KiKai
@enononono
前編
男が、廃れた住宅街に倒れていた。
殴られたわけでも、毒を飲まされたわけでもない。
しかし、苦しみ、喘ぐ。
もがき、逃れるよう、胸を掻く。
酷い悪夢に苛まれていた。
それは永劫の如く。
嗚呼助けてくれぇ、ここから、出してくれぇ。
男は、夢の中で悲鳴を上げる。
どれほど経ったろうか。
1時間、いや1日、1週間……10年、20年。
漸く、男は目を覚ます。
「大丈夫ですか」
木の枝のような細い腕……温かみはない、冷ややかなそれに揺さぶられて。
無機質なもので、それでも、男にとっては初めてみえたひとすじの蜘蛛の糸。
縋り付いた。
彼のひがんが叶うときだった。
瞳に飛び込む光に、感動すら覚えた。
そうか、目覚めと云うものは、こうも、心地の良いものか。
頬を、涙がつたう。
しかし、次ぐとき、待ち受けたのは、彼自身の絶叫である。
そこにいたのは、ヒトではなかった。
無機質な、と形容したが、訂正しよう。
それは、明確な、無機物だった。
無機物である。
ロボット、機械である。
「大丈夫ですか」
ヒト型の、ヒトに似つかぬ、赤の、縦の1本の無機物な瞳が男の顔を覗き込んでいた。
*
夢でも見ているのだろうか。
男の目の前に、彼の常識から外れた、馬鹿げた光景があった。
例えば街そのもの。
静寂である。
ヒト、否、機械、ロボット。
彼らは、ヒトと変わらず行き交う。
ヒトと変わらず、道をゆく。
違いといえば、その間に、かかわりといったものが全く見えないことだ。
まるで、他者と関わることを禁止されているかのように、他者に反応を示さない。
無感情、とは、まさしくこういうもののことを指すのだろう。
また、空を飛ぶドローン群。
あるものは荷物を抱え、またあるものは花を抱え。
あるものはカメラを掲げ、また、あるものは砲と思わしき筒を抱え。
監視し、今に排除できるよう、身構え続ける。
そして。
目の前に現れた、料理……もどきだとか。
「ははは」
珍妙な情景には、壊れた笑いがよく似合う。
ヒトは、オイルを飲んではまともにいられない。
こんな、サラダボウルいっぱいに出されては、特に。
*
「正気か?」
「どういうことでしょうか」
「……俺はまだ、まともなのかと訊いた」
男は黒くよどむ液体の入ったサラダボウルを机の端に寄せつつ、目の前のロボットに問いかけた。
「答えかねます」
男の質問に対し、ロボットは応答した。
結局、行く当てもない彼は、ロボットに従うしかなかった。
言われるがまま、連れていかれた先は、おそらく、レストランのそれ。
「マニュアル、に従っただけです」
ロボットは言う。
「ヒトに毒を呑ませるのがマニュアルかよ」
「客人はこう出迎えろと。
「待った、なんだその、フォロウ、ってやつ」
「回答します。貴方方、我々の上位にあたる存在のことを指す言葉です」
「はあ」
「レイヴォス・ルールブックに従い、提供された高位種と情報と照合、貴方を高位種と断定しました」
「レイボスルールブック?」
「レイヴォスとはこの街のことです。最終目的は高位種の完全な復元。そのためのマニュアルが」
「待った」
「はい」
男は頭を抱えた。
もし仮に、フォウロウとやらが人間だとして。
復元とは、なんだ。
そういえば、男は気が付く、ここにきてから、自分以外の人間を一人でも見ただろうか。
「……お前の名前、何だ」
「YY33550336」
「は?」
「
「わかった。なあティロウ。この街の人間は……フォウロウはどこ行った?」
「絶滅しました」
予想どうりの返答、だが、いざ言葉として聞いてみると、ショックは大きかった。
「そうか……そうか、やはり」
「貴方は何処からいらっしゃったのか。マニュアルに従い質問します。応答してください」
「聞いてどうする?」
「存じません」
「なら、答えられない。だがヒントをやる。俺はここのことも、今の世界のことも、これっぽちも知らなかった。聞くが、いま、西暦何年だ」
「2176年です」
「2176……⁉あ、いや、違う、ああいや、そうじゃない、そうだ、それすら知らなかった」
