6.女を殴らないという甘い考え
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「―――あっちぃー………」
アイスを加えながら照り光る太陽の元、秋とは思わせない半袖の服装で少年は住宅街の道を歩いていた。髪は普段通り逆立ちであるが、若干萎れているようにも見える。体の至る所から汗という汗を吹き出し、今にも倒れそうな様子で歩いている。
「まったく………、台風も空気読んでくれよ。もう秋だぞ………。雨と共に暑い空気まで持ってきやがって。欲張りか!」
ここには居ない台風に文句の様なものを投げつける。
フェーン現象。それは気流が山の斜面にあたったのちに風が山を越え、暖かくて乾いた下降気流となってその付近の気温が上がる現象をいう。
台風は反時計回りで日本へ向かってくる。故に日本海側に住むマモルにとって、その現象は不可避的に訪れるもの。同仕様もない事なのだ。
「これじゃあ溶けて………ん?」
太陽の暑さにも負けず、前方を確認しようとマモルは正面に目線を上げる。そんなマモルには奇妙とまではいかないが、不思議な光景が映った。
ショートボブより少し長く、黄緑の髪の大半を鹿撃ち帽で隠すその女の服装がまさに厚着であったからだ。
マモルの女に対する第一印象は『おかしな人』だった。だが一瞬の出来事により、その第一印象は消される。いや、消されたのではない。太いペンで上から上書きされたのだ。
すれ違う瞬間だった。一瞬の出来事だった故に、マモルは一つ遅れてそれに反応する。
マモルの腹に、女の握りこぶしがめり込んだのだ。遅れて衝撃がやってくる。咥えていたアイスは地面に落ち、マモルはそのまま後方へ飛ばされた。
倒れてもおかしくない物だったが、マモルは持ち堪え、踏ん張って足を地面に接着させる。恐ろしい程の体幹の持ち主である。
「いきなり何すんだ! アイスが落ちて食べられなくなっただろ!」
「ぶっ! ぷっはっはっはっー!」
「なんだ! 何がそんなにおかしいんだ? おかしいのはお前の格好だろ。こんなに暑いのによくそんな格好で生きてられるな」
「いやいや。君は面白いなぁ。殴られてアイスの心配をするなんて………。思い出すだけで………ぷぷっ……面白い!」
本当に面白そうに笑う女はマモルを殴ったと言うのに悪気どころか反省すらしていない様子だった。
「いやー、肋骨を折るつもりで殴ったんだけど………、効いてなさそうだね」
「効いてるわ! けど、肋骨はこの程度で折れないだろ。ってか本気で肋骨折るやつなんてなぁ、ましてやお前みたいな女が折れるわけないだろ」
確かに衝撃はあった。だがそれだけの事。後方3メートル程飛ばされてしまったが、マモルの体には痛み以外のダメージは無かった。
「この程度……っか………。私は嘘を付かないで有名なんだけどな………。ああそう言えば。私のこの服は見て分かると思うけど探偵服。つまり私は探偵さ。有名では無いけど、これまで見てきた迷宮入りの事件を全て解決している実力派だよ。それと君の『その服暑くないの?』の質問に対する回答だけど、私のこの服は皮膚だからまったく暑くないよ」
「速攻で嘘付いてんじゃん! いや、これはジョークですってパターンか? どっちでもいいけど、その実力派探偵さんが俺なんかの平凡学生に何かようですかぁ?」
「いやだからこの服は………。はぁ……もういいか………。とりあえず本題に入ろう。君は、約10年前、この辺で起きた事件について知っているかい? 一人の男性と一人の女性が、何者かによって惨殺された事件の事を」
「―――!」
先程まで軽口を叩いていたマモルの口元が一気に閉じる。だがそれは、完全に締め切ったドア状態ではなかった。小刻みに揺れる唇が、マモルを無言へと追いやったのだ。
「無言……か……。まぁいいだろう。それでは事件の概要を事細かに説明して差し上げよう」
そうしてニコリと不気味に笑みを零す女は、先程マモルが地面に落としたアイスを最初に踏み付けながら、一歩一歩ゆっくりとマモルの元までやって来て、そのまま口を開く。
「一人の男性は、直径30センチ、長さ1メートルの黒い鉄の棒で、4箇所串刺しになっていたそうだ。一つは腹部から背中にかけて。一つは右肩から左脇腹にかけて。一つは左足大腿表から裏にかけて。一つは右足大腿表から裏にかけて」
「―――」
「恐ろしいね。想像するだけで恐怖がやってくるよ」
耳元までやって来て、そう囁く女の姿をマモルは既に追っていない。隣まで来て小さく囁いていても尚、マモルはその事に気付かないでいた。
一つは、マモルの意識が表に無いからだろう。具体的な内容故に鮮明に思い出されるそれによって。
「警察は司法解剖を行ったそうだ。これ、おかしくないか? だって鉄の棒が体中に刺さっているんだよ。どう考えても事件だ。事故でもない。それに事故だとしても死亡した原因ははっきりとわかっている。じゃあなんで、警察はその男の体を解剖したんだろうね?」
