12.砂糖よりも甘い考え

 その一瞬の出来事に、アミの優秀な脳は情報処理に体のエネルギーの大半を使い、硬直する。故にその状況を打開したのは、目の前の現実と直面し、考える事をやめたマモルの右腕だった。


 肉体には限界がある。人はそう言い、機械を造った。


 しかしどうだろうか。マモルは炎の海をかき消す為に、機械という力を使わず、己の力のみでそれを成し遂げた。


 なんの揺らぎも見せずに、マモルは地面を右拳で殴る。それで生まれた土煙はマモル達に襲いかかる炎らを次々とかき消して行く。そしてマモルは、そのまま尽くせる全力で地を蹴る。

 その無駄の無いマモルの動きとは裏腹に、硬直を保っていたアミは―――。


「私は……なんの為にここに来たのだ? 見学をする為か? 彼の復讐を見届ける為か? ……違うだろ……。私は―――」


 ―――戦う為。その言葉はアミの本心。だが言えなかった。何故らな―――。


 地を蹴ったマモルはそのまま神社の屋根まで、吸血鬼が立つ土俵まで、飛んだ。

 空中を舞っている最中も、考える事は標的の位置と体をよじる事。

 より力を加えられる体制。よりダメージを与える姿勢。そしてイメージ。吸血鬼を殴るというイメージ。


 その全てがマモルの無駄の無い動きに繋がる。


 だがしかし、マモルの右腕は吸血鬼の頬に届く一歩手前で止まった。


 理由は簡単で複雑。簡単なのはそれが『止められた』というわけだからだ。複雑なのはそれを止めたのが『マモル』というわけだからだ。


 無論マモルは目の前の敵に一瞬にして捕まる。


「何故止めた? 貴様の目的はなんだったんだ? 左手腕が右腕を止めるとは……貴様の左脳と右脳は仲が悪いなぁ! クックックッ……。心底呆れた奴だ!」


 そう言い、吸血鬼はマモルの首を掴みながら一歩前に出る。それは月明かりがその吸血鬼の顔を照らした合図となる。


「マモル……君ってやつは……。だから言っただろ。君の考えは甘いのだと」


 月明かりに照らされたその容姿は『女』。


 吸血鬼である事は先程の、人間という生物の能力を軽く超えた力によって明らかとなっている。

 だがそれを除けばそれはただの女性。月明かりに照らされる容姿は美を一層際立たせ、何も知らぬ者ならば、思わず振り向いてしまう程の物だった。


 それが原因では無い。マモルにとってその容姿は美しいと思っても好意やそれ以外の感情を抱く事はない。問題はそこではない。

 本当の問題は敵が女である事。故に今もなお、マモルは自分の右腕を左手で必死に抑えていた。


「貴様……まだやるか……。心底呆れた。いや、幻滅だ。私はこのような腑抜けの為に遠回りをしたというのか……。なぁ!」


「―――うっ………」


 吸血鬼は怒りをそのままマモルの首を掴んいる手に力を入れる。それに流石のマモルも苦しみを声に含ませ、徐々に右腕を抑えていた左手に力が入らなくなる。

 絶体絶命の危機に迫るにも関わらず、マモルは未だに吸血鬼を蹴ったり殴ったりして逃げようとはしなかった。


 そしてマモルが感じる時間は徐々にゆっくりとなり、死へのカウントダウンが始まろうとしていた。だがそれは始まる前に阻止される事となる。


「吸血鬼。お前を殺しに来たのは私もだ。目を反らすと……こうなる!」


 吸血鬼の腹に蹴りを入れ、緩んだ手からマモルを奪還したのは、先程まで硬直を貫いていたアミであった。

 その動きはぎこちなさを少々含ませた物であったが目的はマモル奪還ただ一つだった為、結果から見て良い行動と取れる。


「ほぉう。そっちは殺る気かぁ。いいなぁ。……まぁ、根性だけだがな―――」


 既にアミが最初の位置に、マモルが素手で破壊した地面に、舞い戻った後、吸血鬼は独り言を語り、口元をゆっくりと上に持ち上げる。


「何故攻撃しなかったんだ! 君は、君は何がしたい!」


「俺は………」


 端から止まっていた思考が答えを出すはずが無い。本能で動いていたマモルにとってこの質問も本能のまま答えていた。

 故の、『俺は』止まりの回答である。


「君は、君の両親の仇を取るんじゃなかったのか? 君はあれを殺すんだろ! それに今! 君の大切なユミという少女が奪われようとしてるんだぞ! 良いのか? なあ!」


「俺の……大切な……ユ…ミ―――」


「そうだ。君は奴を殺して大切な存在を―――ぁ―――」


 ―――敵に背を向ける事は死に繋がる。


 常識である事を、アミは目の前の腑抜けたマモルによって一時的に忘れる。

 だからこそ、現在後ろから押しつぶされるくらいの大きな殺気によって、声から体は勿論のこと、眼球まで身動きが取れなくなる。


「つまらんなぁ。さっきの蹴りも、貴様らの行動も………。さっさと、終わらせるか。『切断・毒』」


 不気味な声色がアミの耳元で発せられる。その言葉により、アミの眼球は辛うじて動く様になる。

 だがその眼球も、対象である吸血鬼に届く前に再び硬直する事となる。何故なら―――。


「おい……、アミ……。お前、腕が……」


 先に口を開いたのはアミの正面に座っていたマモルであった。だがマモルが発した言葉は、目の前の最悪を敢えて触れないでおいた発言。


 マモルの判断ももっともであろう。触れずに避けるのも無理はない。


 アミの右腕は根本近くから綺麗に切断され、血が大量と言えるほど流れていたからだ。


 誰のせいかと聞かれたら、間違えなく吸血鬼のせいである。

 だが、誰がその状態に近づけたかと聞かれたら、それは間違えなくマモルのせいである。


 そして、十年前の悪夢がマモルの脳に降りかかる。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――」


 謝罪や心配、罪悪感。その全てのアミに対する思いが頂点までに達し、マモルは完全に思考を、外界の状況の全てを、遮断した。

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