1章 リムブルック(緑林檎)

第1節 薬屋『魔女の休息』

第1話 異邦人のかぼちゃと哀愁のタンポポ(1/2)

 数多あまたの星がまたた宵闇よいやみと、雪花せっかきらめく白銀に包まれた世界。


 謎の存在【アイ】によって異世界に送られたかぼちゃ頭は――


「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」


 遥か上空から落ちていた。


 徐々に落下速度が上昇し、体に伝う空気は刃のように鋭く肌を切り裂く。幼児を思わせる小さな体は、クルクルと宙を転がる。


 かぼちゃ頭はそらを飛んだ経験などない。


 いや、自分に関する記憶を持ち合わせていないので、もしかしたらあるのかもしれない。だが、記憶があろうとなかろうと、パラシュートもなければ特別な力を持たぬ普通の男の子が、いったいどうやってこの危機的状況を打破すればよいというのか。


「どうすりゃいいんだよ!! くそ、あいつ覚えてろおおおおぉぉぉッッッ!!!」


 己の最後を覚悟したかぼちゃ頭は、自身を異界に飛ばした謎の存在に対し恨み節を吐いた。自身と地面との距離が段々と近づいている。


 記憶を取り戻して元の世界に帰ると決意した矢先、目前に迫る死の影によって心が打ち砕かれた。かぼちゃ頭は「もうダメだ、おしまいだ」と諦めてギュッと強く目をつむる。あとは地面にキスして、肉片とかぼちゃをぶちまけて終わりだ。


 しかし――


「ぶえっ!!?」


 死んだ、と思った次の瞬間、ドサッという大きな音と衝撃、そして体中に冷たくシャリシャリした感覚が伝わった。多少の痛みはあれど動けない程ではない。


 かぼちゃ頭はムクッと起き上がり、犬のように顔を横に振る。目を開くと、眼前には自分と同じ姿の跡がついた、真っ白いふわふわしたカーペットが広がっていた。


「もしかしてて……雪? はぁ~、助かった……」


 かぼちゃ頭の小人はホッと一息つく。どうやら積もった雪の山に偶然落ち、クッション代わりになってくれたようだ。


 かぼちゃ頭はふと右手で雪を掬い、手触りを確かめてみる。


「……この姿でも、感覚は人の頃と同じだ。不思議だな」


 かぼちゃ頭の小人は、自身に関する記憶は失えど、少なくともかつては人だったことくらいは分かる。この世界と同様に、雪降る夜に車にねられてしまったことだけは、覚えているのだから。


「にしても、ここどこだ? あいつ確か『ホロウメア』とか言ってたけど……ん?」

 

 小さなカボチャはキョロキョロと辺りを見回す。


 ノイズ声の蒼玉そうぎょくより伝えられていたのは、『ホロウメア』という異世界の名前と、冬の夜にとざされているという状況だけ。


 異世界と言うものだから、てっきり自分の常識外の光景が広がっているものだと思っていた。


 だが、かぼちゃ頭を取り囲む光景は、彼の記憶の引き出しの中に確かにあるものだ。


「もしかしてここって――遊園地?」


 彼の目の前には、電飾を放つメリーゴーランドがあった。ブリキ製の馬や鹿、魚を模した乗り物は、スチームパンクの世界観そのもの。一見すると不気味だが心惹かれる不思議な魅力を放つデザインは、少年にとって初めて見るものだ。


 メリーゴーランドという既知との遭遇により、異世界に放り出された不安は僅かばかり払拭できた。


 見知った物は、何もメリーゴーランドだけではない。


 左を見れば、ポップコーン販売用のキッチンカー、右は射的や輪投げができるミニゲームコーナーがある。確かにメリーゴーランドやゲームコーナー、ポップコーンワゴンといった概念は、眼前の物に当てはまっている。


