第1話 自己の消失と偽りのない真実(2/2)

「えっ……?」


 突然告げられた真実に、おれは唖然あぜんとした。まさか、おれ自身が望んだというのか。全てを捨てて異世界に行きたい――と。全くもって身に覚えがない。


 いや、自分に関する記憶が全て抜け落ちているのなら、過去の自分の願いなど覚えているはずもないのだ。


「う……うそだ……」


『いいや、真実だよ。君がそう望んだから、私は行動に移しただけさ。まあ、君は自分が望んだことも忘れているから、狼狽ろうばいするのは無理もないが……。

 だとしても、私を勝手に悪者扱いしたうえに自分の要望をクーリングオフとは、いささか虫が良すぎるんじゃないかな?』


 ぐうの音も出ない。


 球体の正論に返す言葉もなく、おれはうつむいた。


 かつての自分は、望んで異世界に行きたがっていたのか。これまでの自分の過去を、何もかも、全てを捨ててまで。


「……じゃあ、なんでおれに関する記憶だけ抜き取った?

 もしおれが『一からやり直して異世界に行きたい』と望んだのなら、何故おれ自身が過去を捨て去ったという事実を教えたんだ?」


 廃人同様に意気消沈とするおれは、涙声で青白い球体に問いかけた。


 謎の浮遊物はこちらの様子をうかがうと、少し間を開けてこう言った。



 おれは顔を上げて、浮遊する玉の言葉を待つ。


『もし君が、君に関する記憶以外を覚えていて、それで私と話してみたらどう反応するのかな、とね。

 真実を知ったうえで、それでもなお記憶がなくなっても構わないなら、これまでつちかってきた記憶や、私と話した記憶すらも消して、異世界に送り届けようと思った。

 ……でも、もし君が過去の自分の行いに疑問を持ち、記憶を取り戻したいというのなら、記憶を返してあげるよ』


「ほ、本当か?」


『もちろん、タダでは返せない。どんな物事にも順序やルールがあるからね。

 ――さあ、どうする? 全てを忘れて異世界の住人になるか、私の条件を呑んで記憶を取り戻すか。好きな方を選ぶといいよ』


 前者を取るか後者を取るか。おれは出された二択にしばし悩んだ。そして決意を固めると、球体を真っすぐ見据みすえて答えを出す。


「おれは……記憶を取り戻して、元の世界に帰りたい」

 

 おれの反応は予想外だったのか、青白い玉は動揺するかのように一瞬上下に動いた。


『後悔するかもよ?

 かつての君は、全てを忘れて異世界に行きたいと願ったんだ。そう願うってことは、よっぽど嫌な現実から目を背けたかったからなのかもしれない。

 全てを思い出した時、君はまたここに来たいと願うかもしれない。……それでもいいの?』


 念を押すように、謎の存在は再び問いかける。


 だが、おれにはもう迷いはなかった。


「確かに、アンタの言う通りかもしれない。でも、人生を一度チャラにするのは、やっぱり間違ってる。一度起きたことをリセットするのは、ゲームのセーブデータくらいで十分だ」


 新たな自分に生まれ変わる選択も良いのかもしれない。


 しかし、おれは思ったのだ。


 目の前にいる謎の存在があえて二つの選択肢を与えたのは、『異世界に行きたい』と安易に願ってしまった自分の過ちと向き合って欲しいのではないか。つまり【i】にとって、おれが異世界に行くという願いは不本意なのではないか――と。


 それに、過去の自分がどんな考えを持って「全てを捨てて異世界に行きたい」と望んだのか、少し興味がある。


 記憶を全て取り戻し、それでもなお生まれ変わる方が幸せだという結論に至ったら、今度こそ本物の異世界の住人になればいい。パンドラの箱を覗く前に転生するのは時期尚早だ。


『……まさか、君の口からそんな言葉を聞けるとはね……いいよ。君に記憶を返そう』


 球体はノイズ混じりの声ではあるが、こちらの返答に対して喜びを滲ませているようにも聞こえた。


『だが、さっき言った通り、君の記憶を戻すには条件がある』


「ああ、構わない。記憶が戻るなら、なんでもやってやるさ」


 挑発的なおれの返しに、【i】は小さく笑った。


威勢いせいがいいね、流石さすがは君だ。条件っていうのは、いたってシンプル――私とゲームをして君が勝てば全ての記憶を返し、そして君を元の世界に返そう』

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