第3話 千里眼の魔女と心の記憶(2/2)

「――そうだ。試しに、ペポさんに記憶を戻す薬を飲ませてみては? それか、ペポさんの肉体から記憶を読み取るとか」


「えっ、そんなこともできるんですか!?」


 ダンの提案に、ペポは身を乗り出して反応した。


 千里眼の魔女は二人に目線を送ると、口惜しそうに首を振る。


「……残念だけど、それもできないわ。

 さっきも言ったように、ペポちゃんの問題には上位存在が絡んでる。記憶を戻す薬を飲んだとしても上位存在と交わした契約の方が効果を発揮して、私の薬は無効化される。

 かといって、ペポちゃんの体はさっき与えられたばかりだから、この体を得てからの記憶しか読み取れないのよ。

 ペポちゃんの記憶を見て分かったけど、あいつは『記憶を思い出さないと自分の肉体も取り戻せない』って言ってたわ。

 確かにそういった理由もあるんでしょうけど、ペポちゃんが私や他の魔法使いたちの力に頼って記憶を取り戻すズルをしないよう、あえてこの体を与えたんでしょうね。

 まったく、この私が手も足も出ないなんて、用意周到なカミサマだわ」


 イキシアは腹立たしげに腕を組む。


 ――色々な手を打ってくるのは、あいつらしいな。


 千里眼の魔女の言葉を聞いて、ペポは頭を悩ませる。やはり【i】が言った通り、地道にこの世界の住人と交流を深め、記憶を取り戻しかないのか。


 だが、どうして記憶を取り戻すために、異世界の住人とキズナを深めるという条件を提示したのだろう。ふと沸いた疑問に手を伸ばそうとした瞬間、ぐぎゅ~、と獣の咆哮が如き音が店内に響いた。


「あっ……」


 ペポは両手で腹部を抑える。正体は、自分の腹の虫だった。


「ふふっ、あらあら。もしかしてペポちゃん、お腹が空いてるの?」と、イキシアは言う。


 そういえば、何も腹に入れていなかった。記憶がないのでいつから食事をしていないのかは定かではない。が、イキシアの紅茶を飲んだからか胃袋が刺激され、唐突に空腹感を訴え始めたのだ。


 かぼちゃ頭の少年が「うん」と恥ずかしそうに頷くと、魔女は椅子から立ち上がった。


「分かったわ。もういい時間だし、そろそろお夕飯にしましょうか。ダンも一緒に食べましょう?」


「……まあ、夕飯代が浮くのなら」


 ダンはクールな様子で答え、コクリと紅茶を飲む。


「もう、素直じゃないわね。うふふ、久々の大人数の食事だし、ちょっとはりきっちゃおうかしら」


 ルンルンとしながら、千里眼の魔女は店の奥へとはけて行った。


 ペポは期待と不安で胸を高鳴らせていた。魔女の作るものと言えど、一体どんな品が出てくるのか予想がつかない。ゲテモノ料理かもしれないし、はたまた異世界ならではの料理かもしれない。


 すると、イキシアは何故か小さな小瓶を二つ手に持って戻ってきた。


「はい、これ。少し時間がかかるから、軽く食べて待っててね」

 

 彼女は二人の前に謎の小瓶を差し出した。透明な小瓶の半分以上は、黄色いゼラチンのような物で固まっている。ペポがスプーンで表面をつつくと、それはプルンと揺れた。


 もしやこれは――


「プリンよ。ペポちゃんは好き――ああ、そうね。自分の好きなものとかも覚えてないのよね……。もし気に入ったなら、食べてみて」


 ペポの記憶には、自身の好物すらも残っていなかった。プリンは知っているが、そもそも自分の好物か否か分からない。


 だが、何故か不思議と口に入れてみたくなったのだ。


「いただきます」


 ペポはイキシアの方を見て言うと、プリンの表面を掬いあげ、おそるおそる口の中へと運び入れた。


「……じゃあ、僕もいただきますね」


 心配そうにペポを眺めていたダンも、手を合わせてプリンを口にする。菓子をゆっくり味わうと、彼は満面の笑みを浮かべてイキシアにこう言った。


「――うん! やっぱりイキシアさんはお料理上手ですね。このプリンもなかなかです」


「ふふふ。そういえば貴方って、甘い物が好きだったわね。てっきりチョコレートだけかと思ってたわ」


「一番はチョコレートですが、何も「チョコ以外の甘味は嫌いだ」と公言したつもりはありませんよ?」


「あら、そういえばそうだったかしら? ねぇ、ペポちゃんはどう――」

 

 イキシアとダンがペポに目を向ける。すると二人は、彼に異変が起きていたことに気づく。


 かぼちゃ頭のくり抜かれた両目からは大粒の滴がぽたぽたと落ち、スプーンを口に運んだ手はそのまま固まっている。


 ――そう、彼は泣いていたのだ。


「ペ、ペポちゃんどうしたの!?」


「……え?」

 

 魔女にそう言われて、ペポはようやく自身が涙を流していることに気づいた。


「あ……あれ? おれ……なんで、こんな……」


 かぼちゃ頭は混乱した。


 なぜ自分がこんなにも泣いているのか。悲しい気持ちになったわけでもない。でも、プリンを食べておかしくなったことは明白だ。


 しかし、泣くほどプリンが嫌だったのかと問われると、そうではない。寧ろプリンを見て不思議と高揚感を覚え、口に運んでみたのだ。


 今の自分には過去の記憶などない。だからこそ、こんなにも涙が溢れるのが理解できなかった。


「――もしかしたら、心が覚えてたのかもしれないわね」


 イキシアはそう言うと、ペポのかぼちゃ頭に手を添えてゆっくりと撫でた。


「こころ……?」


 と、ペポが返す。


「ペポちゃんは記憶を持っていないし、肉体は新しいから深く刻み込まれてる記憶もない。でも、ペポちゃんの心――つまり、魂だけは今の貴方も過去の貴方と同じ。だから、記憶にはない事でもちゃんと心が覚えてるからこそ、こうして涙が出たんじゃないかしら」


「お、おれ……よくわかんないんですけど、プリンを見たらなんか懐かしく思って……それで食べてみたら、無性に泣きたくなって……。

 でも、懐かしいとかそんな感覚はあるのに、思い出したいことを思い出せないのが、悲しくって……ひぐっ、ぐ、悔しくって……っ!

 す、すみません、おれ……男のくせに、初対面の人たちの前で……こんな……泣きじゃくって……み、みっともない、ですよね……っ」


 むせび泣くペポの肩に、ダンは皮手袋で包んだ手を乗せた。


「泣く理由に、初対面も旧知の仲も、性別も関係ありません。誰とて生きていれば泣きたいときはあります。

 寧ろ自分の記憶がないのに、必死に自我を保てているのが奇跡ですよ。

 過去のあなたがどうだったかは存じ上げませんが、少なくとも今のあなたは、自分の心の強さを誇りに思ってください」


 彼らの優しさを前に、かぼちゃ頭の少年はついに堪えきれず、慟哭どうこくしたのだった。

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