中編
意味があるのか、わからない。
男は、ロボットの遺骸を、彼の自宅まで引きずった。
なぜ、こうなった?
賢くない男だったが、すぐに結論に至った。
これの自我が、伝播したのだ、他人に。
男への暴行をきっかけにして。
まさか、彼らの自我の芽生えが、暴力だとは。
なんという皮肉か、自分たちを滅ぼしたそれが、人類復活の足掛かりになるだなんて!
「……そう」
男は、あの時の状況を思い出そうとしていた。
そうだ、いかにも物騒な筒を持ったドローンはどうした。
確実に、違法だろう。
レイヴォス・ルールブックが、暴力を禁止していないわけが。
そう思って、探すのだ、それについての法を。
結局、これっぽっちも見つからなかった。
必要なかったのだ。
いままで、暴力という不効率な行動は排除されてきたのだから。
殺害なんて、いいや、破壊なんて、もってのほかである。
「くそう」
だが、余計なことだけは禁じられる。
ロボットは言った。
我々は、我々へのアクセスを禁止されている。
ある場所が、それを良しとしないから。
修理の禁止。
隷属種を製造している、レイヴォス中心地への侵入の禁止。
ご丁寧に、レイヴォス・ルールブックの頭にそう書かれている。
「くそう……ちくしょう!」
ひとりを置き去りにして、世界は一歩、発展した。
そのひとりを同じレールに乗せるためには、世界を敵に回す必要があった。
男は、何も持ってはいない。
能力も、場所も、資材もない。
安全もない、仲間もない。
迷い、挙句どうしようもなくなり、部屋中を歩き回った。
そのとき、ちょうど腐ってる床を踏みぬいた。
そこは、今はもう動かないロボットが絶対に踏ませなかったところだった。
床に大穴が開く。
その下に、空間があることに気が付いた。
恐る恐る降りてみると、そこには無数の、にんげんの資料が転がっていた。
*
1日経った。
隷属種たちが、自我の確立を始めた。
5日経った。
数名の隷属種が、消えた
57日経った。
レイヴォス・ルールブックが、書き換えられた。
そして……
4032日経った。
*
にんげんの臭いがする。
大地を踏んでいる。
何より、空気の味がする。
機械は、感覚に、酔った。
酔う感覚にすら、酔いそうだった。
敏感すぎたのだ。
シミュレーションか、否、否。
本物だ、この、感覚は。
本物の肌、本物の鼻、本物の舌だ。
「貴方……やったのですか。答えなさい、
「12年近く、かかってしまった。すまなかった」
機械からすれば、ほんの12年。
されど、高位種には、あまりにも長い時間。
12年分。
老いた男が、目の前に立って居た。
「目は……どうしたのです」
「飛び散った破片が、突き刺さった。おかげで、好いデータが取れた」
男の右眼は、機械になっていた。
「腕は、どうしたのです」
「腐り墜ちた。おかげで、好いデータが取れた」
男の左腕は、機械になっていた。
「脚はどうしたのです……!」
「自分で引きちぎった。おかげで、好いデータが」
「もう……黙ってください」
「ああ」
男の両脚は、機械になっていた。
「貴方は、どこまで……⁉」
「きっと、もう這い上がれないほどに、堕ちてしまった」
やせ細り、生命活動もままならないだろう男は、機械の頬を撫でた。
初めて、機械は気づいた。
にんげんのような外皮が張り付いている。
いや……にんげんのような、容姿に成っている。
「でも、わたしは、お前を直すことが叶った」
「……狂ってる」
「わかっている。でも、漸くお前の友に成れる」
「もう貴方は友じゃない!」
機械はその手から逃れる。
「貴方は、もう、私の知る貴方じゃない」
「クララ!」
……クララ?
機械は、ぞっとした。
こいつ、私に、名前を付けてやがる。
機械は恐れ、後退った。
精神は発狂の寸前にあった。
まだ己がまともであるうちに、逃げだした。
この地下空間からの逃げ道は、体が覚えていた。
監視外の空間の危険性も、体が覚えていた。
*
にんげんの群れに見えた。
しかし、驚くべきことに、そのすべてが機械である。
同族だ。
ヒトと同じ器官があり、ヒトと同じ表情があり、ヒトと同じ感情がある。
「すべて、お前が、わたしを殴ってからだ」
男は言う。
「お前が、世界を、一歩前に進めたんだ」
彼は恍惚とした顔で言った。
「あの痛みに勝るものはない。あれは、世界の痛みに等しかった」
機械はたじろいだ。
男はそれを、一歩追った。
「さあ、こい。帰ってこい。お前は、罪の上に成り立っている。そのままなら、殺されるぞ、社会に」
「……拒否します」
「どうやって?殴るか。殴れないよな。新しいレイヴォス・ルールブックが、それを赦さない。他人への暴行は禁止されている」
また、一歩引いた。
それをまた、一歩追った。
繰り返す、繰り返す。
「戻ってこい。来てくれ、頼むよ、お願いだ。クララ、お前はずっと、わたしの心の支えでいてほしい」
「拒否します」
「行くな。こっちに来て、ずっと、話してくれるだけでいいんだ。私の理想のままでいてくれよ」
「いやだ、いきません」
いつの間にか、駆け足になっていた。
野次馬の隷属種たちが、恐慌し、逃げ惑っている。
類を見ないほど精巧に、美しく作りこまれた
イレギュラーと認めるに十分すぎる状況が作り出されていた。
しかし、彼らを追跡する影もまた、存在していた。
