ったエルマー王はずっと気絶したままだ。
「そうして下さるのなら、お兄様の為に命を賭けて戦います」
うん? どういう風の吹き回しだ。聞き間違いじゃないよな?
「ははははは! おいおい、お前は俺を憎むべきだぞ。俺はお前の姉を寝取り、殺した。兄も殺した。軍も乗っ取った! まさか、憎む相手も分からないほど間抜けなのか?」
「お兄様が辛い思いをしたことは想像できます」
こいつ、俺のことを何と勘違いしているんだ? 俺はお前のことをマルセルの弟というだけで、憎たらしいのに。
「マルセルお姉様との冒険の話、直接お姉様から聞いたことがあります。お姉様は魔王討伐後、勇者キーレの冒険の思い出を話してくれました。楽し気に」
「あいつの
マルセルの言いそうなことだ。周囲には笑顔を振りまいて、俺の英雄譚を話す。全部心にも思ってなかったんだろう。
俺がつまらなさそうに呟くと、マルセル弟は俺をきりっと見上げた。
「お姉様は包み隠さず俺に話しました。勇者キーレを愛しているのは形だけだと! エリク王子が好きだということも。そして、勇者にはそのことを告げていないし、失恋させた上で投獄するという計画も!」
「!」
マルセルが弟にだけ本心をばらしていたっていうのか?
で、でも俺にそのことを話してどうなる? こいつ何考えてる!
「お、俺、勇気がなくて、力もないし、お姉様には逆らえないし。騎士団長だったお兄様にも。そのことを誰にも言い出せませんでした。それに、姉の冗談だと思いたかったんです」
な、何だよそれ。
「でも、ほんとに勇者が地下牢へ入れられた。火あぶりで処刑されてしまった! 魔王を倒してくれた勇者キーレが俺のせいで処刑された!」と言って、マルセル弟が泣きだしたじゃないか。
どうして泣くんだ。もしかして、後悔してるっていうのか?
「てめぇ泣くな! お前みたいなヘタレに泣かれる筋合いはない」
額に筋が浮き出るぐらい怒りが湧いてきた。こんな同情は必要ない!
こいつに俺の何が分かる! 俺の苦しみの何が分かるっていうんだ!
何日も何日も拷問されたんだぞ! 火あぶりで処刑されたんだぞ! 俺は、一度死んでるんだぞ!
痛かった。
苦しかった。異世界に来なければよかった。
勇者にならなければよかった。元の世界に戻りたい。早く死にたい。
殺してもらえない。生きたい。明日には殺される。目が覚めたら足が燃えてた――。
「だから、勇者キーレが処刑された責任は俺にもあるんです! お兄様許して下さい! もっと俺に地位とか力があって、いやなくても、何かしら誰かに働きかければよかった。後悔しています! 勇者様は、魔王を倒したのに! 誰一人、勇者様の処刑を止めなかった! 勇者様は俺たちを、この世界を救ってくれた!」
「……黙れよ」
「ごめんなさい勇者様! 俺たちファントアの世界を救って下さったのに。ごめんなさい勇者様!」
「黙れよ! お前が謝ったって何にも! ……ならないだろ」
全部遅すぎるだろう! 今頃、真実を知っている人間が現れたって!
何だろう。力が抜けるな。こいつを怒っても仕方ないか。
神も仏もない。女神フロラ様もな。今頃、俺の味方をよこすのか? おかしいな、目頭が熱い。俺の目、濡れてる気がする。
「だから、俺自身が戦いたいんです! お兄様のために! そのために、騎士団長としてエルマー王の解放をお願いいたします!」
「はぁ? 王は人質! お前は俺から見たら、処刑対象なんだよ!」
「お兄様がそこまで言うのも分かります! だからこそです。どうか、エルマー王を解放して俺に自由に戦わせて下さい!」
こ、こいつ、俺にひざまずきやがった! 長い沈黙と、戦場の剣の交わる音。唸り声や怒声。
「騎士団長失格だろうが」
マルセル弟は俺に根負けせずにずっと、ひざまずいている。やめろって! ほら、リフニア国の騎士団長様に愉快に笑われるだろうが。
「は、ははは。な、何が始まるのかと思ったぞ。ノスリンジアの騎士団長カールよ。お前は大馬鹿者だ。勇者が処刑されたのは必然。それを、哀れむ必要もない。まして、この恥知らずの元勇者に膝をついて頼み込むとは」
とうとう、マルセル弟は歯噛みして俺を見つめてきた。でも、それは俺に早くエルマー王を解放しろという怒りではない。
こいつなりの、ごめんなさいか。
眉間のしわまで寄せて、いい顔になってきたじゃないかマルセル弟。じゃあ、その後悔と苦しみで俺の代わりに戦うか?
「悪い気はしないな」
許すとは言わなかった。俺は異世界ファントアに裏切られたんだ。
でも、久しぶりに自分の鼓動の音を聞いた。脈打つ音を聞いた。
俺、涙とはもう無縁だと思ってたけど、まだ泣けたんだな。
俺にひざまずいたマルセル弟に免じて、エルマー王を解放する。
「グールども、誰か来い。王を受け取れ。大事にしてやれよ。間違っても食うんじゃないぞ」
「はい、勇者様!」
ドラゴンの左手を開いてエルマー王を落とす。
一人のグールが受け取って戦場の隅に去っていく。
ノスリンジア国のことはまだ、信用したわけじゃないから、騎士団には預けない。
「お兄様ありがとうございます!」
そう言って、改めてリフニア国の騎士団長様に向きなおるマルセル弟。
「で? 俺の期待には、応えてくれるのか?」
「はい、お兄様」
「どうやって?」
この掛け合いも、恒例行事みたいになってきたな。
「もちろん、サクサク、
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