 当てはまってはいるものの、かぼちゃ頭が知っている現代的なものではなく、近代のアメリカを彷彿ほうふつとさせる古めかしいデザインなのだ。退廃的な遊具や建物を見た少年の胸の内に、何故か懐かしさや切なさが込み上げてきた。


 だが、どうにもおかしい。遊園地だというのにキャストはおろか、客らしき人影が見当たらないのだ。


 無人の遊園地の中でメリーゴーランドだけが発光している。異様な光景に目を奪われていると、かぼちゃ頭は背後から声をかけられた。


「――あなた、ここで何を?」


「え?」


 振り向くとそこには、ゴシック調の褐色コートに身を包み、ヴィンテージのリュックを背負った長身痩躯の男性が立っていた。


 センター分けの短髪はビターチョコの色で、少しばかりパーマがかっている。温厚な人柄が滲み出る三白眼の垂れ目は、綺麗な紅茶色だ。少年と1メートル近くある身長差と、彼が巻いているボルドー色のマフラーのせいで口許くちもとは良く見えない。


 一見すると30代に思えるが、目の下に刻まれた苦労の証と、男がまと哀愁あいしゅう漂う雰囲気のせいで40代にも見える。男性の姿は、今にもたおれてしまいそうな道端に咲く花を連想させた。


「あの、ええっと……ここ、どこ……ですか?」


 かぼちゃ頭の小人は謎の存在【アイ】との会話の癖で、うっかりため口が出てしまいそうになる。


 しかし、『真摯に向き合わなければいけない』という言葉を思い出して、なんとか自重した。


 かぼちゃ頭の問いかけに対して小首をかしげた謎の男は、彼と目線を合わせようとひざまずく。


「もしかして迷子ですか? ご両親はどちらに?」

 

 男は低く優しい声音で、かぼちゃ頭の小人に語り掛けた。


 たとえ相手が子供だとしても、目線を同じ高さに合わせ、尚且つ敬語で話す紳士的な姿から、男の育ちの良さがうかがえる。初めて見た男性の口許は、よく見ると顎鬚あごひげを少し蓄えていた。謎の紳士は相貌そうぼうに微笑をたたえているものの、何故か眉は八の字を描いている。


「いや、そうじゃなくて……」


『異世界から来ました』と言いかけたが、かぼちゃ頭は口をつぐむ。


 会って間もない人に対して、そんな戯言ざれごとを口に出せばどうなると思う。くだらない冗談だと笑い者にされるか、現実と妄想の区別がつかない異常者だと敬遠されるに決まってる。

 

 男性の方は、言い淀むかぼちゃ頭の姿を観察し、まるで探偵のように顎に手を添えた。


「んー。その姿を見るに、『』の住人でしょうか?

 ですが、あの村の住人がこちらに来たとは……。いや、もしかしたらマールスさんの使用人形メイド・パペットの可能性も……」

 

 壮年の男性はブツブツと何かを言っている。


 かぼちゃ頭にとってはどれもこれも聞きなれない単語ばかり。遊園地という多少見知った光景があるものの、やはりここは異世界なのかと実感し始めた。


 何をどう説明するのが正しいものやら。


 オレンジ色の大きな頭を持つ小人は、自分の置かれた状況を言語化しようにも、何を伝えたところで悪い方向に進む未来しか見えない。未知の世界に自分を知る者がいない孤独感と、自身に関する情報がまったく分からない不安感に、かぼちゃ頭はさいなまれる。


 情けないな、とかぼちゃの目頭にはぐちゃぐちゃに混ざった感情の滴が溜まってきた。


「――あの、よければ話していただけませんか? 話し辛い事もあるかもしれませんが、困ってる人を見捨てるほど、僕は人の心を無くしたつもりはありませんからね」


 見ず知らずの男性は、暖かな眼差しで小人を見つめる。彼の言葉に嘘偽りはない。


 確信したかぼちゃ頭は、「ええい、ままよ」と洗いざらい事の顛末てんまつを告げることにした。自分が異世界からの異邦者であること、そして自分に関する記憶が一切ないということを。

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