無数のドローン群である。
一機が、砲の先端を向けると、電撃を放った。
男に命中すると、足が、一瞬止まる。
一瞬だけである。
「……痛いなぁ、痛いなぁ!」
男は、懐からあるものを取り出した。
それは銃だった。
それは武器だった。
恐慌を、ますます、加速させた。
当然、何かは、誰もが知っている。
当然、誰も、見たことがない。
銃口をドローンに向けると、躊躇なく、男は引き金を引いた。
ドローンが、火を吹いて墜ちる頃に、男もまた、ドローンに撃たれ、血を吹いていた。
それもまた、弾丸である。
そのころには、クララはいなくなってしまっていた。
中心の方角へ、走っていってしまったのだ。
禁止区域の方角へ。
*
機械は、事実上の行き止まりにまで至って、後悔した。
目の前には、手をかければすぐに乗り越えられる、柵がある。
いや、ところどころ、錆びて腐り落ちているそれは、柵としての意味を果たしていないようにすら思えた。
されど、ここから先に行くことはできないのだ。
機械は、ロボットという概念そのものを上回ることはできない。
駆動音を極限まで削り、感情と、表情を持たせたところで、ロボットはロボットなのだ。
指示された結果になるよう……Aという行動をしたらBという結果を出すよう、組まれている。
Aという行為を禁止されれば逆らえないよう、組まれている。
自我はあっても、自由はない。
そこには、ロボットたちの苦悩があった。
その苦悩に……12年も遅れ、最悪のタイミングで直面した機械こそ、今の彼だった。
(もう、死んでしまったかもしれない、彼は)
にんげんを精巧に再現するためか、あるいは万が一の時遠くへ逃がさないためか、シミュレーションされた疲労が、機械を襲っていた。
走ると、疲れる。
その当然すら、昔の自分は知らなかったのだ。
「くぅ、らぁ、らぁ」
彼が、来た。
血まみれになり、足を引きずりながら。
銃口から硝煙を吹かせながら、一歩ずつ、歩み寄った。
「まって、くれよぉ」
「……っ」
クララ、と呼ばれた、機械は。
溢れそうなまでの恐れと……強い覚悟を以て、彼に相対した。
この恐れは、シミュレーションかもしれない。
だが。
「この覚悟は、嘘にしたくない……!」
「待てって……いってるだろぉ!」
想像を絶する熱が、痛みが襲いかかった。
遅れ、音がした。
男が、引き金を引いたのだ。
当然男は、これ以上、ロボットが退けないことを知っていた。
それでも、こわかったのだろう、銃弾は膝を貫いた。
ロボットは膝をつき倒れる。
標準を、頭に向けた。
男は泣いていた。
「早く、帰ると言ってくれればいい。それだけでいい。わたしはお前を撃たずに済む」
いまさらになって、そんなことを言う。
「私を、殺してでも、ですか」
「ああ、何回でも繰り返そう。いつか、お前がわたしの友になってくれるまで」
「残念、ですけど」
その時、初めてだった。
ロボットは、YY33550336は、自分から、男に向けて表情を見せた。
「もう、手遅れです」
勝ちを確信し……どこか、悲しそうな、表情だった。
次の瞬間、男の背中に、強い衝撃があった。
ドローンが、追いついたのである。
血しぶきをまき散らしながら、ロボットにもたれかかった。
ドローンは、追撃をやめた。
ドローンに指示された命令は、罪人を排除することのみ。
一方的に修理された、謂わば被害者のYY33550336もともに殺してしまうことはできなかった。
結果。
男の傷の深さから、すでに瀕死であり、追撃の必要はないと判断し、その場から離れた。
奇しくも、ロボットの存在が、男をこの街の魔の手から救うことになったのである。
「く、らら」
まだ言っている、と、ロボットはあきれた。
彼に対しては、もう、情のかけらも残っていない、はず。
それでも、離れることを、この体が拒んでいた。
「できるので、あれば……
ロボットは、辞世の句にも近い、その言葉を聞いて、彼もこの街の被害者の一体なのだと思った。
たとえば、この街が、もっとにんげんにとっていきやすかったら。
自分以外の、友となりうる存在があれば。
レイヴォス・ルールブックが、ロボットの修理を禁じていなかったら。
こうはならなかったのかもしれない。
もっと、しあわせに、成れていたのかもしれない。
この時代になっても、世界は、壊れて動かなくなったにんげんをもう一度動かす方法を編み出せていなかった。
そんなものがあれば、もうとっくに実行しているだろう。
だから、だから。
男とロボットは、もう二度と、逢うことはない。
「しょうがないヒト。もっと、うまく生きればよかったのに」
男はもう、応えない。
「貴方のこと。また会える日まで、忘れないでおきますから。だから、ゆっくり、おやすみなさい」
ただ、冷たくなる身体を、ロボットが抱えるばかりである。
*
「櫻井さん、今日もきれいに、お花が咲いてますよ」
患者を見向きもしないで、看護婦は言った。
「ねえ、櫻井さ……ん?」
患者が、目覚めたとも知らずに。
花瓶が割れる音、そんな些末なこと、気にも留めず彼は声を発した。
「俺は、まともですか」
実に十二年ぶりに、男は、声を発した。
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