「そうですか」
どうにも、興味がないようだった。
「未回答として処理します」
がこん、と、顎に相当するであろう部位が開き、その中に、オイルが流し込まれる。
ひとわん、ふたわん。
「ようこそ、高位種。レイヴォスへ。私は個体番号YY33550336、隷属種。レイヴォス・ルールブック外典、第三条より高位種が質疑への回答を拒否した場合に基づき、貴方と行動を共にします」
*
それから三か月は、あっという間だった。
ここで暮らすにあたり、細大の障害となるのは当然、食料の確保である。
レイヴォス・ルールブック第三条「隷属種の活動維持について」二項内容「活動維持のための燃料は72時間に一度のみ認める」
ロボットの常識では、食事は、三日に一度だけのものだった。
当然、ヒトがそれでは、飢え死にするのは時間の問題。
幸い、ヒトが済むのには適していないと一目でわかるこの世界でも、きれいな水というのは存在していた。
驚くべきことに、ヒトが作ったであろう……遺跡と呼ぶべきか、苔むした井戸が、現存していたのである。
直せばすぐに使えるような、井戸が。
驚愕と同時に、男は察した。
文明のレベルは男の知っているそれよりもずっと進んでいるだろうに、ヒトの世界の復元という目標をこの街が成せていない理由を。
なるほど、この世界には、男の知る世界の情報というものがこれっぽっちもないのだ。
この世界のヒトが、ホモ・サピエンスが、男と同じものだとは限らない。
しかし、目の前に現れた建造物を見るに、同じような生活基盤を作り上げていたことは明らかだった。
……さて、ここで、疑問に思ったことがある。
「フォウロウは、なぜ、滅んだ?」
「彼ら自身が、愚かだっただけです」
なるほど、自分たちの手で滅ぼしたのだと、理解した。
ならば、レーションが残っているかもしれない。
あわよくば、畑の残骸も見つけたい。
野生化した野菜が、残っているかもしれない……
それは存在した。
ともに、発見した。
崩れかけの塹壕を支え続けた小ぶりのジャガイモも、少し酸っぱい保存食も、五日ぶりの食事にありつけた男にとってはごちそうだった。
*
男が片手に蒸かしたジャガイモを持ち、もう一方の手でレイヴォス・ルールブック(ふつう、隷属種はデータとしてすでに電脳内に所有しているのだが、一定の物好きは、本という形式での学習を望む。その物好きを男は利用し、うまいこと本という媒体を入手したのだった)のページをめくる、習慣化した光景があった。
現と夢の境界線の上に立ちながらの、午後である。
「
家主は、問いかける。
聞けども聞けども一切の応答がなく、ついに耐え切れず、男の肩をゆすった。
んが、と、男が発声すると同時に、手からごろんと、芋が滑り落ちた。
男はずいぶんやせてしまっていた。
それもそうだ、三か月間、ずっと保存食の味がするレーションと、少しの野菜しか食べていない。
「大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫だ、大丈夫」
心配した声が、無碍にされたように思えた。
どれほど彼を案じたとて、男がそれを享有することはない。
珍しく、己が情けなく思えた。
「三か月経ちました」
「……それは」
「いらっしゃってからです。このレイヴォスに、貴方が、来てから」
男はとぼけた。
それは、ただ、ぼけてしまっただけかもしれない。
時間の感覚が狂ってしまって久しい。
朝と夜があったとしても、時計に頼り切った現代から……いや、かの男の時代から、突然、カレンダーも時計も存在しない世界に叩き込まれたのだ。
そう成っても、おかしくはないのである。
「貴方に、話したいことがあります」
その貴方とは、いま、顔を動かしたあなた。
もはや、狂ってしまったかもしれないあなた。
慣れ、という、狂気を呑んでしまったあなた。
「三か月間考えぬいた、結論」
一人の男と知り合っただけの機械は、今、地獄のふちに立っている。
「表に、出てもらえますか」
とある決意のふちに、立って居る。
*
貴方、過去から来たのでしょう?