「それ………は………」
出かかった言葉を、マモルはとっさに右手で口を抑えて飲み込む。事実と思いたくないものだからこそ、マモルは口を閉じた。
だがしかし、相手はマモルの意図や感情を一向に汲もうとしない。ましてやその逆と思わせるように、軽くその重たい内容を話そうとする。
「―――ツノ」
たった2文字。されどその2文字はマモルの頭に激痛を与えた。激しい痛みが、過去の記憶と共にマモルの頭に流れ込む。
「男の頭からはツノが生えていたそうだ」
「やめろ」
「警察は麻薬でそうなったと思った。でも違った。男の体内からはどの麻薬の成分も含まれていない」
「やめろ」
「女性の死体は屋内で見つかったそうだ」
「やめろ」
「部屋の一角で見るも無残な姿で発見されたそうだ」
「やめろ」
「首筋についた2つのアナ」
「やめろ」
「血がなくなり、干からびたような皮膚」
「やめろ」
「顔は既に潰れて、誰なのか判別―――」
「―――やめろって………言ってんだろぉぉおお!!」
昼間の住宅街、男の怒声が風圧と共に響いた。
その怒声は常人が体感したら耳鳴りを感じるほど鼓膜を震わせ、石垣に罅が入る程までに至った。
何を言われても、何をされようとも、女は口を閉じようとはしなかった。それが当初からの女の目的で、そうする事に意味があったから。
だが女は口を閉じた。原因は酷い耳鳴りを感じたからだ。目の前に立っている、怒りを逆立ちにした髪の少年によって。
―――激しい耳鳴りは5秒間続いた。その間女は動くことすらままならない状態になっていた。金縛りに似た感覚は、5秒後にようやく解けた。
「変化なしか………。しょうがないか、しょうがない。私も人をいじめるのは好きじゃないからな。これは終わりにしよう」
ため息を吐き捨て、残念そうに目を閉じ、首を振る女に対して、マモルは怒りを自分の右拳に乗せかけていた。
だがそれを止めたのは左手。マモルの左手は右腕を掴み、それ以上行動させないように力一杯握り締めていた。
「私を殴りたそうにしてる右に対して、左はそれを止めるか。今君がどういう心情でその行動をとってるのか私には分かりかねる。殴りたければ殴ればいいだろうよ」
挑発する様に女は一歩前へ出る。だがマモルは怒りを増幅するどころか、消し掛けていた。
マモルにとってその怒りは容易に消せるものでは無かった。だが消したのは、尊敬していたある人物の教えがでかかった。その教えが出てきたのは過去を思い出したのと深く関係する。
「殴らない。………殴らない。俺は女を殴らない」
相手の目を見てはっきりと物を言うマモルに女は不服そうな顔をする。
「そうか………。そんな事ではいざとなった時死ぬぞ。お前の大切な人がな。まぁいい。私にはそんな事関係無いからな」
「関係無いなら最初から言うな! じゃな! 俺忙しいから!」
「ちょっ! ちょっと待てよぉ!」
そうして先程とは反対方向にマモルは進もうとする。それを止めたのは女だった。女はマモルのその行動に驚く。
「まだ話は終わってないんだぞ。人の話は最後まで聞くのは常識だろ、心鬼 守」
「はぁ? 人を殴るやつに常識云々を言われたく………。おい。今なんて言った」
「いやだから人の話は―――」
「―――そうじゃない! お前、なんで俺の名前を知ってるんだ………」
自分の名前が出てきたのを一つ遅れて気づくマモルは、とっさに疑問が出てきた。さも当然かのように振る舞っていた女もそれに気がつく。それは女にとってそこまで気にしていなかった事だからだ。
「言っただろ。私は探偵だ。探偵は事件の詳細とそれに関係する人物を把握するのは当然な事だ。ここまで言ったらわかるだろ? 私は君の両親の事件を解決する為に来た」
「あぁ。一応はわかった。だがお前みたいな胡散臭い奴を俺は信用出来そうもない」
付け加えると、出会い頭にグーで殴ってくる女である。信用できるかできないかで言ったら、大きくできないに振り幅が振る。
「私の実績を知れば一発で信用させる事ができるが今は持ってないからな………。そうだ! 君の両親を殺した犯人をこの場で言ってやろう。それで納得がいくかな?」
「―――わかった。言ってみろ」
過去最大の真相に、無関心のような声色で聞こうとする。だがそれは冷静であるからではない。むしろ逆である。心臓が大きく鳴り響くからこそ、たった二つの言葉で済ませたのだ。
鼓動は時間と共に早くなり、音も大きく聞こえてくる。警察が全力を尽くしても犯人を探せなかった中、目の前の女があっさりとその言葉を口にしようとしている。それがまた、マモルの心臓の音をでかくした。
犯人があっさり分かる筈が無いと思う自分と、犯人を知りたいと思う気持ちが相俟う中、女は静かに口を開ける。そしてその一言を―――。
「君の両親を殺した犯人は『吸血鬼』さ」
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