隷属種、個体番号YY33550336。
彼は、言った。
*
相も変わらず、他者に興味がないロボットたちが、道を行き交っている。
だが、今、男にとってそんなこと、どうでもよかった。
それが、男の日常になっていたから。もしくは、
そんなこと気にならないぐらい、ロボットの発言が、あまりにも意外だったから。
「……驚いた。まさか、そんな非現実的な」
「ここの技術は、我々にも、全てが知らされているわけではありません。我々自身、如何にして己が起動しているかすら、製造の過程すら、知りません。ある一つの場所が、それを良しとしないから。アクセスを禁じているから。そんな私には」
機械は、改めて男の眼を見た。
「……貴方が、滅んだはずの
果たしてそれが正しいのか、あえて確認するような、無粋な真似はしなかった。
男の眼が、物語っている。
図星をつかれたことを、雄弁に。
「……まだ、俺にもわからない。だが、俺がいた時代は……まだ、21世紀だったはずなんだ」
「ええ」
「気づいたら、ここにいたんだ。心当たりが、ほんとうに、一切ない。それどころか……俺は、俺が何者かすら、もうあいまいになっている!」
男は叫びをあげた。
涙の影がちらつく、そんな声だった。
「俺の悪夢は、まだ終わってない!」
「……ええ、分かっています、知っていました。いいえ、そうだと、思ってました」
「どうすればいい?俺は、頭がよくない。やれと言われたこともできないような、だめな人間だ。きっとそうだ、そうに違いない。こんな俺が、こんな俺に、何ができるってんだ!」
男は、膝から、コンクリの上に崩れ落ちた。
きっと、彼も、ずっと悩んでいたのだ。
その上で、ずっと、目を背けていたのだろう。
嫌な可能性から、逃げ続けていた。
……それでも、否、それゆえか、男のフラストレーションは、累積するばかり。
嗚呼。
助けてくれぇ。
ここから、出してくれぇ。
未だ、男は、その叫びのさなかにいたのだ。
だが、この世界で、彼に唯一手を差し伸べた存在は。
「私が、助けます」
……未だ、彼を見捨てていなかった。
「……はぁ?」
涙で歪み、ぐしゃぐしゃになった顔を、ロボットに向けた。
「決意を表する際、“にんげん”は、多勢の前ですることがあったそうです。これで、私は引き下がれなくなりました」
それが、意味を持つのか。
こんな、他人に興味を持たぬ集団の目に、意味を見出せるだろうか。
……限りなく、零に近いそれ、ただ、真似をしただけ。
だが、それは、ヒトに近づく一歩でもあった。
ほうら、見ろ。
笑っているようだ。
ぶきっちょなロボットが、笑いかけているようだ。
「……んな、馬鹿なこと言うんじゃない」
「ええ、きっと私はばかになった。どうしようもなくなってしまった。壊れてしまった。誰にも直せなく成ってしまった。でもそれでも、私はあなたの友人に成りたかった」
男との生活が、機械の中の何かを変えた。
いや、気づかせたのだ。
他者とのかかわりという不効率が、個にとっていかに重要か。
「だから貴方には、もう一歩、前に進んでいただかなければならないのです。私と共に、歩んでほしいから。私は貴方の友として、無理やりにでも、貴方を歩かせなければならない」
ロボットは、手を差し伸べた。
男は、その手を取ることを拒んだ。
怖かったのだ、聞きなれない、友という言葉が。
自ずから一歩先に進んだ貴い存在に頼ることが、おぞましいとすら感じた。
ぐいと、手が引かれた。
「歯、くいしばってください」
ひどく、ぎょっとすることを言う。
「なん……」
頬に、強い衝撃があった。
「……立ちなさい!生きて帰ると、誓いなさい!」
機械は、造まれて初めて、他人を殴った。
唖然とする男に、ロボットは畳みかける。
「貴方は……」
否。
畳みかけようとした、だけである。
変化は、突然に表れた。
男は、爛々と輝くロボットたちの瞳を、見た。
握っていた手がちぎれた。
気づいたときには、烏に群がられた獲物のよう、友が、ロボットたちに囲まれていた。
金属が崩壊する音ばかり、轟いている。
男は絶叫した。
必死に、ロボットどもを引きはがそうとし、拒まれてつく飛ばされては、また走り。
漸く、彼の姿が見えたとき。
友となりうるはずの存在は、残骸になり果てていた。
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